2022/6/26 マケラ×都響 レニングラード2022年06月26日 21:48



東京都交響楽団 
  プロムナードコンサート No.397

日時:2022年6月26日(土) 14:00 開演
会場:サントリーホール
指揮:クラウス・マケラ
演目:サウリ・ジノヴィエフ/バッテリア
   ショスタコーヴィチ/交響曲第7番 ハ長調 op.60
            「レニングラード」


 遂にクラウス・マケラを聴く。
 26歳、初来日は2018年、4年ぶりということだから、そのときは22歳ということか。日本デビューは聴き逃した。その後は、ウーハンコロナの所為ですべてキャンセル。待望の再来日である。
 チケット発売の初日、Web上の座席が次々と無くなって行くのを見ながら恐怖を感じたが、なんとかチケットを入手した。
 クラウス・マケラ、もともとはフィンランド出身のチェリスト。都響を振ったあと、2020年にはオスロ・フィル首席指揮者、2021年からはパリ管弦楽団の音楽監督を務め、この秋にはパリ管を率いての日本ツアーが予定されている。そして、驚くなかれ2027年よりロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の次期首席指揮者への就任が決定した。

 都響の楽団員のTwitterが面白い。
 コンマスの矢部達哉は、「幼い頃、小澤征爾とリッカルド・ムーティにサインをもらって以来の指揮者のサイン」と呟いて、お茶目にもマケラのサイン画像をあげている。前回のときには、「リハはまだシベリウスしかやっていないし、あまり大袈裟な事は言えないけれど…このクラウス・マケラ氏、圧倒的な力量と音楽性が備わっている。音楽家に年齢は関係ないけど、22歳の指揮者としての、この完成度の高さ…あり得ない」と驚いている。
 ヴァイオリン副首席の渡邉ゆづきは、「マエストロとの熱いリハ、想像を遥かに超えた神秘的な感性に間近で触れ、リハ中何度も感動して鳥肌が止まりませんでした。凄すぎて今も瞳孔開いてます」と忘我の態。
 ヴィオラ副首席の石田紗樹は、「朝10:30、リハ最初の1音目から、彼の音…音楽に惹き込まれ、その後もその物凄いエネルギーと表現力に魅せられ、操られ、あっという間の初日でした。全ての動きがもう音楽そのもの。本当に自然で、表情豊かな中に、計り知れない原動力を生み出すMo.マケラ ちょっともう言葉にできないです…」と感嘆。
 チェロ副首席の長谷部一郎は、「ショスタコーヴィチ7番のリハーサルが始まった。1曲目、ジノヴィエフの「バッテリア」を含め、大編成、大音量のプログラム。クラウス・マケラさん、表情も豊かで柔らかく、スムースな流れだった。前回の来日時は、確か眼鏡をかけていた、と思う」と冷静に一言。

 さて、そのマケラ、長身で細い脚。各奏者へのコンタクトは的確で、ソロのときなどは振りすぎないという練達ぶり。まさしく楽団員のコメント通り、図抜けた統率力をみせつけ表現力も幅広い
 たとえば、第1楽章、平和な生活のなかに突然戦争が侵入してくる。小太鼓にのった「侵攻のテーマ」はCMでも使われたように、いつもならどこか滑稽でふざけているように感じるのだが、今日は恐怖のみが迫りくる、その狂暴さの描き方に圧倒される。第3楽章での祈りの深さと切実さには自然とこうべが垂れる。弦5部それぞれが雄弁に語り、管が空気を切り裂き不安と恐怖を漂わせる、打楽器は銃弾や砲撃が降り注ぐごとく叩かれる。都響はほとんど完璧、息切れも見せず献身的な演奏を最後まで続けた。

 「レニングラード」について長谷部一郎は、同じTwitterで「確か一度弾いているはずなのに、最近弾いた5番や10番より、ショスタコーヴィチの7番は印象が少なく、体になかなか入ってこない。どうしてだろう」と呟いている。そう「7番」は、後年いろいろ詮索されているものの、ショスタコーヴィチのなかでは暗喩や比喩、皮肉がたっぷりとこめられている曲ではないだろう。
 「7番」は、ナチのソ連侵攻後、1941年7月に着手され、レニングラード封鎖のもと、爆弾、砲弾の音を聞きながら3楽章までが書かれた。全曲は強制された疎開先で完成しているが、破局のなかで「敵軍に包囲された故国のイメージを生み出し、音楽に刻み込みたいと思った」というショスタコーヴィチの言葉に嘘はなく、そのまま受け取っていいはずだ。他の交響曲に比べ韜晦とか諧謔とか多義性とかが些か欠けている分、曲の印象は薄くなりがちだ。
 それが、今日の「レニングラード」は、ずば抜けた才能を持つ若者が、素直に楽譜を読み込み、都響と一緒に作り上げた、強烈でかつ不思議な静謐さをたたえた印象深い音楽となっていた。

 「交響曲第7番 レニングラード」はショスタコーヴィチの疎開先であるクイビシェフで、1942年3月、サモスード指揮ボリショイ劇場管弦楽団によって初演され、その後、モスクワやノヴォシビリスクに疎開していたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルによっても演奏されている。しかし究極は、プログラムノートに触れられていないが、1942年8月、封鎖されて345日目のレニングラードにおいて、エリアスベルク指揮レニングラード・ラジオ・シンフォニーによって演奏されたものだろう。その苦闘、いや死闘については、ひのまどか『戦火のシンフォニー』(2014年 新潮社)に詳しい。
 ナチのレニングラード包囲は1944年1月に解けた。封鎖は2年半900日に及び、これにより100万を超える人が命を落としたといわれている。

コメント

トラックバック