読響の来期プログラム2021年12月01日 20:47



 今年もカレンダーが残り1枚となった。早い早い、もう師走である。

 読売日本交響楽団の来期(2022/4~2023/3)プログラムが発表された。
 
https://yomikyo.or.jp/2021/12/2022yomikyo.pdf

 サントリーホールでの定期演奏会及び名曲シリーズが各10公演、池袋の東京芸術劇場コンサートホールにおける土曜/日曜マチネシリーズは、10公演を2日間同一プログラムで。その他、ミューザ川崎の川崎マチネシリーズ4公演と大阪定期演奏会が3公演ある。

 定期演奏会は、ブラームス、ブルックナー、マーラー、R・シュトラウス、ショスタコーヴィチなどの大曲と、ダニエル・シュニーダー、ルディ・シュテファン、エトヴェシュといったあまり名の知られていない作曲家の作品が組み合わされている。
 名曲シリーズは、とくに12月のモーツァルト「交響曲25番」とヤナーチェク「タラス・ブーリバ」、1月の黛敏郎「曼荼羅交響曲」とマーラーの「交響曲6番」の公演が面白そう。

 読響は海外からの招聘が多い。今、ウーハンコロナの変異株の影響で外国人の新規入国が全面停止。とりあえずは1カ月間のようだが、海外演奏家の来日は厳しくなっている。先行きが不透明で見通せない状況だろう。事務局の心労はまだまだ続きそうだ。

2021/12/4 原田・秋山×音大オケ 北米音楽とサン=サーンス2021年12月04日 20:25



第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2021

日時:2021年12月4日(土) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:原田慶太楼/国立音楽大学
   秋山和慶/洗足学園音楽大学
演目:レブエルタス/センセマヤ
   バーンスタイン/『ウェスト・サイド物語』
          「シンフォニック・ダンス」
   コープランド/バレエ音楽『ロデオ』
         4つのダンスエピソード(以上 国立)
   サン=サーンス/交響曲第3番 ハ短調 作品78
         「オルガン付き」 (洗足)


 11月の下旬から4日間にわたって開催されてきた音楽大学オーケストラ・フェスティバルの、今日は最終日。
 この時期、首都圏の9つの音楽大学が参加するフェスティバルが楽しみで、毎年だいたい連続券を購入してきた。今年は最終日だけ聴くことに。
 原田×国立音大が演奏するUSA・メキシコの作家による北米音楽の3曲と、秋山×洗足音大のサン=サーンスの「交響曲第3番」である。

 1曲目は、メキシコの作曲家レブエルタス「センセマヤ」。「センセマヤ」とはキューバ生まれの詩人ニコラス・ギジェンの詩『センセマヤ 蛇を殺すための歌』のこと、なんという恐ろしい題目。土俗的で呪術的な儀式を大規模なオーケストラで表現した作品。単純なリズムの反復が執拗に繰り返される。プログラムノートには「春の祭典」との類似性が指摘されているが、リズムの反復からすると、凶暴な「ボレロ」といった感じ。「ゴジラ」音楽に通底するようなところもある。
 2曲目は、ミュージカル『ウェスト・サイド物語』の中のダンスナンバーを組曲にした「シンフォニック・ダンス」。バーンスタインの代表曲、ミュージカルの9つの場面が切れ目なく演奏される。
 3曲目は、コープランドの管弦楽組曲。バレエ音楽『ロデオ』からの抜粋で、①カウボーイの休日、②牧場の夜想曲、③サタデー・ナイト・ワルツ、④ホー・ダウンの4曲からなり、鞭の音や蹄の音なども聴こえてくる。しかし、楽しい曲であっても、「ダンスエピソード」という軽いイメージよりは、まるで4楽章で構成された標題交響曲といっても通用しそう。

 ここまでは原田×国立音大の演奏。原田さんも学生たちもノリノリ。原田さんは指揮台を使わず、平場で恰好良く踊りまくる。「センセマヤ」がはじまると、ドラが打ち鳴らされ、打楽器群がしつこくリズムを刻み、管の主題が煽情的な叫びをあげる。「シンフォニック・ダンス」では奏者が指を鳴らし、途中、“マンボ”の掛け声の代わりに、会場にも手拍子を求める。コープランドの「ダンスエピソード」の終幕に至っては、ついに奏者全員が立ち上がって身体を大きく揺らしながら演奏した。パフォーマンス満載の3曲だった。

 休憩後は、秋山×洗足音大の「オルガン付き」。あまり話題にはならなかったけど、今年はサン=サーンス没後100周年らしい。
 「交響曲3番」はいい演奏で聴くと、特に2楽章、最終楽章などオルガンの響もあって、宗教曲のような衣装をまとって立ち現れる。今日の音楽がまさにそれ。
 秋山さんは、指揮者の我を押し付けず、徹底して作品に語らせる。はったりやこれ見よがしの効果を狙わない。音楽が温厚に作為なく流れていく。といって何もしないのではなく、絶妙にテンポを揺らし、音量を制御し、バランスを調整するから、自然に作品の美しさに焦点が当たる。
 過去には「管弦楽のための協奏曲」「展覧会の絵」など洗足音大との名演があった。学生オケということを忘れるほど作品に引き込まれてしまうのは、もはや至芸というべきだろう。

2021/12/5 ノット×東響 ブラームスとルトスワフスキ2021年12月05日 20:36



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第84回

日時:2021年12月5日(日) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ピアノ/ゲルハルト・オピッツ
演目:ブラームス/ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83
   ルトスワフスキ/管弦楽のための協奏曲

 
 12月に出演予定の海外演奏家のほとんどが来日不能となり、各楽団とも代役を立てるなかで、ノットは事前に入国していてぎりぎりセーフ。ソリストのオピッツも日本ツアーの合間を都合して、体調不良のニコラ・アンゲリッシュに代わってブラームスを弾く。

 今日の東響は、コンマスが小林壱成、ニキティンがアシストに入ってダブルトップ体制。弦は第1ヴァイオリン14だが、チェロ10、コントラバス8で低音を増強した配置。2曲とも弦の編成は同じだったと思う。

 最初はブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」。
 超絶技巧のピアノ独奏にオケの伴奏をつける協奏曲ではなく、ピアノと管弦楽を融合させた、いわばピアノ独奏付の交響曲。もちろんブラームスのことだから、高度なピアノ技巧が必要なことに変わりない。2楽章にスケルツォを置き、全4楽章から構成され、なおさら交響曲風。演奏時間も50分を要する。1877年の「交響曲第2番」、1878年の「ヴァイオリン協奏曲」と同時期、油の乗り切った全盛期の作品である。
 第1楽章では、大野さんの吹くホルンの柔らかくゆったりとしたソロに、オピッツの弾くピアノの分散和音が寄り添う序奏からして、ブラームスの世界に引き込まれる。第2楽章は情熱的で勇壮。第3楽章の緩徐楽章では、主要主題をチェロが提示する。ちょうど「ヴァイオリン協奏曲」の第2楽章のオーボエのように。伊藤さんのチェロはやはり美しい。ピアノと吉野さんのクラリネットの弱音での絡み合いも絶美。今回はこの第3楽章がクライマックス、溜息がでるほどだった。第4楽章は軽快で明るいロンド。オピッツのピアノは重厚でバリバリ弾くのと違い、少し軽めで端正なたたずまい。とくに4楽章においては、それがよく似合っていた。

 後半は、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」。
 「管弦楽のための協奏曲」といえばバルトークがあまりにも有名だが、ルトスワフスキのオケコンも演奏機会が増えていいはず。この曲、音盤を持っていない。初聴きなので、事前にYouTubeで予習したが、もうひとつ捉えどころのないまま実演を迎えてしまった。しかし、曲の凄みは生で聴くとよく分かる。いや、生でしかその真価は分からないのかも知れない。
 序奏、間奏曲、終曲の全3楽章。主題はポーランド民謡が素材として用いられているから耳には馴染みやすい。ところが、素材は変形され、不協和的な和声が施され、原型をとどめないほど加工されている。音響的には極めて斬新、意表を突かれる。実際に聴いてみると、作曲家の並々ならぬ強い意志を感じる。持てる技法や知識をつぎ込んでいて、熱量を抱え込んでいる。
 こういった曲を振るときのノットは、沸点がさらに上昇し、熱気がほとばしる。ノットは暗譜、いや暗譜でなければこれほど変幻自在なコントロールは難しかろう。もちろんオケコンだから東響の名手たちの妙技もとうぜん堪能した。あっと言う間の30分だった。

 ルトスワフスキは、国は違えどもショスタコーヴィチと同様、生涯の大半を共産主義の時代に過ごし、作曲活動そのものが圧政下にあった。大変不幸なことだが、その不自由な環境がかえって新たな創作力を産み出したのだろう。その結実が「管弦楽のための協奏曲」、ルトスワフスキの出世作であって、その後の創作活動の礎となった傑作である。

 今回の演奏もニコニコ動画で無料配信された。タイムシフト視聴も可能。

 https://live.nicovideo.jp/watch/lv334559166

 なお、ノットは、このまま引き続き日本に滞在し、28日、29日の「第九2021」に出演する。ヨーロッパでのスケジュール調整に手間取ったが、滞在を延長し予定通り出演することが決定した、と3日にアナウンスされている。

 迷惑なウイルスによって、音楽の世界ばかりか人の世の様々な活動が正常に戻らない。ワクチンを接種しても変異株が発生するから、いつまでたっても完全に阻止できない。ヨーロッパなどではまたまたロックダウンである。ワクチンとウイルスの追っかけっこでキリがない。経口の治療薬で完治できるようになるまでは我慢が続く。鬱陶しい時代である。

東京シティ・フィルの来期プログラム2021年12月08日 16:12



 気付くのが遅くなったが、おととい、東京シティ・フィルの来期(2022/4~2023/3)プログラムが発表されていた。
 初台での9回の定期演奏会と、江東公会堂における4回の定期演奏会である。

https://www.cityphil.jp/news/common/pdf/release_211206.pdf

 全体に地味目なプログラムだが、初台の定期では、ウインターシーズンの3回、高関の「英雄の生涯」、川瀬+郷古のマクミラン「ヴァイオリン協奏曲」、高関の「レニングラード」が興味を惹く。江東公会堂では、飯守翁のシベリウスが熱い演奏になりそう。

2021/12/14 スダーン×東京音大 モーツァルト・ヒンデミット・ブラームス2021年12月15日 09:51



東京音楽大学シンフォニーオーケストラ 定期演奏会

日時:2021年12月14日(火) 18:30 開演
会場:東京芸術劇場 コンサートホール
指揮:ユベール・スダーン
演目:W.A.モーツァルト/ディヴェルティメント
            ニ長調 K.136
   P.ヒンデミット/吹奏楽のための交響曲 変ロ調
   J.ブラームス/交響曲第2番 ニ長調 作品73
   

 スダーンは、11月下旬の兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会を指揮するため来日していたから、この東京音大の定期演奏会も代役をたてることなく無事開催された。スダーンを迎えての東京音大は、2週間前の音大オーケストラ・フェスティバルにおいて、同じくブラームス「2番」(指揮/河上隆介)を取り上げており準備万端。
 東京音大のシンフォニーオーケストラは、桐朋と並んでトップクラス。指揮がスダーンとなれば、これは期待せざるを得ない。今回の演奏会、1曲目が弦、2曲目が管、3曲目が管弦楽。学業の成果発表ともいえそうなプログラム。

 スダーンは、3曲ともタクトを持たず指揮台を使わなかった。ときおり格闘技のような仕草で学生たちを鼓舞し元気いっぱい。この前の東響との演奏会では、高椅子を用いていて心配していたが、指揮ぶりも出入りのときも足腰に不安はない。一安心である。
 
 まず1曲目、K.136(125a)。
 驚いた。弦5部、16-14-12-10-7が舞台にあがる。しばしば弦楽四重奏でも演奏されるこの曲を、こんな大きな編成で聴くのは初めて。しかも、颯爽としたテンポ、自然なゆらぎ、アンダンテではやはり落涙。こういった編成で聴くと、なおさらディヴェルティメントというよりは、弦楽のためのイタリア式シンフォニーだと確信する。イタリア旅行から帰ってすぐ、16歳のモーツァルトが、神童・天才といえども一生に一度きり、たまたまこの時期にしか書けなかった奇跡の作品。
 今年のはじめ、阪哲朗×神奈川フィルの名演奏を聴いたうえに、年末にスダーンのK.136とは、こんな贅沢はない。

 2曲目が「吹奏楽のための交響曲」。
 アメリカ亡命中のヒンデミットが、陸軍バンドの客演指揮を引き受けることになり、その演奏会のために作曲したもの。全3楽章、第1楽章の展開部はフーガで構成されているようだ。緩徐の第2楽章ではカノン風の二重奏も聴こえる。第3楽章は二重フーガになっている。全編、対位法の技巧が凝らされ曲調は複雑で難解。演奏も難度が高いだろう。抒情性はあまり感じられないものの、各楽器の音色が際立ち、ダイナミックに音が動いて行く様子が楽しかった。
 東京音大の管・打楽器は柔和な音と鋭いアタック、硬軟とりまぜて好演した。管・打楽器ながら奏者の3分の2以上、いや8割近くは女性。近年、プロオケの管楽器や打楽器奏者に女性の名手が増えてきていることに納得。

 最後はブラームスの「交響曲第2番」。
 スダーンにしては重い運び、両端の楽章は16型の威力で分厚く重厚。中間の2つの楽章が秀逸だった。憧れのなかにときおり不安が混じるアダージョ、子供たちが戯れているようなアレグレット。
 ブラームスの「2番」はどの曲目解説にも、明るく伸びやかで、ブラームスの「田園交響曲」だと書いてある。しかし、最初、この曲を聴いたとき、牧歌的で自然描写的な「田園交響曲」というよりは、なんて情熱的な曲だろうと。今聴いてもそう感じる。第1楽章は4分の3拍子で「英雄」と同じ。冒頭の動機が全曲を支配し、第4楽章のコーダがコラール風のフレーズからエネルギーが爆発するさまは「運命」にさえ似ている。
 もともとブラームスの曲は、秘めたというか、抑圧された情熱がその基底にある。その多くはクララの存在だと思うが、「2番」は珍しく素直で開放的でブラームスの気持ちが自然に表出しているよう、同時期の「ヴァイオリン協奏曲」もそう。このときR・シューマンが病没して20年、ブラームスは40歳の半ば、シューマンの享年とほぼ同じ。クララは50歳の後半に達している。
 二人はこの先まだ20年近くを生きる。クララが亡くなったあと、ブラームスは、1年を経たずしてクララの後を追う。63歳の生涯だった。