アラビアンナイト 三千年の願い2023年03月01日 19:14



『アラビアンナイト 三千年の願い』
原題:Three Thousand Years of Longing
製作:2022年 オーストラリア・アメリカ合作
監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー、オーガスタ・ゴア
音楽:トム・ホルケンボルフ
出演:ティルダ・スウィントン、イドリス・エルバ、
   マッテオ・ボチェッリ


 ジョージ・ミラーといえば、何といっても「マッドマックス」シリーズ。熱狂的な「マッドマックス」ファンがいるようだが、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』しか観ていない人間からすると、筋書きは荒唐無稽だし、ド派手なカーアクションと暴力に辟易してしまう。もっとも贔屓のシャーリーズ・セロンを拝めただけで満足した映画ではあるけれど。

 ジョージ・ミラーを検索すると、動物映画の『ベイブ』やCGアニメの『ハッピー フィート』などの製作や監督もしている。バイオレンスアクションを得意とするだけでなく、かなり振り幅の広い人なのだろう。事実、この映画も分類としてはファンタジー、しかも、半ば室内での2人芝居という斬新さだ。
 表題の連想から「千夜一夜物語」あるいは「シェヘラザード」の映画化と早とちりしてしまうが、「アラビアンナイト」からインスピレーションを受けてはいるものの全く独自の物語である。

 物語論の研究者のアリシア(ティルダ・スウィントン)は、孤独と空想を愛する女性。講演のため訪れたイスタンブールの骨董品店でガラスの小瓶を手に入れる。ホテルの部屋に戻ると、小瓶の中から魔人ジン(イドリス・エルバ)が登場、3つの願いを叶えてくれるという。そして、願いが叶えばジンも呪いが解けて自由の身になれる。だが、アリシアは「今のままで十分幸せ、願い事なんて何もないわ」と言う。本当にそうなのか。ジンが語る3000年間の数奇な物語を聞くうちに、思いもかけない願いがアリシアの内に芽生えて来る。主役のティルダ・スウィントンとイドリス・エルバの二人の演技に惚れ惚れする。

 時間と空間を自由に行き来し、現実と架空を難なく飛び越えてしまう映画だからこそ語ることができた物語。壮大なSFXファンタジーではなくて、孤独と愛とをテーマにして、優しくちょっぴり知的な大人の物語が出来上がった。物語とは何ぞやを物語るメタ構造を有する作品でもある。

 音楽のトム・ホルケンボルフは、歯切れのいいリズムを伴った迫力ある音楽と、情感あふれる馴染みやすい旋律とを使いわけ映画に寄り添う。エンドロールで流れる彼の作曲した歌は、マッテオ・ボチェッリが歌唱した。マッテオはアンドレア・ボチェッリの次男、劇中でもムスタファ皇子役で出演している。

2023/3/4 小泉和裕×神奈川フィル シューマン「春」、レスピーギ「ローマの松」2023年03月04日 22:08



神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会第384回

日時:2023年3月4日(土) 14:00開演
場所:横浜みなとみらいホール
指揮:小泉 和裕
演目:シューマン/交響曲第1番変ロ長調Op.38「春」
   レスピーギ/交響詩「ローマの噴水」
   レスピーギ/交響詩「ローマの松」


 シューマンの交響曲「春」は、“待ちわびる春”の時節に相応しい。これにレスピーギのローマ三部作からの2曲を合わせるという、ちょっと変わったプログラム。

 交響曲の標題は作者自らでなく、あとから別人によって命名されることが多いけど、シューマンの「交響曲第1番」は、自身が「春の交響曲」と呼んだ。最終的には削除されたものの、各楽章にも「春のはじまり」「夕べ」「楽しい遊び」「たけなわの春」とタイトルをつけていた。クララと結婚をした翌年の、シューマン最初の交響曲。短期間で作曲したものらしい。
 序奏でトランペットとホルンのファンファーレが鳴る。この動機が曲を支配する。開始楽章はエネルギーに満ちているが、明るいばかりではない。中間部あたりの弦や木管に翳りがさす。ラルゲットは少し寂しい気配、でもロマンチック。終盤のトロンボーンのコラールが印象的。スケルツォは情熱的、ホルンが活躍し、珍しくトリオがふたつある。最終楽章は舞曲風の主題、短調の部分が頻発するせいでどことなく暗い。

 それにしてもシューマンのオーケストレーションは、各楽器を重ねて、また重ねる。第2楽章のラルゲットにおける木管などは、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの音色が判然としないほど。ずっと一緒に吹き続ける。ご丁寧にも背後ではホルンが途切れなく鳴っているからよけい木管が窮屈になる。これでは演奏効果に問題があろう。演奏者にとっては労多くして報われない。しかし、この響きがシューマンらしくて堪らないという人がいる。
 そして、交響曲指揮者である小泉さんの手にかかると、小細工は一切ないのに、各楽章の部分部分に発見があり、曲が終わってみると、ずっしりと重みのある作品を聴いたという充実感で満たされる。神奈川フィルの各パートも、小泉さんの要求に反応することで、その努力は十分に報われたと思う。

 休憩後、レスピーギのローマ三部作のうちの2曲。ローマ三部作とはいっても、レスピーギは最初から連作を意図したものではなく、結果として三部作になってしまったということらしい。今日は一作目の「噴水」と二作目の「松」。ちなみに三作目の「祭り」は交響楽団での演奏機会は少なく、近年ではむしろ吹奏楽団での重要なレパートリーとなっているようだ。

 「ローマの噴水」は、ローマに2000あると言われる噴水から4カ所を選び夜明けから夕暮れまでを音楽で描写したもの。レスピーギを聴くと、塗りこめられたようなシューマンの音との隔たりに吃驚する。一転して光が溢れ、色彩が噴水の水しぶきのように迸り、暗闇から徐々に陽がさし、陽が落ちるまでを描いていく。シューマンとレスピーギの管弦楽法の極端な違い、音の対比を体感しただけで十分に満足してしまった。

 「ローマの松」はオケのメンバーが数人入れ替わって開始された。
 「ボルゲーゼ荘」の出だしから音がよく鳴り、賑やかな雰囲気に包まれる。ホルンは「春」でトップの豊田さんがアシストに回り、坂東さんが1番を吹いた。最近、ホルンの前半後半の配置はこの形が多い。豊田さんも立派な首席だが、坂東さんの音色は魅力的だ。トランペットは「ローマの噴水」でトップを吹いた林さんが舞台裏へ。舞台上には三澤さん。「カタコンべ」の不気味な響きのなか、舞台袖から林さんが朗々と歌う。「ジャニコロ」では、クラリネットの亀居さんが美しいソロを聴かせてくれた。亀居さんの隣にはシティフィルの須東さんが座った。須東さんは昨年夏のシティフィル公演で、亀居さんと同じ場面をやはり見事に吹いたのだった。コンマスは客演の佐久間聡一さん。トランペットやクラリネットのソロに笑みをみせながら皆をリードしていた。クライマックスの「アッピア街道」では、オルガン横に東響の澤田さんがバンダで参加、読響の田中さん共々強力な援軍だった。
 神奈川フィルは若々しく、金管が良い音で鳴る。小泉さんの設計は奇を衒うことなく正攻法、音響の具合も音楽自体の歌いまわしも申し分なく、「ローマの松」の名演がまた加わった。

 終演後、小泉さんは拍手で何度も舞台に呼び戻されていたが、途中、この3月で10年の契約期間満了で退団するチェロ首席の門脇さんと2、3言葉を交わしていた。オケのメンバーの入退団は常とはいえ、門脇さんが去るのは寂しい。この先、客演であっても神奈川フィルへときどき参加してくれることを期待したい。

フェイブルマンズ2023年03月10日 16:18



『フェイブルマンズ』
原題:The Fabelmans
製作:2022年 アメリカ
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:スティーブン・スピルバーグ、トニー・クシュナー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ミシェル・ウィリアムズ、ポール・ダノ、
   ガブリエル・ラベル、ジャド・ハーシュ、
   デイヴィッド・リンチ


 『ジョーズ』が最初だった。いや、その前に『激突!』があった。待て、『ジョーズ』に感心して、それで『激突!』を観たのか? どうにも記憶が定かでない。
 その後『未知との遭遇』『1941』『E.T.』『マイノリティ・リポート』『フック』『タンタンの冒険』『宇宙戦争』『ペンタゴン・ペーパーズ』『レディ・プレイヤー1』『ウエスト・サイド・ストーリー』、もちろん「インディ・ジョーンズ」や「ジェラシック・パーク」シリーズなど、スティーブン・スピルバーグが監督した作品はほとんど観ている。
 彼がいなかったら、TVやゲームに防戦一方だったハリウッドの、ここ半世紀は随分さびしいものになっていただろう。
 そのスピルバーグの自伝、彼も70歳半ば、初めて自分自身を語った。

 『フェイブルマンズ』は、フェイブルマン一家のこと、フェイブルとは「寓話、作り話」といった意味らしい。
 日本でいえば小学生に上がるかどうかの年頃、サミー・フェイブルマン(=スティーブン・スピルバーグ)は、暗闇を怖がる子供だった。両親に無理やり連れて行かれた映画館でセシル・B・デミル監督の『地上最大のショウ』を観て衝撃を受ける。映画の列車の衝突シーンに魅せられた彼は、鉄道模型を買ってもらい、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)の助言で、父バート(ポール・ダノ)の8mmカメラを借りて、模型を走らせ衝突シーンを再現しフィルムに焼き付ける。ここから彼の映画作りが始まる。
 サミー(10代以降を演じるのはガブリエル・ラベル)の映画は本格化し、妹たちや友人たちをまきこんで、西部劇や戦争映画を製作し好評を博す。サミーはピアニストの母から芸術家の感性を、エンジニアの父から独創的な発想を受け継いだ。母はサミーの映画づくりを理解し応援するものの、父は映画などは趣味の領域で仕事にするものではないとつれない。母の伯父ボリス(ジャド・ハーシュ)は、かつて映画界にいて、サミーの創作欲を押しとどめることは不可能であり、だけど、創作とは他者を傷つけ自己を切り裂き、犠牲を伴うことだと予言する。
 父がIBMに引き抜かれカリフォルニアへ転居する。家族は新天地での生活に馴染めず崩壊の危機が訪れる。サミー自身も苦しく辛いことばかり。高校生時代、サミーがビーチでの学校行事を撮影した映画を校内で上映する。その映像が事件を引き起こす。ポリスが予言したように、映画を撮ることで他者を混乱させ、自身の心も引き裂かれてしまう。それでも映画への夢は捨てきれない。自伝はサミーが20歳前半、TV界へ進出するところで幕が引かれるが、ラストに映画界の巨匠とのあっと驚く対話が用意されている。

 俳優陣のなかでは母ミッツィ役のミシェル・ウィリアムズが出色。音楽家でありながら家庭を築くためピアニストへの道を諦めた女性、子どもたちや夫のことを愛していながら新世界へ踏み出していく女性を好演している。また、出番は少ないがサミーに強い影響を与えるボリス役のジャド・ハーシュと、ジョン・フォード役のデイヴィッド・リンチ(監督ではなく俳優として)の2人が強い印象を残す。
 脚本はスピルバーグとトニー・クシュナー。クシュナーはスピルバーグと長年にわたり交友関係があり、スピルバーグはクシュナーを相手に少年時代の思い出話を語りながら構想を練り上げたという。音楽はこれもスピルバーグ作品には欠かせないジョン・ウィリアムズ、映像に寄り添う最強の音楽である。

 スピルバーグは幼少から8mmカメラを回し、家族の休暇や旅行の記録係となり、身近な人たちを出演させて作品をつくる。列車の衝突シーンは『激突!』や『ジョーズ』などに真っ直ぐ繋がっている。ボーイスカウトに入るころには素人はだしの映画製作で評判となる。カメラマンだけではなく、すでに演技指導や編集まで手がけていて、後年のスピルバーグたらしめる。
 『フェイブルマンズ』は、映画に人生を捧げたスピルバーグの半生を描いたものであり、これからも続いていく物語である。たんに懐古的に自身を語ったのではなく、両親の離婚、パニック障害、いじめ、ユダヤ人差別などを含め、自らを赤裸々にさらけ出し、映画がもつ暴露性、意味の多重性、他者への暴力、自己の分裂をしっかりと見つめている。それでも描かずにはいられない映画人としての業というものが、なんとも凄まじい。
 来週には発表されるアカデミー作品賞、監督賞の最右翼として納得の映画である。

ジョン・ウィリアムズ2023年03月11日 17:40



 今日の「ONTOMO」(音楽之友社によるWebマガジン)において、ジョン・ウィリアムズ に関する興味深い記事が掲載されている。

https://ontomo-mag.com/article/column/j-williams-trend-202303/

 『フェイブルマンズ』でも音楽を担当しているジョン・ウィリアムズ。彼がここ数年ヨーロッパの有名オーケストラの指揮台に立ち、自作を演奏していることは知っていたが、この記事のなかでは、そのウィーン・フィルやベルリン・フィルとの演奏会などの音源が紹介されている。

 ジョン・ウィリアムズは今年来日し、2023セイジ・オザワ松本フェスティバルに登場する。9月2日、サイトウ・キネン・オーケストラと共演する予定である。

2023/3/12 和田一樹×ASO マーラー交響曲第6番2023年03月12日 21:20



アマデウス・ソサイエティー管弦楽団 第58回演奏会

日時:2023年3月12日(日) 13:30開演
場所:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:和田 一樹
共演:ヴァイオリン/﨑谷 直人
演目:ブリテン/4つの海の間奏曲
   モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番
   マーラー/交響曲第6番「悲劇的」


 アマデウス・ソサイエティー管弦楽団は、30年ほど前に慶應義塾大学ワグネル・ソサィエティー・オーケストラの卒業生を中心に結成されたアマオケで、近年はワグネル以外のメンバーが集い、大きな編成の曲にも挑戦しているという。で、今回のメインはマーラーの大曲「交響曲第6番」。
 和田一樹は、プロオケを振ることも多い指揮者だが初聴き。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の共演は﨑谷直人、最近まで神奈川フィルのコンマスを10年近く務めていた。今はソロ活動とウェールズSQでの仕事が中心のようだ。

 プログラムの最初は、ブリテンの「4つの海の間奏曲」。昨年はじめにも高関×シティフィルで聴いている。歌劇「ピーター・グライムズ」の幕間音楽。「夜明け」からはじまり、「日曜の朝」や「月光」といったスケルツォやアダージョに相当するような間奏曲が含まれている。それぞれを明確に描き分けないと面白くない。それに最後の「嵐」などはもっと興奮させてくれてもいい。全体に平板で起伏に乏しく熱量も物足りなかった。

 次いで、編成を小型にしてモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第4番」。
 モーツァルト20歳直前の時期、ヴァイオリン協奏曲が集中的につくられている。このあと、父およびザルツブルクとの決別の端緒となったパリ旅行を経て、アマデウスは心身ともに独立する。以後、ヴァイオリン協奏曲を書くことはなかった。理由は分からない。
 﨑谷さんは、もともと音の線が細く音量もそれほどでもない。繊細なモーツァルトを期待したが、楽想の変わり目がちょっとギクシャクして不自然。バックのオケも終始ボソボソと呟いているようで鈍く弾まない。モーツァルトの音楽が疾走することなく愉悦もないとなれば苦痛が残るだけ。どうにも具合が悪い音楽だった。

 休憩後、マーラーの「交響曲第6番」。
 「悲劇的」とも呼ばれる。もっとも本人が名づけたものではない。「運命」と同じで、あまり標題に捉われる必要はない。5管編成プラス巨大な打楽器軍団、マーラーの中期の頂点に位置する作品だろう。
 今日の演奏順は、国際マーラー協会の最終決定に従い、アダージョ、スケルツォの順、3楽章と4楽章はアタッカだった。演奏順に好みはないし、どちらでも楽しめるけど、この順で演奏すると佇まいとしてはいかにも古典的。編成は巨大で響きは近代的であっても、マーラーの曲の中では一番ベートーヴェンを意識させる。「悲劇」というよりは「闘争」、純然たる器楽曲によって言い知れない激情が喚起される。
 和田さんの音楽は、俄然表情が濃厚になったが、マーラーの交響曲を美しく聴かせることは難しい。どうしても物量頼みの虚仮威しのようになってしまう。魁偉ながら美しい姿が隠されているマーラーへの登攀は、アマオケにとってなかなか困難な道である。

 途中20分間の休憩を含めて演奏会は3時間に及んだ。マーラー1曲のみでオケの真価を問えばよかったと思う。少々疲れた。