2021/2/20 阪哲朗 ×神奈川フィル モーツァルト・プラス2021年02月21日 07:49



神奈川フィル 音楽堂シリーズ 第19回

日時:2021年1月20日(土)15:00
場所:神奈川県立音楽堂
指揮:阪 哲朗
演目:ベリオ:Divertimento per Mozart
   モーツァルト:ディヴェルティメントニ長調K.136
   シュニトケ:Moz-Art a la Haydn
   モーツァルト:交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」

 今回のプラスは、ベリオとシュニトケ。「K.136」をプラスではさみ、休憩のあと「リンツ」という構成。

 音楽を聴き始めたころのモーツァルトは、よく分からない作曲家の一人だった。ひょっとすると、今のベリオやシュニトケ以上に遠い存在だったかも知れない。多分、10年近くそんな状態だったのではなかったか。

 古いLPを聴いていた。録音は1949年、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団+ヨーゼフ・ヘルマン(コントラバス)、ハンス・ベルガー、オトマール・ベルガー(ホルン)の「ディヴェルティメント第17番ニ長調 K.334」。失意のパリ旅行から帰ったあと、ウイーンへ出奔する前の23歳、不遇を託つていたザルツブルグにおける作品。三楽章が有名なメヌエットだが、そうではなく二楽章の変奏曲。短調に変わり、ホルンが先導してカルテットと掛け合うところ、突然、景色が変わった。心の表層をサラサラと流れていた音楽が、心の奥底まで沁み込んできた。この事件をきっかけにして、モーツァルトのあらゆる曲が心に引っかかるようになった。モーツァルトが次々と心に侵食してきた。

 この時期、とくに好んでよく聴いていたのが「K.136」と「リンツ」だった。「K.136」は、アーヨ&イ・ムジチ合奏団、ヴィヴァルディ「四季」と組み合わせた2枚もの。長い間「四季」のみでうっちゃっていたのを、「K.136」を聴きたいがために取り出すようになった。「リンツ」は、カザルス&プエルトリコ・カザルス音楽祭管弦楽団による演奏。タクトで譜面台を叩く音や、うなり声をいっぱい拾っている。剛毅でごつごつした響、極端なアゴーギグとダイナミクスに夢中になった。水彩画でも油絵でもない、一つひとつを確かめながら彫り進んでいくような、彫刻刀で造形するような、演奏だった。

 モーツァルトは、もちろん神童として生まれついたが、神童のまま終わったわけではない。死ぬ直前まで成熟し続けた稀有な神童である。36歳の晩年とはいえない晩年に近づくほど、音楽は深みを増し陰影を濃くしていく。そんな天才の彼であっても、決して書き替えることのできない、一度限りの若書きの作品がある。その代表が「K.136」と思う。イタリアから戻ったばかりの、16歳が書いたザルツブルグ・シンフォニーである。
 一方、結婚後の27歳の里帰り、故郷で「ハ短調ミサ」を演奏したあと、寄り道したリンツにて3、4日で完成させたといわれる「交響曲36番 K.425」。ハ長調が主導するが、そこに単純で明快、素朴で安定といった調の性格を感じとることはできない。多くの人はこの曲を晴朗、優雅、上品などと捉えるが、とてもそんな風には聴こえてこない。どうしたってぼんやりとした不安と鬱屈をはらんだ、何かがはじまるきっかけとなった曲のように思える。
 
 ちょっと脇道へ。ケッヘル番号と作曲年齢との関係。よく知られた話だが、作曲年齢=ケッヘル番号÷25+10という算式がある。
 モーツァルトは生涯にわたって、概ねコンスタントに作曲を続けたから、10歳をスタート台にし、K.100ごとに4歳を加えていく。ケッヘル番号25ごとに1歳を加算する。K.100は14歳、K.200は18歳、K.300は22歳、K.400は26歳、K.500は30歳、K.600は34歳である。K.100未満は外れる度合いが大きくなるので、大雑把に小学生以下の作品と考えておく。先の「K.135(125a)」は6+10=16、「K.334(320b」は13+10=23、「K.425 リンツ」は17+10=27、という具合。おおよその目安である。

 さて、そんな思い出のある「K.136」と「リンツ」、聴き逃すわけにはいかない。

 「K.136」は弦楽器のみで6-6-4-3-2の編成。第一ヴァイオリンの対向に第二ヴァイオリン、その横にヴィオラ、チェロは第一ヴァイオリンの隣、チェロの後ろがコントラバス、という並び。チェロとヴィオラが中央に位置する。
 アレグロ、一陣の風が吹き抜け、つかの間雲が差す、バス、チェロ、ヴィオラのピツィカートの上をヴァイオリンが渡っていく、再び風が吹きつける。アンダンテ、風が止んで乾いた悲しみが降りてくる。プレスト、疾走、一旦足踏みをして、また疾走する。
 プログラムノートにはディヴェルティメントとある。たしかにモーツァルトは思想をことさら語るわけではない。作品を歴史に残そうとも思っていたわけでもなかろう、機会音楽として走り書きしたものに違いない。しかし、その音楽からは青春の煌めきと哀切が溢れてくる。その心情を受け取るなら、これはもう弦楽のためのシンフォニーと呼んでいいだろう。

 「リンツ」は木管がオーボエとファゴット、金管がホルンとトランペット、打楽器はバロックティンパニのみ。最小限の編成だが、全楽章とも各楽器は休むヒマがない、弾き続け、吹き続け、叩き続ける。
 序奏からしてただならぬ雰囲気が漂う。モーツァルトがシンフォニーにおいて初めて書いた序奏らしいけど、半音階、転調など不安定に音が動く。主部に入ると行進曲風な快活さが表れるものの、長調と短調とが激しく交錯し、完全には落ち着かない。緩徐楽章は、音階を昇っていくホルンの音や、忍び足みたいな弦のきざみに魅了されるが、優雅に流れていくだけでなく憂いを引き摺り、ティンパニとトランペットがひっきりなしに参加してくる。メヌエットは飛び跳ねるような舞曲に身を任せていると、トリオでのオーボエとファゴットの音色にドギマギする。プレストはたたみかけるように疾駆する。唐突に転調し暗転したりもする。コーダは飛翔し勢いよく回転しながら、断ち切るように終わる。

 「リンツ」は今まで生演奏で納得したことがなかった。
 生と再生音とを対比すること自体おかしな話だ。音盤は譬えライブ録音でも単なる記録に過ぎないことなど分かってる。しかし、若いころは今よりずっとマシな再生装置を持っていて、音源はレコードである。作られた音だとしても充足する自分がいた。それに実演を聴く機会はごくまれだった。
 そんな環境でのカザルスである。たまに実演の「リンツ」を聴いてもカザルスの後ろ姿を追っていたのだと思う。実際それを乗り越えるだけの生演奏に出会えていなかった。
 今回、その呪縛が解けた。不安と鬱屈に満ちた「リンツ」ではなく、時折翳が差しながら、それでも明瞭で祝祭的な「リンツ」によって。

 阪さんの指揮は、しなやかなで的確、タクトを持たない指先から音が出てくるよう。息遣いは長く柔らかく、とてもよく歌う。といって迫力が不足することもない。それぞれの楽器が極めてはっきりと聴こえてくる。
 神奈川フィルは、弦も管も鋭く反応し良い音で応えた。篠崎さんのティンパニも素晴らしかった、さりげなく、それでいて際立っていた。聴衆の熱量の高い拍手のなか、コンマスの﨑谷さんは、3度に渡りオケを立たせず、賛辞を阪さんに捧げた。逆にそれだけ会心の演奏でもあったのだろう。
 
 阪さんは、山形交響楽団の常任で国内に拠点を持っている。もう少し在京をオケを振ってくれると嬉しい。歌劇場経験が豊富でありながらまだ50代前半、遅まきながら注目すべき指揮者が一人加わった。