2025/7/26 FSM:ノット×東響 言葉のない「指環」2025年07月26日 22:12



フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2025
  東京交響楽団 オープニングコンサート

日時:2025年7月26日(土) 15:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
演目:ワーグナー/歌劇「ローエングリン」から
        第1幕への前奏曲
   ベートーヴェン/交響曲第8番 ヘ長調
   ワーグナー/言葉のない「指環」
        マゼール編「ニーベルングの指環」


 同じサマーミューザにおいて似たようなプログラムがあった。一昨年のヴァイグレ×読響による「リング」抜粋とベートーヴェンの「交響曲第8番」である。ただし、ヴァイグレの「リング」はデ・フリーヘルの編曲、今回のノットはマゼール編曲を選択した。マゼール版は尺が長い。加えて「ローエングリン」の前奏曲をサービスしてくれた。チケットは早々に完売となった。

 ホール前の“歓喜の広場”でノット指揮によるオープニング・ファンファーレが終わり2時ちょうどに開場した。ファンファーレは三澤慶作曲の5分ほどの華やかな曲、ファンファーレ兼行進曲といった趣。舞台上ではノットのプレトークがあり、予定通り演奏会は3時にスタートした。

 最初の「ローエングリン」はノットらしからぬ穏やかで静謐な演奏、繊細で美しく神秘的な音楽だった。 
 一転してベートーヴェンの「交響曲第8番」はエッジのきいたトリッキーな演奏。強弱、緩急、テンポともども変幻自在、即興的で生々しく、何が起こるか予想がつかない面白さがあった。
 「第8番」は「第4番」と並んで実演に恵まれない。両方とも軽やかで小粋な曲だけど面白く聴かせるのは至難の業である。音盤のせいもあるのかも知れない。「第8番」はイッセルシュテット×ウィーンフィルの、「第4番」はクリュイタンス×ベルリンフィルの完璧なレコードがあった。両曲だけは実演が音盤を越えることが出来ず、音盤のみで満足していた不思議な曲であった。もっとも、レコードを処分したあと、「第4番」はまれにライブで楽しむことができるようになった。残っていたはこの「第8番」だが、今日のノット×東響によって呪縛はとけたようだ。

 後半、マゼール版の「リング」ハイライト。ノット×東響の演奏は細部まで明晰、楽器の一つ一つが全て聴こえるよう。動機が鮮明に浮かび上がる。重量感を保ちながら隅々まで光をあてたような演奏。「ラインの黄金」の序奏から演奏の安定度は抜群で、最後まで音楽に没入し興奮した。東響の弦、木管、金管、打楽器のバランスは驚異的な水準、それぞれの音も緻密で極めて美しい。
 マゼール版は物語順にエピソードを切れ目なく繋ぎ、音で絵を描くような優れた編曲だと思うけど、ひとつ残念なのは「ラインの黄金」の終曲「神々のヴァルハラ入城」がすっぽり抜け落ちていること。「雷神ドナーの槌」で終えてそのまま「ワルキューレ」へと続く。もっとも「神々のヴァルハラ入城」のあとはいささか休息がほしくなるから、これでいいのかも。最も感動したのは「神々の黄昏」、夜明け―ラインへの旅立ち―ハーゲンの招集―ジークフリートとラインの乙女―葬送行進曲―ブリュンヒルデの自己犠牲、と音楽が起伏し、まるで舞台が目に浮かぶようだった。終演後、満員の会場は大歓声、当然のごとくノットの一般参賀となった。

 ノットはワーグナー指揮者としても頭抜けている。今となってみるとウーハン・コロナのせいで「トリスタンとイゾルデ」の全曲演奏が中止となってしまったのは痛恨の極みだ。ノットは今期で東響とスイスロマンド管の監督をともに退任し、2026/27シーズンからはスペイン・バルセロナのリセウ大劇場の音楽監督・首席指揮者に就任する。多分、「リング」全曲も取りあげるだろう。うらやましいかぎりである。一旦、東響との縁は切れるのだが、次のシーズン以降も継続的に来日し、また何らかの形でこういったワーグナーを披露してほしい。

 今日がサマーミューザの初日、これから2週間にわたって夏祭りが開催される。今年の参加はこのオープニング公演のみ。他に2、3迷ったが開演時間の関係でパスすることにした。検討した幾つかはすべて夜公演、やはり、夜公演は辛いので出来る限り避けることに。指揮者、ソリスト、プログラムの魅力と公演時間による消耗度合を天秤にかけての結果である。歳をとるといろいろ制約されることが多くなっていく。致し方ない。
 今日の公演は夏祭りというにはもったいないくらい。定期演奏会にも匹敵するほどで大いに充足した。今年の祭りはこれで終えて悔いない。

2025/7/19 ノット×東響 ブリテン「戦争レクイエム」2025年07月19日 22:36



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第101回

日時:2025年7月19日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ソプラノ/ガリーナ・チェプラコワ
   テノール/ロバート・ルイス
   バリトン/マティアス・ウィンクラー
   合唱/東響コーラス(指揮:冨平恭平)
   児童合唱/東京少年少女合唱隊
       (指揮:長谷川久恵)
演目:ブリテン/戦争レクイエム op.66


 ブリテンの「戦争レクイエム」は過去に一度だけ聴いている。プロの公演ではなくアマチュアのオケと合唱団の演奏だった。合唱団に参加している知人からチケットを頂いた。父親が亡くなって間もないころだった。戦中派のど真ん中の世代で戦前は丁稚奉公、楽しいはずの青春時代は支那での戦争、戦後は闇市で商売をしながら苦労し続けた人である。鎮魂そして反戦の曲を聴きながら、音楽はこの世で鳴るだけでなく、別の世界へも響き伝わるものではないか、と強く感じていたことを思い出す。

 「戦争レクイエム」は空爆で破壊された英国のコヴェントリー大聖堂(聖マイケル大聖堂)の再建に際して委嘱された作品、第二次大戦後15年ほど経っていた。ヴェルディのレクイエムと同様「レクイエム・エテルナ」「ディエス・イレ」「セクエンツィア」「オッフェルトリウム」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」「リベラ・メ」といった典礼文で構成されているが、あいだにウィルフレッド・オーウェンの詩が挟み込まれ、ラテン語の典礼文と英語の詩がほぼ交互に歌われる。オーウェンは英国の詩人で第一次大戦に従軍し亡くなっている。
 演奏するにはソリストが3人、混成合唱と児童合唱、そしてフルオーケストラと小さな室内オケという編成が必要となる。これらを幾つかに分ける。一つはソプラノ、混声合唱とオーケストラで典礼文を担当する。二つめは少し離れた場所に位置する児童合唱、天上の声を担う。三つめはテノール、バリトンと室内オーケストラでオーウェンの詩を歌う。
 混声合唱はP席とRA、LB席の一部を使用し、ソプラノはP席最上部の下手に控えた。児童合唱は3階席、まさに天上からの歌声となった。舞台上手には室内オケ。コンマスは小林壱成、フルートの竹山、オーボエの荒木の顔も見える。ハープや打楽器も含めて十数人である。室内オケの前方にはテノールとバリトンが並んだ。フルオーケストラをリードするのはニキティンである。フルオケにおけるフルートは久しぶりに見る相澤さんだった。

 「レクイエム・エテルナ」が始まる、低音の不安定な響きと鐘の音の中から合唱が「永遠の安息」を歌う。ほとんど呪文か読経のように聴こえる。東響コーラスの安定度は今日も驚異的。音楽が激しさを増し児童合唱の歌声が天から降ってくる。東京少年少女合唱隊の清楚な歌声に身震いする。次いでテノールが「家畜の如く死にゆく兵士らにどんな弔鐘があるというのか?」で始まるオーウェンの詩を独唱する。ロバート・ルイスは張りのある明晰な声。伴奏の室内オケは雄弁で豊かな響きにびっくりする。最後は合唱が戻ってきて「キリエ」によって曲が閉じられる。
 次の「ディエス・イレ」は、長大で30分近くを占める。「怒りの日」「レコルダーレ(思い出したまえ)」「ラクリモーサ(涙の日)」などが歌い継がれる。バリトンとテノールが戦場でのありさまを歌う。マティアス・ウィンクラーは儚く甘い声だからよけい悲しみや苦悩が浮かび上がる。戦いのラッパが鳴り響く。神の怒りというよりは進軍ラッパ。戦場を思わせる金管や打楽器の鋭利な響きと室内オーケストラとの対比も聴きどころ。レクイエム中間部の頂点となる「ラクリモーサ」は、ソプラノが合唱を従えて切々と歌うなか、テノールがオーウェンの詩を切れ切れにして挟み込んでいく。ガリーナ・チェプラコワは美しく強靭な声で、涙の日…よみがえる日…と繰返す。聴き手の目頭が熱くなる。
 第3曲の「オッフェルトリウム」は、神秘的なオルガンと児童合唱により主イエスへの祈りではじまる。合唱が復活の約束を叫ぶと、その勢いのままテノールとバリトンによるアブラハムの物語に基づくオーウェンの詩が歌われる。
 「サンクトゥス」は、グロッケンシュピール、シンバル、ヴィヴラフォーンの乱打とソプラノが先導する合唱が不気味な雰囲気をかもしだす。金管が輝かしく響き行進曲がはじまる。どの「レクイエム」でも「聖なるかな」は勇壮。バリトンのソロが「神は死と涙をすべて取り消して下さるのだろうか?」と自問自答して、最後は消え入るように終わる。
 「アニュス・デイ」では、オーウェンの詩を中心に展開し、その合間に典礼文の歌詞「神の小羊よ、彼らに安息をお与えください」が割って入る。全ての人々に「安息をお与えください」と何度も祈りが捧げられ、永遠の休息を懇願するのだが、休息は来るのだろうか。
 最後の「リベラ・メ」は、半音階的なメロディーが打楽器に彩られながら音量を増し、ソプラノが加わると怒りの日のラッパも現れる。不意に静かになると、オーウェンの詩「奇妙な出会い」をテノールとバリトンが対話の形で歌う。死後の世界で兵士が自分が殺した敵方の兵士と遭遇し、二人は和解を果たし眠りにつく、という感動的な内容。そして合唱およびソプラノ独唱が「イン・パラディスム(楽園へ)」で締めくくる。涙なしに聴くことはできない。ここはバッハの「マタイ受難曲」の終曲から真っ直ぐにつながった子守歌ではないか、とふと思った。
 
 ノットは大袈裟にわめきたてるのではなく、抑制しつつ大規模なオーケストラと小さな室内オケを使い分け、ソロ、混声合唱、児童合唱のバランスを計量しながら、一瞬たりとも緊張感を絶やすことがなかった。管弦楽と声楽を知り尽くした統率力には感嘆するほかない。言葉では言い表すことのできないこの作品のメッセージを見事に伝えた。
 ブリテンは「戦争レクイエム」の初演でテノールに英国人のピアーズ、バリトンにドイツ人のフィッシャー=ディスカウ、ソプラノにヴィシネフスカヤ(ロストロポーヴィチの夫人)を起用しようとした。大戦で敵対した当事国から歌手を呼ぶことで和解の象徴としたかったのだろう。ところが、ヴィシネフスカヤはソビエト政府の許可が降りず参加することができなかった。この3カ国のソリストが揃うのはその後のカルショーによってなされたレコーディングの時である。カルショーはショルティ指揮の「ニーベルングの指環」全曲録音で有名なデッカの名プロデューサーで、この「戦争レクイエム」も大いに売れた。
 ノットはブリテンと同じイギリス出身であり、ブリテンが初演で企画したようにロシア、イギリス、ドイツの3か国からソリストを迎えた。ブリテンは演奏のあり方にもメッセージを込めた。それを再現したノットの意図は明確といえよう。

 今年は終戦80周年である。いまだに世界はきな臭い。この「戦争レクイエム」は明後日(21日)サントリーホールで再演される。来月には佐渡裕の指揮で兵庫芸術文化センター管弦楽団の公演がある。9月にはギャビン・カーの指揮で広島交響楽団が「被爆80周年特別公演」として演奏する。平和の難しさを改めて思う時代の「戦争レクイエム」である。

ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング2025年07月13日 20:55



『ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング』
原題:Mission:Impossible-The Final Reckoning
製作:2025年 アメリカ
監督:クリストファー・マッカリー
脚本:クリストファー・マッカリー
   エリック・ジェンドレセン
音楽:マックス・アルジ、アルフィ・ゴッドフリー
出演:トム・クルーズ、ヘイリー・アトウェル、
   サイモン・ペッグ、ビング・レイムス


 映画館へ足を運ぶのは半年ぶりくらい。最近はPrime Videoやnetflixでさえ観ない。大作・活劇ものは劇場で、文芸・名作ものはサブスクで、が大体の切り分けだけど、そもそも映画から遠ざかっている。とりたてて理由があるわけではない。歳のせいで持続力がなくなり堪え性が弱まっているためだろう。
 そうはいっても2部作の後編にしてシリーズ完結編といわれる最新作を見逃すわけにはいかないし、子供たちからも誘われている。やっと重い腰を上げた。公開されて2カ月近くになるから上映館や上映時間が不自由になっている。でも休日のせいか劇場はほぼ満席だった。まだまだ人気である。

 物語は人工知能“エンティティ”を巡る難攻不落のミッションを完遂することだが、いつものことながら筋なんかどうだっていい。てんこ盛りのアクションとトム・クルーズの疾走が目当てである。
 オープニングクレジットまでの映像が分かりにくく長く感じるものの、くだんのラロ・シフリンのテーマ音楽とともにタイトルロールが流れはじめてからは息つく暇もない。嬉しいことに字幕はやはり戸田奈津子さんだった。

 大きな見せ場は2つ。ひとつは前作冒頭で破壊されたロシア潜水艦にトム・クルーズ(イーサン)が潜入する場面、ところは氷に覆われた北極海である。『ローグ・ネイション』における潜水シーンを思い出す。トム・クルーズの蘇生にレベッカ・ファーガソンがいないのは寂しいけど、代わりは前編で初登場したヘイリー・アトウェル(グレース)が務めた。
 もうひとつはカーチェイスならぬ複葉機と複葉機の追跡合戦。導入は複葉機に飛び乗ろうと走って追いかけるところから始まる。全力疾走をしても飛行機に敵うわけはない。還暦過ぎのトム・クルーズの走りこそImpossibleだ。続く操縦席での闘争とその後の勝利は、『フォールアウト』におけるヘリコプターでの空中戦と結末の核兵器の解除成功とが二重写しとなる。

 アクションシーンは過去作のリスペクトに満ちている。そして、さらには登場人物たちが泣かせる。お馴染みのビング・レイムス(ルーサー)やサイモン・ペッグ(ベンジー)との友情は言うまでもなく、シリーズ1作目のCIA本部のセキュリティルームに宙吊で侵入する有名な場面、遺失物であるナイフを手にするドジなCIA職員ダンローが、30年後、素晴らしい年齢を重ね要の人物として復活するのだ。そのナイフを持って。ダンローを演じたのはロルフ・サクソン、役者の年月そのものがドラマの背景に見え隠れする。また『フォールアウト』でCIAの長官役だったアンジェラ・バセットが大統領となって胸アツの演技をみせてくれる。
 とにかくシリーズにおけるさまざまなエピソードが点描され、一度だけでは完璧に理解することができない。半年後、サブスクでの配信を待ってゆっくりと見直したい。

 この『ファイナル・レコニング』は完結編といわれているが、仮に次作となればトム・クルーズは大概65歳だろう。日本の言い方では立派な高齢者である。後期高齢者までにはプラス10年あるとはいえ、これほどのアクションはもう年齢の限界を越えている。画面のアップではさすがに歳を感じるところもある。それでも『トップガン』や『ジャック・リーチャー』の続編の噂があるくらいだから、このシリーズも題名通りImpossibleに挑み続けるのかも知れない。狂気の沙汰、おそるべき役者根性である。

2025/7/5 スダーン×東響 ビゼー「アルルの女」2025年07月05日 21:54



東京交響楽団 名曲全集 第209回

日時:2025年7月5日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ユベール・スダーン
共演:ピアノ/上原 彩子
演目:ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
   ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
   ビゼー/「アルルの女」第1、2組曲

 
 東響の監督を引退してから10年以上になるが、スダーンはあいかわらず毎年のように来日してくれる。有難いことだ。マーラーやブルックナーような重量級の作品は少なくなったけど、フランスものやモーツァルト、ベートーヴェンの偶数番交響曲などを聴くことができる。今日はフレンチプログラムである。

 「ローマの謝肉祭」から。同名の歌劇はないので序曲と言っても演奏会用の作品。元ネタは「ベンヴェヌート・チェッリーニ」というオペラで、このモチーフを使って作曲された。ベルリオーズの序曲の中では比較的よく演奏される。
 力強い導入に続いて優しい主題が登場し、最上さんのイングリッシュホルンが雰囲気を一変させる。謝肉祭の場面からは打楽器が大活躍、そのまま終幕へと雪崩れ込む。あたりまえながらスダーンと東響の息はピッタシ、良い意味で力の抜けた一体感のある演奏。今日のスダーンは指揮台を使わずタクトを持たない。ときどきこういったスタイルで指揮をする。

 続いてオケの編成を縮小しラヴェルの素敵な「ピアノ協奏曲」。この曲も人気があって毎年のように其処彼処で演奏される。昨日と今日の都響でもアリス=沙良・オットのソロで同曲がプログラムされていた。
 上原彩子は久しぶり、チャイコフスキー国際コンクールで優勝したすぐ後に聴いている。四半世紀も昔のこと。上原さんは芯のある輪郭のはっきりした音でスウィングし、ときにアンニュイも漂わせながらオケと対話して行く。ピアノと管楽器との掛け合いは音の絡みだけでなく、奏者同士の目くばせや呼吸を合わせるための仕草など見ていて楽しい。第2楽章の長大なピアノソロや第3楽章の打楽器としてのピアノも聴きごたえがあった。ソリストアンコールはドビュッシーの前奏曲集より「パックの踊り」と紹介されていた。

 「アルルの女」は戯曲の付随音楽、劇伴音楽である。そこから2つの組曲が編まれる。第1組曲はビゼー本人が編曲したもの。第2組曲はビゼーの死後、友人のエルネスト・ギローにより演奏会用に改編された作品。

 「アルルの女」というと思い出すことがある。大昔、広上淳一が名フィルのアシスタント・コンダクターを務めていたことがある。キリル・コンドラシン指揮者コンクールに優勝する前。優勝したことで副指揮者は1年ほどで終わってしまった。その副指揮者時代に聴いた「アルルの女」のことである。途轍もない演奏だった。両組曲を一気に通して演奏したのか、両組曲からの抜粋だったのかは今はもう覚えていないが、前奏曲、カリヨン、メヌエット、ファランドールなど、そのリズムのキレ、フルートの音、弦のざわめきなどがちゃんと聴こえてくる。
 余談だけど当時の名フィルの副指揮者の選考では広上と佐渡裕の両者の争いだった。佐渡は落選してアメリカに逃れ別の道が拓けた。人の運命は分からない。ただ、たしかなことは名フィルの事務局には若き広上と佐渡、2人の才能に注目した目利き(耳利き)がいたということだ。

 さて、スダーンと東響の「アルルの女」は如何に。「前奏曲」の有名な冒頭の行進曲風の主題はプロヴァンス民謡といわれている。スダーンは弦の響きに拘りながらテンポよくスタートした。サクソフォーンが主題を歌う。ヴァイオリンが哀愁に満ちた旋律を弾く、あれ!行進曲風の主題は変奏曲となっているではないか。迂闊にも今まで気づかなかった。「メヌエット」は哀愁を帯びた調べと優艶なトリオのワルツが印象的だ。「アダージェット」は弱音器付の弦楽合奏が優しく旋律を奏でる。「カリヨン」はホルンが鐘の音を模倣して進む。第1組曲が終わった途端、会場からはパラパラと拍手が起こった。
 第2組曲は「パストラール」からスタート、牧歌的旋律で始まり、途中からは綱川さんが叩くプロヴァンス太鼓が加わり、舞踏風リズムへと曲が展開していく。見慣れない太鼓だったけど本物のプロヴァンス太鼓であったかどうかは分からない。「間奏曲」は冒頭の荘厳で力強いユニゾン、サクソフォーンの奏でる優雅な旋律が耳に残る。有名な「メヌエット」は歌劇「美しきパースの娘」から借用した音楽。「アルルの女」にはなかったものだが、フルートのソロ曲としても広く知られ「アルルの女」のメヌエットといえば普通こちらを指す。ハープの爪弾きをうえを竹山愛のフルートが流れる。スダーンは他の楽器が入ってくるまでは腕組みをしたまま。竹山さんのフルートは繊細で美しい。ハープは多分研究員として入団した渡辺沙羅だと思う。ハーピストは誰しも手が綺麗だけど、彼女の手は一段と指が長くて細い。ハープの音だけではなくその手にも見とれていた。最後は「ファランドール」、華やかな舞曲と第1組曲の行進曲の主題が交互に現れ、曲はスピードを増し熱狂的に盛り上がって終わった。

 「アルルの女」はポピュラーな誰でも知っている曲だが、不思議と実演にめぐり合えない。広上×名フィルのあとはアラン・ギルバート×都響の抜粋版くらいしか思い出せない。今日、改めてスダーン×東響でしっかりと聴かせてもらった。
 珍しくオーケストラアンコールがあった。ソリストアンコールに合わせてなのか同じドビュッシーの「月の光」だった。舞台にはマイクが何本も立っていた。カメラは入っていなかったので、この演奏はいずれCD販売されるのかも知れない。

フェスタサマーミューザのチケット情報2025年07月03日 17:04



 今月の下旬から来月の上旬にかけ恒例のフェスタサマーミューザが開催される。
 ミューザのHPにはチケットの残席状況(6月20日付け)が情報提供されている。チケットの販売は伸び悩んでいるようで、全18公演中、完売はノット×東響によるオープニングコンサートのみ。券種の一部が売切れているのはシティフィル、N響、日フィルのわずか3公演である。7月中旬にはセット券の売れ残りを1回券に切り替えて販売するから、さらに残席は増えるだろう。

 今年の祭りへの参加はささやかにオープニングコンサートだけを聴く予定で、チケットはすでにWebで予約し購入した。仮に公演を追加するとしてもこの販売状況であれば当日券で十分間に合う。

 チケット販売がはかばかしくないのは、指揮者やソリストの集客力、あるいはプログラムの所為かも知れない。例えば指揮者をみると今回は太田弦、松本宗利音、熊倉優、出口大地といった若手30代の競演が目玉のようだが、売れ行きはN響を振る松本を除けばノット、高関健、下野竜也といったベテラン勢に負けている。

 たしかに、指揮者や演目などにもうひと工夫いるようだ。それとチケット代が昨年よりだいぶ値上げされた影響もあると思う。従来はオケの違いで同じS席券でも4000円、5000円、6000円という3通りの料金設定であったものが、一律6000円に統一された。最安値のB席券では2000円、3000円、4000円の3区分が一律4000円となり、オケによっては料金が2倍となった。

 さらにWeb予約のシステム利用料や発券手数料も大幅に値上げされた。ミューザ川崎のWeb予約は操作の手数が多くて面倒な「チケットぴあ」のシステムであり、そのうえ料金改定となり、できることなら使いたくない。電話予約か直接窓口という方法はあるが別の手間がかかる。チケット一枚を買うのさえ難儀だ。

 最近、シティフィルや神奈川フィルなどが従来のWeb予約システムに加え電子チケット販売サービスの「Teket」を併用するようになった。
 「Teket」は優れもので、東響や都響のWeb予約と同様、ホール全体の座席表から瞬時に座席を選択できる。メール登録しクレジット決済をすると座席のQRコードをモバイルへ送付してくれる。演奏会場ではそのQRコードを読み取り機にかざせば入場可能だ。紙のチケットは不要で購入側のシステム利用料や発券手数料も必要ない。
 システムの運用主体はNTTの子会社のようだ。もともとアマチュアの催し物のチケット販売に活用されていたものが、徐々にプロオケなどが参加するようになっている。こうした簡便で廉価なシステムの利用拡大は大歓迎である。