リバーサルオーケストラ2023年03月16日 17:30



 日テレが放映した『リバーサルオーケストラ』全10話が終わった。
 ここ十数年、まともにテレビを観ていないから、TVドラマは『坂の上の雲』以来かも知れない。いま、ニュースや天気予報はWebで間に合うし、安直なドラマのため決まった時間にテレビの前に座るなど苦行に等しい。PCの動画配信で好きな時間に旧作映画を楽しんだほうがよっぽど自由だ。テレビから遠ざかるのは無理ないだろう。
 で、『リバーサルオーケストラ』もリアルタイム視聴したのではなくTVer経由だった。

 TVerの宣伝文句より粗筋を抜き書きすると、“超地味な市役所職員・谷岡初音(門脇麦)、実は彼女は…元天才ヴァイオリニスト。表舞台から去り、穏やかに暮らしていたはずが、強引すぎる変人マエストロ・常盤朝陽(田中圭)に巻き込まれ、地元のポンコツ交響楽団(児玉交響楽団、略称=玉響)を一流オケに大改造。しかし、2人の前には、数々の障害と強敵が…「崖っぷちだけど、音楽が好き」、夢にしがみつき、懸命に頑張る愛すべきポンコツオケ。夢を追う生き方は、難しいけれど、面白い! スカッとして胸がアツくなる、一発逆転の音楽エンターテインメイント”となる。

 『リバーサルオーケストラ』は、神奈川フィル事務局の音楽主幹である榊原徹さんが、ことあるごとに宣伝をしていたので、つい観賞する羽目に。
 しょっぱな俳優さんたちを見て愕然、顔と名前が一致しない。平田満と原日出子、石野真子くらいしか分からない。主演の2人でさえ茫漠として、田中圭の顔は見覚えがあるが名前が出てこない。門脇麦の名前は聞き覚えているが顔は知らない。およそ30歳以上の俳優さんに関してはこの程度、坂東龍汰とか恒松祐里とか20代の俳優さんともなれば顔も名前も全く承知しない。これでは浦島太郎のようなものだ。まぁ、そのお陰で逆に新鮮だったのかも知れないけど。
 TVドラマだからとうぜん戯画化されているし、細部がいろいろ気になったのは最初だけ、ドラマの中身が盛沢山で展開もスピーディー。そのうちハラハラドキドキ、笑いあり涙ありの物語に夢中になってしまった。
 ドラマはSNSと連携し、劇中のオケである児玉交響楽団のTwitterアカウントが作られたり、instagramへ画像がupされる。YouTubeやTikTokでショート動画が発信され、架空の音楽雑誌に玉響の記事が掲載されるなど、お遊びも満載だった。 
 
 脚本は清水友佳子。音楽科出身ということもあり、音楽へのリスペクトがいたるところ顔をだす。各話ごとオケのメンバーに焦点をあて、気持ちよい物語を紡いでいく。
 例えば、2話では若きフルート首席の庄司蒼(坂東龍汰)が、経済的困窮のせいで家業を継ぐか音楽を続けるかの板挟みになっている。4話ではヴィオラ首席の桃井みどり(濱田マリ)が家庭とオケとの両立に悩み、大学受験を控えた娘(凛美)との葛藤もある。6話ではチェロ首席の佐々木玲緒(瀧内公美)が、失恋に加え自らの才能に対する疑問からやる気をなくし意気消沈している。8話ではオーボエ首席の穂刈良明(平田満)が認知症である妻(宮崎美子)の介護のため退団を考えるほど追い込まれている。主人公である天才ヴァイオリニストの初音や才能ある指揮者の朝陽だけでなく、ポンコツオケの楽団員たち一人ひとりの音楽と生活が浮き彫りにされ、彼らの抱える難題や苦悩をオケのメンバーたちが力を合わせて解決し、手を差し伸べ乗り越えていく。
 テーマはまさしく愛といっていいが、それは若い人たちの恋愛感情だけでなく、親子、姉妹、夫婦、オケ仲間の愛である。そして、何より音楽への愛が通奏低音のように全編を流れる。その音楽にまつわる物語が強い共感を呼ぶ。

 ドラマを支える劇伴音楽の存在も大きい。音楽を担当したのは人気ピアニスト・清塚信也と啼鵬。ベートーヴェン、ブラームス、パガニーニ、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ラヴェル、ラフマニノフなどの有名曲を、ピアノを含めた小編成でもって大胆にアレンジし、ポップ調で軽やかな音楽に変身させドラマを盛り上げる。

 また、『リバーサルオーケストラ』は、題名通りオケの演奏シーンが多い。これには神奈川フィルが全面協力し、「アルルの女」「ウイリアム・テル」「威風堂々」「チャイコン」「運命」、そして、最終話の勝負曲「チャイ5」など、練習場や公民館、学校、コンサートホール、新設のシンフォニーホールにおいて迫力ある音楽を奏でる。まさに本物のオーケストラによる音が鳴り、架空のオケである児玉交響楽団の成長ぶりを説得力あるものにしている。
 神奈川フィルの楽団員もちゃんと演技をしている。ティンパニの篠崎さんは玉響を早々に退団してしまうが、台詞も喋ってなかなかの存在感。ホルンの豊田さん、トランペットの林さん、トロンボーンの府川さん、クラリネットの斎藤さん、ファゴットの鈴木さんなど、やはり管楽器の首席は目立つ。でも、最も花形だったのはセカンド・オーボエの紺野菜実子さん。場面は玉響の練習風景、オーボエトップの穂刈が介護問題で不調を極め、朝陽の指示で紺野さんが代わりにトップを務める。「運命」のオーボエソロを何度も繰り返す。ドラマの場面転換で重要な役割を果たしていた。

 神奈川フィルのドラマ出演については、長年、日テレの音楽番組の構成に携わっている新井鷗子さん(みなとみらいホールの館長)が、日テレから相談を持ち掛けられ、芸大時代の知人である神奈川フィルの榊原さんに頼み込んだのが切っ掛けだったようだ。
 結局、新井さんは番組製作の音楽監督を担い、榊原さんは田中圭の指揮指導をし、1話では朝陽が来る前の指揮者役で出演、スタッフ側のオーケストラ監督としてもクレジットされることになった―――だから、あんなに『リバーサルオーケストラ』のことをアナウンスしていたわけだ。
 面白いのは神奈川フィルの音楽監督である沼尻竜典で、オーケストラ監修として番組スタッフに加わっているが、本編へも引っ張り出され、最終話の審査員役で音楽評論家・沼倉次郎となって、新井さんと共に顔を出している。もう一人、同じ審査員役で名物コンマスの石田組長が沼尻監督と並んで登場していた。おぉ~、神奈川フィルハーモニー管弦楽団総出だ。

 地方のポンコツオケ・児玉交響楽団が神奈川フィルの協力を得たことは、ドラマ成功の大きな要因の一つになったと思う。
 神奈川フィルは名匠ハンス=マルティン・シュナイトが鍛えたオケであり、首都圏の他のオケと比べても技術や音楽に取り組む姿勢など見劣りしない。ひとつ違いがあるとすればローカリティを併せ持っているということだろう。定期演奏会の公演回数が少ない分、アウトリーチが多い。学校行事や県内巡回公演等々、地域における音楽の普及活動に積極的に取り組んでいる。公共スペースを使って演奏することもある。また、様々なジャンルの演奏家とのコラボレーションもたびたび。庶民的で“オラが町のオーケストラ”といった風である。
 そういえば、2月には「リバーサルオーケストラ・スペシャルコンサート」と銘打って田中圭と門脇麦を招き演奏会を開催した。劇中において演奏された曲を披露し、会場のみなとみらいホールは盛況だったようだ。とにかく楽団のフットワークがとても軽い。
 地方で育ち、地方オケの創成期を知る人間としては、神奈川フィルにはどことなく懐かしさを覚える。そのちょっぴり泥臭くてアットホームな雰囲気が、児玉交響楽団にぴったしで、これ以上ない絶妙の配役だったといえる。

 TV放映は終わり、TVerでは1~3話と最終話が視聴できる。いつまで見逃し配信が可能かは不明。Huluは全10話見放題であり、2週間の無料視聴期間が設けられている。日テレの公式チャンネルではYouTube経由で各話を10分程度にまとめたダイジェスト版を提供している。
 TVerとHulu、それに日テレの番組公式チャンネルのリンクを貼っておく。

https://tver.jp/series/sr84opbk2g
https://www.hulu.jp/reversal-orchestra
https://www.ntv.co.jp/reveorche/

4月からの東京交響楽団2023年03月17日 17:32



 異動の季節とはいえ、東響の首席4人がこの3月で退団する。

https://tokyosymphony.jp/pc/news/news_5281.html

 コンマスの水谷さんは、すでに契約期間満了が発表されているので、4月からは中心メンバーの5人がいなくなる。いずれも“東響の音”を担っていた音楽家たちである。

 そういえばフルート首席もいまだに相澤さん一人のまま。甲藤さんが辞めたあと、八木瑛子さんの在籍はいっときだった。ホルンの鈴木優さんも短期間で去り、現在は都響の団員である。

 東響のこの人事は予定のことなのか、何か事情でもあるのか?

2023/3/22 広上淳一×OEK モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト2023年03月23日 10:49



オーケストラ・アンサンブル金沢 第39回東京定期公演

日時:2023年3月22日(水) 18:30開演
場所:サントリーホール
指揮:広上 淳一
共演:ヴァイオリン/米元 響子
演目:シューベルト/交響曲第5番 変ロ長調 D.485
   モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番 
          ニ長調 K.218
   ベートーヴェン/交響曲第2番 ニ長調 Op.36


 目当てはベートーヴェンの「交響曲第2番」。昨年のノットの演奏に納得できていない。ベートーヴェンの奇数番号の交響曲は、忘れられない演奏が幾つかあるが、偶数番号の交響曲は、柔和でしなやかな名曲が揃っているのに、どういうわけか演奏に恵まれない。
 今年のOEK東京公演は、広上がその「2番」指揮をするという。で、昨年の川瀬に続いてOEKを聴くことに。いまのOEKの体制は、広上が音楽監督(アーティスティック・リーダー)、川瀬が常任指揮者(パーマネント・コンダクター)、松井慶太が指揮者(コンダクター)である。3人とも汐澤の弟子、さらに広上と川瀬・松井は師弟関係だという。
 
 最初はシューベルト「交響曲第5番」。
 シューベルト19歳の時の作品。クラリネット、トランペット、トロンボーン、ティンパニを省いた小規模な編成で、3楽章もスケルツォではなくメヌエットという古典派風。モーツァルトへのオマージュかも知れない。
 管弦楽の編成は「40番」と同じ。調性はト短調の平行調の変ロ長調。第1楽章のVn1とVn2のオクターヴ・ユニゾン、第2楽章の変ホ長調アンダンテ、第3楽章のト短調メヌエットなどは、楽章形式や調性、旋律もモーツァルトと見紛うほど。革新的な「エロイカ」が世に出てから10年以上も経っている。懐古趣味なのか、意図をもってしてなのか、よく分からない。
 広上は、低域をよく響かせながらも重くならず、終始柔らかく暖かい音でシューベルトを慈しむように演奏した。OEKは8-6-4-4-3の弦編成、室内オケとは思えないほど豊かな音が出ていた。コンマスはアビゲイル・ヤング、ホルン・トップには東響の上間さんが客演していた。

 次は、米元さんのソロでモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第4番」。
 やはりモーツァルト19歳の時の作品。オケの編成は前曲のシューベルトとほとんど変わらないが、フルートとファゴット、低弦の一部が抜けてさらに小型に。
 ソリストの米元さんは以前ベートーヴェンのVn協で見事な演奏を聴かせてくれた。伸びやかな音で、オケとの間で親密な対話を重ねる。広上も愉悦に満ちた音楽でもって、心地よさげに相手を務めていた。
 アレグロ、アンダンテ・カンタービレと進むにつれ、花粉症のせいでもあるまいに涙目になって困った。最終楽章のロンドは「コジ・ファン・トゥッテ」のデスピーナの歌としても通用しそう。一瞬オペラのアリアを聴いているような気分になった。
 ソリストアンコールは、先日の神尾さんと同じパガニーニ、神尾さんの“動”と米元さんの“静”、全く異なる曲に聴こえた。

 お目当てのベートーヴェンの「交響曲第2番」。
 広上は、これみよがしの緩急、強弱で曲を煽るようなことをしない。音色の微妙な変化で曲を組み立てて行く。作品は第1楽章など猛烈なスピードや強弱のコントラストが目立つし、最終楽章もトリッキーな主題で落ち着かないが、広上は悠然として動じない。
 ひとつ間違うと平板な音楽になってしまう恐れがある。でも、スピードとか音量ばかりに注意が行かないように配慮しているのだと思う。楽器の混ぜ合わせ、楽器間のバランス、各楽器の強調による表情の移り変わりによって、曲がもつ景色を丁寧にみせようとする。その音色のグラデーションが飽きさせない。
 30歳になったベートーヴェン、難聴の悪化に苦悩していた時期、交響曲において初めてスケルツォ(諧謔曲)が使われ、「エロイカ」への橋渡しとなる交響曲が書かれた。音楽家にとって耳が聴こえなくなるという絶望のなかにありながら、全体に明るい色調の希望を感じさせてくれる曲を、急がされることなく、広上×OEKは存分に楽しませてくれた。

 平日のちょっと変則的な18時30分開始という演奏会、客席は7、8割が埋まっていた。カラヤン広場やホワイエでサラリーマン風のグループを幾つか見かけたから、北陸の協賛企業の東京支社・支店から動員があったのかも。しかし、それは別の話、ともあれ充実のコンサートだった。

2023/3/25 金川真弓+リオ・クオクマン×東響 コルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲」2023年03月25日 20:36



東京交響楽団 名曲全集第185回

日時:2023年3月25日(土) 14:00開演
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:リオ・クオクマン
共演:ヴァイオリン/金川 真弓
演目:コルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲
                ニ長調 op.35
   R.シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲 op.59
   ラヴェル/ラ・ヴァルス


 金川真弓とリオ・クオクマンとの協演。
 金川真弓は、いま最も注目されているヴァイオリニストの一人。4、5年前、チャイコフスキーとロン=ティボーの両国際コンクールで上位入賞を果たしている。
 クオクマンは、マカオ生まれ。ネゼ=セガンに認められフィラデルフィア管で副指揮を任されていた。現在は香港フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者。 
 クオクマンは過去何度か来日しているし、金川真弓の演奏会もたびたび開催されているが、聴く機会を逃してきた。二人とは初お目見え。

 最初は金川さんのソロでコルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」。金川さんは髪をポニーテールにし、ダークブラウンの衣装で登場。
 序奏なしのヴァイオリンソロから始まるが、出だしの一音で驚いた。艶やかで瑞々しい音。オケの弦は14型でコントラバスが6、数種の打楽器も活躍する大規模な編成なのにヴァイオリンは一歩も引かない。強靱というよりは柔らかく深々とした音と、変幻自在の弓捌きでもってコルンゴルトの官能的な世界を現出する。噂通りの名手、表現力が半端じゃない。
 エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトは19世紀末にオーストリアで生まれ、幼い頃から作曲をし、9歳の時の作品を聴いたマーラーは「天才だ!」と叫んだという。ユダヤ人だった彼は、ナチスの迫害によりアメリカへ亡命。ハリウッド映画の作曲家として成功したものの、前衛音楽全盛期のクラシック音楽界からは時代錯誤と貶められ、ほとんど無視されたままだった。
 「ヴァイオリン協奏曲」は終戦直後に作曲され、作品はマーラーの未亡人、アルマ・マーラーに献呈された。コルンゴルトは映画音楽を書くにあたってクラシック音楽の語法を活用したが、反対に、絶対音楽の創作に際しては、映画音楽の素材を転用した。モリコーネが言う“絶対音楽と映画音楽との共生”がここにある。
 この「ヴァイオリン協奏曲」を聴いていると、随所でジョン・ウィリアムスの響きが聴こえる。コルンゴルトはジョン・ウィリアムスなどに大きな影響を与えた。たとえて言えば、ときどき聴こえる『スター・ウォーズ』や『E.T.』の音響を搔き分け、超絶技巧が駆使された魅惑的なヴァイオリン音楽を金川さんは聴かせてくれたようなものだ。
 ソリスト・アンコールは、ミューザ川崎のHPによるとハイフェッツ編の「Deep River」。

 休憩後、R.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲とラヴェルの「ラ・ヴァルス」。
 「ばらの騎士」組曲は、3時間を超えるオペラを30分程度に抜粋したもの。名旋律ばかりで、もちろん有名なオックス男爵のワルツもたっぷり聴ける。クオクマンは細身のいかにも運動神経のよさそうな身体を目いっぱい使って、キレのいい音楽をつくりだした。
 「ラ・ヴァルス」は「ウィンナ・ワルツ」へのオマージュといわれるけど、ワルツは背後で見え隠れするだけで優雅ともいえない。どう聴いても不穏なものが漂っている。古き良き時代への賛歌というより、決別のようにさえ聴こえる。クオクマンの振るオケはよく鳴り屈託がないのがどうかと思うが、東響は相変わらず好調で、とりあえずはひと安心である。
 クオクマンは「ばらの騎士」組曲をプログラムの最後に置くのではなく、あえて「ラ・ヴァルス」としたのは、欄塾のウィーンから頽廃のウィーンへ、という設計だったかも知れない。しかし、提供された音楽は爛熟や頽廃といった雰囲気より、身体能力が際立ったスピード感あふれる演奏だった。もっとも、これはこれで颯爽として楽しめたけど。

 今日は、何といっても金川真弓に尽きる。演奏会はニコニコ動画で配信された。見逃し視聴が可能である。

https://live.nicovideo.jp/watch/lv336116756

2023/3/26 井上道義×音大FO 「シンフォニア・タプカーラ」2023年03月26日 21:47



第12回 音楽大学フェスティバル・オーケストラ

日時:2023年3月26日(日) 15:00開演
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:井上 道義
演目:J.シュトラウス/ワルツ「天体の音楽」作品235
   伊福部 昭/シンフォニア・タプカーラ
   ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」


 夜になっても興奮醒めやらず。今まで何度聴いたか定かでないが、過去最高の「シンフォニア・タプカーラ」、昨年の井上×N響の遥か上を行く。
 弦も管も生々しさが違う、各楽章のテンポ設計が違う、オケ総体の燃焼度が違う。両端楽章の瞬間スピードは極限を記録し加えて緩急の妙、触れれば血が噴き出すほどの熱量。中間楽章の静寂、祈りの音楽には完全に魂を持って行かれた。
 オケを聴く醍醐味、まさに血潮がたぎる演奏。これが伊福部音楽の真骨頂、伊福部音楽の真髄。そして、これが井上の伊福部演奏の集大成だろう。曲が終わったときには腰が抜けていた。

 開始は「天体の音楽」。序奏のワーグナー風の展開から、突然、優雅なウィンナ・ワルツが聴こえてくる。ロマンチックでメランコリックな調べに陶然とするうちに曲は終わる。奏者の数人が入れ替わり、指揮者も舞台から下がるが、一呼吸おいて「シンフォニア・タプカーラ」の低弦が鳴る、これは反則技だな。

 20分間の休憩中も茫然自失、後半の「春の祭典」が始まってしまった。
 並みの「ハルサイ」に比べれば弩級に違いない。放心状態のままだったから細部が飛んでいる。ただひたすら音の洪水に身を委ねていたようなものだ。しかし、ここでも楽器の音の生々しさ、俊敏な音の立ち上がりに驚愕することがたびたびだった。

 今日は、毎年恒例の首都圏の9つの音楽大学から選抜された学生たちによるお祭りのはずだった。ところが祭りどころではない途轍もないオベリスクが建立された。
 先日のWBCにおける若手選手たちの大活躍もそうだけど、若者たちの可能性には果てしがない。指導者による環境づくりがあって、力を試す場さえあれば、どんな未来も切り開いていく。頼もしい限りである。
 今回のプログラム、実はコロナ禍で中止となった2020年の再現である。再挑戦を企画したすべての関係者に心から感謝したい。