初詣 ― 2025年01月02日 16:55
ちゃんとした信心があって、毎年、何処と決めているわけではない。初詣のことである。
年末年始に旅行をしていたころは、伊勢神宮や出雲大社、八坂神社や北野天満宮などにもお参りをした。近年は鶴岡八幡宮や氷川神社、あるいは付近の熊野神社や八幡神社、稲荷神社など、その年の気分で様々だけど、川崎大師へ出向くことが数多いかも知れない。
もっとも初詣といっても混雑が嫌で必ずしも幕の内に参拝するのではなく、節分近くになることもよくある。いかに真っ当な信仰心を持ち合わせていないかよく分かるが、今年は寒川神社にお参りしようと思いつき出掛けた。正月三が日の初詣とは最近珍しい。
東海道線は激混み、茅ヶ崎まで立ちっぱなし。熱海行きの列車だった。正月早々皆さんどこまで行くのだろう。茅ヶ崎で相模線に乗換え宮山で下車、案の定駅から神社までは人の列だ。仕方ないから持久戦を覚悟し道中の蕎麦屋で腹ごしらえをした。
参道の鳥居前はごった返しており、立ち入り規制もあって身動きできない。それでも30分ほどしたら集団がそろりそろりと歩き出し、1時間もしないうちに境内に入ることが出来た。
寒川神社は相模国の一之宮、1600年の歴史を誇り八方除の守護神で関八州総鎮護だという。八方塞を除く広大無辺の御神徳を戴く。境内は広く本殿は豪壮、二礼二拍手一礼し無事初詣を終えた。
帰りは神社と海老名駅を結ぶシャトルバスが運行されていたのでこれを利用し、相鉄線経由で帰宅した。往路の南回りも復路の北回りも時間的にはほぼ同じだった。
2025/1/5 城谷正博×新響 「ジークフリート」ハイライト ― 2025年01月05日 20:32
新交響楽団 第268回 演奏会
日時:2025年1月5日(日) 13:30 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:城谷 正博
共演:テノール/片寄 純也(ジークフリート)
メゾソプラノ/池田 香織(ブリュンヒルデ)
テノール/升島 唯博(ミーメ)
演目:ワーグナー/舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」
第2夜「ジークフリート」ハイライト
第1幕 第3場 霊剣ノートゥングの再生
(ミーメ,ジークフリート)
第2幕 第2場 森の中のジークフリート
(オーケストラ版)
第3幕 第3場 ブリュンヒルデの目覚め
(ジークフリート,ブリュンヒルデ)
3年か4年ぶりの新交響楽団の演奏会。たしか飯守泰次郎の代役で高関健が振ったブルックナーの「交響曲第3番」以来だと思う。新響は誰しもが認めるアマオケの雄、多くは飯守が指揮するときに聴いて来た。両者の相性は良かった。飯守が亡くなった今となれば自然機会は減っていく。
今回は「ジークフリート」に魅かれてチケットを購入した。「リング」のうち「ラインの黄金」や「ワルキューレ」の第1幕、「神々の黄昏」の抜粋などは時々演奏されるけど「ジークフリート」は珍しい。
音盤で聴くと「リング」のなかでは地味ながら、実演はなかなか魅力的。実際、物語もジークフリートの成長譚であり大蛇が出てきたり、小鳥たちがお喋りをしたりしてメルヘンチックで楽しめる。そのハイライト上演である。
指揮の城谷正博は初めて。ただ、2000年から4年かけて上演されたシティフィルの「ニーベルングの指環」の副指揮者だったというから、あの公演を裏で支えていたわけだ。飯守の弟子を自認しワーグナーをこよなく愛しているという。新国立劇場で四半世紀以上もプロダクションに係わり、現在は新国の音楽ヘッドコーチを務めている。
「ジークフリート」の上演時間はほぼ4時間、全3幕で其々3場からなる。今日は各幕から1場ずつを取り上げ、2時間弱の公演となった。
第1幕からはジークフリートがノートゥングを鍛え直す場面。城谷は指揮ぶりもつくりだす音楽も情熱的。低弦は厚く金管をくっきりと鳴らし木管で点描していく。感覚的にはテンポが少々前のめりなのが気になった。ミーメの升島唯博は声量が物足りなくて、ほとんどオケの音に隠されてしまったのは残念。
第2幕はオーケストラのみで「森のささやき」を中心に、大蛇ファーフナーとの闘いの音楽も編集して演奏された。新響はさすがアマオケ第一といわれるだけあって目立った破綻もなく、まさに劇伴音楽の原点のような「リング」を、城谷の指示のもとドラマチックに描いた。ファーフナーを目覚めさせる有名な角笛は、ホルンの首席が定位置から舞台下手の最前列に移動して吹いた。女性奏者ながらたださえ難易度が高いソロを目立つところに立って吹奏するとは大したものである。
第3幕は「ジークフリート」の大詰め、岩山の頂上でジークフリートとブリュンヒルデ が長大な愛の歓喜を歌う。ここの音楽は一層複雑で緻密なものになるのだが、作曲の過程をみると、第2幕を書いたあと10年以上の中断があって第3幕が完成されたらしい。その間「トリスタンとイゾルデ」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などが生み出されているというから納得である。城谷の歩みはうねりを増し、情熱的な音楽が一層情熱的となり、ブリュンヒルデが覚醒する瞬間の音楽は、まるで大きな波が打ち寄せて来るように鳴り響いた。途中「ジークフリート牧歌」の旋律を弦楽器群が繊細に奏で、池田香織と片寄純也は愛の二重唱を感動的に歌いあげ、楽劇「ジークフリート」は終幕となった。
新年の演奏会はワーグナーで始まった。アマオケとはいえ客席はほぼ満席、しっかりとした充実の音楽だった。この先一年、どんな演奏会が待ち受けているか楽しみにしたい。
2025/1/11 豊平青×クレド響 マーラー「交響曲第6番」 ― 2025年01月11日 20:42
クレド交響楽団 第12回 定期演奏会
日時:2025年1月11日(土) 15:00 開演
会場:杉並公会堂
指揮:豊平 青
共演:ヴァイオリン/ジェラール・プーレ
演目:バッハ/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調
マーラー/交響曲第6番「悲劇的」イ短調
招待券を頂いたのでクレド響を聴きに杉並公会堂へ。
杉並公会堂はみなとみらいホールやオペラシティコンサートホールと同じシューボックス形式、座席数は1,200席と小ぶり。
クレド響は指揮の豊平青が創設した慶應義塾高等学校を母体とするアマオケ。豊平は普通のビジネスマンと音楽活動の二足の草鞋を履いているようだ。年齢はまだ20代半ば。同じ慶應出身で東京ユヴェントス・フィルを結成した坂入健司郎も「ぴあ」に務めながら指揮活動をしていた。お互い道筋が似ている。
最初はジェラール・プーレのソロでバッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番」。ブーレはもう90歳近い。シェリングの愛弟子でフランスと日本とを行き来し教育者としても有名である。指揮の豊平はプーレに学んでいる。その縁でかクレド響とは何回も共演しているという。
プーレの足取りはしっかりしていて舞台の段差を乗り越える時も危なげがない。とても90歳を目の前にした老人とは思えない。音はまろやかでしっとりとしている。伴奏のクレド響の弦は8-6-6-5-4の編成だった。低域が厚くちょっとバランスが悪かった。
マーラーの「交響曲第6番」は元気のいい演奏。クレド響は見たところ10代や20代の若者たちで構成されている。エネルギーは有り余るほどだろう。ただアンサンブルが多少粗い。騒々しく感じる場面が何度かあった。豊平のコントロールも強弱、緩急ともにあざといところがあって開始早々から興が醒めた。残念ながら今日は音楽に集中できなかった。
汐澤安彦 ― 2025年01月12日 15:52
汐澤安彦が逝去した。去る1月7日のこと、享年86歳。
https://www.tokyo-ondai.ac.jp/information/42132.php
昨年11月の白金フィルの定期公演が最後になってしまった。今年もアマオケや学生オケを振る予定になっていたが、もう聴くことはできない。
一昨年には飯守泰次郎が亡くなり、今度は汐澤安彦である。この二人は音楽という目に見えないものによって、たしかに巨大で魁偉な存在を感じさせてくれた。寂しい限りである。
2025/1/19 ソヒエフ×N響 ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」 ― 2025年01月19日 19:01
NHK交響楽団 第2028回 定期公演 Aプログラム
日時:2025年1月19日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:トゥガン・ソヒエフ
演目:ショスタコーヴィチ/交響曲第7番 ハ長調
作品60「レニングラード」
毎年のようにN響に客演しているソヒエフだけど聴くのは二度目。前回の演奏はまぁまぁ覚えている。5,6年前にサントリーホールで「シェヘラザード」と「シンプル・シンフォニー」、それともう1曲、これは思い出せない。
当日は優秀なN響が快適なホールで華麗な音楽を披露してくれた。演奏会後の評判も概ね良かったと思う。ただ事前の期待が大きすぎたせいか決定打というには物足りなくて、結局その後は聴かずじまいになっていた。
今回はショスタコーヴィチの一本勝負ということだから、久しぶりにソヒエフ×N響を聴いてみることにした。
ソヒエフの「レニングラード」は灰色に塗りこめられ狂気を孕んだ音楽ではない。様々な色彩を放ちながら正気を見失わない音楽のように思えた。重戦車が轟音をたてて進軍するとか砲弾や銃弾が飛び交う景色よりは、むしろ、悲しみを抱きつつ祈りを捧げる巡礼の歩みを想起させた。とりわけアダージョの風景はまさに祈りの行列そのものだった。
ソヒエフは全体に金管を抑え気味にし弦の美しさを際立たせていた。最終楽章の結びだけは勝利を確信させるような高揚をみせたけど、あえて戦争に絡めたメッセージ性を廃し、純粋に音楽に徹する潔さがあった。ソヒエフは自らの主義主張をことさら押し付けるのではなく、オケの美点を見い出し最良のものを引き出そうとする指揮者なのだろう。
N響はその機能性を十二分に発揮し、ソヒエフとの相性もあって見事な演奏を繰り広げた。ソリストではないコンマスの郷古廉は初めてみたが、弦16型の巨大なオーケストラのリーダーとしても絵になっていた。