三度目の緊急事態宣言と演奏会 ― 2021年04月24日 07:51
東京、大阪など4都府県に三度目の緊急事態宣言が発令された。そのあおりで予定していた4月25日・26日の都響のマーラー「大地の歌」とショスタコーヴィチ「交響曲1番」などが急遽中止となった。
東京都が設立・出資している都響としては当然なのかも知れないが、主催者側の時間をかけた準備や手配がすべて無駄となった。悲惨としかいいようがない。
たしかにコンサートには人が集まるが、ライブハウスのように声を出して大騒ぎするわけではない。マスクを付け黙々と聴くのみである。チケットのモギリさえ自分でやり、プログラムノートも自分で取る。人との接触を極力避けている。会話など最小限である。クラスターが発生したケースもない。
これだけ感染事例の蓄積がありながら、ただ単に密を避ける、移動を止める、ということだけで一律に規制するのは余りにも策がなさすぎる。
飲食にしても旅行にしても同様だろう。危険と安全の境界をできるだけ明確にし、メリハリをつけて協力を仰ぐことが大事だと思う。それ以上に、行動の抑制をいうのであれば、医療機関の連携を含めた治療体制の再編に知恵を絞るべきではないか。罹患者を適切に快復させ死亡者を抑えることができればいい。感染者の数のみにとらわれる必要はない。
このままでは、いつまでたっても同じことの繰り返しで、収束などできない。緊急事態に、あるいは、ウーハンコロナに名を借りた管理と統制が日常化するだけだ。
サービスの提供者にとっては死活問題だし、受給者にとっては生きる質の低下である。いや、抑圧という心身への絶え間ない攻撃を容認しているわけだ。G・オーウェルの世界だけは御免蒙りたい。