長谷寺の蝋梅(ロウバイ)2022年01月14日 16:36



 江ノ電が4両編成で走っているので、ちょっとビックリした。それとも2両編成だと思っていたのが記憶違いなのだろうか。
 鎌倉駅から、それこそ4、5分乗り、長谷寺に行ってみた。蝋梅が季節だという。
 まさしく蝋のような艶の黄色い花が見頃。梅は紅も白も一輪か二輪ほどで、ほとんどが蕾だったが、たしかに蝋梅は季節だった。

 長谷寺は、池と花木の按配が見事で、高台まで足を運べば鎌倉の海も一望にできる。境内には堂が五つ六つあり、経蔵、書院、鐘楼も配置されている、長谷寺の観音様は、「かきがら」の導きによって鎌倉に流れ着いたという伝承があり、「かきがら稲荷神社」があわせて祀られている。

 再び江ノ電で鎌倉駅に戻り、鶴岡八幡宮の参道を経由して北鎌倉駅まで歩いた。北鎌倉ではゆっくり昼食をとり、夕方にならないうちに帰ってきた。
 真冬にしては幸いにも暖かい日差しで、散歩日和でした。

稲荷神社の柴犬2022年01月02日 14:11



 稲荷神社がある。線路沿いの細い道から十数段ほど石段を登ると、もう鳥居である。普段、鳥居のふもとには柴犬が繋がれている。今日は社務所の前に移されていた。
 境内は初詣の人で賑わっていて、社殿は開け放たれ灯がともされ、神主が正装で御幣を手にしていた。社殿の手前には一対の小ぶりの石のお狐様が鎮座している。今まで、ちゃんと境内を見渡すことがなかったせいか、柴犬に気をとられていたせいか、目に入らなかった。稲荷神社だからお狐様が居て当たり前だ。

 社務所前の柴犬はというと、参拝客の子供やご婦人方から頭や首を撫でられ目を細め愛嬌を振りまいている。
 いつもは柴犬に手を出しても寄って来ない。一瞥され尻を向けられるのがオチだ。だいたいが石段の天辺か中途で、寝てるか座り込んで起き上がりもしない。このあたりの犬や猫は、なんて愛想なしが多いのか、と思っていた。
 ところが今日である。神社としては書き入れ時だろう。ふつうは閑散としている境内にも初詣のお客さんが溢れている。神社の柴犬は、うんともすんとも言わないものの、ちゃんと自分の役割をわきまえ奉仕している。

 鳥居の下が定位置であるはずの柴犬が、朝夕いないときがある。
 ある日の夕方、神社のそばで宮司の奥さんらしき女性に連れられて歩いているのを見たから、朝夕は散歩に出ている。また小雨が降っているときにも姿が見えなかった。きっと社務所のなかで雨宿りしているのだろう。
 けっして放置されているのではない。それどころか大事に育てられている。だからといって、今日のような振る舞いをしてみせる、というわけではもちろんないだろうけど。頭のいい犬だ。

公孫樹(イチョウ)2021年12月20日 10:26



 片道一車線の、狭いながら車の往来の激しい道に、石畳の参道が直接つながっている。
 その石畳を三、四十メートルも歩かないうちに山門があって、山門をくぐると、もう車の音は気にならなくなる。

 境内はこじんまりとしているが、手入れの行き届いた木々や草花が景色よく植えてある。そのなかにひときわ目立って公孫樹の古木があった。幹回りはおおかた二抱えもある。横には「名木・古木指定」という名札がたっていた。
 裏門から出てみる。墓地が隣接しており、墓地の前の空地には、やはり公孫樹の高木が対で聳えている。境内の公孫樹ほどではなくとも大きく立派である。空地の真ん中の日当たりの良いほうはすでに完全に葉が落ちていて、寺の塀際のもう片方は黄葉が終わり、半分くらい葉が残っていた。

 境内に戻ると、「名木・古木」の公孫樹は、上のほうにまだ緑が見え、完全に黄変しているわけではない。根元にもほとんど黄葉がない。この古木が落葉すれば境内は一面公孫樹の葉で覆いつくされそうである。見上げると、葉と葉の合間に真っ青な寒空がのぞき、どこからか「怠惰な一年だったね」という声が聞こえてきた。

 たしかに、そうではあろうが…
 帰り際、公孫樹の古木に願をかけておいた。来年またここに来たとき、その声が消えているように。

2021/12/18 川瀬賢太郎×神奈川フィル ベートーヴェン「第九」2021年12月18日 19:53



神奈川フィルハーモニー管弦楽団 
 フューチャー・コンサート横浜公演

日時:2021年12月18日(土) 14:00 開演
会場:神奈川県民ホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:ソプラノ/小林 良子
   アルト/林 美智子
   テノール/清水 徹太郎
   バリトン/宮本 益光
   合唱/プロ歌手による神奈川フィル第九合唱団
演目:ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調Op.125
   「合唱付き」


 毎年この時期「第九」を聴くわけではないし、「第九」によって1年の演奏会を〆たいという趣味もないが、今年は常任指揮者川瀬としての最後の「第九」ではないか、そして、川瀬の「第九」は聴いたことがない、と思い至って、急遽チケットを取った。
 2014年当時、国内オーケストラ最年少となる29歳で神奈川フィルの常任指揮者に就任した川瀬とは、しばらく縁がなかった。注目したのは3、4年前から。「幻想交響曲」、ロットの「交響曲」、ストコフスキー編曲の「展覧会の絵」、ショスタコーヴィチの「交響曲9番」など、必ずしも相手は神奈川フィルばかりではないものの、感心しながら聴いてきた。

 その川瀬の「第九」。
 まずオケと合唱の編成。弦はなんと10型。チェロとコントラバスは増強して10-8-6-6-5。古典派オーケストラとしてはこの程度でも、「第九」の演奏としては最小の部類だろう。コンマスは石田さん、横に﨑谷さんが座りツートップ。合唱も各パート7名、計28名の少人数。オケと合唱の占める面積は、県民ホールの広い舞台の半分くらい。珍しい光景だ。
 小編成ということもあって筋肉質の引き締まった音、若々しいベートーヴェン。全曲の演奏時間は70分ほど。60分を切るようなベートーヴェンのテンポ指定に従った近年の演奏とも、80分に届こうかという往年の巨匠たちの演奏とも違って、当たり前の速度だが、楽章毎のテンポの振幅は大きかった。第1,2楽章は快速、特に第2楽章は疾風怒濤。一転第3楽章は弱音を活かして極めてゆっくりと歌う。第4楽章は緩急激しく駆け抜けた。
 
 小編成の弦の音量に不満はなかった。ただ、曲が始まってすぐ、篠崎さんのティンパニが固いマレットを使い、激しく打ち込み、これはちょっと行き過ぎかと思ったけど、第1楽章の音の動きに翻弄されているうちに気にならなくなった。
 第2楽章のスピードとリズムは快適で、トリオも大きく減速しない。休止の間合い、終結部のふわっと力を抜いた着地を含め、久しぶりに面白いスケルツォを聴いた。
 いつもそうながら、最近はとくに涙腺が緩んでいるせいか、第3楽章はみっともない状態になってしまった。ホルンの坂東さんが3番に座っていて、一瞬怪訝に思ったが理由はすぐに分かった。第3楽章後半のホルンの音階は3番が吹くのだった。彼女は音色も素晴らしいが、それ以上に思い切りがいい。大胆に攻めていく姿勢が魅力的だ。ここで勝負あった。
 第4楽章は起伏が大きく、音楽に没入して、もう編成のことは失念していた。合唱もプロ歌手だけあって、わずか28人ながらそれぞれのパートの声が塊として飛んでくる。ソリストの4人のバランスも良好で、高揚しつつ気持ちのいい最終楽章だった。

 川瀬は若いにもかかわらず聴かせどころを心得ている。うまく聴衆を乗せていく。県民ホールの2500席はほぼ満席で、あらためて「第九」の人気を思い知ったが、それよりも、演奏後、普通なら何十人のお客さんが拍手もそこそこに出口へ向うのに、今日はオケのメンバーが引けるまで、ほとんどの人が着座したまま。刺激的な音楽のせいにしておこう。

 帰り道、関内駅に向った。横浜公園を横切り、横浜球場に沿って歩いた。12月も下旬にさしかかろうとしている今日、紅葉は半ばといったところ。これでも横浜は暖かい日が続いていたのだろう。
 今年の演奏会は、これですべて終了である。

樋口一葉展―――わが詩は人のいのちとなりぬべき2021年11月11日 19:09



 根岸線の石川町駅から歩いた。所要時間は20分か25分。ただ、行程の最後に谷戸坂を登りつめなければならない。「港の見える丘公園」を横目で追いながらにしてもこれはキツイ。
 再び神奈川近代文学館を訪れた。目的は樋口一葉展である。

 まず驚くのは資料が豊富なこと。原稿はもちろん日記、手紙、写真、衣装見本、遺品である笄や髪飾り、住居模型、さらには父親の任官書などもある。年代順に4つに区分して展示してある。一葉の生涯が俯瞰できるほど充実している。
 これはひとえに一葉の妹くにの功績が大きい。妹は姉の遺言に反してまで、日記や草稿、反故紙を含め、姉の書き残したものを大切に保管した。
 くには一葉の2つ下。一葉は独り身のまま24歳で夭折するが、くには10人以上の子をもうけ50歳を越えて生きた。露伴の娘、幸田文は、くにのことを色白で美しい人、浮世の砥石にこすられて、才錐の如く鋭いところがある、と評したという。類まれな才能豊かな姉妹だったのだろう。

 この一葉の特別展は11月28日まで開催されている。月曜日は休館。天気の良い日、「港の見える丘公園」を散策しながら一回りすれば、半日楽しめる。秋の花が公園のそこかしこで咲いている。
 関連してもう一つ。いま台東区立一葉記念館では、開館60年記念と銘打って「たけくらべ」入門、という企画展を12月19日まで開催している。