2025/11/23 ノット×東響 マーラー「交響曲第9番」2025年11月23日 21:51



東京交響楽団 名曲全集 第212回

日時:2025年11月23日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:笙/宮田 まゆみ
演目:武満 徹/セレモニアル
   マーラー/交響曲第9番 ニ長調


 東響の定期演奏会(サントリーホール)と名曲全集(ミューザ川崎)にノットが監督として登場するのはこれが最後となる。演目は12年前にノットが監督就任した最初の定期演奏会と全く同じである。
 この間、ノットのマーラーでいえばやはり就任記念の「第9番」が一番記憶に残っている。お互い手探りではあったけど緻密かつ繊細な演奏で、この時はじめてマーラーの「第9番」が、喪失とか崩壊とかというネガティブな世界だけではなく、エネルギーが充溢し希望に満ちた音楽だと気付いて吃驚したことをよく覚えている。

 今日の「セレモニアル」は笙の宮田まゆみがP席上段のホール・オルガンの横に位置し、2階席正面と3、4階席のバルコニーに3組の木管奏者が並んだ。丁度、ソリストと木管奏者が上方から舞台を囲むような配置である。宮田さんは前回同様白装束、さすが御歳を召された。10分ほどの武満の楽曲が終わり、休憩なしでそのままマーラーの「交響曲第9番」となった。もっとも楽器の追加や木管奏者が舞台上に戻るまでの時間が必要で、「第9番」の開始は2時半近くになっていた。

 マーラーの「交響曲第9番」は当然ながら気合が入っていた。会場は息苦しくなるほどの緊張感が漂う。とは言っても、縦横無尽のノットの指揮に柔らかく応じる東響のレスポンスには感心する。ノットは全体をきっちり設計し、練習では厳しい要求を突きつけていると思うが、本番では勢いと熱気のまま当意即妙に動く。東響の反応力と融通性を信頼してのことだろう。響きは立体的で音が密集している、振幅は大きく平板になるという不満がない。厳格というよりは精緻で柔軟、まさに十数年にわたった両者の集大成といえる演奏だった。
 第1楽章の冒頭はチェロとホルンによって不規則なリズムでひそやかに始まる。ハープの短い旋律が続く。ホルンは2番奏者が吹く。藤田麻理絵のゲシュトップト奏法の音色が印象的。そして、第2ヴァイオリンによる「大地の歌」の告別のテーマがはっきりと聴こえてくる。その後、音楽は幾度もフォルテが訪れ激しく苦闘し、最後は安らかに終わる。フォルテの主題はいずれも威圧的で破壊的なものだが、強く耳に残ったのは「永遠に…」という告別のテーマだった。
 第2楽章は舞曲。まずは皮肉っぽいレントラー、無骨で粗野な踊り。次いで速いテンポのワルツ、優雅どころか荒々しい。最後は再びレントラー舞曲、ここでも「告別のテーマ」が紛れ込み舞踏は終わる。
 第3楽章はブルレスケ。ノットのスピードは狂気をはらみ、乱雑な道化芝居のようであったが、東響の演奏は冴え渡り混乱は全くない。途中、美しくも天国的な世界を垣間見せるが長くは続かない。音楽は再び狂喜乱舞へ。極めて挑戦的で闘争的な演奏だった。
 終楽章はアダージョ。弦楽合奏を中心にした崇高ともいえる音楽。ゆっくりと穏やかに弦楽器の音が重ねられ、クライマックスの後に長い静寂が訪れた。コンマス・小林壱成、チェロトップ・伊藤文嗣のソロが秀逸で、ノット×東響は渾身の演奏だった。告別ではあってもそれは悲劇や絶望ではなく、広々とした将来を展望するようなメッセージがこめられているように思えて落涙した。

 ノットと東響は、このあと年末に「第九 2025」と「ジルベスターコンサート 2025」を演奏してお別れとなる。

2025/11/2 広上淳一×N響 魅惑の映画音楽2025年11月02日 21:56

 

N響 オーチャド定期 第134回

日時:2025年11月2日(日) 15:30 開演
会場:オーチャードホール
指揮:広上 淳一
共演:ピアノ/小林 海都
演目:伊福部 昭/SF交響ファンタジー 第1番
   モーツァルト/ピアノ協奏曲第21番 ハ長調K.467
   ラヴェル/ボレロ
   ファリャ/「三角帽子」第1番、第2番


 オーチャードホールは久方ぶり。バッティストーニ×東フィルの「トゥーランドット」以来。オーチャードホールでは東フィルとN響の定期演奏会を開催しているがあまり縁がない。今日はそのN響定期。映画で使われたクラシック音楽や映画音楽として作曲された「名画を彩るクラシック音楽」シリーズである。

 伊福部の「SF交響ファンタジー 第1番」からスタート。広上のテンポは遅く極めて重厚なつくり。途中のマーチなどはもう少し軽快なほうが好み。N響の弦は厚く、木管は透明感がある。金管の高音域は安定し、打楽器は鋭い。音圧が押し寄せ迫力満点、さすが第一級のオケである。
 伊福部の「SF交響ファンタジー」は「第3番」まである。ご存じ『ゴジラ』をはじめとする怪獣物や『宇宙大戦争』のテーマ等々を組曲にしたもの。実演では汐澤安彦や大植英次、山田和樹などを聴いて来たけど、汐澤が圧倒的で他を寄せ付けない。音盤では汐澤×東響のライブ録音や広上×日フィルのスタジオ録音などがあるものの、こればかりは生で比較しなければ公平ではない。
 で、今日ようやく広上を聴いた。結果は…N響という最高のオケを用いて完璧な演奏ではあったが、練達の広上でもやはり師匠には敵わない。「SF交響ファンタジー」は生も録音も汐澤の独壇場である。

 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」はスウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』で第2楽章が使われた。ソリストは先日のショパンコンクールに挑戦した小林海都、プログラムノートによるとピリスの弟子だという。小林のタッチはそれほど深くなく、軽やかで玉がコロコロと転がるように音が走っていく。と言って音量に不足はなく、明瞭できっちりとした音が届く。広上×N響は爽やかな伴奏をつけ、なかなかに素敵なモーツァルトだった。

 休憩後のラヴェル「ボレロ」とファリャ「三角帽子」は9月に大野×都響で聴いたばかり。もっとも演奏順序は逆なうえ、都響の「三角帽子」は「第2番」の組曲だけ。N響は「第1番」と「第2番」の両組曲を演奏してくれた。
 広上の管弦楽の制御は頭抜けている。ラヴェルにせよファリャにせよ各ソロに負担のかかる曲だが、決して無理強いをしない。奏者は知らぬ間に指揮者の思い通りにコントロールされ、気がつくと手のひらの上で踊らされている。広上の音楽は伸縮し飛び跳ねうねるけど則を超えることはない。だから、奏者も安心してその指揮に委ねることができるのだろう。大野×都響との対決は広上×N響の圧勝であった。

2025/10/26 太田弦×ユニコーンSO ブルックナー「交響曲第9番」2025年10月26日 18:57



ユニコーン・シンフォニー・オーケストラ
          第19回 定期演奏会

日時:2025年10月26日(日) 13:30 開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:太田 弦
演目:尾高 尚忠/交響曲第1番
   ブルックナー/交響曲第9番


 前半は尾高尚忠の「交響曲第1番」。
 尾高尚忠は指揮者・忠明の父。「交響曲第1番」は和洋折衷の堂々とした交響曲。ブルックナーの「第9番」と同様未完である。第1楽章は序奏つきの長大なアレグロ、第2楽章はアダージョで、この2楽章しか残されていない。
 第1楽章は強烈な音響の一撃から始まり、中間部では嫋やかで和風の情緒を感じさせる部分もある。第2楽章は儚く優しげな音楽、全体的にスケールが大きくてR.シュトラウスを彷彿とさせるところもある。
 太田弦は尾高忠明に師事したせいか指揮姿も先生によく似ている。感嘆すべきは統率力で、アマオケ相手に一糸乱れぬ演奏を展開した。各声部の音量バランスは絶妙で、最初から最後まで多層的でしっかりとした音楽を披露した。

 後半はブルックナーの「交響曲第9番」。
 太田弦のブルックナーは昨年、同じユニコーンSOを指揮した「第8番」を聴いた。太田はもう一人の師匠である高関健のように真面目で堅牢な音楽を構築する。アマオケの「第8番」としては豪快な征矢健之介×EMQも面白かったけど、太田×ユニコーンSOにも大層感心した。因みにEMQは早稲田を、ユニコーンSOは慶應を母体としているから、オケの特性が幾許か影響しているかも知れない。
 このブルックナー「第9番」はアマオケにしては驚異的な精度に仕上げた演奏だった。各声部が明瞭かつ魅力的に響き、ブルックナーらしい神々しい瞬間が確かにあった。第1楽章の冒頭から神秘的な雰囲気が充満する。激烈なユニゾン、幾つかの主題が組み合わさり、ひやりとしたコラールを経て、天上に向かうようなコーダが來る。スケルツォは息をのむような空白をおいて全楽器が叩きつける。トランペットの鳴りが素晴らしい。トリオは速度を早め舞曲のよう。アダージョに入ると弦楽器が主導して音が跳躍する。無調のようにも聴こえる。峻厳な音楽が続くなかで木管が美しく歌う。コーダにおける救いを象徴するワグナーチューバもよく頑張った。

 太田弦は、いま九州交響楽団の首席、仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務める若手指揮者の筆頭格。もっと聴かなければならない。ユニコーンSOは太田弦をはじめ吉﨑理乃、そして、先日ブザンソンで優勝した米田覚士などを指揮者に招いている。ユニコーンSOにも注目していきたい。

2025/8/30 田部井剛×MM21響 メシアン「トゥーランガリラ交響曲」2025年08月30日 20:23



みなとみらい21交響楽団 第29回定期演奏会

日時:2025年8月30日(土) 13:30開演
会場:みなとみらいホール
指揮:田部井 剛
共演:オンド・マルトノ/市橋 若菜
   ピアノ/加畑 嶺
演目:R.シュトラウス/メタモルフォーゼン
   池辺晋一郎/独眼竜政宗・八代将軍吉宗   
   メシアン/トゥーランガリラ交響曲


 「トゥーランガリラ交響曲」一曲だけでも演奏するに大変なのに、「メタモルフォーゼン」とNHK大河ドラマのテーマ曲も併せて披露するというMM21響らしい欲張ったプログラム。

 最初は「メタモルフォーゼン」から。
 ナチス・ドイツ崩落直前に作曲され「23の独奏弦楽器のための習作」と名付けられている。原曲はヴァイオリン10人+ヴィオラ5人+チェロ5人+コントラバス3人による独立したパートで構成されているが、今日のMM21響は23人の弦楽奏者に拘らず拡大版として演奏した。MM21響の弦楽奏者の腕の見せ所となった。
 音楽はベートーヴェンの「英雄」葬送行進曲の冒頭が“変容”をかさね、最後は葬送行進曲の主題が原型のまま現れる。滅びゆくものに対する嘆きと諦念が色濃く、いつ聴いても胸を突かれる。終焉に向かおうとするクラシック音楽対する追悼であり、その音楽を生み育てた社会や文化・伝統の喪失に対するレクイエムともいえる。同時に、80歳を越えていたR.シュトラウスが、習作と言いつつ新たな作曲技法に挑戦した未来へ放たれた音楽のようにも思える。

 弦楽奏者の一部が交代し、管楽器、打楽器、ピアノ、オンド・マルトノが加わり、NHKで放映された「独眼竜政宗」と「八代将軍吉宗」のテーマ音楽が続いて演奏された。大河ドラマなど観ないからもちろん音楽は知らない。珍しい電子楽器であるオンド・マルトノが使われているので選曲したのだろう。
 作者の池辺晋一郎が来ていた。一階の中央で拍手を受けていた。池辺さんは以前「横浜みなとみらいホール」の館長を務めていたことがあるし、「ミューザ川崎」でも見かけたことがある。神奈川在住なのかも知れない。
 
 チラシでは「トゥーランガリラ交響曲」と書いてあるのだけど、しばしば「トゥランガリーラ交響曲」とも云う。どちらが正しいのか? 楽譜の表記からすると“リーラ”と伸ばすのが適切なようだ。もとはサンスクリット語。意味もさまざまにあてられるが、とりあえずは“時間の遊び”としておこう。
 「トゥーランガリラ交響曲」は20世紀音楽のなかでは比較的演奏機会が多いものの、10年ほど前にカンブルラン×読響で聴いて以来、久しぶりである。交響曲と言っても10楽章もある。それぞれに標題がつけられている。プログラムノートに従うと次のようになる。
 第1楽章「序章」 
 第2楽章「愛の歌1」 
 第3楽章「トゥーランガリラ1」 
 第4楽章「愛の歌2」 
 第5楽章「星たちの血の喜悦」
 第6楽章「愛の眠りの園」
 第7楽章「トゥーランガリラ2」
 第8楽章「愛の展開」
 第9楽章「トゥーランガリラ3」
 第10楽章「終曲」

 戦後音楽にありがちな12音技法や不協和音がいっぱい、和声や旋律より音響や色彩感、リズムの面白さを味わう作品ではあるけど、調性が全くないわけじゃない。力強い主題やなよやかな主題、愛のテーマなどが繰返し現れ、鳥の鳴き声がそこら中に散りばめられている。コテコテの現代音楽といったとっつきにくさはなく親しみやすい。聴いているうちに知らずと身体が浮遊するようなような気分にもなる。
 「トゥーランガリラ交響曲」は全10楽章のうち5楽章までの前半と、6楽章以降の後半の2つの交響曲として聴くことができる気がする。前半は「序章」と有名な第5楽章の「星たちの血の喜悦」の間に、二つの「愛の歌」によって「トゥーランガリラ」が挟まれている。「星たちの血の喜悦」はフィナーレにも匹敵するほどの高揚感がある。後半は「愛の歌」と「トゥーランガリラ」が交互に歌われ「終曲」を迎える。音の洪水である。第6楽章の「愛の眠りの園」の陶酔感は「トリスタンとイゾルデ」に似ている。
 田部井剛はワインディングロードを走るがごときスリリングなところはなく、どちらかというと平地を安全運転している風。アマオケ相手だから無理もない。しかし、この難曲を大きな破綻なく乗りこなした。指揮、オケともども大健闘であった。

2025/3/29 沼尻竜典×音大FO 武満「系図」とショスタコーヴィチ「交響曲第4番」2025年03月29日 22:20



第14回 音楽大学フェスティバル・オーケストラ

日時:2025年3月29日(土) 15:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:沼尻 竜典
共演:語り/井上 悠里
   アコーディオン/大田 智美
演目:武満徹/系図―若い人たちのための音楽詩―
   ショスタコーヴィチ/交響曲第4番ハ短調


 年度末のこの時期は音大フェスティバル・オーケストラの演奏会、首都圏の8つの音大の選抜メンバーで構成されるオケである。各音大が競演する年末の「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」の特別編で、今年度は沼尻竜典が振る。

 武満徹の「系図」は昨年、佐渡裕×新日フィルで聴いた。谷川俊太郎の詩集に基づく「むかしむかし」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」「とおく」の6曲。
 思春期を迎えた子供の視点による谷川の言葉は、時としてどきっとするほど冷徹なところがあるが、沼尻と学生たちがつくった武満はあたたかい。
 武満にしては分かりやすい旋律があって調性的な響きが好ましい。日本的な情緒を感じさせる。この作品はこの先も演奏を重ねていくような気がする。
 「とおく」におけるアコーディオンの響はいつ聴いても効果的で印象深い。語りはオーディションで選ばれた東京音楽大学付属高等学校の井上悠里。透明感のある最適の語り部だった。

 ショスタコーヴィチの「交響曲第4番」は戦前に作曲されていながら、25年もの間封印され、初演は1961年まで待たねばならなかった。日本初演はさらに25年を経た1986年の芥川也寸志×新響だという。
 この「第4番」、たとえ音楽とはいえ、やりたい放題、これだけ好き勝手に作曲されては、当局としては決して許すことはできない。音楽の自由は音楽の中だけに留まらないから。
 「音楽でなく荒唐無稽」との批判のさなか、これこそ荒唐無稽な作品、虚仮にされたと思うであろう。相手はスターリンである。封印しなければ命さえ奪われていたかも知れない。剣呑な曲である。名誉回復となった「第5番」と比べてみればその異形は言うまでもない。
 音大FOは凄まじい集中力で全員が全力疾走。しかも沼尻の明晰な指揮のもと、なかには笑みを浮かべていた奏者もいたから、手ごたえも十分だったのだろう。
 沼尻は第1楽章の展開部のフガートを駆け抜け、「第5番」の主題が登場するスケルツォをシニカルに決め、終楽章のワルツやギャロップなど真面目と皮肉を織り交ぜ、ショスタコーヴィチの最もモダンで先鋭的で破天荒な交響曲を熱量高く聴かせてくれた。
 
 「第4番」を初めて実演で聴いたのはバルシャイ×名フィルだった。このライブは精緻にして壮絶を極め、終演後、座席から立ち上がれないほどの衝撃を受けていた。バルシャイ×ケルン放送響によるブリリアントのBOXを買ったのは実演の前だったか後だったか。
 名フィルのアーカイブをみると公演日は2004年12月15日だから、もう20年以上も前になる。ちなみにこのとき戸田弥生のベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」が一緒にプログラムされていたとのこと、こちらは全く記憶にない。
 その後「第4番」は、ラザレフ、リットン、ゲルギエフ、ウルバンスキ、ノットと聴いて来たが、どういうわけか井上道義を聴き逃している。「第4番」をレパートリーとしている邦人指揮者は数えるほどだろう。沼尻竜典のショスタコーヴィチは神奈川フィルとの「第12番」が来月控えている。