ブーニン ― 2026年03月02日 17:05
『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』
製作:2026年 NHKエンタープライズ/KADOKAWA
監督:中嶋 梓
総合プロデューサー:小堺 正記
音楽監修:スタニスラフ・ブーニン
出演:スタニスラフ・ブーニン、中島ブーニン榮子
小山実稚恵、ジャン=マルク・ルイサダ
ブーニンはもちろん知っている。10代でショパンコンクールを制し、日本でも一大ブームを巻き起こした。でも、それ以外に何を知っている? 亡命、日本人の伴侶、病、沈黙、リハビリ、復帰…彼の半世紀にわたる軌跡について何も知らなかった。
もともと室内楽をほとんど聴かないのだから器楽曲のコンサートなどほぼ縁がない。ブーニンの生演奏にも出向いたことがなかった。その彼の日本でつくられたドキュメンタリーである。
映画は「天才」「苦悩」「試練」「亡命者」の4楽章構成。過去の出来事は主にNHKのアーカイブが使われている。演奏シーンも多く挿入されフィルムコンサートのようでもある。
導入は八ヶ岳高原音楽堂におけるバッハの「平均律」ではじまる。
ブーニンは1966年モスクワに生まれ、1985年第11回ショパンコンクールに優勝。フィルムで聴く「猫のワルツ」の快速演奏にびっくりする。その時の入賞者である小山実稚恵とジャン=マルク・ルイサダがブーニンについての思い出を語る。
来日コンサートでは武道館でも演奏した。今では考えられないことだけどビートルズ並みである。1988年には冷戦下のソ連から西ドイツに亡命し活躍を続けたが、2013年に突然演奏活動を中止する。左手の麻痺、糖尿病、骨折から壊疽を起こし左足を8cm切断という苦難に見舞われる。リハビリを経て2022年の八ヶ岳高原音楽堂でのリサイタルで復帰する。
映画は20世紀の終わりから21世紀の初頭にかけてのブーニン最盛期には触れず、苦難からリハビリ、そして復帰への道のりを妻榮子の支えとともに描く。その間、ブーニンを敬愛する桑原志織や反田恭平、亀井聖矢のインタビューなどが挟まれ、2025年12月のサントリーホールでの演奏会が長時間収録されている。
ドキュメンタリーの終わりには2026年1月の東京芸術劇場における「日本デビュー40周年記念コンサート」でのアンコール曲が流れる。NHK交響楽団メンバーによる室内合奏団との共演でバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だった。
カムバックしたブーニンは完全に障害が癒えたわけでなく、ダイナミクスやスピードなどは「猫のワルツ」のときの超絶技巧と比べるまでもない。しかし、今の身体や技術で表現しようとする朴訥とした抑揚と歌そして意思は、失ってしまった力感や輝かしさを補っているように思えた。音楽には技術を超えて訴えてくる何かがたしかにある。ブーニンは長身痩躯、貴公子然とし眼光は鋭い。復帰後のピアノはFazioliを使っていた。
2026/2/24 川瀬賢太郎×名フィル R.シュトラウス「英雄の生涯」 ― 2026年02月25日 15:03
名古屋フィルハーモニー交響楽団
東京特別公演
日時:2026年2月24日(火) 19:00開演
会場:サントリーホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:語り/五藤 希愛
アコーディオン/大田 智美
ヴァイオリン/小川 響子
演目:武満徹/系図-若い人たちのための音楽詩
R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」
毎年恒例の名フィルの東京特別公演、今回は従来のオペラシティコンサートホールから場所を移してサントリーホールでの開催となった。
川瀬賢太郎は月初に東響相手の演奏を聴いたばかり。あたためて引き締まった身体が好ましい。昨年の状態ではこのまま恰幅がよくなるばかりか、と心配をしていた。指揮者にとって運動能力が大切なのは言うまでもない、スポーツ選手と同様にウエイトコントロールは大事である。
武満の「系図」でスタート。武満の楽曲のなかでは聴く機会が多い。調性的な後期の作品で、発表時の批判をものともせず代表作のひとつとなった。「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」は、それぞれ老い、死、孤独、不在に焦点が当てられる。「むかしむかし」で家族の始源がためらいがちにひらかれ、「とおく」で家族のこれからを垣間見るように閉じられる。眺める少女の目線は作為がなくとも複雑で胸を突く。谷川俊太郎のシンプルでありながら研ぎすまされた言葉と、静謐で柔らかな武満の音楽とが相まって心が大きく揺り動かされる。
五藤希愛は愛知出身の今年16歳、10歳のときから俳優として活動しているらしい。楽譜も台本も置かず完全に自分の言葉とし、発声は明瞭で朴訥ながら瑞々しい語りを聴かせてくれた。アコーディオンの大田智美は沼尻のときにも共演をしていた。終曲のアコーディオンの旋律は何度聴いても目頭が熱くなる。オケの音はあたたかく少し重たい。川瀬のことだから鈍いところはないけれど、もっと浮遊感のある飛翔するような軽やかさが欲しかった。
R.シュトラウスの「英雄の生涯」はヴィオッティ×東響の「ふたつの英雄」以来、もう3、4年まえになるか。シュトラウスの交響詩時代の最後の作品、「エロイカ」と同じ変ホ長調、ホルンが大活躍する。編成は4管、舞台上に100名を超える奏者が揃った。演奏する側にとっては難曲だが聴き手にとっては魅力満載の楽曲。
いきなり低弦とホルン9本の強奏で「英雄」のテーマが提示される。跳躍の多い雄渾な音楽。川瀬はチェロ、コントラバスをはじめ低音域をしっかりと響かせる。でも威圧的ではなくさりげないくらいで、初っ端から意表をつかれる。英雄のテーマは力を蓄え、様々な動機を組み合わせながら立体的に盛り上がっていく。頂点に達したところで突如休止し次の場面へ。
スケルツォ風のカリカチュア化した主題が木管群により吹奏される。「敵」が現れる。吹き散らかすようなフルートは客演の東フィル首席・神田勇哉、「系図」の滑らかな旋律に耳を奪われたが、敵としての尖りかたでもひときわ目立つ。嘲笑するようなざわざわとした木管たちの動機が勢いを増し、それに対抗するように英雄の主題が現れては消える。
「伴侶」は緩徐楽章、独奏ヴァイオリンがテーマを提示する。ソロヴァイオリンはオケと交錯しながら甘美な情景を描く。ここはコンマスの小川響子に尽きる。会場は最大限の緊張状態、音の艶といい旋律の歌いかたといいヴァイオリン協奏曲のソリストでも稀にしか出来ないほどの芸当。麗しく妖艶で鬼気迫る演奏、過去に例をみない最高の伴侶だった。プログラムノートの案内によれば来年の名フィル東京公演では、小川は葵トリオとして出演、カゼッラの「三重協奏曲」が予定されている、楽しみである。
舞台裏のファンファーレから始まる「戦場」。トランペットが鳴り敵との戦いが始まる。打楽器の連打の中で英雄と敵の主題が交錯する。川瀬の設計と思われるが打楽器群の音圧は常に一律ではなく、ティンパニ、バスドラム、フィールドドラム、スネア、シンバルなどそれぞれが主役となって移り変わっていく。激烈な戦いのシーンにおけるすさまじい効果となった。そして、時折り伴侶であるヴァイオリンが英雄を支え、これまでのテーマや動機が入り乱れ目も眩むようなオーケストレーションが展開された。
曲は落ち着き「業績」が披瀝される。R.シュトラウスの10作品ほどが引用されているといわれるが、作品の断片が巧みに織りこまれているためか聴くだけではほとんど判別できない。そのうちテンポがさらに落とされ自己の内部に沈潜していくような趣となる。
イングリッシュホルンの音が聴こえ「隠遁と完成」に至る。「ドン・キホーテ」終曲のテーマが鳴り諦観の気分が色濃くなる。闘争の動機,伴侶の動機などが回想され、敵の批判も英雄の意欲も収まっていく。小川響子のヴァイオリンと安土真弓のホルンのやり取りは涙なしには聴けない。英雄の動機が最後のクライマックスを築き力を失い静かに全曲が閉じられた。
R.シュトラウスの音楽描写は、緻密で幾層にも重なる分厚いオーケストレーションから生み出される。個々のプレーヤーの技量はもちろん、それを整理し組み立てる指揮者の力量も試される。川瀬は振幅を大きくとった濃厚な表現、陰影も際立っている。それに加えさまざまな局面で意外性をみせ頼もしい。名フィルは昨年も感じたが低音域の存在感が無類でその重量感は賞賛に値する。川瀬とは名コンビで豪奢な音響が着実に進化している。
「英雄の生涯」の“英雄”とはR.シュトラウス自身のことで、R.シュトラウスというのは自己顕示欲の強い鼻持ちならない奴、との評価もある。たしかに「業績」において自作品を多数引用し、シュトラウス本人も実利的な現実主義者であったことは確かだ。
でも一方で、彼はモーツァルトと同様、全てのことを音楽で表現できると発言するほどの職人だった。作品にのめりこんで我を失うような醜態をさらすはずはなく、華麗な音楽とは裏腹にシャイで冷静沈着、自己顕示や自己宣伝などとは遥かに遠いところにいた。「英雄の生涯」において自伝を書こうとしたわけではないだろう。
「英雄の生涯」は“生涯”とは言ってもR.シュトラウスが30歳半ばに書いたもので、「ドン・キホーテ」と一対になる作品とも語っているのだから、空想の英雄に憧れ見果てぬ夢を追い続ける物語と、現実の英雄としてのありうべき物語とを対比させてみたのかも知れない。
邪推だがR.シュトラウス自身は自嘲しつつ「ドン・キホーテ」的人生――口煩い伴侶はいないし、世間など一顧だにする必要もない人生、を夢想し親近感させ覚えていたのではないか。しかし、実際のR.シュトラウスはこのあと50年を生きて、皮肉にも「英雄の生涯」に近い道を歩んだ、と。
衝撃の川瀬×名フィルの「英雄の生涯」を聴かされたあと、そんな徒然を帰りの電車のなかで反芻していた。
2026/2/21 沼尻竜典×神奈川フィル レスピーギ「ローマ3部作」 ― 2026年02月21日 22:01
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第411回
日時:2026年2月21日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
演目:ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
レスピーギ/交響詩「ローマの松」
レスピーギ/交響詩「ローマの噴水」
レスピーギ/交響詩「ローマの祭り」
今回の神奈川フィル定期は「ローマ4部作」公演だという。レスピーギの「ローマ3部作」をまとめて演奏することはよくあるが、はて、4部作とは?
ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲を加えると4作品になる。なるほど!
「ローマの謝肉祭」は演奏会用の序曲だけど、オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の素材を用いている。華やかな序奏からはじまり、前半はゆったりとロマンチック、オペラで歌われる愛の二重唱がモチーフだという。ここでの旋律はイングリッシュホルンが先導する。いつもながら鈴木純子の音色は魅力的で耳をそばだたせる。後半はお祭り気分で快速、メンデルスゾーンの「イタリア」第4楽章と同様、舞曲「サルタレッロ」をもとにしていてスリリング、目まぐるしく旋律が飛び跳ね、熱狂的にコーダへと雪崩れ込む。沼尻のメリハリの効いた手際のよいオケ捌きに感心しきり。
レスピーギの「ローマ3部作」は古きローマ帝国への郷愁を音楽で綴ったようなもの。
まずは「ローマの松」。圧倒的な人気を誇り、バンダの派手な「アッピア街道の松」で幕を下ろすから、大体は演奏会のトリを飾ることが多い。今回は前半の休憩前の演奏となった。過去にはデュトワ、バッティストーニ、藤岡幸夫など記憶に鮮明な演奏がたくさんある。
公園の松並木で遊ぶ子どもたちの情景を活き活きと描く「ボルゲーゼ荘の松」。ミュート付トランペットのタンギングと木管群の旋律ではじまる。高音部中心のオーケストレーションで低音楽器はほとんど使われない。ピアノの下降グリッサンドで「カタコンブ付近の松」へと切れ目なく続く。
カタコンブは古代ローマ時代の地下墓所のこと。ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも登場する。低弦が厳かに響きホルンがグレゴリオ聖歌を奏でる。コントラバスのトップには都響の池松宏が、ホルンの一番には東フィルの佐藤俊輝が入っていた。舞台裏からトランペット・ソロの賛美歌が聴こえてくる。ソロは首席の林辰則。ヴァイオリンの呟きがまるで天上の音楽のよう。
ピアノのアルペジオで始まる「ジャニコロの松」。齋藤雄介のクラリネットによる鳥の囀り、ハープ、チェレスタなどが絡み幻想的で美しい。チェロ・上森祥平のソロが官能的。曲の終わり近くにはナイチンゲールの鳴き声が聴こえる。ナイチンゲールは録音ではなく贅沢にも4人がかりの生音だったようだ。ハープの旋律によって「ジャニコロの松」が消え去るように終わる。
さて「アッピア街道の松」である。アッピア街道は古代ローマ軍によって建設された。ティンパニ、ピアノ、コントラバス、銅鑼などが行進曲のリズムを刻み、徐々にクレッシェンドしていく。ラヴェルの「ボレロ」の手法と同じである。軍の隊列が近づいてくるかのよう。コーダの全オーケストラの強奏にバンダとオルガンを加えたクライマックスは、オーケストラが発する最大級の音響といってよい。音の洪水に身をまかせる快感を存分に味わった。バンダはP席左右の上段にトランペット、オルガン席の隣にトロンボーンが各2、計6人だったが、その破裂音は強烈。沼尻は大編成のオケを一分の隙もなく制御して完璧な音の伽藍を築き上げた。直後、客席は大歓声、沼尻は4度、5度と舞台へ呼び戻され、前半の終わりながら一般参賀になりそうな雰囲気だった。
20分間の休憩後、後半は「ローマの噴水」でスタート。夜明けから夕暮れまでの時刻を切り取って4つの噴水を描いた。「夜明けのジュリア谷の噴水」「朝のトリトンの噴水」「昼のトレヴィの噴水」「黄昏のメディチ荘の噴水」である。光と影、噴水の迸りや水の流れを巧みに音で表現している。沼尻の各楽器の音色を活かした情景描写は繊細でカラフル、音楽を聴きながらモネの絵画が浮かぶようだった。3部作のなかでは編成が小さく地味だけど光きらめく佳品だと教えてくれた。
演目の最後は「ローマの祭り」。3管編成、打楽器奏者が10人、ピアノは連弾、ピアノを打楽器とみるなら計12人。それにオルガン、マンドリン、バンダのトランペットなどが加わる大編成。ローマ時代から近代までの祭りを年代順に配置している。
1曲目は「チルチェンセス」。古代ローマ時代の円形競技場での猛獣とキリスト教徒たちの死闘、祭りというより見世物。パンダのトランペットのファンファーレとオケの叫びから始まり、低弦による猛獣の足音と木管による教徒の歌が一体となり緊迫感を高めていく。群衆の熱狂や教徒の祈りが描写される。
2曲目の時代は中世、ローマに巡礼することで罪が赦される「五十年祭」。重い足取りをあらわしたようなゆっくりした木管の音形の上を静かな賛美歌が流れる。木管の動機は徐々に明るくなり、ローマを見渡す丘の上にたどり着いたのだろう、高らかに聖歌が歌われる。
3曲目はルネッサンス時代の「十月祭」。葡萄の収穫祭の様子だという。ミュートを付けたホルンは狩の角笛、ホルンのトップは休憩のあと豊田実加に代わっていた。トランペットのファンファーレ、クラリネットが伸びやかに歌い、木管による軽やかなメロディのなかマンドリンがセレナーデを奏でる。幾つもの楽器が絡み合ううちに静寂が訪れる。
4曲目はレスピーギが生きた20世紀の時代の「主顕祭」。まさにお祭り騒ぎ、喧騒の音楽が繰り広げられる。小クラリネットの勢いのあるモチーフから始まる。小クラを吹く亀居優斗は4曲中ここだけに登壇した。楽しげなメロディにトランペットやトロンボーンがざわめくように割って入る。酩酊したような府川雪野のトロンボーンが楽しい。曲調はさまざまに変化し、ここでも舞曲「サルタレッロ」が現れる。クライマックスでは多数の打楽器群が打ち鳴らされ、熱狂的な盛り上がりのなか大団円で曲が閉じられた。
沼尻の精密無比なコントロールの賜物ではあるものの神奈川フィルは抜群の安定度を示した。ゲッツェルが客演していたころの昔はドキッとするような場面もあったけど、最近は安心して聴くことができる。個々の技量も合奏能力も着実に向上している。神奈川フィルの音色はもともと明るいから、華やかな曲が似合っている。「ローマの祭り」でこんなに興奮させてもらえるとは思いもよらなかった。
「ローマの祭り」は3部作の中で最も演奏頻度が低い。多くの打楽器奏者を集めなければならないことや、音楽表現が皮相的で劇半音楽のようだといって貶められているのだろう。いや、劇半音楽だとは「ローマ3部作」そのものがそう思われているのかも知れない。
しかし、レスピーギの管弦楽法はマーラーやR.シュトラウスなどの独墺作家についてはひとまず置くとして、師匠のリムスキー・コルサコフはもちろん、ラヴェルやホルストに並ぶ腕前と言ってよい。大規模なオケを用いて色彩豊かに描くばかりでなく、教会旋法や近代和声を駆使して華麗で特異な音色を生み出す。その楽器法による情感への作用は、間違いなくオーケストラを聴く楽しみのひとつだ。
それに、今回はプログラムの配置のせいで――「ローマの松」を休憩前に置いたことで、2回分の演奏会を聴いたというお得な気分にもなった。
2026/2/16 インバル×都響 マーラー「千人の交響曲」 ― 2026年02月17日 14:36
東京都交響楽団 都響スペシャル
インバル90歳記念
日時:2026年2月16日(月) 19:00開演
会場:サントリーホール
指揮:エリアフ・インバル
共演:ソプラノⅠ/ファン・スミ
ソプラノⅡ/エレノア・ライオンズ
ソプラノⅢ/隠岐 彩夏
メゾソプラノⅠ/藤村 実穂子
メゾソプラノⅡ/山下 裕賀
テノール/マグヌス・ヴィギリウス
バリトン/ビルガー・ラッデ
バス/妻屋 秀和
合唱/新国立劇場合唱団
児童合唱/東京少年少女合唱隊
演目:マーラー/交響曲第8番 変ホ長調「千人の交響曲」
インバルが90歳にして都響とは三度目となるマーラー・ツィクルスに挑戦している。10年ほど前の二度目のツィクルスのときは番号順に3年くらいかけて完成した。あのときは東京と横浜で公演し、「第1番」と「第2番」は聴き逃したものの「第3番」以降「第9番」までをみなとみらいホールで聴いた。クック版の「第10番」や「嘆きの歌」も演奏されたがこれらはパス、「大地の歌」はツィクルスに含まれていなかったと思う。
今回は一昨年の「第10番」からスタート、昨年は中断し今年のこの「第8番」で再開となった。芸術主幹の国塩哲紀さんは2024年2月の都響HPで【インバル/都響 第3次マーラー・シリーズ】のプランについて、
「第10番から開始し、原則として番号を遡り、マエストロの選択により第2番《復活》か第9番のいずれかを最後にする計画です。
2024年度は、かねて計画していたブルックナー第9番フィナーレ付きと、コロナ禍でキャンセルとなったショスタコーヴィチ第13番《バービイ・ヤール》のリスケジュールのため、インバル氏のマーラー・シリーズはスキップし、2025年度から再開します。
インバル氏は基本的に年1回来日予定ですので、今回のマーラー・シリーズは数シーズンかけてのゆるやかな歩みとなります。いったいどのような旅となるか…。どうぞ気長におつきあいくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。」と記していた。
どうやら降順で演奏するようで来期は「第7番」が予定されている。けれど、年1回の来日では毎年1、2曲しか取り上げることができない。下手すれば完遂するに10年近くかかる。インバルはたしかにマーラーの権威であるにしても終わるころは100歳、こうなると化け物か妖怪である。もっとも同世代のメータやデュトワ、100歳近いブロムシュテットなどもまだ現役なのだから、インバルならきっと三度目のツィクルスを実現してしまうのだろう。
児童合唱はオケの後方、舞台奥に2列となって弧を描くように並ぶ。ソリストはスミ、ライオンズ、藤村、山下、ヴィギリウス、ラッデ、妻屋の順にP席最前列の中央に位置し、新国立劇場合唱団はソリストたちを取り囲むようにP席の前4列ほどを埋めつくす。オケは舞台からあふれるばかり、壮観である。「栄光の聖母」の隠岐彩夏は第2部の後半にLBの最上部で歌った。バンダはLCとLD、RCとRDの間の通路に、それぞれ金管奏者6、7人が出入りして吹奏した。
インバルはあいかわらずエネルギッシュで緩いところが全くない。強烈な推進力である。といって空回りしたり力余る様子はない。千人とはいかないが数百人の音楽家たちを完全にコントロールする。無理強いでも強制でもなく音楽そのものに語らせることによって人々を結集させる。音楽は自然に伸縮し息づき広々としている。インバルが振ると都響の音は見違えるほど精彩を放つ。歌手の一人一人が表現力豊かに変貌する。これはもうマジックである。1時間半にわたって祝典かつ神秘的な世界が繰り広げられた。
「千人の交響曲」というと、「宇宙が震え鳴り響くさまを想像してほしい。我々が耳にするのは、もはや人間の声ではなく、惑星や太陽の運行なのです。」とマーラーがメンゲルベルクへ送った書簡が有名である。前代未聞の大編成による音響と視覚的な仰々しさ(初演時の演奏者は1030人)、上演するに難易度が高いこともあって催事の音楽として扱われやすい。実際、オケの創立記念公演とか定期演奏会の節目とかに演奏されることが多く、今回も“創立60周年記念”とか“インバル90歳記念”とか銘打たれてある。
しかし、この曲の第1部は交響曲様式である厳格なソナタ形式で書かれ様々な主題が提示される。第2部ではその主題たちが発展しながら再登場する。プログラムノートで岡田暁生が「第1部は一種の序曲として機能している」と書いているが、第1部の讃歌「来たれ、創造主」によるラテン語も第2部の『ファウスト』からのドイツ語も詳しくは知り得ないものの、対訳を見ながら音楽を聴くと1部と2部とのテキストの間には意味内容の対応関係があるように思う。当然、音楽の主題と言葉には関連性があり、そのことによって聴き手のエモーションが高められて行く。けっして虚仮威しだけの催事用音楽ではない。
なかでも「神秘の合唱」で大団円を迎えるコーダの部分は、第1部の冒頭主題が回帰し、永遠の女性的なるものが「われらを高みへと引き上げる」と何度も上行音形として繰り返され、「永遠に!永遠に!」と歌われる。このまま音楽によって天上に魂が引き上げられるのではないかと身震いするほど。今までのインバルであればクライマックスだからといってことさら力を込めたり見得を切ったりはしないのだけど、今回はかなりテンポを落とし楽譜の隅々にまで光をあてるような演奏だった。やはり90歳の誕生日におけるマーラー「交響曲第8番」は特別な感慨を齎すものだったのだろう。
終演後、インバルが何回か舞台へ呼び戻されたあと、コンマス・矢部達哉のリードによるオケと歌手全員から「Happy Birthday to You」をインバルにプレゼント。そして、幾つもの花束贈呈があり、あろうことかバースデーケーキまでが登場し、観客も加わり大騒ぎのなか「インバル90歳記念」公演が終了した。
2026/2/13 トッパン・ランチタイムコンサート シューマン「ピアノ四重奏曲」 ― 2026年02月13日 16:34
ランチタイムコンサート Vol.138 特別企画
1909年製ベーゼンドルファーの息吹 II
日時:2026年2月13日(金) 12:15 開演
会場:トッパンホール
出演:ピアノ/佐藤 麻理
ヴァイオリン/瀧村 依里
ヴィオラ/田原 綾子
チェロ/築地 杏里
演目:マーラー/ピアノ四重奏曲断章 イ短調
シューマン/ピアノ四重奏曲 変ホ長調Op.47
トッパンホール・ランチタイムコンサートの特別企画。副題にある“ベーゼンドルファー”とはフランツ・リストへの敬愛をこめて「リスト・フリューゲル」の愛称で親しまれていたモデル250のこと。通常のモダンピアノよりも4鍵盤拡張された92鍵で、ウィーン国立歌劇場内のリハーサル室で使用されていたという。日本へは2012年頃輸入されたものらしい。このピアノを用いてピアノ四重奏曲を2曲披露してくれた。
12時20分になって背丈がほぼ同じ4人の女神がにこやかに登場した。このなかで田原綾子は何度も聴いたことがある。田原は一番の笑顔で挨拶、演奏中も目立つほど身体を揺らし表情も豊かであった。
最初はマーラーの若書きの断章。ウィーン音楽院在籍中の16歳のときの習作で第1楽章のみが残され、マーラーの室内楽曲では現存する唯一の作品。この断章はディカプリオ主演の映画『シャッター・アイランド』のなかで使われ、「これはブラームスか」「いや、マーラーだ」という印象的な会話が交わされていた。
開始はピアノがテーマの断片を奏でる。ピアノは深く重い低音、柔らかな中音、キンキンしない上品な高音と、全体に重厚でしっとりとした響きを聴かせる。ピアノを弾いた佐藤麻理はウィーン国立音大の講師を務めているという。ピアノに次いで弦楽器が加わりながら全体を形成していく。弦楽器は圧倒的にヴァイオリンが優位で、とくにコーダのカデンツァでは暗く耽美的な楽想を歌い、悲劇を予感させるように終わる。ヴァイオリンの瀧村依里は読響の首席奏者。
なるほど、この曲は若さが溢れるというよりは内省的で、ピアノの伴奏の上を弦楽器が呟いているよう。たしかに、何も知らずに聴かされたら「マーラーだ」と答えることは難しく、やはり「ブラームスか?」と尋ねることになりそうだ。
2曲目はシューマン。シューマンの室内楽曲というと「ピアノ五重奏曲」しか知らない唐変木だが、この「ピアノ四重奏曲」は「弦楽四重奏曲」「ピアノ五重奏曲」に続いて「室内楽の年」の最後に書かれた。因みにプログラムノートによればシューマンの作品を辿ると1840年が「歌曲の年」、41年が「交響曲の年」、42年が「室内楽の年」だという。
第1楽章は序奏付きで、主題が提起されそのあとアレグロの快活な音楽が展開する。第2楽章は無窮動的なスタッカートで緊張感が漂う。とくにチェロのパッセージは見た目にも軽業のよう。チェロの築地杏里はクァルテット・インテグラにいてミュンヘンやバルトークなどのコンクールで名を馳せたあと、今はフリーランスの奏者として活躍している。第3楽章は感動的なアンダンテ・カンタービレ、幸せに満ちた過去や現在を各楽器が奏でていく。とりわけ田原のヴィオラの旋律に聴き惚れる。エンディングの手前ではチェロが弦を低く調弦し直すという見所があり、調弦後のチェロの持続音が耳に残る。第4楽章は明るいフガートから始まる活き活きとした音楽。4人の女神それぞれの創意工夫のフガートが興奮を高め華麗なコーダで幕が閉じられた。
ひょっとしたらシューマンは楽器が積み重なる交響曲より、楽器が制約された室内楽や歌曲のほうがより楽しめる作曲家なのかも知れない。