2025/12/7 音大オケ・フェス シベリウスとチャイコフスキー2025年12月07日 21:15



第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
    国立音大・東邦音大

日時:2025年12月7日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:国立音楽大学(指揮/藤岡幸夫)
   東邦音楽大学(指揮/大友直人)
演目:シベリウス/交響曲第1番ホ短調(国立)
   チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(東邦)


 2025年音大オケ・フェスの最終日、藤岡幸夫×国立音大のシベリウスから。
 藤岡は渡邉曉雄の弟子だからシベリウスは大事なレパートリーのひとつ。「交響曲第1番」は以前シティフィルで聴いたことがある。そのときの前半のプログラムがシューベルト「ピアノ協奏曲」という怪作だった。シューベルトの最後のピアノソナタを吉松隆が遊び心で田部京子のためにピアノ協奏曲化したもの。四半世紀も前に編曲しその後お蔵入りになっていた作品の世界初演だった。これがたいそう面白く、田部さんのピアノで完全に魂を抜かれ、後半のシベリウスはほとんど上の空で聴いていた。だから、今回は藤岡のシベリウス「第1番」の再確認である。
 第1楽章の冒頭はティンパニを伴ったクラリネットのソロで始まる。このティンパニは全曲を通しほぼ休みなしでマレットを頻繁に替えながら叩き続ける。奏者は細身の綺麗なお嬢さんだった。悲劇的な旋律から突然弦楽器のトレモロが登場する。第1主題は明るく、第2主題はフルートが主導し、第3主題は様々な楽器によって繰り返され、北の国の自然が描かれる。展開部は金管楽器が加わり音量を増し、コーダはコラールを経て決然と終結する。第2楽章はハープからはじまるゆったりした楽章、主題は第1ヴァイオリンとチェロによる歌謡的な旋律。旋律は変奏され様々に展開していく。最後は冒頭の穏やかな曲調へと戻り遠ざかるように閉じられる。第3楽章は弦楽器のピチカートと激しいティンパニの連打によってはじまるスケルツォ。中間部はホルンによるやすらぎの音楽だが、すぐに荒々しさが回帰し最後は勢いを増して駆け抜ける。第4楽章は開始楽章の最初の主題が情熱的に出現し曲を統一する。エネルギーに満ちた主題が提示され各楽器に広がっていく。慌ただしい部分を経て雄渾な旋律が盛り上がり、最後はピチカートによって静まるように終結する。
 シベリウスの「第1番」と「第2番」は後期の内省的な交響曲とは違い、起伏は大きく語る内容もロマンチック。でも、チャイコフスキーのようにウエットで粘っこくはなく、乾燥し硬質な肌ざわりがあって好ましい。今日はこのシベリウスを音大オケを相手にした藤岡幸夫の巧みな指揮でじっくり聴かせてもらった。

 今年の音大オケ・フェスの大詰めは大友直人×東邦音大のチャイコフスキー。
 「交響曲第4番」は先週聴いたばかり、同じフェスティバルのなかでの競演となった。原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーはワインディングロードを疾駆して車酔いにでもなったような演奏だったが、大友直人×東邦音大はそんなことはなかった。大友は楽曲を綿密に構築しつつ引き締まった音楽をつくった。
 絶対的な馬力やスピードは原田×武蔵野が上回っていたと思うが、体感的には大友×東邦のほうが力が漲り速度も快適だった。大友の音量調節と緩急管理のうまさゆえだろう。上品な乗り心地のまま最速で目的地に着いたという感じがした。
 大友に出会うのは久しぶり、体型は変わらないけど髪は真っ白になった。濃厚で情熱的なチャイコフスキーが衒いもなく品格を保ち円熟味のある音楽として再現された。大友は還暦をとっくに過ぎて70歳に近くなった。もっと聴かなければならない指揮者の一人である。

2025/10/5 ストルゴーズ×都響 シベリウス「交響曲第3番」2025年10月05日 19:21



東京都交響楽団 第1028回定期演奏会Cシリーズ

日時:2025年10月5日(日) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:ヨーン・ストルゴーズ
共演:ヴェロニカ・エーベルレ
演目:ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調op.61
   シベリウス/交響曲第3番 ハ長調op.52


 ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」から。
 ソリストのヴェロニカ・エーベルレは5,6年前にモーツァルトとベルクを続けて聴いたことがあり良く覚えている。彼女のヴァイオリンは美音だけどちょっと線が細くて大いに感心したというわけではない。ただ、両方の演奏会のメイン楽曲がともに印象的で、そのせいで記憶に残っている。
 ひとつはウルバンスキ×東響のショスタコーヴィチ「交響曲第4番」、もうひとつは大野和士×都響のブルックナー「交響曲第9番」であった。ウルバンスキには期待外れのショスタコーヴィチにがっかりし、大野和士には思いがけないブルックナーの名演にとても興奮した、という違いがあったけど。
 で、それら大曲の前段で、エーベルレは東響と「トルコ風」を、都響と「ある天使の思い出に」を弾いたのだった。そういえば都響のときエーベルレは出産間近で、“贅沢な胎教だな”などと馬鹿なことを考えていたのを思い出す。

 今日のコンサートのお目当ては、もちろんシベリウスの「交響曲第3番」だが、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」についても、カデンツァに関して“作曲家ヴィトマンが、エーベルレとラトル×ロンドン響による録音のために書き下ろしたもので、ソロヴァイオリンにコントラバスソロとティンパニソロが加わり、さらにコンサートマスターのソロも絡むというスペクタクル”を期待してほしい、と都響からアナウンスされていたので、その興味もある。
 ヴィトマンのカデンツァは、各楽章の終盤にそれぞれ置かれていて、第1楽章では安藤芳広のティンパニと池松宏のコントラバスが加わり、第2楽章ではコンマスの水谷晃とエーベルレとの掛け合いとなった。第3楽章では再びティンパニとコントラバスが参加してエーベルレとの三重奏となった。
 ヴィトマンのカデンツァは、素材は確かにベートーヴェンから採られているもののコテコテの現代音楽で、ベートーヴェンのなかに異質なものが侵入したように音楽が分断され流れが滞って、いささか居心地の悪いものだった。演奏時間も各楽章に結構長いカデンツァが挿入されたことから1時間近くにもなってしまった。珍しいものを聴いたわけだがひどく疲れた。
 エーベルレのヴァイオリンは高音域の弱音は繊細で美しいけど、やはり音量が不足気味。ストルゴーズはソロと協奏するとき相当オケの音量を絞っていたが、オケだけのときは豪快に鳴らして、そのギクシャクした音楽の運びかたも違和感として残った。

 休憩後、シベリウスの「交響曲第3番」。
 「第3番」は、先月も阿部未来×都民響で聴いたが、演奏会で取りあげられるのは稀だから、アマオケでもプロオケでも聴けるときに聴いておきたい。
 第1楽章はチェロとコントラバスの印象的な出だしから弦楽器が細かく動き回り、金管が朗々と歌い、木管楽器が飛び跳ねる。鳥たちの鳴き声や川のせせらぎなど森の中のざわめきが聴こえてくるよう。管弦楽は絶え間なく声を交わして前進を続け、最後は祈りを捧げるような響で閉じられる。第2楽章は弦のピチカートのうえをフルートが歌う。中間部の木管楽器の不規則な音型は妖精のいたずらのようにも思えるが、すぐに冒頭の旋律が戻ってきて、懐かしさと哀愁が高まり夢から醒めたようにして終わる。第3楽章の前半はスケルツォ的な性格で、テンポはめまぐるしく変わり、拍子もずれたように不安定で猛々しい。やがて、コラールが聴こえてくる。ここからが通常の交響曲のフィナーレ。コラールの主題は徐々に力強さを増しながら高揚し、弦楽器群の三連音符が鳴り響くなか、荘厳なクライマックスが築かれる。
 ヨーン・ストルゴーズはフィンランド出身、ヘルシンキ・フィルで首席指揮者を務めていた。もとはヴァイオリン奏者で、のちに、やはりヨルマ・パヌラに指揮を学んだ。シベリウスは“お国もの”である。聴き手としてはひんやりとした北国の空気感を味わいたかったわけだけど、ストルゴーズは激しく熱い音楽をつくった。事前の思い込みと落差が生じ、ちょっと期待外れに終わった演奏会だった。

025/9/7 阿部未来×都民響 シベリウス「交響曲第3番」とニールセン「不滅」2025年09月07日 20:33



都民交響楽団 第139回定期演奏会

日時:2025年9月7日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:阿部 未来
演目:ニールセン/序曲「ヘリオス」作品17
   シベリウス/交響曲第3番ハ長調 作品52
   ニールセン/交響曲第4番「不滅」作品29


 アマチュアオーケストラ界の老舗である都民響の定期演奏会。HPによると戦後すぐの1948年(昭和23年)に創立されているから80年近くの歴史を誇る。いっとき東京文化会館の事業課が運営していたようだが、現在は東京都の支援を離れ団員が自主運営しているという。年2回の定期公演のほか離島での演奏会にも力を入れている。
 ざっと見渡すと御歳を召した方がかなり目につく。団員は20代から70代までの幅広い年齢層で構成されていると書いてある。まさか創立以来のメンバーはいないにせよ、在籍50年、40年に及ぶ団員は当たり前に居そうである。年季の入った楽団である。
 その139回定期は北欧プログラムで、ニールセンの2曲とシベリウス。ニールセンもそうだがシベリウスの「交響曲第3番」はなかなか生演奏で取り上げない。シベリウスの交響曲は「第2番」の演奏頻度が圧倒的で、次いで「第1番」「第5番」といったところだろう。「第4番」「第7番」はたまに演奏されるが「第3番」「第6番」となるとぐっと少なくなる。今日はその「第3番」をミューザ川崎まで出向いて演奏してくれた。
 
 開始はニールセンの「ヘリオス」。日の出から真昼、日没までを描く標題音楽的な演奏会用の序曲。つい最近もヴァンスカ×東響で聴いた。この曲、アマオケが演奏するにはホルンの難易度が高すぎる。指揮の阿部未来はテンポ設定が巧みで、真昼に至る手前の音量を増加しつつ加速する手腕はなかなか見事、最後は物語を閉じるかのように緩やかに曲を終えた。

 管・打楽器を中心にメンバーが入れ替わりシベリウスの「交響曲第3番」。シベリウスはニールセンと生まれ年が同じ。ニールセンよりずっと長生きしたけど、早くに筆を折ってしまったから作曲活動の時期はほとんど重なる。
 「第3番」は、「第1番」や「第2番」に比べると地味で抑制された作品である。とはいっても後期交響曲のように深遠で凝縮されたというよりは、ロマン派的な部分も引き摺りつつ、表面的な華やかさよりも奥底の感情を追求しようとした過渡的な作品と言えるかもしれない。彼の交響曲の新たな方向性を示した楽曲といえる。好きな曲のひとつ。
 全3楽章で構成され、第1楽章は自然のさまざまなざわめきを聴いているよう、弦楽器と木管楽器が美しく調和する。シベリウスらしい管弦楽の掛け合いが印象的だ。中間楽章は切なくも親しみやすい旋律が変奏されていく。民俗舞踊につけられた音楽のようにも聴こえる。シベリウスが書いた緩徐楽章の最高傑作だと思う。終楽章の前半はスケルツォ風、後半はコラール主題がフィナーレの中心となる。リズムとメロディの両方が徐々にエネルギーを蓄え規模を拡大しながら高揚し壮大な頂点を築く。阿部は各楽章の音色、テンポにメルハリをつけ全体としては躍動的な演奏、「第3番」の美しさをよく引き出していた。

 「不滅」はニールセンの管弦楽曲のなかでは人気がある。第一次世界大戦のさなかに作曲され、内部が4部に分かれた単一楽章の交響曲。2組のティンパニが大活躍し、ティンパニ交響曲と名付けたっていいくらいだ。
 第1部は様々な音響が衝突する戦闘的な音楽、ティンパニは他の楽器とあまり関連なく傍若無人に動く。第2部は木管楽器が主体となった牧歌的な音楽。ティンパニはお休み。第3部はティンパニと弦楽器だけで始まる厳粛な音楽で緊張感が徐々に高まっていく。第4部は2組のティンパニが対決する。ティンパニは舞台の両端に置かれていた。短いリズムの繰り返しによる動機が支配する。後半は金管楽器のコラールから第1部の主題が再現され力強い響きをもって終結する。
 音の重なりが独特で混濁しがちなこの曲を阿部は見通し良くすっきりと演奏した。ティンパニ奏者はマレットを持ち替え、音程調整や音止めなど目が回るほど忙しい。これは音盤では分からない、生での醍醐味だった。

 阿部未来は、プロオケにおいてしっかりしたポストが得られない。大きなコンクールの受賞歴はないものの留学してコレペティトゥアとしても経験を積んでいる。実力も才能もあると思う。
 もっとも、日本のプロオケのポストは少ない。オーケストラ連盟の正会員が27、準会員が13だから合わせて40である。それに必ずしも邦人指揮者が監督や常任になるわけではなく、海外の指揮者が選ばれることも間々ある。
 我が国に指揮者と呼ばれる人がどれほどいるか知らないが、ブザンソンなど有名コンクールの優勝者でもポストに就いていない人もいる。オーケストラの奏者になるのも狭き門だが、指揮者の競争は熾烈で厳しい世界ではある。
 相変わらずの痩身ながら3年前に比べる身体の安定度は増したように思う。一度、プロオケを振る阿部未来を聴いてみたい。

2025/8/3 松井慶太×東京カンマーフィル シベリウスとベートーヴェンの「交響曲第7番」2025年08月03日 21:56



東京カンマーフィルハーモニー
     第30回 定期演奏会

日時:2025年8月3日(日) 14:00開演
会場:神奈川県立音楽堂
指揮:松井 慶太
演目:ウォルトン/スピットファイア 前奏曲とフーガ
   シベリウス/交響曲第7番
   ベートーヴェン/交響曲第7番


 8月はアマオケの定期公演が集中する。指揮者と演目を眺めながら幾つかを聴こうと思う。先ずは松井慶太のシベリウスから。
 松井は11月末の音大フェスティバルにも出演するが、一足先に東京カンマーフィルとシベリウス「交響曲第7番」を演奏するという。これはどうしても聴きたい。松井は汐澤と広上の弟子で、合唱指揮者を長く務めたあと、今年からOEKのパーマネント・コンダクターに就任している。母校の特任教授にもなった。
 東京カンマーフィルはHPによると2006年に設立した室内管弦楽団で、古典派からロマン派の音楽をプログラムの中心にすえ、合唱団との共演によるコンサートにも積極的に取り組んでいるという。定期演奏会の記録をみると15年にわたって松井慶太が全てを指揮しており、あらたまって謳ってはいないものの松井がこのオケの常任指揮者ということであろう。メンバー表によると所属は50数人、見た目は老若男女幅広いが、どちらかというと落ち着いた年代の団員が多いようだ。

 最初はウォルトン。ウォルトンといえば「ベルシャザールの饗宴」が飛びぬけて有名だけど、映画音楽も幾つか書いている。映画『スピットファイア』(1942年公開)の音楽より抜粋して演奏会用に編曲したのが「前奏曲とフーガ」。金管楽器のファンファーレから始まる。金管の音程がちょっと不安定、開始早々だから無理もない。スケールの大きな曲想で行進曲となる、続くフーガは小さなモティーフがリズミカルに編み上げられ緊張感が高まる。途中、哀愁を帯びたヴァイオリンの歌が聴こえてくる。弦楽器は8-8-6-5-3の編成、第1ヴァイオリンだけが8人で以下は10型に近い。音楽堂の音響効果もあってか小編成とは思えないほど音は厚く潤いがある。最後は前奏曲のテーマが重なり輝かしく幕を閉じた。

 シベリウスの「交響曲第7番」は、20数分に凝縮された単一楽章の交響曲。魅力は何といってもトロンボーンによる主題。低弦の上昇音型で開始されるアダージョではホルンに先導されながら控え目に鳴り、次いでスケルツォにおいて風が吹き荒ぶような弦楽器の響きの中からはっきりと奏でられる。そして、最後は牧歌的な第3部を経たフィナーレで燦然と吹奏される。フィナーレではすべての管弦楽が時間をかけ、総力をあげて高みへ向かうさなかトロンボーンがテンパニを引き連れ崇高に鳴り響く。ウォルトンのときの金管には不安があったが、シベリウスではホルン、トランペット、そして主役のトロンボーンが俄然踏ん張った。弦も分奏があって難度が高いが表情豊かに奏でた。松井慶太は強引なところを見せず泰然と流していく。シベリウスの美点が自ずと浮かび上がり、何度となく大自然を仰ぎ見るような心地がした。
 同じように息が長く金管が重要な役割を担う音楽であっても、ブルックナーのそれは動機を彫琢しつつ反復を重ね転調に転調を繰返しながらクライマックスを築き、ときに彼岸を垣間見るかのような法悦を感じることがあるのに対し、シベリウスのそれは唐突な場面転換を経ながら主題の再現によって頂点をつくりあげる。このとき広大無辺な自然を目の前にしたような感覚を覚える。音楽は山川草木を具体的に描写するわけではないけど、松井と東京カンマーフィルのシベリウスに落涙しそうになった。

 休憩後はベートーヴェンの「交響曲第7番」。出だしの一撃からして只事ではない。テンポは急ぐことなく各楽器が過不足なく鳴って堂々と進んでいく。松井のリズム感の素晴らしさは汐澤の弟子だから当然だろう。2楽章では弦5部のそれぞれの色合いが鮮明で、その弦のパートがさまざまに絡み合う様に舌を巻いた。スケルツォのリズムの切れ味には文句のつけようがなく、トリオのホルンと木管の掛け合いも惚れ惚れする。終楽章へはアタッカで一気呵成に突入せず十分間合いをとった。流れが途切れるかと懸念したのも束の間、熱狂的なフィナーレが待っていた。アウフタクトの勢いも楽器の叫びも壮絶といえるほど。コーダ直前のフーガはなかなか満足できない演奏が多いが、2楽章と同様、弦楽器の音色の活かし方が巧妙であり、高揚感を保ったままコーダに雪崩れ込んだ。もともと手に汗握る曲だけど、馴染み過ぎているせいで失望することもある。今日は久しぶりに大興奮した。

 松井慶太40歳。今後、プロオケを振る機会が増えていくのかも知れないが、いまもアマオケの指揮を引き受けている。同じ汐澤の弟子といっても先輩であり師匠でもある広上や、ほぼ同世代の川瀬は後進の育成とともにプロオケでの活動が中心となっている。松井が今後も教育者を兼ねながらアマオケの指導を続けていくのであれば、これは汐澤の立派な跡継ぎと言えるだろう。音楽には奏者の技量だけではかれない領域があることを汐澤は教えてくれた。この先、松井慶太を聴くという楽しみが増えた。次は音大フェスティバルにおける東京音大とのマーラー「巨人」である。期待して待ちたい。

2024/4/21 サカリ・オラモ×東響 北欧の音楽とドヴォルザーク「交響曲第8番」2024年04月21日 22:10



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第95回

日時:2024年4月21日(日) 14:00開
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:サカリ・オラモ
共演:ソプラノ/アヌ・コムシ
演目:ラウタヴァーラ/カントゥス・アルクティクス
   (鳥とオーケストラのための協奏曲)op.61
   サーリアホ/サーリコスキ歌曲集(管弦楽版)
   シベリウス/交響詩「ルオンノタル」op.70
   ドヴォルザーク/交響曲第8番 ト長調op.88


 東京交響楽団の川崎定期2024/25シーズンが始まった。
 東響とは初共演のサカリ・オラモが北欧のレアな曲を聴かせてくれた。ラウタヴァーラもサーリアホもフィンランドの作曲家。もちろんシベリウスは有名だけど交響詩「ルオンノタル」はなかなか演奏会では取り上げられることがない。3曲とも“鳥”がテーマだという。すべて初聴き。

 「カントゥス・アルクティクス」は作曲家ラウタヴァーラが録音した鳥の鳴き声をソリストと見立てた3楽章形式の協奏曲。鳥の声とオーケストラが響き合う。大自然のなかで佇んでいるように癒し効果満点、ヒーリング音楽にかぎりなく近い。

 「サーリコスキ歌曲集」は、フィンランドの詩人サーリコスキの詩に基づく歌曲。ソプラノが鳥の声を模倣したりする。アヌ・コムシの透明感のある声がまるで楽器のように聴こえる。オケの打楽器などは特殊奏法の連続で、ティンパニのヘッドのうえにシンバルをおいて叩いたり、銅鑼の上端部を弦楽器の弓で擦ったりする。見ているだけで面白い。終始不穏な空気が漂う作品だが、苦手のサーリアホにしては聴きやすい。昨年亡くなったサーリアホの晩年の作。曲が終わってみると不思議な余韻が残る。

 休憩後の「ルオンノタル」はソプラノ独唱とオーケストラのための作品。創世記的な内容をもち、フィンランドの英雄叙事詩「カレワラ」の一部が歌詞になり、やはり鳥が重要な役割を果たしているという。アヌ・コムシは衣装を着替えて登場。言葉の意味は全く分からないけど、超高音のクリスタルのような彼女の声に聴き惚れる。10分程度の曲なのにオケからは北の大地の響きが聴こえてくるようだった。次は是非ともオラモが振るシベリウスの交響曲を聴いてみたい。

 ここまでのオラモは身体の動きも小さく、指示も必要最小限の物静かな指揮ぶりだったが、演目最後のドヴォルザークでは豹変。前後左右に身体を激しく動かし、変幻自在の態。譜面は開かれて置いてあったが、1頁たりとも捲られることはなかった。テンポのゆれは激しく、強弱の変化は大きい。まれにみる情熱的かつ濃厚なドヴォルザークの「8番」だった。好き嫌いが分かれる演奏かも知れないが、まさに一回性の生ならではのパフォーマンスをみせてくれた。
 東響の弦は14型、コンマスは小林壱成。フルートの竹山愛、トランペットの新しい首席であるローリー・ディランが大活躍。ホルンの3番は新人の白井有琳か、なかなか頼もしい働きをみせた。

 サカリ・オラモは名立たる指揮者を輩出しているフィンランド出身、名伯楽ヨルマ・パヌラの弟子の一人。サイモン・ラトルの後継としてバーミンガム市響の音楽監督となり、その後、フィンランド放送交響楽団、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を歴任し、現在はBBC交響楽団の首席指揮者を務めている。往年の巨匠的な音楽にびっくりして年齢を確かめてみたらまだ60歳になっていない。初共演の東響が溌剌としていた。相性も良さそう。私的覚書にはノット監督の後任候補の一人として追加しておこう。
 今シーズン、東響も幸先の良いスタートをきった。