2025/8/30 田部井剛×MM21響 メシアン「トゥーランガリラ交響曲」 ― 2025年08月30日 20:23
みなとみらい21交響楽団 第29回定期演奏会
日時:2025年8月30日(土) 13:30開演
会場:みなとみらいホール
指揮:田部井 剛
共演:オンド・マルトノ/市橋 若菜
ピアノ/加畑 嶺
演目:R.シュトラウス/メタモルフォーゼン
池辺晋一郎/独眼竜政宗・八代将軍吉宗
メシアン/トゥーランガリラ交響曲
「トゥーランガリラ交響曲」一曲だけでも演奏するに大変なのに、「メタモルフォーゼン」とNHK大河ドラマのテーマ曲も併せて披露するというMM21響らしい欲張ったプログラム。
最初は「メタモルフォーゼン」から。
ナチス・ドイツ崩落直前に作曲され「23の独奏弦楽器のための習作」と名付けられている。原曲はヴァイオリン10人+ヴィオラ5人+チェロ5人+コントラバス3人による独立したパートで構成されているが、今日のMM21響は23人の弦楽奏者に拘らず拡大版として演奏した。MM21響の弦楽奏者の腕の見せ所となった。
音楽はベートーヴェンの「英雄」葬送行進曲の冒頭が“変容”をかさね、最後は葬送行進曲の主題が原型のまま現れる。滅びゆくものに対する嘆きと諦念が色濃く、いつ聴いても胸を突かれる。終焉に向かおうとするクラシック音楽対する追悼であり、その音楽を生み育てた社会や文化・伝統の喪失に対するレクイエムともいえる。同時に、80歳を越えていたR.シュトラウスが、習作と言いつつ新たな作曲技法に挑戦した未来へ放たれた音楽のようにも思える。
弦楽奏者の一部が交代し、管楽器、打楽器、ピアノ、オンド・マルトノが加わり、NHKで放映された「独眼竜政宗」と「八代将軍吉宗」のテーマ音楽が続いて演奏された。大河ドラマなど観ないからもちろん音楽は知らない。珍しい電子楽器であるオンド・マルトノが使われているので選曲したのだろう。
作者の池辺晋一郎が来ていた。一階の中央で拍手を受けていた。池辺さんは以前「横浜みなとみらいホール」の館長を務めていたことがあるし、「ミューザ川崎」でも見かけたことがある。神奈川在住なのかも知れない。
チラシでは「トゥーランガリラ交響曲」と書いてあるのだけど、しばしば「トゥランガリーラ交響曲」とも云う。どちらが正しいのか? 楽譜の表記からすると“リーラ”と伸ばすのが適切なようだ。もとはサンスクリット語。意味もさまざまにあてられるが、とりあえずは“時間の遊び”としておこう。
「トゥーランガリラ交響曲」は20世紀音楽のなかでは比較的演奏機会が多いものの、10年ほど前にカンブルラン×読響で聴いて以来、久しぶりである。交響曲と言っても10楽章もある。それぞれに標題がつけられている。プログラムノートに従うと次のようになる。
第1楽章「序章」
第2楽章「愛の歌1」
第3楽章「トゥーランガリラ1」
第4楽章「愛の歌2」
第5楽章「星たちの血の喜悦」
第6楽章「愛の眠りの園」
第7楽章「トゥーランガリラ2」
第8楽章「愛の展開」
第9楽章「トゥーランガリラ3」
第10楽章「終曲」
戦後音楽にありがちな12音技法や不協和音がいっぱい、和声や旋律より音響や色彩感、リズムの面白さを味わう作品ではあるけど、調性が全くないわけじゃない。力強い主題やなよやかな主題、愛のテーマなどが繰返し現れ、鳥の鳴き声がそこら中に散りばめられている。コテコテの現代音楽といったとっつきにくさはなく親しみやすい。聴いているうちに知らずと身体が浮遊するようなような気分にもなる。
「トゥーランガリラ交響曲」は全10楽章のうち5楽章までの前半と、6楽章以降の後半の2つの交響曲として聴くことができる気がする。前半は「序章」と有名な第5楽章の「星たちの血の喜悦」の間に、二つの「愛の歌」によって「トゥーランガリラ」が挟まれている。「星たちの血の喜悦」はフィナーレにも匹敵するほどの高揚感がある。後半は「愛の歌」と「トゥーランガリラ」が交互に歌われ「終曲」を迎える。音の洪水である。第6楽章の「愛の眠りの園」の陶酔感は「トリスタンとイゾルデ」に似ている。
田部井剛はワインディングロードを走るがごときスリリングなところはなく、どちらかというと平地を安全運転している風。アマオケ相手だから無理もない。しかし、この難曲を大きな破綻なく乗りこなした。指揮、オケともども大健闘であった。