2023/4/1 田部井剛×MM21響 プロコフィエフとショスタコーヴィチ2023年04月01日 21:59



みなとみらい21交響楽団 第24回定期演奏会

日時:2023年4月1日(土) 14:00開演
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:田部井 剛
演目:プロコフィエフ/「ロメオとジュリエット」
           第2組曲
   ショスタコーヴィチ/交響曲第10番 ホ短調


 MM21響は、設立してまだ十数年と歴史は浅いものの、企画先行型のオケとして“アマオケでは演奏機会の少ない、後期ロマン派およびその周辺の名曲中心”にプログラムを組んでいる。熱意ばかりでなく演奏精度や音楽性についてもなかなかの水準で、毎回その演奏会を楽しみにしている。

 「ロメオとジュリエット」は、全52曲からなるバレエ音楽。プロコフィエフは「ロメ・ジュリ」の管弦楽組曲を複数編んだ。実際のコンサートでは,指揮者の好みで各組曲から取捨選択して演奏されることが多いようだ。今回は7曲で構成された第2組曲をそのまま演奏した。
 MM21響は、弦・管・打・鍵盤とも押し並べて弱点がない。アマオケにしては輪郭のはっきりした明晰な演奏をする。この組曲でも有名な第1曲ばかりでなく、第3曲とか第5曲など音量を絞った難しい場面描写においても、目の覚めるような音楽を聴かせてくれた。

 「交響曲第10番」は、ラザレフを通過して以降、どうしても身構えてしまうが、田部井さんは、管が吹きやすいよう配慮したためか、極端にアクセルやブレーキを踏むことなく、テンポの急変を避け、比較的穏便に全曲をコントロールをしていた。。
 第1楽章の開始の低弦はただならぬ気配を漂わせ、続くクラリネットの独奏は柔らかで非常に美しく、フルートによるワルツもふくよか、打楽器にはキレがある。コーダのひんやりとしたピッコロも健闘した。第2楽章は大抵が快速で駆け抜けるのに急がない。狂気という面では物足りないが、今まで気づかなかった旋律やリズムを発見して新鮮だった。第3楽章のしつこいほどの音名象徴は、奏者にとってストレス以外の何ものでもないと思うけど、ホルンを中心に持ちこたえた。第4楽章は前半ゆっくりした不気味な曲想が続いたあと、突然、マーラー「第7番」の終楽章のようなどんちゃん騒ぎを迎える。ここも田部井さんは節度を保ち、演奏は大きな破綻なく終わった。
 次から次へとソロが入れ替わるオケコンと言ってもいいショスタコーヴィチを、アマオケでここまで演奏するのは表彰ものだろう。

 共通の時代を生き抜いたプロコフィエフとショスタコーヴィチ。時代と政治に翻弄された二人の音楽によって、感情を揺さぶられるのは一緒のこと。でも、プロコフィエフの音楽は不思議と時代を意識させない。時代を超越しているように感じる。対して、ショスタコーヴィチの音楽を聴くと、どうしても時代に思いを巡らせてしまう。時代が刻印されているのではないかと。それはもちろん、両者の音楽の優劣の問題ではなく、いっとき亡命をした者と故国に残った者との故でも多分ない。作者の個性、作品が内蔵する性格の違いなのであろう。同じ時代の、同じ土地の、同じ政治体制のもとで生れた、ひどく異なった2つの作品を聴いた。

『レコード芸術』休刊2023年04月04日 14:55



 雑誌の苦戦が続いている。
 出版科学研究所『出版指標年報』(2022年版)によると、月刊誌・週刊誌ともに1997年をピークに、2021年まで24年連続のマイナス。総銘柄数も休刊点数が創刊点数を上回り15年連続の減少である。月刊定期誌はピークに8300億円あった販売金額が、2021年には2100億円と、ほぼ4分の1に落ち込んでいる。

 こういった厳しい状況下、昨日、音楽之友社は月刊誌『レコード芸術』について、2023年7月号をもって休刊すると発表した。近年の音楽媒体や雑誌を取り巻く環境の変化や、用紙などの原材料費の高騰等が要因だという。

https://www.ongakunotomo.co.jp/information/detail.php?id=2965
 
 『レコード芸術』は、レコード・CD評論の専門誌として70年にわたって刊行され、優秀音盤を表彰する「レコード・アカデミー賞」も主催してきた。もちろん評論・顕彰には功罪半ばある。
 本誌を読む習慣など無くなって久しいが、レコード全盛期の昔は随分お世話になった。時代の趨勢とはいえ、さびしいかぎりだ。

2023/4/7 飯守泰次郎×シティフィル ブルックナー「交響曲第8番」2023年04月08日 09:07



東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 特別演奏会
       飯守泰次郎のブルックナー交響曲第8番

日時:2023年4月7日(金) 19:00開演
場所:サントリーホール
指揮:飯守 泰次郎
演目:ブルックナー/交響曲第8番 ハ短調

 
 80歳を超えた飯守翁と手兵シティフィルとの待望のブルックナーである。7年ぶりだという。
 コンマスの戸澤さんが介添えして飯守翁が登場。足腰はだいぶ弱っているようで、指揮台には高椅子が用意されていた。
 それでも第1楽章は立って指揮、下半身は直立不動で上半身の動きも余程小さくなった。昔のように足を踏み鳴らすほどの勢いはない。実際、過去には指揮台を踏み外してしまったこともあったけど、その心配はもちろんない。第2楽章以降は座ったままの指揮だった。

 指揮者は歳をとるとだんだんテンポが遅くなるのが普通だが、第1楽章と第2楽章は快速でいっそ若々しい。第3楽章は一転して極めてゆったりと、テンポの揺れも大きくなった。このAdagioのために1、2楽章の設計があったのかと邪推したほど。今回の演奏の白眉でもあった。目がかすみ時間の感覚が失われた。最終楽章はまた快活なスピードが戻って、全曲の演奏時間は80分くらいだった。
 総じて引き締まったすっきりとした演奏にちょっと驚いた。飯守翁の身体の具合は、足腰はともかくだいぶ快復して来ているのかも知れない。

 シティフィルは管の首席級が何人か退団や休団しているから万全とはいえず、多くの賛助もあった。しかし、オケの精度というか音の緻密さは向上している。常任指揮者である高関健の成果だろう。加えて、戸澤さんのリードが圧巻、相当な負担だったと思う。
 飯守翁とシティフィルの関係は25年に及ぶ。桂冠名誉指揮者の意図を最も理解している楽団の快演だった。

 終了後、ひと呼吸おいて猛烈なブラボーの嵐、半分以上の聴衆がスタンディングオベーション、こんな光景は久しぶりに見た。
 今月の24日には、同じコンビでブルックナー「交響曲第4番」の特別演奏会が開催される。楽しみだ。

2023/4/8 佐渡裕×新日本フィル 「アルプス交響曲」2023年04月09日 09:35



新日本フィルハーモニー交響楽団
#648〈トリフォニーホール・シリーズ〉

日時:2023年4月8日(土) 14:00開演
場所:すみだトリフォニーホール
指揮:佐渡 裕
共演:ピアノ/辻井 伸行
演目:ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
   R.シュトラウス/アルプス交響曲 op.64


 新日フィルのシーズン幕開け、佐渡裕の音楽監督就任後、初の定期演奏会。
 開演時間になってから就任の挨拶を兼ねてプレトークがあった。先日の楽友協会における舞台転落の話で笑わせたあと(大事なくて良かった)、新日フィルに関する学生時代の思い出に触れ、オケと共に歩むこの先の目標について語り、辻井少年との出会い、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」と絡めたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの模様、そして「アルプス交響曲」をプログラムに取り上げた狙いなど、盛沢山な内容を簡潔に要領よく話をしてくれた。

 前半は辻井伸行と共にラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。
 今年はラフマニノフ生誕150年のメモリアル、演奏会ではやたらと彼の作品が目につく。新日フィルの定期もこの「ピアノ協奏曲第2番」で始まり、3月の「交響曲第2番」で1年を終える。
 辻井さんが最も得意とする作品のひとつが「ピアノ協奏曲第2番」だろう。ヴァン・クライバーンコンクールで優勝したときの曲でもある。辻井さんは混じりっけのないピュアな音で、抒情と力強さを合わせ持っている。緩徐楽章の美しさは際立っていたし、終楽章の強靭なテクニックにも圧倒された。人気が沸騰しているのも分かる気がする。佐渡さんは弦14型という伴奏としては大きめなオケの手綱を自在に操って、ラフマニノフの魅力を引き出していた。 

 ラフマニノフ28歳の若書きである「ピアノ協奏曲第2番」は、彼の全作品中で一番有名かも知れない。もっとも、20世紀の音楽界からはほとんど無視された。時代に乗り遅れた作品で音楽の進歩になんら寄与していないとみなされたからだろう。ラフマニノフの作品は旋律が流麗で、湿気の多い哀愁を帯びたメロディなど前衛音楽の隆盛時に価値が認められるわけがない。それでも彼は旋律美を活かした作品を作り続けた。無調や十二音技法という前衛音楽の帰趨がはっきりした今、ラフマニノフが正当に評価されるようになって来ている。

 後半は「アルプス交響曲」。
 4管プラス舞台外の金管群、ウインドマシン、巨大鉄板、カウベルなどの特殊打楽器、それにパイプオルガンといった管弦楽曲の極限に近い編成。100人を越える奏者が舞台に乗り、オルガン横には10名以上のバンダが並ぶ、壮観というほかない。
 佐渡さんはクライマックスの築き方が実に上手い。仰々しいことをするわけではない、ごく普通の足取りで歩みながら気が付くと頂点に達している。鳴り響く音楽は身体に似合わず細やかで、ツボを心得ていて泣かせる。佐渡さんはメディアなど音楽以外での露出が多く、「1万人の第九」で象徴される外連味もある。だから誤解される面もある。“佐渡らしい”で片付けてしまう人もいる。大柄な身体を見ていると、豪快、磊落で大雑把な音楽が聴こえて来そうだが、音量の出し入れ、楽器の配合、緩急、強弱など細心の注意を払っている。繊細過ぎるほどなのだ。

 「アルプス交響曲」も誤解されている。初演当時から現在まで、時代遅れと謗られ、虚仮威しで通俗的だと批判され続けてきた。シュトラウスが、交響詩作品のほとんど書き終え、「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」で歌劇作曲家としても名声を得たあと、自らの管弦楽法の全てを投入して作り上げた作品なのに。
 時代は第一次世界大戦に突入したころ、何かと比較されてきたマーラーは、もうこの世に居ない。新時代の音楽である「春の祭典」は既に世に出ている。シュトラウスは独墺音楽の終焉を予感し、古き良き時代、旧世界の語法を駆使した音楽によって、頂点を極めようとした、そう思えてならない。“交響詩”ではなく、あえて“交響曲”と名づけたわけもここにあると思う。
 その後、二度目の大戦、ナチスとの対峙、第三帝国の崩壊を経て、彼が行き着いたのは「メタモルフォーゼン」であり「4つの最後の歌」である。まさしく19世紀の独墺音楽に幕を引いた作品だった。「4つの最後の歌」の「夕映えの中で」において、「アルプス交響曲」の終結部「夜」からの引用があるのはむべなるかな。「アルプス交響曲」における予感はここに成就されたのだろう。

 佐渡×新日フィルの「アルプス交響曲」は、管弦楽の極地にありながら、やかましくなくそれでいて巨大、身震いするほどの感動を与えられるものだった。独墺音楽の、交響曲の、未来を予言した曲として姿を現した。
 幸先よく完売公演でスタートをきった新日フィル。この1年、Wien Line(ウィーン・ライン)と名づけられた定期演奏会を期待しつつ見守りたい。

2023/4/12 周防亮介×Jpo弦楽五重奏 パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番2023年04月12日 20:21



みなとみらいランチタイムコンサート
周防亮介×日本フィルハーモニー交響楽団メンバー

日時:2023年4月12日(水) 15:00開演
場所:横浜みなとみらいホール 小ホール
出演:ヴァイオリン/周防 亮介
   日フィルメンバーによる弦楽五重奏
    ヴァイオリン/田野倉 雅秋、末廣 紗弓
    ヴィオラ/小中澤 基道
    チェロ/大澤 哲弥
    コントラバス/宮坂 典幸
演目:シューベルト:弦楽五重奏曲 ハ長調
          Op.163より 第1楽章
   パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調
          Op.6(ヴァイオリンと弦楽五重奏)


 以前、「18区コンサート」において、“オケをバックに演奏される協奏曲を、弦楽五重奏用に編曲された伴奏で聴く”というシリーズが企画された。今回は「みなとみらいホールランチタイムコンサート」のなかで、同じコンセプトでもってパガニーニを取り上げることになった。
 パガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」は、オペラチックで素敵な曲なのに聴く機会を逃している。後にも先にもサルヴァトーレ・アッカルドの演奏一度のみ。
 伴奏は基本ズンチャ・ズンチャで複雑なことはやっていない。室内楽編曲のバックであれば超絶技巧の独奏ヴァイオリンが一層楽しめるだろう、との目論見でチケットを手配した。

 いまでこそクラシック音楽は、超絶技巧などといって一寸取り澄ましている。が、娯楽の少ない時代には、そんな綺麗ごとではなくて見世物や曲芸に人が集まるのと同じで、オペラにおけるカストラートや、器楽における特殊技法がもてはやされたのは物珍しさのためだった。カストラ―トのファリネッリや幼少のモーツァルト、ヴァイオリニストのパガニーニやピアニストのリストなどの人気も、今でいうアイドルを見聞きしたいという群衆心理の類だろう。現在だってそういった興味がまったく消え失せたわけではない。
 パガニーニはその典型で、熱狂した観客は涙を流しながら喚き、集団ヒステリーを起こした女性たちの失神騒ぎは度々だった。このあたりの話は映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』にも描かれている。筋書きはありきたりで、映像も目新しいところがなかったけど、パガニーニを演じた実際のヴァイオリニストであるデビッド・ギャレットの演奏ぶりはさすが。音楽が流れる場面はなかなか迫力があった。

 横道にそれた。今日の演奏会である。
 先ずはJpoメンバーで構成された弦楽五重奏によるシューベルトのハ長調、彼の最期の年に書かれた格別な曲。この五重奏曲はSQにヴィオラを追加するのではなくチェロを追加してチェロが2という特殊なもの。今回はチェロを追加する代わりにコントラバスという編成。全曲となると1時間近くが必要となる。
 オケメンバーで編成する四重奏や五重奏は、無難にまとまってしまう傾向にあるが、コンマスの求心力のせいか、普段からオケのなかで聴き合っているせいか、各楽器のバランスが良好で感心する。この第1楽章は、ミステリアスでありながら清澄、独特の浮遊感を感じる。adagio、scherzo、allegrettoと第2楽章以降も実演で聴いてみたくなる。

 田野倉さんのお喋りを挟んでから、メインのパガニーニ。
 周防亮介は初めて聴く。ここの小ホールの響きは素晴らしいし、楽器の1678年製ニコロ・アマティも名器だろう。でも、周防亮介の音がなにより魅力的。まさしくソリストの音、一聴して音色、音量が抜きん出ていることがわかる。高音は空気に吸い込まれ、低音は芯が太い。E線からG線までどこをとっても非常に滑らか。甘美な音に酔うほどだが、音離れがいいのか決してベタベタしない。
 開始楽章のフラジオレットの繊細さ安定度にびっくり、重音も濁らない。鮮やかすぎるカデンツァに唖然とする。中間楽章はヴァイオリンの音で身体がとろけそうな錯覚に陥った。最終楽章のスピッカートも活き活きとしている。跳弓とはいうが何種類あるのだろう。ダブル・ハーモニクスも軽々と難なくこなしていく。ヴァイオリンは魔性の楽器だ。とにかく美しい。
 目論見通り超絶技巧に圧倒されただけでなく、出来のいいオペラを楽しむかのように音楽を堪能した。

 そういえば、シューベルトも家具を売って金を工面し、パガニーニを聴いている。しかし、シューベルトはパガニーニの超絶技巧に影響はされなかったようだ。自らの感情表現にはほど遠いと感じたのだろう。では、パガニーニは技巧だけの刹那の音楽なのか。いや、超絶した技巧そのものにパガニーニの情念が乗り移っている。だからこそ、数百年後まで生き延び、こうやって聴く者に快感だけではない、言い知れぬ感情を呼び起こす。

 周防亮介のアンコールは、シュニトケの「ア・パガニーニ」、現代音楽というより未来から来た音楽のよう。これがまた端倪すべからざるもの、この先、周防亮介から目が離せない。
 ランチタイムコンサートといいながら15時開演、実は先に11時半開演の同一プログラムがあった。本来のランチタイムコンサートは大ホールで11時半に開催される。今日だけ会場が小ホールのため、2回開催となった由。