2025/6/7 マリオッティ×東響 ロッシーニ「スターバト・マーテル」2025年06月07日 20:07



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第100回

日時:2025年6月7日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ミケーレ・マリオッティ
共演:ソプラノ/ハスミック・トロシャン
   メゾソプラノ/ダニエラ・バルチェッローナ
   テノール/マキシム・ミロノフ
   バスバリトン/マルコ・ミミカ
   合唱/東響コーラス(合唱指揮:辻裕)
演目:モーツァルト/交響曲第25番ト短調 K.183
   ロッシーニ/スターバト・マーテル


 ミケーレ・マリオッティが東響に再登場、ローマ歌劇場の若き音楽監督である。一昨年初共演しシューベルトの「グレイト」とモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」を聴かせてくれた。今回は定期と名曲全集の2つのプログラムで指揮をする。
 定期演奏会ではマリオッティが十八番のロッシーニと再びモーツァルトを組み合わせてくれた。

 まずは、映画『アマデウス』で有名になった小ト短調。
 モーツァルト17歳、シュトゥルム・ウント・ドラングの時代。しかし、マリオッティの小ト短調は疾風怒濤というよりは熟成した堂々たる交響曲となった。
 ゆっくりとしたテンポ、シンコペーションのリズムに乗せて第1楽章が始まった。ホルンを強調しオーボエをたっぷりと歌わせる。のっけから落涙とは勘弁してほしい。ホルンのトップは上間、オーボエは荒木。アンダンテは弱音を際立たせ、低速でそろりそろりと歩みだす。アーティキュレーションや強弱のつけ方が独特なのだろう。初めて聴く曲のよう。メヌエットはトリオのオーボエ、ファゴット、ホルンの絡みに脱帽する。装飾音も聴こえてきてびっくりする。ファゴットは福士、ホルンは3番白井と4番藤田が活躍、藤田麻理絵は新日フィルから移籍したベテラン。今は研究員のようだけど下吹きの強力なメンバーとなりそう。フィナーレになってようやく聴きなれた小ト短調となった。
 マリオッティのモーツァルトはアイデアが一杯詰まっている。それでいて珍奇にならず多彩で格調高い表現が崩れない。改めて感心した。

 「スターバト・マーテル」は、ロッシーニがオペラから引退した後に書かれた名作。
 磔刑に処せられたイエスの足元で嘆き悲しむ聖母マリアを描いた音楽でヴィヴァルディやぺルゴレージ、ドヴォルザークらも同名の作品を残している。
 全10曲。導入唱の「悲しみの聖母は立ちつくし」は、いかにも宗教音楽らしい暗い雰囲気で開始される。合唱と4人のソロが出揃う。2曲目はテノールのアリア、まるでオペラのアリアのように朗々と。マキシム・ミロノフの声は甘く優美。超高音域までアクロバテックに駆けあがる。声に艶がありながら過剰な表現にはならない。第3曲はソプラノとメゾの二重唱。ハスミック・トロシャンは会場の隅々まで良く通る透明感ある強い声。円熟のダニエラ・バルチェッローナは輝かしく量感があり柔らかい。4曲目はバスのアリア、マルコ・ミミカは滑らかで深い響き。第5曲は合唱によるア・カペラ。東響コーラスは100人を越えていた。いつものように全員が暗譜、圧巻の歌声だった。4曲目のアリアと5曲目の合唱は敬虔な祈りの音楽となっていた。第6曲はソリストによる四重唱、民謡風の素朴な曲調とハーモニーが美しい。第7曲はカヴァティーナでダニエラ・バルチェッローナが静かに歌い上げる。第8曲は金管が咆哮しドラマチックな展開となる。ハスミック・トロシャンの絶唱に胸を突かれる。第9曲は再びア・カペラ。普通はソロ歌手の四重唱であるが、今回は無伴奏のコーラスに歌わせた。ここからフィナーレに突入し、合唱はオケと一体となりエネルギッシュで気迫溢れる歌唱となった。「アーメン、世々限りなく」をフーガ形式で繰り返しながら感動的なクライマックスを築いた。
 マリオッティの才能、統率力は前回において承知済みのはずだけど、このロッシーニを聴いてさらに恐るべし指揮者であると思い知った。それに反応した東響も見事だった。コンマスはニキティン、アシストにはソリストの吉江美桜、チェロのトップには日フィルの菊池知也がゲストだった。
 公演後の会場は熱狂の嵐、マリオッティの一般参賀となった。明日、サントリーホールで同一公演があり当日券も発売される。もう一度聴きたいくらいだが残念ながらN響と重なっている。来週の名曲全集を楽しみにしたい。

 さて、ロッシーニは、40作ものオペラをものにしたが、40歳手前で劇場音楽からきれいさっぱり手を引いてしまった。以降はオペラを一切書かず、年金生活者となって趣味と実益を兼ねた料理の創作に情熱をそそいだ。才能が枯渇した訳ではない。それが証拠に「スターバト・マーテル」には、あふれ出る旋律があり神への信仰を感じ取ることができる。オペラの筆を折ってからのロッシーニは漫然と美食にまみれて過ごしたのではない。この「スターバト・マーテル」は彼の並々ならぬ才能がなおも衰えてはいなかったことを何よりも証明している。