新日フィルの来期プログラム ― 2025年08月14日 17:13
新日本フィルハーモニー交響楽団の2026/27シーズン(2026年4月~2027年3月)のプログラムが11日に発表になっていた。トリフォニーホールとサントリーホールの「定期演奏会」が各7回、トリフォニーホールで開かれる「すみだクラシックの扉」が8回である。
https://www.njp.or.jp/wp-content/uploads/2025/08/26-27%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0_250811.pdf
音楽監督の佐渡は「定期演奏会」で計3演目、「すみだクラシックの扉」で2演目に登場する。今までの「ウィーン・ライン」を継続し、「定期」ではマーラーの「交響曲第3番」、ブルックナーの「交響曲第5番」、R.シュトラウスの「英雄の生涯」といった大曲を、「扉」ではオール・ブラームス・プロなどを披露する。なお、7月の「扉」では藤岡幸夫が芥川、伊福部、吉松の3曲を指揮する。これは聴きたい。
また、併せて、佐渡裕の音楽監督の任期が2030年3月まで延長されることも発表された。
2025/6/28 ボレイコ×新日フィル ショスタコーヴィチ「交響曲第11番」 ― 2025年06月28日 21:56
新日本フィルハーモニー交響楽団
#664〈サントリーホール・シリーズ〉
日時:2025年6月28日(土) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:アンドレイ・ボレイコ
共演:ピアノ/ツォトネ・ゼジニゼ
演目:ストラヴィンスキー/ピアノと管弦楽のための
カプリッチョ
ショスタコーヴィチ/交響曲第11番ト短調
「1905年」
ストラヴィンスキーには2曲のピアノ協奏曲があるという。プログラムノートによると、ひとつは「ピアノと管楽器のための協奏曲」、そして、もうひとつがこの「ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ」。2曲とも聴いたことはない。音盤を持っていないし、実演も初めて。
「カプリッチョ」はストラヴィンスキーが新古典主義時代の作品、ドライな音楽で反ロマン的といったらよいか、ピアノが打楽器のように活躍する。ストラヴィンスキーの特質であるリズムと音色と音響は健在であるが、情感に訴えることや歌い上げることはしない。軽快な曲運びは好ましいけど、正直あまり面白い曲ではない。プレスト、ラプソディコ、カプリッチョーソの3つの楽章が続けて演奏された。
ソリストは日本でいえば高校生のツォトネ・ゼジニゼ、ジョージア出身で作曲もするらしい。音楽の世界では昔から早熟の異才が現れる。「カプリッチョ」が20分程度の短い曲だったせいかゼジニゼはアンコールを3曲も披露した。3曲とも自作だと知ってびっくり。
ショスタコーヴィチの「交響曲第11番」は10年ほど前のラザレフ×日フィルが基準となっている。井上、沼尻、角田、インバル、カエターニなど聴いたが、ラザレフは別格である。今では「第11番」は劇伴音楽として聴けばいいのではないかと冗談もいえるけど、当時は恐怖と混乱がしばらく尾を引いた。いまだに「第11番」の演奏会になると身構えてしまうのはその後遺症が癒えていないためだろう。
別名「1905年」、ロシアにおける「血の日曜日事件」を描く。帝政ロシア末期、貧困と飢餓に苦しむ人々はサンクトペテルブルグの宮殿前広場に集まった。その民衆に向かって軍隊が発砲し、数千人の死傷者を出す大惨事となる。これが共産主義国家ソヴィエト連邦成立の遠因となった。
第1楽章「宮殿前広場」、ハープが鳴り、陰鬱な雰囲気の主題が提示され、ティンパニとトランペットの不気味な呟きへと引き継がれる。その上を幾つかの革命歌の旋律が流れる。帝政ロシアの圧政、重苦しさが漂う。ボレイコは音圧を絞り抑圧的な音響で緊張感を高めていく。
第2楽章「1月9日」、民衆が行進をはじめる。変奏と変拍子が次第に緊迫の度合いを増す。前楽章の主題が鳴り渡ると、突然、スネアドラムを筆頭に打楽器の連打となる、民衆への無差別の銃撃。広場は阿鼻叫喚の地獄となる。ボレイコの描写力は過たない。大音響が止み身動きする者は誰もいない。その不気味な静寂と惨状。
第3楽章「永遠の記憶」、重々しいしいピチカートに乗って、ヴィオラが革命歌を奏でる。葬送行進曲である。ボレイコはヴィオラの音量を抑える。弔いの鐘のような金管の呻きは慟哭というしかない痛切な叫びとなる。音楽はやがて力尽きるかのように沈黙する。
第4楽章「警鐘」、決然とした金管楽器の動機は民衆が蜂起する様だろう。ここでも革命歌が引用され、イングリッシュホルンの調べに泣かされる。ボレイコは力任せではなく、むしろ追憶としてのイングリッシュホルンの旋律に焦点をあてた。最後は全管弦楽の強奏のなかで鐘が激しく打ち鳴らされる。このとき普通はチューブラーベルという管状の鐘を何本もセットした楽器が使われるが、今回は金属板をぶら下げたツリーチャイムを鳴らした。楽器の挙動は多少不安定ながら異様な音と残響が鳴り渡った。この民衆のエネルギーともいうべき勇壮なフィナーレにおける鐘は未来へのまさに警鐘のようだ。
ボレイコの音楽は心身とも巻き込まれてしまいそうな苛烈なものではない。テンポやバランスがよく整えられた堅実でハッタリのない演奏である。作者ショスタコーヴィチが何を訴えようとしたのかを示唆してくれるような音楽だった。
ボレイコはサンクトペテルブルグ(旧レニングラード)生れ、ショスタコーヴィチと同郷である。父親はポーランド人、母親はロシア人だという。2023/24までワルシャワフィルの音楽監督を務め、昨年、手兵と来日している。以前は東響やN響を指揮したこともあるようだが、日本のオケを振るのは珍しい。ボレイコのショスタコーヴィチは他も聴いてみたい。
2025/4/20 佐渡裕×新日フィル バーンスタイン「カディッシュ」 ― 2025年04月20日 22:13
新日本フィルハーモニー交響楽団
#662〈サントリーホール・シリーズ〉
日時:2025年4月20日(日) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:佐渡 裕
共演:チェロ/櫃本 瑠音
朗読/大竹 しのぶ
ソプラノ/高野 百合絵
合唱/晋友会合唱団、東京少年少女合唱隊
演目:ベートーヴェン/序曲「レオノーレ第3番」ハ長調
バーンスタイン/「ミサ」から
3つのメディテーション
バーンスタイン/交響曲第3番 「カディッシュ」
新日フィルの音楽監督として3期目を迎えた佐渡裕のシーズン開幕プログラム。師匠のレナード・バーンスタインの作品を中心に据えた。
メインの「カディッシュ」は、オーケストラに朗読、ソプラノ、混声合唱、児童合唱が加わる大作。朗読は大竹しのぶ、ソプラノは高野百合絵。合唱はP席を使用せず、混声合唱100人、児童合唱30人ほどがオーケストラの背後に並んだ。サントリーホールの舞台はR.シュトラウスの演奏会形式の歌劇を上演するくらいだから結構広い。
「カディッシュ」とはプログラムノートによると「聖なるもの」を意味するという。ユダヤ教の祈りの歌。神との対峙、信仰のゆらぎ、信仰の回復をテーマに、さまざまな様式の音楽が混在する。第1楽章が「祈り」、第2楽章が「神の試練」、ソプラノ独唱による子守歌が入る、第3楽章が「スケルツォとフィナーレ」という構成。神に対する盲目的な信仰心や神そのものに対する攻撃の中で、もう一度神との関係を作り直そうとする物語。
佐渡がバーンスタインに弟子入りしたい、と思ったきっかけがこの曲だという。細かな指示を含め迷いのない指揮ぶり。演奏会でも繰り返し取り上げているようだ。コンマス崔文洙とアシスト伝田正秀がリードした新日フィルも歯切れのよい鮮やかな演奏だった。高野百合絵は美声、大竹の語りは日本語、言葉の量が多い演劇寄りの作品だから適役。字幕サービスは有難い配慮だった。
「カディッシュ」は交響曲において言葉と音楽とを融合させようとした挑戦的な20世紀音楽だが、交響曲としてはそれほど過激でも斬新でもない。革新という意味では音響を含めてマーラーやショスタコーヴィチのほうがよほど衝撃的で破壊力がある。それと、これは楽譜のせいなのか演奏のせいなのか分からないが、弦5部の縁取りが弱く不満が残った。スタイリッシュでマイルドな現代音楽という印象だった。
休憩前の前半1曲目は「レオノーレ第3番」。プレトークで佐渡は思い出の作品だと語った。かって「広島平和コンサート」でバーンスタインが「カディッシュ」と組み合わせ演奏したという。「レオノーレ第3番」は客席を静めるための序曲としては重すぎて、歌劇「フィデリオ」の最終稿では別の序曲に差し替えられた。何度聴いても序曲というよりは濃密な交響詩のようで、ベートーヴェンの全序曲のなかの最高傑作だと思う。
前半2曲目は、バーンスタインの「ミサ」から3つのメディテーション。瞑想となっているがチェロ協奏曲のような作り。ソロはパリ・オペラ座のアカデミーで学んだ櫃本瑠音。オーケストラからは管楽器が抜け、鍵盤楽器と打楽器が加わった。民族的なリズムが横溢し自然と身体が反応する曲だった。
2024/9/6 二期会 「コジ・ファン・トゥッテ」 ― 2024年09月07日 10:48
東京二期会オペラ劇場 「コジ・ファン・トゥッテ」
日時:2024年9月6日(金) 14:00 開演
会場:新国立劇場 オペラパレス
指揮:クリスティアン・アルミンク
演出:ロラン・ペリー
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
出演:フィオルディリージ/吉田 珠代
ドラベッラ/小泉 詠子
グリエルモ/小林 啓倫
フェランド/金山 京介
デスピーナ/七澤 結
ドン・アルフォンソ/黒田 博
合唱/二期会合唱団、新国立劇場脱硝団
藤原歌劇団合唱部
演目:モーツァルト/コジ・ファン・トゥッテ 全2幕
藤原歌劇団の「コジ・ファン・トゥッテ」を日生劇場で観たのは一昨年のこと。岩田達宗演出、川瀬賢太郎指揮の新日フィルだった。
今回はシャンゼリゼ劇場との共同制作でロラン・ペリーが演出・衣装を担当し、アルミンクが同じ新日フィルを指揮した二期会の公演。
アルミンクは、かって10年間ほど新日フィルの音楽監督を務めていた。この間、いろいろな噂話はあったもののお互い相性はよかったと思う。その両者が再びまみえ、二期会とでつくりあげるモーツァルトである。
幕が上がると、何処かの放送局の録音スタジオのような舞台である。何本もマイクが立っており、譜面台には台本か譜面が置いてある。奥にはミキサー室らしきものが設えてある。ミキエレットのキャンプ場と同じでロラン・ペリーの読み替え上演である。
この舞台装置にどんな意味があるのか良くわからない。最初、出演者たちはマイクの前に立ち、台本あるいは譜面を広げていたから、ここで「コジ・ファン・トゥッテ」を収録しているという設定なのか。それが徐々にマイクは舞台裏にひっこめられ、台本・譜面はなくなり、いつのまにかミキサー室らしきものも暗闇となってしまったから、だんだんと「コジ・ファン・トゥッテ」本来の舞台があらわれてくる、ということなのかも知れない。
もっとも衣装は簡素な現代風のままだし、ナポリの海も空も雰囲気もない。ただ、男たちが変装するアルバニア人は顔を白塗りしただけの、黒の服装も仰々しくなくて好感を持てたけど。とにかく、セットはシンプルで大袈裟に自己主張することなく、結果、音楽や劇をやたら邪魔することがないのは救いであった。
二期会の歌手たちはさすが粒揃いで、ソロも申し分ないが、アンサンブルがとても洗練されていて、重唱の多いこのオペラの美点をあらためて浮き彫りにしてくれた。余談ながら字幕をあらためて追いかけていると、ダ・ポンテとモーツァルトのつくった台詞にいちいち頷いてしまう。「コジ・ファン・トゥッテ」は前二作と違って種本はなく全くのオリジナルだったはず。そして、その言葉にぴったりと寄り添い、ありとあらゆる感情を音楽にしたモーツァルトの天才に茫然とする。
今回の公演における最大の収穫は管弦楽だろう。アルミンクと新日フィルのコンビは能う限りの柔らかな美しい音楽を奏でた。「コジ・ファン・トゥッテ」は筋書きが荒唐無稽ゆえに、音楽も歯切れはいいがひたすら駆け抜けてしまうことがあるけど、アルミンクはこの騙し合いの物語を、途中途中に絶妙の休符を挟みながら穏やかなテンポで優しく繊細に描いた。
だから、弦・管・打楽器のひとつひとつの音がまるで重い意味を持っているかのように聴こえてくる。この不謹慎な物語のなかに真実を浮かび上がらせ、不実の告白の中に本当の心情が顕わになる。心の奥底まで音楽が沁みわたり情動が蠢く。この愛おしむような管弦楽の響きに何度となく泣き崩れそうになった。
新日フィルの来期プログラム ― 2024年09月01日 09:12
新日本フィルハーモニー交響楽団の来期2025/26シーズンのラインナップが発表された。佐渡裕監督の3シーズン目、「Wien Line」のテーマを踏襲する。HPに添付されたpdfをみると、調整中の文字も幾つかあり速報版という位置づけだろう。
https://www.njp.or.jp/news/9191/
すみだトリフォニーホールとサントリーホールの「定期演奏会」は、いつものように同一の演目。2025年4月の開幕は佐渡裕によるバーンスタインをメインにしたプログラム。佐渡は2026年に入るとバルトークの「オケコン」やマーラーの「交響曲第6番」などを振る。来シーズンはシャルル・デュトワが登壇せず、ハインツ・ホリガー、アンドレイ・ボレイコ、トーマス・ダウスゴーなどが客演する。
「すみだクラシックへの扉」は“音楽で世界の旅!”と銘打って、金曜と土曜の両日、同じ演目にて開催、年間8つのラインナップで構成する。世界各国の名曲を並べ、反田恭平、小林愛実、HIMARIなど集客に貢献しそうなソリストがモーツァルト、ショパン、プロコフィエフなどの協奏曲を披露する。指揮者としては再登場するスピノジを筆頭に、ディエゴ・マテウスや熊倉優など若手が腕を振るう。