オードリー・ヘプバーン(ドキュメンタリー映画)2022年07月14日 13:00



『オードリー・ヘプバーン』
原題:Audrey
製作:2020年 イギリス
監督:ヘレナ・コーン
脚本:ヘレナ・コーン
音楽:アレックス・ソマーズ
出演:ピーター・ボグダノビッチ、
   リチャード・ドレイファス


 『ローマの休日』『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』などの時代、映画館でオードリー・ヘプバーンを観ることができなかった。ずっと後になってからTVの小さな画面のなかで彼女の華奢な姿と微笑に出会った。「ムーン・リバー」も「踊り明かそう」もTVの貧弱なスピーカーから流れていた。

 監督のヘレナ・コーンは27歳、オードリーのファンだったという母の影響を受け、オードリーを知ったという。ヘレナは、映画界のピーター・ボグダノビッチやリチャード・ドレイファス、息子や孫娘、伝記を書いたクレマンス・ブールークや友人たちをインタビューし、アーカイブ映像や珍しい写真を挿入しつつ、プライベートなオードリーの姿を浮かび上がらせる。

 ハリウッド黄金期のスターとして世界中から愛されたオードリー・ヘプバーンだが、実生活では、両親の離婚と父親の出奔、二度に渡る自らの結婚生活の破綻、バレエダンサーへの夢の断念など、あれだけの美貌を持ちながらトラウマとコンプレックスに悩まされていた。
 子供時代には、ナチスに占領されたオランダの過酷な環境のもとで栄養失調になる。戦後、ユニセフの前身である機関に助けられる。この記憶が後年の活動に結びついていく。晩年、ユニセフ国際親善大使として自身をユニセフの広告塔として使いながら、慈善活動を通して大勢の子供たちを救済する。

 オードリーの孫娘であるエマは、オードリーが1993年63歳で亡くなったあとに生れている。そのエマがオードリーについて「世界一愛されてた人が、愛に飢えてたなんて悲しい」と言って、思わず涙する場面がある。そして「無償の愛を証明することがオードリーの生涯のテーマだった」と話す。
 監督のヘレナは、オードリーの人生をひとつずつ紐解いていくことで、過去の悲しみと孤独を乗り越え、人生を価値あるものとして受け止め、しなやかに生きたオードリー・ヘプバーンに讃歌をおくる。
 映画なかで、実際にオードリーと時間を共にした人達の証言は、貴重で驚きをもたらすが、それ以上に、現実のオードリーをまったく知らない若い2人の女性が、人間オードリーの姿をさらに鮮やかにスクリーンに蘇らせてくれた。


 関連して。
 オードリー・ヘップバーンの「言葉」は何冊も本になっているけど、オードリーが最も愛したといわれる「言葉」があるという。これは米国の作家サム・レヴェンソンが、孫娘の誕生日に贈ったものらしい。この「言葉」は、まったくもってオードリー自身を表しているように思える。


「時を越えた美しさの秘密」 サム・レヴェンソン

魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。

物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、
失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、何度でも再出発することができます。
誰も決して見捨ててはいけません。

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。
年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるため、
もうひとつの手は他者を助けるために。

女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。

女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。

女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。


 以下、原文。

「Time Tested Beauty Tips」 Sam Levenson

For attractive lips, speak words of kindness.
For lovely eyes, seek out the good in people.
For a slim figure, share your food with the hungry.
For beautiful hair, let a child run his fingers through it once a day.
For poise, walk with the knowledge you’ll never walk alone …

People, even more than things, have to be restored, renewed, revived,
reclaimed and redeemed and redeemed …
Never throw out anybody.

Remember, if you ever need a helping hand,
you’ll find one at the end of your arm.
As you grow older you will discover that you have two hands.
One for helping yourself, the other for helping others.

The beauty of a woman is not in the clothes she wears,
the figure that she carries, or the way she combs her hair.

The beauty of a woman must be seen from in her eyes,
because that is the doorway to her heart,
the place where love resides.

The beauty of a woman is not in a facial mole,
but true beauty in a woman is reflected in her soul.
It is the caring that she lovingly gives, the passion that she shows,
and the beauty of a woman with passing years only grows!

沖澤のどか、京都市交響楽団の常任指揮者に就任2022年07月15日 14:57



 広上淳一の後任として、2023年4月より沖澤のどかが京都市交響楽団 第14代常任指揮者に就任する。期間は3年。

 https://kyoto-symphony.jp/news/index.php?id=759&start=0#id759
 
 沖澤はベルリン在住、キリル・ペトレンコのアシスタントをしながら活躍の場を広げてきた。ベルリンの演奏会の模様はNHKでも放送される。

 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/blog/bl/p1EGmp948z/bp/p6LZ82zJ4g/

 沖澤は日本のオケを振る機会も多くなっているが、タイミングが合わなくて聴けていない。近いうちに是非、生演奏を体験したい。
 広上は14年間京響の常任を務めた。沖澤は30歳半ば、名フィルの川瀬と同様、思い切った若返りである。地方オケが面白くなってきた。

2022/7/16 沼尻竜典×神奈川フィル ショスタコーヴィチ「交響曲第8番」2022年07月16日 20:47



神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会第379回

日時:2022年7月16日(土) 14:00 開演
会場:神奈川県民ホール
指揮:沼尻 竜典
演目:ショスタコーヴィチ/交響曲第8番ハ短調Op.65


 先月から今月にかけて「5番」「7番」「11番」「8番」と、ショスタコーヴィチの交響曲を聴き続けている。
 ショスタコーヴィチなのだから「5番」「7番」「11番」も一筋縄ではいかない。3曲とも描写的で、幾分かのプロパガンダを含み、大衆あるいは党に聴かせるための演出がある。もちろん、そのことによって曲を貶めることにはならないし、曲の価値は損なわれないけど。
 しかし、この「8番」は、戦争交響曲といわれる「7番」~「9番」のなかで、もっとも内省的で、他者というものを埒外においた曲のように思う。戦争そのものに向かい合った精神の苦悶が記録されていて、戦争の狂気、恐怖、悲惨と真正面に対峙している。描写的でありながら、純粋音楽として結晶化した稀有の音楽といっていい。

 沼尻の音楽監督就任公演は聴けなかった。監督としてのこれが最初である。といっても、沼尻は昔から結構聴いてきた。そのなかでも今日は最高の演奏会、神奈川フィルの仕上がりも完璧だった。
 低弦による序奏が極めてゆっくりと開始される。このままではオケが最後まで持たないのではないか、と思われるほどの速度で始まった。続く弦5部の絡み合いは異常な緊張をはらんでいた。最終楽章でも再現される破壊的なテーマは、まさに恐怖そのもの、身体が凍り付く。県民ホールにおいて今まで経験したことがないほどの音圧で、そのなかから各楽器の音色が明瞭に聴きとれる、沼尻のこれは才能だろう。篠崎史門を中心とした打楽器陣の呼吸は見事というしかない。イングリッシュ・ホルンの長いソロは新人の紺野菜実子、荒涼とした風景が目の前に浮かんだ。コーダ直前の林辰則のトランペットは虚空を突き抜け彼岸に到達するかのよう。
 スケルツォ楽章は、激しく駆け抜ける。おどけている、というよりは狂乱。ベテラン寉岡茂樹のキレのいいピッコロ、ファゴット鈴木一成の酩酊したような響き、クラリネット斎藤雄介、亀居優斗が放つ極限の高周波、いずれも惚れ惚れとする。
 第3楽章から最終の第5楽章までは切れ目なく続く。冒頭、不気味なヴィオラのみのオスティナート、中間部の鮮やかなトランペットのギャロップ。府川雪野を核にしたトロンボーンの咆哮。平尾信幸のスネアドラムに一段と熱がこもる。ラルゴに移り葬送の音楽、パッサカリア。坂東裕香のホルンソロはやはり安定していて美しい。3番には同じ首席の豊田実加が座るという贅沢な布陣。最終楽章はファゴットによる鄙びた舞曲からバスクラリネットのソロ、フガートが展開する。平安は一時のこと、突然、破壊的テーマが回帰し、再び恐怖に慄く。それが収まると、石田コンマスからチェロの門脇大樹へソロが渡り、ハ長調の和音が繰り返され、消えるようにして全曲が閉じた。

 「8番」は「7番」のときとは違い戦局が好転していたにもかかわらず、あまりにも悲劇的で悲観的な曲想のため、案の定、作曲家同盟などから批判される。ショスタコーヴィチは「交響曲の内容を正確に叙述することは難しい。<第8交響曲>の内容の根本にある思想をごく短い言葉で言い表すとすれば、<人生は楽し>である。暗い陰鬱なものはすべて崩れ去り、美しい人生が今や開かれつつある」と、空々しく解説する。
 「戦争三部作」といわれる交響曲の中心に位置する「8番」は、戦争の犠牲者への追悼であり、また、2年半にわたって封鎖され、戦火を浴び、飢饉に苦しみ、廃墟のようになった故郷レニングラードの、100万人を超える人々が亡くなったといわれるその悲惨に、心底向き合った曲だろう。そして、それゆえ、戦争という不変の悲しみを永遠に曲に刻み込むこととなった。
 沼尻×神奈川フィルは、そのショスタコーヴィチ「交響曲第8番」を最良の姿で描き出した。

フェスタ サマーミューザ KAWASAKIと井上道義2022年07月24日 12:58



 昨日から川崎の夏祭りがはじまった。来月の11日まで。
 今年は東響のオープニングとフィナーレコンサートをパスしたから、26日の洗足学園音大からスタート。そのあと読響、都響、シティフィル、東フィル、日フィルの順番で聴く。
 注目は29日の井上道義×読響。井上は2024年12月をもって引退すると表明している。下の動画では、引退の経緯と愛する作曲家たちについて面白く語っている。

 https://www.youtube.com/watch?v=ciWe5dxgbM4

 29日は、井上にとって特別な2人の作曲家、ハイドンとブルックナーを組み合わせる。楽しみにしたい。

2022/7/26 秋山和慶×洗足学園音大 ラヴェルのバレエ音楽2022年07月27日 10:43



フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2022
 洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団

日時:2022年7月26日(火) 18:30開演
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:秋山 和慶
共演:バレエ/洗足学園音楽大学バレエコース、
   谷桃子バレエ団、東京シティ・バレエ団、
   牧阿佐美バレヱ団
演目:ラヴェル/マ・メール・ロワ
        ラ・ヴァルス
        ボレロ
        ダフニスとクロエ 第2組曲


 バレエ付のラヴェル音楽。オケはピットに入らず舞台の奥。照明を落とし、譜面灯を使う。オケの前面でバレエが繰り広げられる。

 「マ・メール・ロワ」、おとぎ話の世界。おおもとはピアノ連弾で、その後管弦楽組曲が編まれ、さらに後年、依頼されて前奏曲とか複数の間奏曲を付け加えバレエ曲に仕立てられた。
 今回の公演はこのときのバレエ編曲ではなくて管弦楽組曲のほう。眠りの森の美女、おやゆび小僧、パゴダの女王、美女と野獣、妖精の園の5曲。
 照明は踊り手に当たり、ダンサーも動き回るから視覚的にはそちらに目が行くが、バレエに不案内なこともあって、意識はほとんど耳、音楽のほうに向いていた。
 オケはコントラバス4、チェロ6にもかかわらず低域も十分。洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団は、プロのオーケストラをめざす若手プレーヤーが学内外から集まって演奏活動を行っている団体らしいが、5曲それぞれを見事に描き分けてくれた。

 「ラ・ヴァルス」は、ワルツというにはちょっと不気味で激しい。ウインナーワルツを称えたものらしいが、優雅にはほど遠い。ワルツらしいのは中間部だけで、終幕にさしかかるにつれリズムもテンポも乱れ、転調を繰り返す。ちょっと精神の安定を欠いているような感じ。

 「ボレロ」は久しぶりに聴いた。やはり、これは「春の祭典」と並ぶ衝撃的な曲。繰り返しとクレッシェンドと色彩の変化が、このように身体を興奮させる。オケの各奏者もなかなか達者で感心した。

 「ダフニスとクロエ」は、本来の合唱を伴う大規模なバレエ曲ではなくて第2組曲。組曲というよりはオリジナルの3場をほぼ抜粋したもの。夜明け、パントマイム、全員の踊り、という構成。
 ここでは衣装からして題名役がはっきり分かる。踊りも少しは筋書き的。クロエを演じた小柄な女性の動きが鮮やかで、はじめてバレエのほうを意識した。
 今回、ダンサーのほとんどは洗足学園のバレエコースの生徒、男性ダンサーの一部にプロが参加していた。メンバー表を見ると、クロエを演じたのは2年生ということで二度びっくり。バレエはよく分からないが、どんな職能でも才気というものは自ずから目立つ。
 演奏は迫力十分、音がわずかに濁ったのが惜しかった。

 指揮の秋山さんはじめ、各バレエ団の振付、指導は年配者だろうけど、演奏や踊りを担ったのは若い人たち。エネルギーに溢れ、いかにも夏祭りの一夜だった。