2021/12/4 原田・秋山×音大オケ 北米音楽とサン=サーンス2021年12月04日 20:25



第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2021

日時:2021年12月4日(土) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:原田慶太楼/国立音楽大学
   秋山和慶/洗足学園音楽大学
演目:レブエルタス/センセマヤ
   バーンスタイン/『ウェスト・サイド物語』
          「シンフォニック・ダンス」
   コープランド/バレエ音楽『ロデオ』
         4つのダンスエピソード(以上 国立)
   サン=サーンス/交響曲第3番 ハ短調 作品78
         「オルガン付き」 (洗足)


 11月の下旬から4日間にわたって開催されてきた音楽大学オーケストラ・フェスティバルの、今日は最終日。
 この時期、首都圏の9つの音楽大学が参加するフェスティバルが楽しみで、毎年だいたい連続券を購入してきた。今年は最終日だけ聴くことに。
 原田×国立音大が演奏するUSA・メキシコの作家による北米音楽の3曲と、秋山×洗足音大のサン=サーンスの「交響曲第3番」である。

 1曲目は、メキシコの作曲家レブエルタス「センセマヤ」。「センセマヤ」とはキューバ生まれの詩人ニコラス・ギジェンの詩『センセマヤ 蛇を殺すための歌』のこと、なんという恐ろしい題目。土俗的で呪術的な儀式を大規模なオーケストラで表現した作品。単純なリズムの反復が執拗に繰り返される。プログラムノートには「春の祭典」との類似性が指摘されているが、リズムの反復からすると、凶暴な「ボレロ」といった感じ。「ゴジラ」音楽に通底するようなところもある。
 2曲目は、ミュージカル『ウェスト・サイド物語』の中のダンスナンバーを組曲にした「シンフォニック・ダンス」。バーンスタインの代表曲、ミュージカルの9つの場面が切れ目なく演奏される。
 3曲目は、コープランドの管弦楽組曲。バレエ音楽『ロデオ』からの抜粋で、①カウボーイの休日、②牧場の夜想曲、③サタデー・ナイト・ワルツ、④ホー・ダウンの4曲からなり、鞭の音や蹄の音なども聴こえてくる。しかし、楽しい曲であっても、「ダンスエピソード」という軽いイメージよりは、まるで4楽章で構成された標題交響曲といっても通用しそう。

 ここまでは原田×国立音大の演奏。原田さんも学生たちもノリノリ。原田さんは指揮台を使わず、平場で恰好良く踊りまくる。「センセマヤ」がはじまると、ドラが打ち鳴らされ、打楽器群がしつこくリズムを刻み、管の主題が煽情的な叫びをあげる。「シンフォニック・ダンス」では奏者が指を鳴らし、途中、“マンボ”の掛け声の代わりに、会場にも手拍子を求める。コープランドの「ダンスエピソード」の終幕に至っては、ついに奏者全員が立ち上がって身体を大きく揺らしながら演奏した。パフォーマンス満載の3曲だった。

 休憩後は、秋山×洗足音大の「オルガン付き」。あまり話題にはならなかったけど、今年はサン=サーンス没後100周年らしい。
 「交響曲3番」はいい演奏で聴くと、特に2楽章、最終楽章などオルガンの響もあって、宗教曲のような衣装をまとって立ち現れる。今日の音楽がまさにそれ。
 秋山さんは、指揮者の我を押し付けず、徹底して作品に語らせる。はったりやこれ見よがしの効果を狙わない。音楽が温厚に作為なく流れていく。といって何もしないのではなく、絶妙にテンポを揺らし、音量を制御し、バランスを調整するから、自然に作品の美しさに焦点が当たる。
 過去には「管弦楽のための協奏曲」「展覧会の絵」など洗足音大との名演があった。学生オケということを忘れるほど作品に引き込まれてしまうのは、もはや至芸というべきだろう。

2021/10/13 兵士の物語2021年10月14日 09:40



狂言・ダンス・音楽による「兵士の物語」

日時:2021年10月13日(水)19:00
場所:かなっくホール
出演:狂言/高澤祐介
   ダンス/伊藤キム
   演奏/カメラータかなっく
      Vn/川又明日香、Cb/菅沼希望、
      Cl/勝山大舗、Fg/柿沼麻美、
      Tp/林辰則、Tb/菅貴登、
      Perc/篠崎史門
演目:イーゴリ・ストラヴィンスキー/兵士の物語


 昨夜の音楽劇「兵士の物語」は、公演時間が1時間をゆうに超えた。
 昔、器楽だけの組曲版を聴いたことはあるが、語り・演劇・バレーを伴う舞台作品を観るのは初めて。

 「兵士の物語」の音楽は、カメレオンのように作風を変え続けたストラヴィンスキーが、原始主義時代といわれる3大バレー音楽を書いたあと、新古典主義時代へ移る前、第一次大戦後の自らの経済的苦境を打破するために作曲したもの。
 戦争直後の疲弊した状況下で、大規模な作品の上演が望めないため、オリジナルは7人からなる小オーケストラをバックに語り手・兵士・悪魔の3人が舞台に登場する。現在では、これに拘らず様々な形式で上演されている。一人芝居でも可能だし、反対に、王や王女など台詞のない人物を何人か登場させることだって出来る。

 今回は、語り手と兵士を狂言師の高澤祐介が羽織袴姿で務め、悪魔をダンサーの伊藤キムが演じた。王女は小面にドレス風の布をまとった人形であったが、伊藤キムが人形使いとなっていた。伊藤はいっとき王の役柄にもなった。あと後見が一人、簡単な舞台装置を設えたり、衣装を用意するなどした。奏者は舞台上手に位置した。

 物語自体は民話風の荒唐無稽な、たわいもない話で、教訓話らしきものはあるが人生訓というほど深刻なものではない。ただ、狂言様の台詞回しや身のこなしと、コンテンポラリーダンスの組合せが新奇で、ストラヴィンスキーの尖っていながら茶化したような音楽と妙にピッタシ合っている。なかなか面白い不思議な感覚を味合せてくれる舞台だった。

シラノ・ド・ベルジュラック2021年06月06日 08:33



 シラノ・ド・ベルジュラックを知ったのは、はるか昔のこと。それは本来の演劇でもなければ、戯曲としての本でも、映画でもない。TVで観た『白野弁十郎』という時代劇に翻案した物語でのことだった。
 ところが、ここで記憶に混乱が生じている。主人公の白野を演じているのが三船敏郎で、あと司葉子と宝田明を覚えていて、古い映画のTV放映を観たと思っていた。しかし、調べてみると、この映画は『或る剣豪の生涯』というタイトルで、主人公も白野弁十郎という名前ではなくて駒木平八郎といった。『シラノ・ド・ベルジュラック』の翻案で、司も宝田も出演しているのは間違いない。脚本・監督は『無法松の一生』の稲垣浩、音楽は伊福部昭、1959年の製作である。余計なことだが『無法松の一生』は『シラノ・ド・ベルジュラック』の影響を受けているという人もいる。
 では、『白野弁十郎』とは何かということだが、もともとは新国劇の沢田正二郎のために、額田六福が『シラノ・ド・ベルジュラック』を翻案し、沢正亡きあとは弟子の島田正吾が長く演じた舞台劇のタイトルである。時代劇になった『シラノ・ド・ベルジュラック』が少なくとも2種類あるわけだ。この『白野弁十郎』がTVドラマとして3回ほど放送されたらしい。当の島田正吾が2回、長門勇が1回主演した。よくよく思い出してみると、島田と長門の両方の記憶が蘇ってきたので、少なくともTVで複数回観たのだろう。
 はて、三船の映画と混線したのはどうしてか。『或る剣豪の生涯』がTV放映されたという確証がとれないから、多分、特別番組のようなもので、翻案ものの映画や舞台の断片が紹介され、それが記憶の中で混同を起こしているとしか考えられない。ちょっと気持ちが悪いが、そう納得することにした。
 と、ここまでは前置きである。

 最近、といっても、もう半年くらい前のこと、『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』という映画を観た。戯作『シラノ・ド・ベルジュラック』誕生の裏側を描いたもの。劇作家エドモン・ロスタンを主人公にコメディ調に仕立てた映画である。何の準備もなしに映画館に足を運んだのだが、意外とシラノ・ド・ベルジュラックの物語を覚えていた。

 シラノは従姉妹のロクサーヌに密かに想いを寄せている。ロクサーヌが美男のクリスチャンに恋をしていると知ると、自分は身を引いてふたりの仲を取り持つ。天下の俊傑で、詩人、剣客、理学者、音楽家と多才ながら、大きく醜い鼻に悩み人に愛されないと思っているシラノが、美男であっても文が書けず口説けないクリスチャンに代わって恋文を綴ったり、夜のバルコニーの下で愛を囁く。
 その甲斐あってロクサーヌとクリスチャンは夫婦になるが、クリスチャンは戦場に倒れ、ロクサーヌは修道院に入る。
 10年以上の歳月が流れ、修道院のロクサーヌは、毎週訪ねてくるシラノとの面会だけを楽しみにしている。ある日シラノは、ロクサーヌが大切にしているクリスチャンからの最後の手紙を借りて読む、いや、夕闇暮れるなかで暗唱する。
 これに気づいたロクサーヌは、数々の手紙の主がシラノであったと知る。バルコニーの下での愛の語りも彼だったと。だが、そのとき頭に重い傷を負っていたシラノは、ロクサーヌに問い詰められながらも、己の秘めた想いを告げることなく、ロクサーヌの腕のなかで息絶える、という話である。

 『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』は、もとは2016年に初演されたフランスの演劇。舞台版の台本をつくり、演出を務めたアレクシス・ミシャリクが脚本を書き、自ら監督となって映画化した。
 19世紀末の劇作家のエドモン・ロスタン(トマ・ソリヴェレ)は、売れない日々を過ごしている。そんなある日、大女優のサラ・ベルナール(クレマンティーヌ・セラリエ)の口利きで、名優コンスタン・コクラン(オリヴィエ・グルメ)に面会し新作を依頼される。コクランからの要望は喜劇で、開幕までの期限は3週間しかない。ロスタンは、足繫く通うカフェの店主オノレ(ジャン=ミシェル・マルシャル)の助言によって、とりあえず主人公を17世紀実在の銃士シラノ・ド・ベルジュラックと決めたが、なかなか筆は進まない。
 困り果てたロスタンだったが、友人の美男俳優レオ(トム・レーヴ)が恋慕する衣装係のジャンヌ(リュシー・ブジュナー)へのラブレターを、レオに代わって代筆することをヒントにしてシラノの構想をふくらませる。ロスタンが台本を書いている最中に遭遇するトラブルの様々が作品の材料になり、新作戯曲が徐々に出来上がっていく。
 映画は『シラノ・ド・ベルジュラック』のあらすじが自然に分かってくる、という仕掛が凝らされている。そうこうするうち大詰め、クライマックスを迎える。戯曲でいえば最終章(5幕 シラノ週報の場)の公演本番である。本当は舞台装置であるものが突然実写に変わる。そのとき観客は、とても懐かしい場面に出会ったような大きな感動を受ける。
 そして、エンドロールでは、歴代の「シラノ俳優」であるコンスタン・コクラン、ホセ・ファラア、ジェラール・ドパルデューなどが紹介される。この物語とキャラクターが世界中で愛されてきたかを改めて知ることになる。

 映画が終わって、肝心のロスタンの戯曲を読んだことはもちろん、歴代の映画や舞台を観たことがなかったことに思い当たった。で、長年ほったらかしておいた宿題を片づけるつもりで、ゆっくりと半年かけて以下の作品を読んだり観たりした。

戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』
著者:エドモン・ロスタン
訳者:辰野 隆・鈴木 信太郎
刊行:1951年/1983年改版
出版:岩波書店
 古い本だが版を重ねた名訳。べらんめい調で言葉のリズムも素晴らしい。これを読むと群集劇のように登場人物が多く、セリフだらけに吃驚する。巻末の解説では、シラノの実在と創作との対比がしてあって、戯曲は相当程度事実を踏まえて書かれていることが分かる。実際は『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』で描かれたように、わずか3週間で仕上げられたものではないだろうけど。

映画『シラノ・ド・ベルジュラック』1950年 アメリカ
監督:マイケル・ゴードン
脚本:カール・フォアマン
出演:ホセ・ファラア、メイラ・パワアズ、ウィリアム・プリンス
 題名役のホセ・ファラアがアカデミー賞を獲得した。ヒロインのメイラ・パワアズは、ロクサーヌのイメージとちょっと齟齬があって座り心地が悪い。すでにパブリックドメインになっているモノクロ映画で、書割っぽいセットや拡がりのない映像は、さすが今の時代、鑑賞するには辛いところがある。

映画『シラノ・ド・ベルジュラック』1990年 フランス
監督:ジャン=ポール・ラプノー
脚本:ジャン=クロード・カリエール、ジャン=ポール・ラプノー
出演:ジェラール・ドパルデュー、アンヌ・ブロシェ、ヴァンサン・ペレー
 当時のフランス映画界で最大の製作費を投じた力作。カンヌ国際映画祭男優賞をはじめ様々な賞を受けている。主演のジェラール・ドパルデューは言うまでもなく性格俳優。アンヌ・ブロシェのロクサーヌが清楚で美しく適役。映画らしい広々とした背景のなかで戯曲の幕場を補うようにしてドラマが進んでいく。衣装や美術も惚れ惚れするほど素敵。シラノ・ド・ベルジュラックを知るための決定版といえる。

演劇『シラノ・ド・ベルジュラック』2007年 アメリカ
演出:デヴィッド・ルヴォー
脚本:アントニー・バージェス
出演:ケヴィン・クライン、ジェニファー・ガーナー、ダニエル・サンジャタ
 ブロードウェイ「リチャード・ロジャース劇場」での公演を撮影したもの。『時計じかけのオレンジ』のアントニー・バージェスが脚色・脚本。素人目にはロスタンの戯曲をほぼ忠実に再現しているように見える。ケヴィン・クラインのシラノがまさにはまり役で圧倒的。ジェニファー・ガーナーは勝気なロクサーヌといった感じ。一部キャストにリアリティを欠くが、この頃からDiversity & Inclusionの風潮があったのかも。

演劇『シラノ・ド・ベルジュラック』2017年 フランス
演出:ドゥニ・ポダリデス
出演:ミシェル・ヴュイエルモーズ、フランソワーズ・ジラール、ロイック・コルベリー
 本場「コメディ・フランセーズ」の舞台をフィルム化した作品。意図したものであろうが衣装や美術に時代としての一貫性が乏しい、舞台も雑然としている。たしかに群衆劇のようなパワーが漲り、膨大なフランス語が飛び交い、それなりの快感はある。ミシェル・ヴュイエルモーズが演じるシラノは、ほとんど3時間喋り続ける。フランソワーズ・ジラールはコケティッシュなロクサーヌ。「リチャード・ロジャース劇場」のほうが万人向けかも知れない。

翻案映画『愛しのロクサーヌ』1987年 アメリカ
監督:フレッド・スケピシ
脚本:スティーヴ・マーティン
出演:スティーヴ・マーティン、ダリル・ハンナ、リック・ロソヴィッチ
 シラノの鼻、代筆、バルコニー下の告白などを脚色しながら映画に取り入れ、シラノを現代の消防署長、ロクサーヌを天文学者に置き換えて描いている。しかし、引用は中途半端でシラノとロクサーヌが従妹関係でもなく、肝心かなめの第5幕がすっぽりと抜け落ちていたりする。『シラノ・ド・ベルジュラック』とは似ても似つかないものになってしまった。かと言って、別の主張が明確というわけでもない。スティーヴ・マーティンのお遊び、といったら失礼か。

翻案映画:『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』2020年 アメリカ
監督:アリス・ウー
脚本:アリス・ウー
出演:リーア・ルイス、ダニエル・ディーマー、アレクシス・レミール
 Netflixで配信され評判となっている映画。『シラノ・ド・ベルジュラック』からアイデアを借りているものの、オリジナルとは違ったメッセージを発信する。監督・脚本のアリス・ウーは両親が台湾移民、マイクロソフト勤めを経て小説家、脚本家、映画監督になったという異例の経歴を持つ才媛。同性愛者であることをカミングアウトしている。この映画でも同性愛的感情が重要なプロットになっている。主演のリーア・ルイスも中国系アメリカ人の女子高生役。映画のなかではプラトンやサルトル、オスカー・ワイルドなど先人の箴言が散りばめられ、愛の様々なかたちを語る。でも堅苦しくはない。しゃれたセリフだけでなく、電車や自転車を使いながら、教会や森の温泉など背景にしながら、美しい映像を見せてくれる、これは秀作である。

 『シラノ・ド・ベルジュラック』は、今となっては時代がかった自己犠牲と騎士道精神がテーマといえるが、この物語が投げかける「嘘と真」「醜と美」「外見と中身」といった二項対立が妙に気になる。それと「身・心」「男・女」という本来一つでありながら二つとして現れてしまう永遠の命題を絶えず問いかけて来る。それが時代を越えて人々を引き付ける魅力となっているのだろう。

 このあと、機会があればシラノ・ド・ベルジュラックを知るきっかけとなった『白野弁十郎』や『或る剣豪の生涯』、加えて『無法松の一生』も見直したいと思っている。