2021/5/15 大植英次×東響&北村朋幹 武満・バルトーク・ブラームス2021年05月15日 20:26



東京交響楽団 名曲全集 第167回

日時:2021年5月15日(土)14:00
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:大植 英次
共演:ピアノ/北村 朋幹
演目:武満徹/鳥は星形の庭に降りる
   バルトーク/ピアノ協奏曲第1番 Sz.83
   ブラームス/交響曲第2番 ニ長調 op.73

 名曲全集とはいえノット監督らしいプログラム。武満の代表曲の一つにバルトークのピアノコンチェルトとブラームスの「交響曲2番」。バルトークは「3番」ではなくオケもピアノも難易度が高い「1番」、独奏者はピエール=ロラン・エマールの予定だった。
 ところが、監督もピアニストも来日がかなわず、指揮者は大植に、ピアニストは北村さんに変更となった。ノットの武満、ピエール=ロラン・エマールとのバルトークは是非とも聴きたかったが止む無し。
 ただ、東響のHPによると、ノットはスイス・ロマンド管弦楽団関係施設における感染者発生のため来日が遅れたが、5月10日の時点ですでに入国しており、22日と27日の特別演奏会にむけて待機期間に入っているという。27日には1年半ぶりにノットを聴くことができそうだ。

 『武満徹 自らを語る』という本がある(青土社、2010年)。還暦前の武満のインタビューをまとめたもの。その中に今回の「鳥は星形の庭に降りる」について語った部分がある。ちょっと引用してみる。
 <ぼくは自分の音楽を作るときに、……いろんなかたちを作るとき、……そんなにかたちってもの自体には、音楽的な、よく言われている、たとえば主題が出てどうでこうなるとか、ソナタとかロンドとかなんとか、あんまりそういうのには興味ないんですよ。そうじゃなくて心理的に音を聴いて、そこでかならずしも視覚とは言わないけど、匂いでもなんでもいいんですけど、なにかある、こう心象的なものを作りたいと思いますね。『鳥は星形の庭に降りる』というのは、十三、短い小見出しがあって、まず「飛ぶ」ということ、それから「雲から見える」とか、……「欲望の鳥たち」とかですね、自分でそういう見出しを作ったんですね>
 <でも、それは楽譜には書いてないですね。---自分のスケッチには書いてあったりするけどね……だから、全部一つ一つエピソードがある。ひじょうにこう視覚的な物語がある>
 と、こんなことを喋っている。
 しかし、こちらの耳のせいか13あるというエピソードの区別はつかない。過去にもこの曲を聴いているが、毎回迷路に入り込んだように道筋が辿れなくなる、今回もそう。美しい部分はあるにせよ、視覚的なイメージも物語も浮かんでこない。
 世界のタケミツというが、こちらの感受性の許容量からすれば、せいぜいサントリーリザーブのCM音楽ぐらいが限度である

 バルトークの「ピアノ協奏曲第1番」は、日本の時代区分では昭和のはじめに完成した。名ピアニストでもあったバルトーク自身が弾くための作品で、初演はフルトヴェングラーが指揮をしたという。
 バルトークは「ピアノ協奏曲第1番」について次のような言葉を残している。“私の最初の協奏曲は、自分でも成功したとは思います。しかしスタイルは多少難解で、おそらくオーケストラや聴衆には非常に難しい作品かもしれません”と。
 ピアノはバルトークらしく打楽器的な扱いで技巧的。ソリストの北村さんは達者。管弦楽の伴奏はストラヴィンスキーを彷彿とさせ、打楽器群が大活躍する。
 音楽はもちろん聴いて楽しむものだが、曲によっては指揮者の捌きぶりを観ることで分かった気になることもある。不純な聴き方と非難されてもバルトークの幾つかにはその傾向がある。大植のように堅苦しく不動に近い指揮ぶりでは足取りが重そうで面白さが半減する。スリリングでエキサイティングなこの作品は、やはりノット監督向けの曲であったようだ。

 ブラームスの交響曲は、ベートーヴェンの重圧下で創られたことからしてベートーヴェンと同様、素晴らしい演奏に出会ったときの衝撃の大きさは計り知れないけど、反対につまらなくて退屈極まりないこともママある。演奏会の当り外れが大きい。
 大植はやはりねちっこく濃い。大げさに言うと2楽章など通常の倍くらい時間がかかったのではないかと錯覚したくらい。3楽章は先日のチャイコフスキーが眼前に現れたよう。最終楽章のコーダの前の急減速と急加速もちょっとやり過ぎ。だが、全体としてはなかなか面白かった。
 大植は譜面を置いて振った前半の2曲とは大違いで、表情も動きも思い入れたっぷり。この指揮について行く東響の対応力にも感心した。ブラームスは各楽器の重ね方が渋く分厚いから、逆に手練手管を労してもチャイコフスキーのように、あざとさがあまり目立たないのかも知れない。美しい音に助けられた部分もあろう。結構楽しませてもらった。
 ことブラームスに限っては当りに属する演奏会だった。