2024/1/20 佐渡裕×新日フィル 武満とマーラー2024年01月20日 20:39



新日本フィルハーモニー交響楽団
#653〈トリフォニーホール・シリーズ〉

日時:2024年1月20日(土) 14:00開演
場所:すみだトリフォニーホール
指揮:佐渡 裕
共演:朗読/白鳥 玉季
   アコーディオン/御喜 美江
   ソプラノ/石橋 栄実
演目:武満徹/系図―若い人たちのための音楽詩―
   マーラー/交響曲第4番 ト長調


 武満徹の代表作といえば「弦楽のためのレクイエム」と「ノヴェンバー・ステップス」、そしてこの「系図―若い人たちのための音楽詩―」だろう。
 「系図」は、谷川俊太郎の詩集『はだか』の23篇の中から「むかしむかし」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」「とおく」の6つの詩に曲をつけたもので、少女の語り手とオーケストラのための作品。ニューヨーク・フィルハーモニックの創立150周年記念として委嘱された。
 老いた祖父、祖母の死、孤独な父、母の喪失など、少女の不安な思いが綴られる。温かい家族の系図とはいいがたい詩ではある。武満は10代半ばの少女による朗読を想定して書いたという。子供と大人の狭間の、無垢で幼いだけでなく思春期の複雑な感情が自ずから滲み出ることを意図していたのだろう。
 初演当時の語り手は遠野凪子が有名だった。遠野は岩城、小澤、デュトアなどと共演し、YouTubeにも映像が残っている。余談ながら、そして、これは偶然だろうけど、遠野凪子の実半生も相当に苛烈である。
 今回朗読の白鳥玉季は、たまたま今日が14歳の誕生日。語りは作為がなく素直で真っ直ぐな印象。アコーディオンを弾いた御喜美江は30年前の初演にも参加している。終曲「とおく」のアコーディオンの響きはとても親密で、ちょっと泣ける。音楽は武満にしては旋律がはっきりしていて分かりやすい。
 プレトークで佐渡裕は、武満や谷川との交流や思い出を語ってくれたが、今日の「系図」は詩の不穏な空気をことさら強調するのではなく、少女の日常的な目線を通して、穢れなさや爽やかさを浮き彫りにした演奏のように思えた。初演当時、ゲンダイ音楽界から武満は堕落したとか、老いたなどと言われたが時代は変わる。今「系図」は、武満のなかで最も愛される作品のひとつとなっている。

 佐渡のマーラー「4番」は、力まかせではなくバランスを重視した落ち着いた演奏だった。第1楽章は軽快に鈴が鳴り清々しい音楽が会場を満たした。「5番」冒頭のトランペットによるファンファーレ動機も明快に鳴った。第2楽章はグロテスクな主題に挟まれた牧歌的なトリオが秀逸。第2楽章が終わって調弦、その間にソリストが登場する。第3楽章はきわめてゆっくりしたテンポではじまり、幸福感に満たされた弦の響きが美しい。第4楽章のソプラノ石橋栄実は完璧、ビブラート少な目の透明で伸びのある高音が耳を奪う。天上と現世の世界が対比され、最後は静穏のうちに終わった。

 佐渡は2年前にも兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期で全く同じプログラムを取り上げている。朗読、ソリストも同じメンバー。新日フィルの音楽監督に就任した初年度、盤石の演目と布陣で臨んだわけだ。なかなか充実した演奏会だった。

2024/1/24 クァルテット・インテグラ+山崎伸子 シューベルト「弦楽五重奏曲」2024年01月24日 21:31



山崎伸子プロデュース「未来に繋ぐ室内楽」Vol.7
 クァルテット・インテグラ

日時:2024年1月24日(水) 14:00開演
場所:フィリアホール
出演:クァルテット・インテグラ
    ヴァイオリン/三澤 響果、菊野 凛太郎
    ヴィオラ/山本 一輝 
    チェロ/パク・イェウン
共演:チェロ/山崎 伸子
演目:ハイドン/弦楽四重奏曲 ロ短調 第37番/Op.33-1
   バルトーク/弦楽四重奏曲 第2番/Op.17 
   シューベルト/弦楽五重奏曲 ハ長調 D956


 山崎伸子がプロデュースする室内楽シリーズ、第1回に出演したクァルテット・インテグラが7年ぶりに再登場。この間にクァルテット・インテグラはバルトークコンクールで優勝し、ミュンヘンコンクールで第2位と聴衆賞受賞している。
 クァルテット・インテグラのチェロ・築地杏里は昨年末で退団した模様で、パク・イェウンに代わったが、このままパク・イェウンがメンバーに加わるかどうかは不明。
 演目は山崎さんが参加して師弟共演となるシューベルトの大曲「弦楽五重奏曲」がメイン。加えてハイドンの「ロシア四重奏曲 第1番」とバルトークの「弦楽四重奏曲 第2番」というお腹が一杯になりそうなプログラムである。

 最初はハイドン、6曲からなる「ロシア四重奏曲」のうちの「第1番」。その後の弦楽四重奏曲の形式と内容を方向づけた作品のひとつ。モーツァルトはこれら「ロシア四重奏曲」に触発され、「ハイドンセット」6曲を苦心惨憺してつくった。
 第1楽章は軽やかさのなかにもほんのりとしたペーソスをたたえる。第2楽章はメヌエットではなくスケルツォ、カノン風に進行する。第3楽章は優美そのものながら哀感を隠しようがない。第4楽章はプレスト、悲しみを振り払うように超スピードで駆け抜ける。クァルテット・インテグラの描くハイドンは、若々しく溌剌としていた。

 プログラムの真ん中に置かれたのはバルトークの「第2番」。この曲は難物。ハイドンを聴いたあとの耳にとっては、とてつもなく抵抗感が強い。
 第1楽章はハンガリーの民俗音楽の旋律がモチーフされているようだが、悲壮感がただよい緊張感を強いられる。
 第2楽章は民謡風の断片がスケルツォのように暴れまくり、スリリングな展開が続く。クァルテット・インテグラの楽器と格闘する様子や、出てくる音の強靭さを聴いていると、スポーツ競技を応援しているように手に汗握る。この第2楽章は高昌帥が吹奏楽用に編曲している。吹奏楽版もなかなか聴きごたえがある。
 第3楽章は終始おどろおどろしい。ほぼ無調といっていい。徐々に盛り上がるがヒステリックな感じはなく、クライマックスが静まったあと低弦のピッチカート2回であっけなく終わる。

 最後は山崎伸子が加わってシューベルトの遺作。死の直前に完成されたチェロ2挺を含む「弦楽五重奏曲」。モーツァルトやベートーヴェンの「弦楽五重奏曲」はヴィオラ2挺であるから異形の編成である。低音が補強され重心の低い音域が実現している。曲の規模や構成、楽想の豊かさの面でも室内楽曲としては破格で、孤高の作品といえるだろう。
 
 第1楽章は弱音で始まる。美しい第1主題が疾走する。第2主題は倍加したチェロを活かし、重みのある低音がおおらかに歌う。清らかさと抒情が体にしみ込んでくる。
 第2楽章が有名なアダージョ。楽想は崇高でありながら屡々はっとするような深淵をみせる。楽章がはじまってすぐに山崎さんのピッチカートのうえをSQのメンバーが歌う。ここで目頭が熱くなり落涙。このピッチカートの威力は絶大で、あるときは天国的に、あるときは悲劇的に聴こえる。言葉を失う。シューベルトは何という音楽を書いたのだろう。
 第3楽章のスケルツォは、ブルックナーに大きな影響を与えたに違いない。冒頭から活気がみなぎり各楽器が躍動する。バイオリンが弾け、チェロの二重旋律が輝かしく強烈に鳴る。中間部はコラール風の主題によって荘厳な空気に満たされる。この主題がゆるやかな起伏を辿った後、再び活気が戻る。たしかにブルックナーのスケルツォの先行事例がここにある。
 第4楽章はアレグレット。舞曲風の第1主題が奏された後、第1楽章と関連した第2主題が提示され、2つの主題が入れ替わりながら進行する。悲哀が徐々に強まっていく。最後はプレストで畳みかけるが、大きく高揚するコーダではなく、重々しい和音で全曲が閉じられた。

 久しぶりに山崎さんにお会いしたが、だいぶ御歳を召された。ひとまわり小さくなった。しかし、衰えはまったく感じられない。陰影が濃く多彩な表現は変わらない。表情は一段と深みを増したように思う。
 シューベルトの「弦楽五重奏曲」については、さまざまなことが言われてきた。伸びやかなメロディ、色彩感覚に優れた和声、予測不能の転調などと。そして、この曲は完璧でありながら謎めいているとか、音色の謎を完全に解き明かすことはできない、と嘆く人もいる。シューベルトは、その感受性に満ちた深い情緒をたたえた音楽によって、人間の思考や理解が途絶えた、彼岸の世界を描き出したのだろう。

「新版画の沁みる風景――川瀬巴水から笠松紫浪まで」展2024年01月27日 15:04



 川崎駅直結の「川崎浮世絵ギャラリー」(タワー・リバーク3階)において、大正から昭和にかけての版画展が開かれている。版元・渡邊正三郎と新進気鋭の画家、彫師、摺師の協業で制作された「新版画」である。

 江戸時代に隆盛を誇った浮世絵は、明治の文明開化によって衰退の一途を辿っていた。欧米から銅版画や石版画の手法が入ってきたこと、写真や印刷の普及などが主な原因だろう。渡邊正三郎は我が国の高度な木版技術が失われるのを愁い「新版画運動」を提唱し、つぎつぎと新しい木版画を世に出していく。

 本展では渡邊正三郎が最初に声をかけた高橋松亭をはじめ、「新版画」を牽引した川瀬巴水から「新版画」最後の作家といわれる笠松紫浪まで、90点を超える作品が展示されている。画家としては20名弱、館内に掲示してある各画家の来歴を読むと鏑木清方の門下生が多いようだ。なかには訪日外国人であるチャールズ・ウイリアム・バーレット、エリザベス・キース、ノエル・ヌエットの3名も含まれている。

 絵の題材は全国各地の風景が中心で、風景のなかには人物が点描され、当時の風俗や暮らしを垣間見ることができる。東京や横浜の身近な土地も多く写され、今と昔を比べることになる。「新版画」というだけあって実験的で斬新な彫摺が試されており、遠近法や配色など西洋画の影響も濃厚だ。
 小原古邨の花鳥風月は色彩の階調が肉筆画と見紛うほど。洋画家の吉田博の淡い色合いは静寂な何ともいえない雰囲気を醸し出している。石渡江逸の生麦や子安、鶴見、横浜の所見は馴染みのある懐かしい場所だ。伊東深水は「箱根見晴台からの富士山」の1点のみだが、構図といい色調といい、これまた見事な作品だった。

 人出はかなり多く、ギャラリーは混みあっていた。月曜日が休館で、開館時間は11時から18時30分まで。本企画の開催は残り1週間、2月4日で終了する。

1月の旧作映画ベスト32024年01月31日 08:06



『ミリオンダラー・ベイビー』 2005年
 たんなるスポ根ドラマの成功物語か、と思いきや大間違い。そこはクリント・イーストウッドが製作・監督・主演し、音楽まで書いた映画なのだから一筋縄で行くわけない。ずっしりとした重さが映画を観終わった後々まで尾をひく。30歳を過ぎた女性ボクサーのマギー(ヒラリー・スワンク)と老トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)の痛切かつ崇高な物語。フランキーがマギーに贈ったガウンにゲール語で「モ・クシュラ」と書かれている。その意味が明らかになるとき、涙なしに観ることはできない。フランキーの親友エディ(モーガン・フリーマン)のモノローグが悲しみを上書きする。実の親子ではない父と娘の絆を通して、人生とは何か、を問うてくる。

『ダンケルク』 2017年
 クリストファー・ノーラン初の実話の映画化。フランスの港町ダンケルクでドイツ軍に包囲された英仏連合軍40万人を救うため、輸送船や駆逐艦、民間船までを動員した「ダイナモ作戦」を再現する。陸と海と空の3つの視点で淡々と進行するが、そこは映画体験を重視する監督のこと、リアルな映像と強烈な音響によって戦争の恐怖、戦争の非情さを目撃することになる。陸は1週間、海は1日、空は1時間、と描く時間が異なっていながら、それぞれがシンクロして行く様はまさにサスペンス。この映画はIMAXなど大画面で観ないと真価を発揮できないけど、とりあえず家庭用ディスプレイで予備知識を得て損はない。リバイバル上映の機会があって改めて映画館で観賞しても十分楽しめる。

『コーダあいのうた』 2022年
 フランスの『エール!』(2015年)をリメイクした感動作。普通、リメイク版は元の映画を超えられないものだが『コーダあいのうた』は例外。両方とも甲乙つけがたい。聴覚障碍者の家族のなかで唯一の健常者である少女が、歌の才能を見出され、家族との間の葛藤を乗り越え、音楽大学へ進学すべく夢を叶える。『エール!』は酪農を営む障碍者家族の逞しさをユーモアたっぷりに描き、そのタフな家族の応援によって少女が旅立つ。『コーダあいのうた』は少女の夢に焦点を当て、漁師が正業の家族の耳となっている娘が、悩みながらも勇気をもって決断していく。『コーダあいのうた』の少女ルビーを演じたのはエミリア・ジョーンズ、伸びやかで爽やかな彼女の歌は一聴の価値がある。