2023/9/9 久石譲×新日フィル マーラー「交響曲第5番」2023年09月09日 20:33



新日本フィルハーモニー交響楽団
#651〈トリフォニーホール・シリーズ〉

日時:2023年9月9日(土) 14:00開演
場所:すみだトリフォニーホール
指揮:久石 譲
演目:久石譲/Adagio for 2 Harps and Strings
   マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調


 マーラーの交響曲のなかで「5番」は、「1番」に次いで演奏される機会が多いと思う。1971年公開のルキノ・ヴィンスコンティ監督の映画『ベニスに死す』において、第4楽章の「アダージェット」が印象的に用いられ、当時のマーラー・ブームもあって人気が沸騰した。最近もトッド・フィールド監督の『TAR/タ一』のなかで、この交響曲が重要な場面で使われていた。今日のプログラムノートでも触れられていたが、両映画とも主人公が精神の均衡を崩していく物語。この「5番」は純器楽曲でありながら聴く者を妖しく燃え立たせ、感情を揺り動かす力を秘めているのかも知れない。

 そういった鬱陶しさがあるせいか、ここ数年「交響曲第5番」を聴くことはなかった。インバル×都響以来である。十数年前にはセーゲルスタム×読響の怪演もあった。「5番」はこの両演奏会の記憶で満杯になっている。もう十分過ぎるほどである。
 とまれ、久石譲の「5番」は如何に。久石譲は新日フィルのMusic Partnerであり、加えて「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」の音楽監督を20年近く務めている。オケとの関係は申し分ないだろう。

 「交響曲第5番」の前段には、久石譲の新作「Adagio for 2 Harps and Strings」が演奏された。新日フィルの委嘱作品、世界初演である。
 久石は書く。<漠然と「マーラー“アダージェット”の久石版が書ければ」と考えていたのだが、詰まるところは遅いテンポの楽曲を書きたかったということである。
 ミニマル系の作曲ではリズムがメインになるのでスローな曲は得意ではない。特にアメリカ系のミニマル作品には少ない。僕の作品でも遅い楽曲はあまり多くないので、今回チャレンジしようと考えた>。
 さらに、<編成は2ハープとストリングスでほぼマーラーの“アダージェット”と同じで(ハープが1台僕の曲では多い)約12分半の長さになった。出だしのハープの音形は半音高いが、マーラーからの引用で、もちろん敬意を込めての使用である。論理的に構成しているつもりであるが、結果として大らかな自然と人への讃歌であり、祈りでもあれば、と願っている>。

 その「Adagio for 2 Harps and Strings」、全体の印象としては水の流れを映したヒーリングミュージックのようだ。マーラーの「アダージェット」の引用は、たちまち久石のメロディへと変転し、途中、弦5部のピチカートは水滴が飛び散るイメージ、後半、コントラバスはミニマル音楽風の面白い動きをする。音楽は変化に富むが、むずっと感情が掴まれ揺さぶられるほどの衝撃ではない。まるで手垢のついていない自然風景が発している音を聴いているようであった。2台のハープは休みなく活躍していた。

 メインのマーラーの「交響曲第5番」、かなりスッキリしたマーラー。恣意的なアゴーギクやデュナーミクを避け、分析的で極めて見通しのよい演奏だった。
 第3楽章を真ん中にし、1,2楽章と4,5楽章はアタッカ。
 久石の「Adagio――」は自然の音のよう。一方、マーラーの「アダージェット」は情念がうごめく。しかし、これが久石にかかると粘っこさやドロドロした側面は強調されず、すべての音が過不足なく、バランス良く、美しく鳴る。異形の、前衛としてのマーラーではなく、古典作品として仕分けできそうなマーラー。情念が燃えさかり狂気を孕んだマーラーではなく、端正で整理され尽くしたマーラーである。

 久石の解釈には不満な人もいるだろう。しかし、この演奏は作曲家の余技というには桁違い、一級の指揮者の水準である。そういえば、セーゲルスタムも作曲が本業のはず。彼の変態演奏とはえらい違い。人種か国柄か個人の資質か、同じ作曲家とは思えないほどだ。
 新日フィルは久石の早めのテンポによく合わせ完成度の高い演奏。トランペット首席の山川永太郎は新人、新日フィルは優秀な音楽家を確保した。ホルンの日高剛はいつもながら安定していた。コンマスは西江辰郎。