2025/11/15 大植英次×神奈川フィル 「キャンディード」と「春の祭典」2025年11月15日 20:20



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第409回

日時:2025年11月15日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:大植 英次
演目:ラヴェル/道化師の朝の歌
   バーンスタイン/「キャンディード」組曲
   バーンスタイン/管弦楽のための
            ディヴェルティメント
   ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」


 「道化師の朝の歌」はピアノ組曲「鏡」の第4曲を管弦楽版に編曲したもの。「ボレロ」や「スペイン狂詩曲」と同じくスペイン風の楽曲。ラヴェルはスペインに近いバスク地方の生まれだし、母親がマドリード育ちのバスク人だからスペインには親近感があるのだろう。
 冒頭のピチカートで刻まれるリズムはギターをつま弾いているかのよう。そのリズムに乗って舞曲風の旋律が奏でられる。カスタネットが加わりスペイン色が濃厚に。中間部のファゴットによる幻想的な気怠いメロディからドラマティックに高揚した後、再び冒頭のリズムが現れ、旋律はしばらく自由気儘に動く。最後は熱狂的な盛り上がりを見せ華やかに終曲した。

 次いで、大植にとっては十八番ともいうべきバーンスタインの2曲。とくに「キャンディード」組曲は、バーンスタインのアシスタントであったチャーリー・ハーモンが大植×ミネソタ管のために全曲から9つの場面を抜粋して編曲したもの。大植が最も大切にしている楽曲のひとつに違いない。
 「キャンディード」はヴォルテールの同名小説が原作のミュージカル。楽天家キャンディードが世界各地を舞台に奇想天外なストーリーを繰り広げる。破天荒で荒唐無稽、波乱万丈の冒険劇。世界中転々と舞台が変わるから音楽もクラシカルなものからジャズやラテン、ポピュラーなどがごちゃまぜとなっている。筋書きは辛辣で仮借のないところがあるようだけど、音楽は人間賛歌にあふれ楽しい。
 大植にとっては自家薬籠中の曲、各楽器に的確な指示を出し、両手はもちろん全身を使って踊るように表情を付けていく。それぞれの場面の描き方は変化に富んでおり、リズミカルで踊り出したくなるような躍動感を伝えてくれる。同時に、次々と現れる旋律はよく歌い、ドラマティックかつエネルギッシュ。でも、勢いだけではなく、丁寧な表現で鮮やかな音色でもって描き分ける。こんなに律動的で楽しい作品なのに目頭が何度も熱くなって困った。

 「管弦楽のためのディヴェルティメント」は、ボストン交響楽団100周年の委嘱作として書かれ、バーンスタインの愛弟子、小澤征爾の指揮で初演されている。第1曲「セネットとタケット」、第2曲「ワルツ」、第3曲「マズルカ」、第4曲「サンバ」、第5曲「ターキー・トロット」、第6曲「スフィンクス」、第7曲「ブルース」、第8曲「追悼~マーチ(ボストン響、永遠なれ)」といったバラエティ豊かな組曲である。
 ドラム・セットを含む多彩なパーカッションを使ってワルツ、サンバ、ブルースなどのリズムが横溢し、生命力に溢れた音楽が展開する。「管弦楽のためのディヴェルティメント」の音楽的要素はごった煮だが、その多様さはアメリカそのものという感じがする。
 バーンスタインは本当にメロディメーカーだ。彼の音楽は「カディッシュ」のような深刻なものより、こういった旋律のはっきりした快活で解放感ある曲のほうが楽しめる。大植×神奈川フィルの演奏は、ウィット、ユーモア、ペーソスなどバーンスタインの最良の部分に光をあて、幸福な気分をもたらしてくれる演奏だった。

 「春の祭典」は先月、マルッキ×東響で聴いたばかり。聴き比べとなった。
 譜面台の上には赤い表紙のスコアが置いてあった。前半の3曲は暗譜だった。さすが「春の祭典」ともなると楽譜は必要だと納得をしたが、大植は最後までスコアを開くことはなかった。大植にとって「春の祭典」はバーンスタインの楽曲と同様、すべてが記憶されている重要なレパートリーのひとつなのだろう。
 大植の「春の祭典」は剛毅ではあっても野性的というよりは堅牢でゆるぎのない構築性を感じさせる。テンポも安定して正確に刻まれる。カオスのなか雪崩れ込むようなスリルは薄いから、普通とは違って第2部の「生贄」より第1部の「大地礼賛」のほうに魅かれた。しかし、音色はきっちり設計されており、ダイナミックレンジは大きく破壊力は十分だった。
 神奈川フィルのアンサンブルは見事で、各パートも美しい音を出していた。コンマスは石田泰尚、第2ヴァイオリンには直江智沙子と小宮直、ヴィオラトップは新日フィルの瀧本麻衣子が客演、チェロは上森祥平、バスは米長幸一という最強メンバーで、妖艶な旋律や強靭なリズムを刻んでいた。冒頭のファゴットは鈴木一成。鈴木は開始曲の「道化師の朝の歌」でも魅惑的な音を響かせていた。オーボエ、フルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ホルンなども質の高い音を鳴らしていたが、とりわけ留学から帰ってきた小クラリネットの亀井優斗とアルトフルートの下払桐子の音が際立っていた。
 先のマルッキ×東響と比べれば今日の大植×神奈川フィルのほうに軍配をあげたい。

 大植英次は小泉和裕や広上淳一、沼尻竜典のようにデビュー当時から知っているわけではない。聴き始めはコロナ禍のときだからわずか数年前、いや、その前に「伊福部昭 生誕100年記念コンサート」があったから10年くらい前のことだろう。20世紀音楽は重たく几帳面すぎるし、19世紀音楽はねちっこくもたれ気味という印象だった。チャイコフスキーなどはあまりの濃厚さにいささか辟易したものだ。ところがブラームスやベートーヴェンは過剰ではあっても妙に説得力がある。このあたりは苦手な小林研一郎や上岡敏之と違う。聴き手との相性かもしれないが、大仰な指揮姿は別として作品をこねくり回すふうな気配を感じさせない。大植はもう70歳、幸いにして神奈川フィルとは毎年のように公演を重ねている。この先、しっかり聴いて行きたいと思う。