2024/11/9 小森輝彦 「水車屋の美しい娘」 ― 2024年11月09日 21:34
舞台芸術創造事業 歌劇「水車屋の美しい娘」
日時:2024年11月9日(土) 15:00 開演
会場:東京文化会館 小ホール
演出:岩田 達宗
振付:山本 裕
出演:バリトン/小森 輝彦
ピアノ/井出 德彦
ダンス/船木 こころ
演目:シューベルト/水車屋の美しい娘
演出家・岩田達宗の発案による歌曲集を歌劇として上演する企画だという。
「水車屋の美しい娘」はシューベルトがミュラーの連作詩に曲をつけたリート作品、むかしは「美しき水車小屋の娘」と言ったはず。あてもなく彷徨う「冬の旅」や遺稿集の「白鳥の歌」と比べるまでもなく確かに物語性が高い。
粉挽き職人である若者の旅立ちからはじまり、若者は水車屋の美しい娘と出会い恋をする。しかし、彼女は若者につれない。狩人があらわれると彼女は狩人に魅かれてしまう。若者は絶望のあまり川に身を投げる。
ホールの天井から水の流れを模した何本ものテープがぶら下がり、中途に大きな水車が造られている。水車からテープの水は傾斜をつけ舞台の手前正面まで降りている。舞台の上手と下手には階段があって、上手を昇ると小さな高台があり、下手の階段は水車につながっている。
ピアノは中央に置かれ、しかし、水であるテープの裏側に隠れて奏者の井出德彦ともどもほとんど見えない。
小森輝彦は正装で茶色のフロックコートを着ていたが、佇んで歌うのでなく階段の昇り降りはもちろん舞台の端から端まで動き、時には客席まで使って歌った。オペラで鍛えているせいか激しい演技をしながらでも声は乱れない。表現は多彩、驚異の歌唱力である。
ダンスの船木こころは質素な職人風の服をまとい、これも激しい踊りで若者の感情を表出した。小森輝彦の一人芝居を船木こころがダンスで補い、二人して若者役を演じたということだろうか。
小森輝彦の前口上から始まった。
1.修行の旅=さすらい 2.どこへ? 3.ここだ! 4.小川に感謝を込めて 5.夜の反省会 6.知りたくて 7.我慢できない 8.朝の挨拶 9.粉挽きの花 10.なみだ雨 11.ぼくのもの、と歌い、ここで20分の休憩。
後半の始まりはパイジェッロの「水車屋の美しい娘」という同名の喜劇オペラから「もう心は死んでしまった」を歌ったあと、再びシューベルトへ。
12.ひと休み 13.緑のリリボンで 14.狩人 15.嫉妬と自尊心 16.好きな色 17.嫌いな色 18.乾いた花 19.粉挽きと小川 20.小川の子守歌、後半は曲と曲との間合いも十分に取って一層緊迫感を高めていく。
後口上を添えて歌芝居が終わった。
演出の岩田達宗、バリトンの小森輝彦、ピアノの井出德彦、振付・山本裕による船木こころのダンス、松生紘子の舞台装置、大島祐夫の照明、前田文子の衣裳によって「水車屋の美しい娘」の世界がドラマチックに拡張した。シューベルトのリートの空間が限りなく歌劇に近づいた瞬間だった。
シューベルト26歳の青春の歌。「冬の旅」まで4年、シューベルトの命はわずか5年しか残されていない。
2024/7/13 広上淳一×日フィル リゲティとシューベルト ― 2024年07月13日 21:15
日本フィルハーモニー交響楽団
第762回 東京定期演奏会
日時:2024年7月13日(土) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:広上 淳一
共演:ヴァイオリン/米元 響子
演目:リゲティ/ヴァイオリン協奏曲
シューベルト/交響曲第8番 ハ長調 D.944
「グレイト」
先ずは、難曲中の難曲、リゲティの「ヴァイオリン協奏曲」から。
リゲティを初めて聴いたのは、『2001年 宇宙の旅』の中でのことだったと思う。クラシックの音盤を集め出した頃で、R・シュトラウスやJ・シュトラウスの音楽に感激しながら、リゲティについてはその音響が耳に残ったものの、作家にも音楽にも関心が持てなかった。当たり前だろう、旋律も和音も茫漠として音響操作のみでつくられているようなゲンダイ音楽など理解できるわけがない。
その後、ほとんど絶縁状態のまま何の支障もなかったのだけど、ノットが東響の監督になってからしきりとリゲティを取り上げる。「ハンガリアン・ロック」「ポエム・サンフォニック」「ルクス・エテルナ」「レクイエム」など嫌でも聴かされる。ノットはベルリン・フィルを指揮して「リゲティの全管弦楽作品全集」を録音しているくらいだから、好みの音楽のひとつなのだろう。東響定期における「ルクス・エテルナ」や「レクイエム」では強い印象を受けた。そして、これらが『2001年 宇宙の旅』でも使われていた楽曲だと半世紀ぶりに確認することなる。
そのリゲティ晩年の傑作といわれる「ヴァイオリン協奏曲」はいつか生で聴いてみたいと思っていた。昨年のコパチンスカヤと大野和士×都響との公演は聴き逃した。さいわい当日の模様はYouTubeで公開されているので一応予習をかねて視聴した。
今日、ようやく米元響子と広上×日フィルによるライブを聴く。米元響子は広上が可愛がっているようだ。何度か協演するのを目にする。米元はベルキンに師事しており、広上とベルキンは友人同士だからその関係もあるのかも知れない。どちらにせよソロと指揮者とは気心の知れた間柄だろう。米元のモーツァルトやベートーヴェンの協奏曲は良かった。果たしてリゲティはどうか。
リゲティの「ヴァイオリン協奏曲」の伴奏は小さな編成である。弦はヴァイオリンが3+2、ヴィオラ3、チェロ2、コントラバス1。うちヴァイオリンとヴィオラの各1は変則調弦する。木管楽器はリコーダーやオカリナに持ち替える。金管楽器はホルン2とトランペット、トロンボーン。打楽器は現代音楽らしく10種類以上を用意し、極めて多様な音を生み出す。
楽曲は、第1楽章:前奏曲、第2楽章:アリア・ホケトゥス・コラール、第3楽章:間奏曲、第4楽章:パッサカリア、第5楽章:アパッショナート、の5楽章で構成されている。1990年の初演時には3楽章形式だったがその後改訂された。
演奏が始まる。協奏曲といってもソロとアンサンブルはアンバランスに並走する。広上はいとも簡単に巨大なスコアを繰っていく。米元もさすが譜面台を置いている。
聴き手は無調で不協和なリゲティの音楽を解明しようなどと大それたことは考えない。ただその音響にゆだねる。
第1楽章から擦過音が飛び交い、混沌としたリズムが膨れ上がる、鍵盤打楽器は独奏者とのユニゾンが多くあって合わせるだけでも大変そうだ。第2楽章は意外にもアダージョのような詩情がある。途中、木管奏者が本来の楽器をリコーダーやオカリナに持ち替え、調子はずれな音を吹き鳴らす。第3楽章は激烈、カオスの一歩手前の雰囲気。第4楽章は遠くからバロック音楽が聴こえてくる。最終楽章にはカデンツァがあり、何をどう弾くかは奏者に任されている。YouTubeでのコパチンスカヤは、自らのヴァイオリンに合わせて歌い、楽員や会場を巻き込んで叫んだ。米元は歌ったり叫んだりはしない。プログラムノートによれば初演者ガヴリロフのカデンツァに基づいて弾いたようだ。太く豊かな音、多彩な音色で堅苦しさや無愛想さはなく、まさしくヴィルトゥオーゾの至芸としてうならせた。
いつのまにか感情の波が寄せてきて、知らず知らずのうちに身体が反応していた。ソロもオケも見事な演奏だった。いわゆるゲンダイ音楽でこんなに興奮したのは初めてかもしれない。もう一度聴きたいと思ったほどだ。
後半はシューベルトの「グレイト」、最近はこの「グレイト」を通し番号では「第8番」とすることが多いようだ。レコードの時代は「第9番」とされていたはず。
調べてみると、戦後シューベルトの作品目録を作成したドイチェが、それまで未完のものを除いて「第7番」と呼ばれていたこの作品を、演奏される未完の2曲を含め「第9番」とし、それが定着し親しまれていた。ところが、20世紀の終わりころドイチェ番号の改定が行われ、自筆譜のままで演奏できる交響曲は8曲ということで「第8番」とされ、現在はこの「第8番」に統一されつつあるという。つまり「グレイト」は「第7番」→「第9番」→「第8番」と変遷して来たわけだ。
紛らわしい。新しい研究成果に基づき通し番号を付け替えれば混乱するのは無理ない。モーツァルトの場合は最初のケッヘル番号を大事にし、交響曲の通し番号も実際何曲あるのか知らないが「第41番」まで不動である。ブルックナーだって9曲以外に「0番」「00番」とあって当初の番号は変更していない。通し番号も作曲年順だったり、出版年順だったり、そもそも全体数と番号とが対応しないこともある。通し番号といってみても馴染んだ記号、愛称に近いわけで、最新の研究結果でもってそれを屡々変更するのはどうかと思う。
それに交響曲でいう「第9番」は、“第9の呪い”などと面白おかしくいわれ、ベートーヴェンから始まり、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラー、ヴォーン・ウイリアムズなど「第9番」以降の交響曲をつくることができなかった作曲家を列挙して遊ぶことがある、そこからシューベルトを外す必要はないだろうに。
もっとも“第9の呪い”などというのは与太話に過ぎない。ブルックナーやマーラーは9曲以上の交響曲を作曲しているし、ドヴォルザークの「新世界から」は最初「第5番」と呼ばれていたのだから“第9の呪い”などは作り話の類である。でも、人は事実であろうとなかろうと物語さえあれば余分に楽しめるわけで、その楽しみはそっとしておいたほうがいいのではないか、というだけの余談である。
さて、広上の「グレイト」は、近年流行りの速めのテンポによるエキセントリックな演奏ではなく、恰幅が良くまろやかでコクのある落ち着いた演奏である。古風といってもよい。冒頭のホルンの導入部も刺激的ではなく、それに導かれる弦楽器の響きも神秘的だ。推進力に富んでいながらリズムは柔らかくノスタルジックな雰囲気さえある。鄙びた辻音楽を連想させるスケルツォのトリオはこの曲の中で一番好きな箇所だけど、理想的なテンポと節回しで感情を大きく揺さぶる。広上は最終楽章のコーダに向けてスコアを閉じた。両手を広げ、身体を左右に振ってオケを駆り立てる。音楽が集中力を高めながらスケールを増し大団円をつくりあげた。円熟の指揮者の為せる業である。
コンマスは扇谷泰朋。木管のトップは真鍋恵子、杉原由希子、伊藤寛隆、田吉佑久子。金管はホルンが信末碩才、トランペットがオッタビアーノ・クリストーフォリ、トロンボーンのトップは不明だが、トロンボーン隊として最上の仕事をした。ティンパニはエリック・パケラ。これはベストメンバーだろう。弦管打楽器とも至福の音を出していた。
2024/1/24 クァルテット・インテグラ+山崎伸子 シューベルト「弦楽五重奏曲」 ― 2024年01月24日 21:31
山崎伸子プロデュース「未来に繋ぐ室内楽」Vol.7
クァルテット・インテグラ
日時:2024年1月24日(水) 14:00開演
会場:フィリアホール
出演:クァルテット・インテグラ
ヴァイオリン/三澤 響果、菊野 凛太郎
ヴィオラ/山本 一輝
チェロ/パク・イェウン
共演:チェロ/山崎 伸子
演目:ハイドン/弦楽四重奏曲 ロ短調 第37番/Op.33-1
バルトーク/弦楽四重奏曲 第2番/Op.17
シューベルト/弦楽五重奏曲 ハ長調 D956
山崎伸子がプロデュースする室内楽シリーズ、第1回に出演したクァルテット・インテグラが7年ぶりに再登場。この間にクァルテット・インテグラはバルトークコンクールで優勝し、ミュンヘンコンクールで第2位と聴衆賞受賞している。
クァルテット・インテグラのチェロ・築地杏里は昨年末で退団した模様で、パク・イェウンに代わったが、このままパク・イェウンがメンバーに加わるかどうかは不明。
演目は山崎さんが参加して師弟共演となるシューベルトの大曲「弦楽五重奏曲」がメイン。加えてハイドンの「ロシア四重奏曲 第1番」とバルトークの「弦楽四重奏曲 第2番」というお腹が一杯になりそうなプログラムである。
最初はハイドン、6曲からなる「ロシア四重奏曲」のうちの「第1番」。その後の弦楽四重奏曲の形式と内容を方向づけた作品のひとつ。モーツァルトはこれら「ロシア四重奏曲」に触発され、「ハイドンセット」6曲を苦心惨憺してつくった。
第1楽章は軽やかさのなかにもほんのりとしたペーソスをたたえる。第2楽章はメヌエットではなくスケルツォ、カノン風に進行する。第3楽章は優美そのものながら哀感を隠しようがない。第4楽章はプレスト、悲しみを振り払うように超スピードで駆け抜ける。クァルテット・インテグラの描くハイドンは、若々しく溌剌としていた。
プログラムの真ん中に置かれたのはバルトークの「第2番」。この曲は難物。ハイドンを聴いたあとの耳にとっては、とてつもなく抵抗感が強い。
第1楽章はハンガリーの民俗音楽の旋律がモチーフされているようだが、悲壮感がただよい緊張感を強いられる。
第2楽章は民謡風の断片がスケルツォのように暴れまくり、スリリングな展開が続く。クァルテット・インテグラの楽器と格闘する様子や、出てくる音の強靭さを聴いていると、スポーツ競技を応援しているように手に汗握る。この第2楽章は高昌帥が吹奏楽用に編曲している。吹奏楽版もなかなか聴きごたえがある。
第3楽章は終始おどろおどろしい。ほぼ無調といっていい。徐々に盛り上がるがヒステリックな感じはなく、クライマックスが静まったあと低弦のピッチカート2回であっけなく終わる。
最後は山崎伸子が加わってシューベルトの遺作。死の直前に完成されたチェロ2挺を含む「弦楽五重奏曲」。モーツァルトやベートーヴェンの「弦楽五重奏曲」はヴィオラ2挺であるから異形の編成である。低音が補強され重心の低い音域が実現している。曲の規模や構成、楽想の豊かさの面でも室内楽曲としては破格で、孤高の作品といえるだろう。
第1楽章は弱音で始まる。美しい第1主題が疾走する。第2主題は倍加したチェロを活かし、重みのある低音がおおらかに歌う。清らかさと抒情が体にしみ込んでくる。
第2楽章が有名なアダージョ。楽想は崇高でありながら屡々はっとするような深淵をみせる。楽章がはじまってすぐに山崎さんのピッチカートのうえをSQのメンバーが歌う。ここで目頭が熱くなり落涙。このピッチカートの威力は絶大で、あるときは天国的に、あるときは悲劇的に聴こえる。言葉を失う。シューベルトは何という音楽を書いたのだろう。
第3楽章のスケルツォは、ブルックナーに大きな影響を与えたに違いない。冒頭から活気がみなぎり各楽器が躍動する。バイオリンが弾け、チェロの二重旋律が輝かしく強烈に鳴る。中間部はコラール風の主題によって荘厳な空気に満たされる。この主題がゆるやかな起伏を辿った後、再び活気が戻る。たしかにブルックナーのスケルツォの先行事例がここにある。
第4楽章はアレグレット。舞曲風の第1主題が奏された後、第1楽章と関連した第2主題が提示され、2つの主題が入れ替わりながら進行する。悲哀が徐々に強まっていく。最後はプレストで畳みかけるが、大きく高揚するコーダではなく、重々しい和音で全曲が閉じられた。
久しぶりに山崎さんにお会いしたが、だいぶ御歳を召された。ひとまわり小さくなった。しかし、衰えはまったく感じられない。陰影が濃く多彩な表現は変わらない。表情は一段と深みを増したように思う。
シューベルトの「弦楽五重奏曲」については、さまざまなことが言われてきた。伸びやかなメロディ、色彩感覚に優れた和声、予測不能の転調などと。そして、この曲は完璧でありながら謎めいているとか、音色の謎を完全に解き明かすことはできない、と嘆く人もいる。シューベルトは、その感受性に満ちた深い情緒をたたえた音楽によって、人間の思考や理解が途絶えた、彼岸の世界を描き出したのだろう。
2023/8/8 秋山和慶×センチュリー響 ドヴォルザーク「交響曲第8番」 ― 2023年08月09日 13:03
フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2023
日本センチュリー交響楽団
日時:2023年8月8日(火) 19:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:秋山 和慶
共演:ヴァイオリン/HIMARI
演目:シューベルト/交響曲第5番 変ロ長調D.485
ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調Op.26
ドヴォルザーク/交響曲第8番 ト長調Op.88
日本センチュリー交響楽団の前身は大阪センチュリー交響楽団。Wikiによると大阪府出資の吹奏楽団(大阪府音楽団)が1989年に交響楽団に改組されて設立された。その後、2011年橋下知事の時代に補助金がカットされ民営化、現在の名称に変更された。
指揮者陣は首席が飯森範親、首席客演が久石譲、ミュージックアドバイザーが秋山和慶。楽団員は約50名、弦10型2管程度の編成が基本だろう。今回は3曲とも12型で演奏された。コンマスは都響の山本友重がゲストで座った。
はじめてセンチュリー響を聴いたが見事な音楽集団。個々の演奏技術が高く、驚異的な合奏能力を誇る。首都圏オケでもなかなか太刀打ちできないほどの水準。低音から高音、弱音から強音まで、パートそれぞれが緻密でバランスがいい。
弦はとくにチェロが雄弁、コントラバスと共に底力のある低音をつくり出していた。ヴァイオリンも一体感のある美しさ。木管は歌心に満ち、気づくと必要な場面できっちりと鳴っている。金管は伸びやかで瑕瑾なく安定している。オケの音は柔らかく包み込まれるようで、手触りの良い織物のような風合いだ。
オーケストラは各パートの主張と全体の均衡とのせめぎ合いだと思うが、それが理想的な形で実現している。もちろん秋山さんの手腕は大きいといえ、オケ自体がつくりあげてきた歴史の成果だろう。
センチュリー響は、10年前に“潰れてもかまわぬ”と言わんばかりの横暴で、補助金がストップされ、民間の寄付に頼りながら苦難の道を歩んできた。日本のオケは大なり小なり同じような状況下にある。酷い話だがこれが現実。
大阪では当時、文楽に対しても厳しい姿勢がマスコミ沙汰になっていた。先日は国立科学博物館のクラウドファンディングが話題だった。これも目標額の達成を喜ぶより、国は恥ずべき事だとは思わないのか。
科学や文化活動は一度壊れてしまえばそれを取り戻すに何十年、何百年とかかる。破壊することは誰にでもできる、守るべきものを守るのが大事で難しい。国や自治体は困難を避けることしか考えていないように思える。
さて、1曲目はシューベルト19歳の時の「交響曲第5番」。秋山さんらしくしっかりした構成感、ゆったりとしているが鈍重なところは微塵もない。クラリネットを欠いたフルート、オーボエ、ファゴットたちの陰影が素晴らしい。丁寧に彫琢したシューベルトからモーツァルトが垣間見える。モーツアルトへのオマージュと再確認した
2曲目はHIMARI(吉村妃鞠)をソリストにしてブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」。HIMARIは12歳、昨年アメリカのカーティス音楽院に最年少で合格している。秋山さんは現在82歳だから祖父と孫というよりは曾祖父と曾孫といったほうがいい。
秋山さんの劇的で強固なサポートをバックに、HIMARIの技巧と音が際立つ、すでに立派なソリスト。2楽章の濃厚な歌いまわしなど情感もたっぷり。この先どこまで成長するのか末恐ろしい。アンコールはナタン・ミルシテインの「パガニーニアーナ」、超絶技巧満載の曲を軽々と弾きこなした。
休憩後、ドヴォルザーク「交響曲第8番」。秋山さんは年齢を重ねてますます若々しく俊敏に。第1楽章はキレキレのテンポ設定、中間のふたつの楽章は旋律をたっぷり歌わせ、小技も駆使する。しかし、決して過度にならない練達の技。終楽章の加減速とクライマックスの築き方はまさに名人芸。終演後はブラボーの嵐。
今年のサマーフェスティバルへの参加は3公演だけだったけど気持ちよく終了。なお。ミューザの夏祭りそのものは11日に最終日を迎える。
2023/7/30 鈴木秀美×山響 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」と「グレイト」 ― 2023年07月30日 20:46
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2023
山形交響楽団
日時:2023年7月30日(日) 15:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:鈴木 秀美
共演:ヴァイオリン/石上 真由子
演目:ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調Op.61
シューベルト/交響曲第8番 ハ長調D.944
「グレイト」
FSMが開幕して1週間になる。ようやく初参戦とあいなった。
山響は、今までも「さくらんぼコンサート」と称して東京公演を重ねているが、聴く機会がなかった。飯森範親が監督のとき大きく評判となり、現在の阪哲朗の時代になってもその勢いは続いているようだ。
今日は首席客演指揮者の鈴木秀美に率いられ、石上真由子がソロを弾いた。弦8型2管編成の小型オケとしては申し分ないプログラムだ。
石上真由子は医科大出身という珍しい経歴の持ち主。ナチュラル・ホルンやトランペットを用いるこのオケに合わせたのか、ヴィブラート控え目、pp多めの音づくり。
弱音主体のベートーヴェンで思い出すのは、同じ真由子でも神尾真由子の演奏。そのときの驚きに比べるとインパクトは弱い。石上真由子の歌いまわしにはギクシャクした部分があり、音は乾いていてちょっと潤いが不足気味。
休憩後の「グレイト」。
オケの音色は地味でくすんだ響き。楽器は、とくに管楽器は時代を下るにしたがい機能性を追求し、操作が容易く美しい音を目標に改良が加えられてきた。現代の聴衆は当然その音を知っている。山響はあえてナチュラル楽器を使用して旧時代の響きを求めているのだから、ベールが一枚かかったような音色がこのオケの核心であり魅力なのだろう。
鈴木秀美のテンポは中庸、とりたてて尖ったところがあるわけではない。その意味では肩透かしをくらったものの、楽章を追うごとに音楽は熱を帯び、気がつくとシューベルトの世界が広がっていた。
もともと「グレイト」は好きな交響曲のひとつ。いつでも楽しんで聴くことができるけど、とりわけ今日の最終楽章の高揚感はなかなか充実していた。先人のベートーヴェンの音楽と、後年のブルックナーの音楽が「グレイト」なかで融合されているような気分となって、幸福感に満ちたものだった。
この暑い中、満席とはいえないまでも、お客さんは良く入っていた。今年のFSMは盛況のようである。