2022/9/25 原田慶太楼×東響 吉松隆作品集2022年09月25日 19:45



東京交響楽団 名曲全集 第179回

日時:2022年9月25日(日) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:原田 慶太楼
共演:チェロ/宮田 大
演目:吉松 隆/
    チカプ op.14a
    チェロ協奏曲「ケンタウルス・ユニット」 op.91
    カムイチカプ交響曲(交響曲 第1番)op.40


 今回の名曲全集は、オール吉松プログラム。
 2階のRA、LAには空きが目立っていたが、全体では7、8割の入りで、「ゲンダイ音楽」としては異例の人気というべきだろう。

 「チカプ」とはアイヌ語の「鳥」ということらしい。もとはフルート・オーケストラのために書かれた。今回は、弦6-6-4-4-2、フルート4(うち2はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット3(バスクラリネット含む)、ホルン4、パーカッション2という管弦楽版による編成。作者がいうように全編にわたって様々な鳥の歌がちりばめられていて、それだけで出来ている曲。「朱鷺によせる哀歌」に続く「鳥の三部作」の第2曲。第3曲目は「鳥たちの時代」。

 「ケンタウルス・ユニット」は、今年の2月に同じ宮田大で聴いた(藤岡幸夫×シティフィル)。そのときの感想は以下の通り。

 http://ottotto.asablo.jp/blog/2022/02/19/9465807

 曲の印象は変わらないが、響きは断然ミューザのほうが優っている。音の分離と残響との兼ね合いが抜群で、ソロのチェロだけでなく、14型オケの各楽器の音が生々しい。打楽器とチェロとのやりとりも面白く聴いた。曲が終わって1階後方から作者が舞台に呼ばれ盛大な拍手、カーテンコールが4、5回続いた。

 後半は「カムイチカプ交響曲」(交響曲第1番)。
 この交響曲のイメージは、作者自身の言葉に任せよう。吉松隆の「交響曲工房」に掲載されている作品解説からほぼ全文引用しておく。

 タイトルの〈カムイ・チカプ〉はアイヌ語で〈神(カムイ)の鳥(チカプ)〉を意味する。それは人間の村の守護神であり、高い樹の枝から人間たちの生と死とをじっと見つめている森の最高神でもある。
 何回かの挫折の後、36歳でこの鳥の神の名を付した最初の〈交響曲〉を書こうと決めた時、それはどこか遺書を書く気分に似ていた。生き物がその死の直前に「自らの一生のすべてを走馬灯のように見る」ように、自分の頭の中に堆積している雑多で猥雑な音の記憶を俯瞰し、それをすべて楽譜に書き留めたいと、そう思ったからだろうか。
 そして、鼓動、風の音、鳥たちの歌、森のざわめき、星たちの響き、讃美歌、古びたピアノの音、クラシックや現代の音楽、ロックやジャズ、邦楽や民族音楽…などの音の記憶を、ジグソウ・パズルのように並べ、オーケストラという回路に入力して連画にしてゆく作業が始まった。それは自分という人間の音の記憶であるともに、人類という生物そのものの音の記憶でもあるような気がしていた。
 それゆえにこの交響曲には、五体(五つの楽章)がある。それは、〈創造〉〈保存〉〈破壊〉〈幻惑〉〈解放〉というシヴァ神の舞踏による五つの宇宙の姿とともに、地・水・火・風・空?という仏教における世界観〈五大〉をも模している。

 第1楽章.GROUND 発生し増殖してゆく歪(いびつ)なるもの。
 第2楽章.WATER 古風なる夢を紡ぐ優しきもの。
 第3楽章.FIRE 破壊しながら疾走する凶暴なるもの。
 第4楽章.AIR 死せるものたちを思う静かなるもの。
 第5楽章.RAINBOW 虹と光を空に広げる聖なるもの。

 作曲は1988年春から1990年春にかけて進められたが、第1楽章には19歳から23歳の頃書いていたオーケストラ曲、第3楽章には28歳の時に書いたロック曲などを一部使用したほか、二十代までに書いて破棄したさまざまな自作曲の破片が組み込まれている。また、GROUNDには森の神としてシベリウスの「タピオラ」が、FIREには原始の神としてストラヴィンスキーの「春の祭典」がエコーする。―――引用終わり

 この交響曲、コラージュ風で、様々な断片をまき散らかしたようにも聴こえる。
 吉松は松村禎三に師事しており、松村は伊福部の門下生だから、吉松は伊福部の孫弟子といってよい。
 アイヌの言葉を標題に用いるところなど、伊福部に似ているものの、伊福部のような土俗性や強烈な個性はない。もっと都会的で洗練された折衷的な音楽に思える。
 吉松作品の伝道師として藤岡は有名だが、このところ原田、宮田など若い人も吉松を積極的に取り上げている。
 歴史に残るのは伊福部、吉松、どちらだろうか。

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