花海棠2021年04月01日 07:44



 「花海棠(ハナカイドウ)」が満開となった。
 背丈は1mそこそこだが、昨年よく花が咲いた。今年はそれにも増してたくさん開花した。淡紅色の綺麗な花が枝を覆っている。特に下枝の短い枝には、びっしりと花が付いている。
 「花海棠」は桜の花を追いかける風に、例年なら4月上旬ころからぼつぼつ咲き始める。今年はここ一週間ほどめっきり暖かく、適度に雨も降ったことから、今が真っ盛りである。
 「花海棠」は、茎に沿って垂れるがごとく半開状の花を咲かせることから、「垂糸海棠」とも呼ばれていて、唐の玄宗皇帝が酔って眠る楊貴妃を海棠にたとえたように、美人の代名詞ともなっている。
 美人といえば、“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”とか“いずれ菖蒲か杜若”といった慣用句、「錦上添花」「羞花閉月」といった四字熟語など、花とは切っても切れない。
 このあとは「ドウダンツツジ」や「ヒメウツギ」の白いひっそりとした花が見ごろとなる。いよいよ春の庭が目を楽しませてくれる。

鏑木清方 展「さしえ、華やかなりし頃」2021年04月08日 13:55



 鎌倉駅から小町通りを10分くらい歩いて左に折れると、鏑木清方の旧居跡に記念美術館が建っている。閑静な住宅地の中にある和風造りの建物で、住所は雪の下一丁目にある。
 ここで「さしえ、華やかなりし頃」という企画展が開催されている。
 清方は、「口絵でも、挿絵でも、共に華やかな時代だった」と、随筆『こしかたの記』で振り返っているらしい。明治から大正にかけて、雑誌や書籍には、今でいう写真の代わりなのか、口絵や挿絵が盛んに取り入れられた。
 清方も若いころ口絵や挿絵をたくさん描いており、その作品数十点が展示されている。雑誌『文藝倶楽部』や小栗風葉『麗子夫人』の木版口絵、樋口一葉『にごりえ』の挿絵などである。
 清方は“華やかな時代”といっているが、清方の絵そのものは、線も色彩も淡く、しっとりとして柔らかい。構図は、特に挿絵は、物語の一場面を切り取るように動きがあって、風俗画のようにも見えるが、登場人物の心象まで想像されて、その描写力に驚く。
 企画展は11日の日曜日まで。

出猩々2021年04月11日 08:16



 小さなモミジが1本庭にある。
 品種は「出猩々(デショウジョウ)」という。変テコな名前だけど、日本ではイロハモミジ系のカエデ類の代表品種らしい。
 猩々とは、酒を好み人語を解する猿に似た赤毛の獣で、映画『もののけ姫』にも出てきた。映画のなかの猩々は、赤い毛でなかったような気がするが、いろいろな説があるのだろう。いずれにせよ架空の想像上の生き物である。
 秋にモミジが紅葉し赤くなるのは当たり前だが、この品種は春に真っ赤な新芽を吹いて、“まるで猩々が出たようだ”として命名された。
 今、その猩々が顔をだしている。確かに新芽は真っ赤で艶がある。紅葉のときとはまた違う雰囲気がある。色あせて落葉する前の力を失っていく赤と、緑に色変わりする前の勢いを含んだ赤なのだが、その色の微妙を言葉でうまく表現することが難しい。
 出猩々の葉は、春は芽吹きの赤、夏は緑、秋は紅葉、冬は落葉、と一年に渡り変化して楽しめる。

 ところで、モミジとカエデの違いは?
 分類的には同じ「ムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属」。というか、植物学上、モミジという範疇は存在しないそうだ。モミジとカエデを区別するのは日本人だけと言われている(モミジの英名はJapanese maple)。
 判断基準は葉の切れ込みの深さ。葉に深い切れ込みがあり赤子が手の平を広げたような形状をモミジ、それ以外の切れ込みが浅いものをカエデと称することが多いようだ。
 もともとカエデの中で特に真っ赤に色づく仲間をモミジと呼んだことからして、区別するといってもその境界線は曖昧にみえる。
 なお、モミジとは草木の色が変わることを意味する「もみづ」が由来であり、カエデとは「蛙手(かえるで)」が転訛したと言われている。

映画『ゴジラ』と伊福部昭の音楽2021年04月14日 07:41



 迂闊にも伊福部昭が『ゴジラ』の作曲家と知ったのは、映画を観てから随分あとのことだった。映画も1954年の第1作は封切りではなく、のちのTV放映で知ったはずだけど、その前に昭和ゴジラシリーズの幾つかは映画館で観ている。子供時代であったのは間違いないから、両者が結びついたのは何十年も経ってからということになる。
 もちろん映画音楽としての『ゴジラ』の旋律は耳に馴染んでいた。ただ、誰が書いたのか知ろうとしなかっただけだ。その機会がやって来たのは、現在では東京フィルと一緒になってしまった新星日響交響楽団のコンサートを聴いたときだった。

 新星日響を調べてみると、1969年設立、2001年に東京フィル合併とある。活動期間は30年ほど。ヤマカズ(山田一雄)やオンドレイ・レナルトが振っていた。とても元気のいいオーケストラで、ときどき聴きに行っていた。ここで伊福部の『シンフォニア・タプカーラ』がプログラムにのった。
 さらに迂闊なのは、事前にプログラムノートを読まないまま、音楽を聴きはじめたことだ。『シンフォニア・タプカーラ』が終わったとき、懐かしさを感じつつ、どこかで耳にしたと、プログラムノートに目を通して納得した。音楽と映画が結びついた。『ゴジラ』音楽の作者が、その伊福部昭だった。
 不思議なことに、その時の指揮者が思い出せない。『シンフォニア・タプカーラ』の興奮はまざまざと身体が覚えているのに、指揮者は茫漠としている。佐藤功太郎だったような気もするが、別人だったかもしれない。

 ともあれ、それから意識して伊福部音楽を聴くようになった。『日本狂詩曲』『リトミカ・オスティナータ』『ラウダ・コンチェルタータ』など、郷愁とともに血沸き肉躍る曲たち。名作揃いである。ゴジラ音楽を含む『SF交響ファンタジー』も3番まである。これらはプロ、アマ問わずオーケストラのレパートリーとなっているから、時々演奏会でも取り上げられる。
 伊福部の音楽は、高揚するリズム、打楽器の打ち込み、テンポの設定、メロディの歌わせ方など、汐澤安彦の指揮が一等と思うが、山田一雄も芥川也寸志も良かった。
 そういえば汐澤の演奏会で、当の伊福部昭が斜め前の席に座っていたのもいい思い出だ。汐澤安彦も80歳を越えた。この先、彼の伊福部を聴くことはもう難しいかもしれない。

 ところで、日本ではなくハリウッド産の『ゴジラ』映画は、過去3作製作された。監督でいうとローランド・エメリッヒとギャレス・エドワーズとマイケル・ドハティである。 
 3作目、ドハティの『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』では、映画のクライマックスで伊福部のゴジラ音楽が流れた。そのとき、たしかにワーナー・ブラザーズ映画のなかで、日本のゴジラが一層巨大になって蘇った。
 この5月の中旬には、さらに新作『ゴジラVsコング』(監督アダム・ウィンガード)が本邦公開される。伊福部の音楽は聴けないとしても、また、子供時代に戻ってみようかと思案している。

<付記>
 昨年、最初の緊急事態宣言が明けて、在京の楽団が手探りで演奏会を再開しつつあった9月27日、東京ニューシティ管弦楽団が「第133回定期演奏会」において、『シンフォニア・タプカーラ』を演奏した。指揮は曽我大介。
 公演には行けなかったが、当日のライブ動画がYouTube に掲載されている。この演奏は素晴らしい。画質も音質も良くて楽しめる。

https://www.youtube.com/watch?v=btK9KK6xvqE

 なお、この動画、東京ニューシティ管弦楽団の公式チャンネルのようだから、ここで紹介しても著作権上の問題はないと思う。

2021/4/17 川瀬賢太郎×神奈川フィル ブルックナー 交響曲4番2021年04月17日 19:54



神奈川フィル 定期演奏会 367回

日時:2021年4月17日(土)14:00
場所:神奈川県民ホール
指揮:川瀬 賢太郎
演目:プッツ/交響曲第2番「無垢の島」
   ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調

 新年度最初の神奈川フィル定期演奏会。常任指揮者川瀬の最終シーズンのはじまりでもある。演目は日本初演のプッツ「交響曲2番」と、川瀬がはじめて挑戦するブルックナー。会場はみなとみらいホールが改修のため、山下公園前の県民ホール。初体験のホール。初尽くしの演奏会である。

 まず、県民ホール。定員2,500名の多目的ホール、渋谷のNHKホールに似ている。コンサート専用の、みなとみらいホールに比べると、視覚的には舞台の見通しはいいものの、音響的にはちょっと残響が乏しい。

 一曲目は、ケヴィン・プッツの「交響曲2番」(無垢の島)。プッツは現代のアメリカ人作曲家。「2番」は“9.11”に触発された交響曲、20分程度の演奏時間。
 単一楽章だが中身は3部形式。各部の間には、カデンツァのようにバイオリンソロが挟まる。ソロは組長・石田さん、﨑谷さんも登壇して今日はツートップ。
 最初はヒーリングミュージックのように音の波紋が広がる。ホルンに誘導され音楽が高まる。この辺は映画音楽のよう。バイオリンソロのあと、打楽器が絡み合う暴力的で不気味な音楽が力を増す。サイレン風の音型が繰り返し聴こえ、突然途切れる。また、ヴァイオリンソロ。緊張感がほぐれないままホルンのコラールが出現、ここはプログラム上、後半のブルックナー繋がりを狙ったのかも。最後は鳥の声と明け方のような浄化された音楽に収束し静かに終わる。
 はじめて聴いたが、現代曲とは思えないほど馴染みやすい。

 二曲目がブルックナーの「4番」。川瀬のスコアは各ページとも付箋だらけ。最初の取り組みとあって、よく研究したのだろう。
 神奈川フィルは熱演、なかでも坂東さんを中心としたホルン隊が秀逸。トップの坂東さんは最初から最後まで破綻せず、見事な出来栄え。終演後、坂東さんの、納得のソロカーテンコールがあった。そういえば神奈川フィルのホルン首席は2人とも女性、頼もしいかぎり。
 さて、その川瀬は、じっくりと、ゆったりしたテンポで大家然。ただ、勉強の力余って細部にこだわり過ぎたか。
 ブルックナーの音楽は、転調するごとに違う景色をみせ、その様々な景色を眺めているうちに、ときとして彼岸の入口に立つような気がすることがあるが、そこまでは至らず。聴き手が細かい風景に気を取られて、大きな風景を見落とした可能性もある。
 それに、特にフォルティッシモのとき、近・中・遠と階層的に音色が聴こえるといいのだけど、その奥行きがもうひとつ。これはホールせいもあるかも知れない。
 川瀬のブルックナー、初陣としては大健闘、立派でした。