2021/12/14 スダーン×東京音大 モーツァルト・ヒンデミット・ブラームス2021年12月15日 09:51



東京音楽大学シンフォニーオーケストラ 定期演奏会

日時:2021年12月14日(火) 18:30 開演
会場:東京芸術劇場 コンサートホール
指揮:ユベール・スダーン
演目:W.A.モーツァルト/ディヴェルティメント
            ニ長調 K.136
   P.ヒンデミット/吹奏楽のための交響曲 変ロ調
   J.ブラームス/交響曲第2番 ニ長調 作品73
   

 スダーンは、11月下旬の兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会を指揮するため来日していたから、この東京音大の定期演奏会も代役をたてることなく無事開催された。スダーンを迎えての東京音大は、2週間前の音大オーケストラ・フェスティバルにおいて、同じくブラームス「2番」(指揮/河上隆介)を取り上げており準備万端。
 東京音大のシンフォニーオーケストラは、桐朋と並んでトップクラス。指揮がスダーンとなれば、これは期待せざるを得ない。今回の演奏会、1曲目が弦、2曲目が管、3曲目が管弦楽。学業の成果発表ともいえそうなプログラム。

 スダーンは、3曲ともタクトを持たず指揮台を使わなかった。ときおり格闘技のような仕草で学生たちを鼓舞し元気いっぱい。この前の東響との演奏会では、高椅子を用いていて心配していたが、指揮ぶりも出入りのときも足腰に不安はない。一安心である。
 
 まず1曲目、K.136(125a)。
 驚いた。弦5部、16-14-12-10-7が舞台にあがる。しばしば弦楽四重奏でも演奏されるこの曲を、こんな大きな編成で聴くのは初めて。しかも、颯爽としたテンポ、自然なゆらぎ、アンダンテではやはり落涙。こういった編成で聴くと、なおさらディヴェルティメントというよりは、弦楽のためのイタリア式シンフォニーだと確信する。イタリア旅行から帰ってすぐ、16歳のモーツァルトが、神童・天才といえども一生に一度きり、たまたまこの時期にしか書けなかった奇跡の作品。
 今年のはじめ、阪哲朗×神奈川フィルの名演奏を聴いたうえに、年末にスダーンのK.136とは、こんな贅沢はない。

 2曲目が「吹奏楽のための交響曲」。
 アメリカ亡命中のヒンデミットが、陸軍バンドの客演指揮を引き受けることになり、その演奏会のために作曲したもの。全3楽章、第1楽章の展開部はフーガで構成されているようだ。緩徐の第2楽章ではカノン風の二重奏も聴こえる。第3楽章は二重フーガになっている。全編、対位法の技巧が凝らされ曲調は複雑で難解。演奏も難度が高いだろう。抒情性はあまり感じられないものの、各楽器の音色が際立ち、ダイナミックに音が動いて行く様子が楽しかった。
 東京音大の管・打楽器は柔和な音と鋭いアタック、硬軟とりまぜて好演した。管・打楽器ながら奏者の3分の2以上、いや8割近くは女性。近年、プロオケの管楽器や打楽器奏者に女性の名手が増えてきていることに納得。

 最後はブラームスの「交響曲第2番」。
 スダーンにしては重い運び、両端の楽章は16型の威力で分厚く重厚。中間の2つの楽章が秀逸だった。憧れのなかにときおり不安が混じるアダージョ、子供たちが戯れているようなアレグレット。
 ブラームスの「2番」はどの曲目解説にも、明るく伸びやかで、ブラームスの「田園交響曲」だと書いてある。しかし、最初、この曲を聴いたとき、牧歌的で自然描写的な「田園交響曲」というよりは、なんて情熱的な曲だろうと。今聴いてもそう感じる。第1楽章は4分の3拍子で「英雄」と同じ。冒頭の動機が全曲を支配し、第4楽章のコーダがコラール風のフレーズからエネルギーが爆発するさまは「運命」にさえ似ている。
 もともとブラームスの曲は、秘めたというか、抑圧された情熱がその基底にある。その多くはクララの存在だと思うが、「2番」は珍しく素直で開放的でブラームスの気持ちが自然に表出しているよう、同時期の「ヴァイオリン協奏曲」もそう。このときR・シューマンが病没して20年、ブラームスは40歳の半ば、シューマンの享年とほぼ同じ。クララは50歳の後半に達している。
 二人はこの先まだ20年近くを生きる。クララが亡くなったあと、ブラームスは、1年を経たずしてクララの後を追う。63歳の生涯だった。