2025/6/21 沼尻竜典×神奈川フィル 楽劇「ラインの黄金」 ― 2025年06月22日 12:38
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
Dramatic Series 楽劇「ラインの黄金」
日時:2025年6月21日(土) 17:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:ヴォータン/青山 貴(バリトン)
ドンナー/黒田 祐貴(バリトン)
フロー/チャールズ・キム(テノール)
ローゲ/澤武 紀行(テノール)
ファーゾルト/妻屋 秀和(バス)
ファフナー/斉木 健詞(バス)
アルベリヒ/志村 文彦(バリトン)
ミーメ/高橋 淳(テノール)
フリッカ/谷口 睦美(メゾソプラノ)
フライア/船越 亜弥(ソプラノ)
エルダ/八木 寿子(アルト)
ヴォークリンデ/九嶋 香奈枝(ソプラノ)
ヴェルグンデ/秋本 悠希(メゾソプラノ)
フロースヒルデ/藤井 麻美(アルト)
演目:ワーグナー/楽劇「ニーベルングの指輪」
序夜「ラインの黄金」
先月のWeb『ぶらあぼ』のインタビューに沼尻監督が登場し、神奈川フィルとの楽劇「ラインの黄金」について、「セミステージ形式をオペラの新しいあり方のひとつとしてとらえたい」という話や、「ワーグナーが求めている繊細さと、重厚さの両面を聴いていただきたい」といった思い、そして、当日は「京浜急行電鉄さんにご協力いただいて、ミーメが打つ鉄床に京急の実際のレールをカットしたもの」を用いるとか、「オーケストラはワーグナーが指定した16型を採用……ハープもワーグナーの指定通り、舞台上に6台、舞台裏に1台の合計7台使い……舞台上にワーグナーが意図した豊穣なサウンドが再現されるはず」などと、その意気込みを語っていた。
https://ebravo.jp/archives/190652
序奏が始まる「リング」全体の前奏曲である。コントラバスの最低音が持続し、その上をホルンが「生成のモチーフ」を吹く、ホルンの分散和音が8番奏者から始まって次々と折り重なり1番奏者の坂東裕香まで波及していく。このときの8番奏者(正式入団したばかりの千葉大輝だと思う)のプレッシャーは並大抵ではなかっただろう。しかし、この100小節を越える音響は完璧だった。この段階で今回の公演の成功を確信した。
最初の場面は「ライン川の底」。水の精である3人の乙女たちが黄金を守っている。ラインの乙女は九嶋香奈枝、秋本悠希、藤井麻美という豪華キャスト。3人とも歌声はもちろん、揃いも揃って見目麗しく演技は細やかで眼福の極み。
ラインの黄金は愛を捨てた者のみが指輪に作り変え、その指輪で世界を支配することができるという。ニーベルング族の小人アルベリヒは愛を断念すると宣言し、ラインの黄金を盗みだす。アルベリヒの志村文彦は一人だけ譜面を使った。演奏会形式ではよくあることだけど、どうしても所作が制約される。彼はびわ湖「リング」においても同役を担っていたし、客席最前列の中央にはプロンプターが座っていたのだから、ここは譜面なしで歌ってほしかった。
2場は「山の上のひらけた台地」。大神ヴォータンは巨人ファーゾルトとファフナーの兄弟に、女神フライアを報酬として与えると約束して神々の城を建てさせた。しかし、城が完成しても約束を果たそうとしない。青山貴のヴォータンは品がありながら嫌な奴を好演、安定した歌唱と演技をみせた。妻屋秀和はさすがの存在感、これ以上ないファーゾルトだった。ファフナーの斉木健詞も深々としたバス、妻屋ともども上背があってそのままでも巨人に見える。
フライアは神々を若返らせる黄金のリンゴを育てる女神だからヴォータンの妻フリッカや雷神ドンナー、歓びの神フローは不安で仕方ない。フライアの船越亜弥はこれだけのメンバーの中だから一寸力が入ったのは仕方ない。谷口睦美のフリッカは貫禄を見せて適役、夫ヴォータンとのやり取りが人間臭くて苦笑する。ドンナーの黒田祐貴は有望株、これからが楽しみ。フローのチャールズ・キムは当初予定していた清水徹太郎の代役で、相変わらず滑らかな声だ。
さて、火の神ローゲが登場し、アルベリヒによって奪われたラインの黄金が指環に鍛え上げられたと告げる。巨人たちはフライアと世界を支配できる指輪や財宝とを天秤にかけ報酬の変更に応じるが、フライアを人質としてその場から連れ去る。澤武紀行のローゲは声質や立ち居振る舞いの切れ味が鋭く、悪辣さよりは聡明さが勝る。軽るめだが狂言回しとしてははまり役、素晴らしいローゲだった。
ヴォータンはローゲとともに、アルベリヒから指環を奪うため地底の世界ニーベルハイムへ降りていく。2場から3場への場面転換は例の鉄床が打たれる。今回P席とRA,LA席は客を入れず空席とし、RA,LAには照明装置を置き、P席の上段、オルガンの前にレールの断片を9つ並べ、一斉に打ち鳴らした。間奏曲の音楽とともにこの迫力には驚嘆。照明も物語の内容を光の強弱、色彩でもって効果的に補強していた。
3場は「ニーベルハイム」。アルベリヒはラインの黄金から指輪を作り上げた。その魔力によってニーベルング族は震えあがり地下鉱脈から財宝を精製し、鍛冶屋の弟ミーメは虐げられ姿を隠すことのできる変身兜を作ることになった。ミーメの高橋淳は「魔笛」のモノスタトスや「サロメ」のヘロデを持ち役としている。たしかにミーメに相応しい。
ヴォータンとローゲはアルベリヒを罠にかけることにする。ヴォータンとローゲはアルベリヒを捕らえ、ラインの黄金からつくった指輪と財宝を手に入れる。4場への転換に再び鉄床が鳴らされる。
4場は再び「山の上のひらけた台地」。天上界に連れて来られたアルベリヒはヴォータンに何もかも奪われ、それと引き換えに自由の身となるが、指輪に呪いをかける。ヴォータンは財宝を巨人たちにくれてやるものの指環だけは絶対に渡さないと言い張る。そのとき大地の母神エルダが現れ、呪われた指環を手放すべきだと忠告する。ヴォータンはしぶしぶ指輪を巨人たちに与え、女神フライアを取り戻し城を手に入れる。すると指輪の呪いか巨人たちはたちまち争いをはじめファフナーがファーゾルトを殴り殺す。エルダの出現と歌はこの場面に限られているが、八木寿子は物語の雰囲気を一気に変えた。聴き手は茫然自失となり、ほとんど昇天していた。今回粒ぞろいの歌手陣になかにあって、あえて選ぶとするならラインの乙女とローゲ、そしてこのエルダということになろう。
ドンナーは雲を集め稲妻を起こし、フローは虹の橋を架ける。稲妻の一発は高音の鐘ではなくて、マーラー「6番」のハンマーのようなドンといった音。ヴォータンは妻フリッカや神々とともに虹の橋を渡り、神々の城ヴァルハラへ入場する。ラインの水底からは黄金を失った乙女たちの嘆きが響く。ローゲは仲間に加わらず、やがてやってくる神々の没落に思いを馳せる。「ラインの黄金」はこの「神々のヴァルハラ入城」の音楽に収斂し終わりを迎える。ハープ6台を搔き鳴らす。3人の乙女はP席に位置し、オルガン横にはさらにハープが1台置かれる。普通は舞台裏から聴こえる嘆きがまるで天上から降りてくるよう。「剣のモチーフ」が出現し、上行音形と下行音型、ラインの乙女の嘆きが交錯する。猛々しく勇壮であるばかりでなく、この先の悲劇と崩壊、暗澹たる未来を予告する。行く末の物語を知っているからではない。いまここで鳴っている音楽の力に圧倒され続けた。
沼尻竜典×神奈川フィルは総力を結集した。沼尻のワーグナーは毒気は多少薄いかも知れないが、全く弛緩のない音楽を維持した。構築力が優れているせいか2時間半があっという間だった。神奈川フィルは目立った傷もなく大健闘、引き締まったオケの響きは快感で、高水準の歌手たちとの共演は贅沢な時間だった。コンマスは日フィルの扇谷泰朋がゲスト。
沼尻竜典は一昨年までびわ湖ホールの音楽監督を務め、海外でもリューベック歌劇場などとの縁が深い。コンサート指揮者であると同時にオペラ指揮者であり、作曲家としての顔も持つ。いずれ新国立オペラ部門の芸術監督になるのだろう。
びわ湖ホール時代には「ニーベルングの指環」全作を上演した。ようやく神奈川フィルのDramatic Seriesにおいて「ラインの黄金」を取りあげた。この先「リング」全作に発展してくれることを是非とも望みたい。
2025/5/18 沼尻竜典×神奈川フィル 「田園」とブラームス「ピアノ協奏曲第2番」 ― 2025年05月18日 20:46
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
ミューザ川崎シリーズ 第1回
日時:2025年5月18日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:沼尻 竜典
共演:ピアノ/清水 和音
演目:ブラームス/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83
ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調Op.68
「田園」
神奈川県民ホールが4月1日より休館となった。老朽化のため建替えによる再整備を進めるという。神奈川フィルの県民ホールシリーズも中止となり、これに代わり今シーズンより年3回のミューザ川崎シリーズが新たに企画された。その第1回のコンサートである。客席はほぼ満席、休憩を挟んで約2時間、神奈川フィルは一段と張り切っていた。
前半はブラームス、先だっての「ピアノ協奏曲第1番」に続いての「第2番」である。ソロはすでに還暦を迎えた清水和音。ダルベルトといい東西の重鎮の競演である。
第1楽章は深々としたホルンの響きから始まり、ピアノが分散和音でこれに応える。木管と弦が動機を追いかけ、ピアノとオーケストラが丁々発止と渡り合う。清水和音のピアノは骨太で恰幅があり、低音域は底力を秘め高音域は粒立ちが良い。ホルンの坂東裕香が戻ってきた。体調を崩していたようで大分スリムになったけど、奥行きのある魅力的な音色は変わらない。彼女が加わるとオケのクオリティが一気に上がる。木管の透明感は東響に比べるといまひとつだけど、弦は音の塊となって音圧を増加させる。コンマスは石田泰尚、第2ヴァイオリンのトップには新日フィルのビルマン聡平が参加していた。
第2楽章は勇壮なスケルツォ、少し暗めの主題がピアノ独奏で始まるが、非常にエネルギッシュな音楽となる。弦楽器による優美なメロディが出てきて、対照的な2つの旋律が対比しつつ進んで行く。清水さんのピアノは情熱的で歯切れの良さもある。オケはかなりの熱量で鳴っているが、ピアノの音は一音たりともオケに埋もれることがない。
第3楽章はまるでチェロ協奏曲の緩徐楽章のように始まる、ヴィオラと低弦が寄り添いピアノがゆったりと登場してくる。弦と木管、ピアノによる抒情的な中間部を経て、最初の主題が再現され曲が静かに閉じる。チェロの首席には元読響の高木慶太が客演していた。ここでの清水さんのしみじみとした語り口は特筆もので、美しい歌の描き方に感心するばかり。
第4楽章は軽快なロンド、愉悦と哀愁とが綯交ぜになって進む。終盤はピアノが加速しながら駆け抜けて行く。清水さんの重厚さだけでない明るさや軽やかさのあるフィナーレが心地よい。これほど表情豊かなブラームスはなかなか耳にすることができない。巨匠の芸なるものを聴かせてもらった。
後半はベートーヴェンの「田園」。沼尻監督のマーラーやR.シュトラウス、ショスタコーヴィチの素晴らしさは言うまでもないが、こういった当たり前の名曲を振っても面白く聴かせてくれる。もともと楽譜をちゃんと見て指揮する人だけど、さすがこれほどポピュラーな曲となると、楽譜を繰るのは形だけ。曲の隅々まで頭に入り身体にしみついているだろうから、とうぜん指揮は音楽と混然一体となり踊っているようになる。その奔放な動きに促されオケの面々が必死の形相で楽器と格闘する。指揮者と奏者とのやり取りを見ているだけで気持ちがいい。監督のテンポは軽やかでオーケストラの響きは力強くかつ柔らかい。どこか懐かしく多幸感に満ちた「田園」だった。
後半も坂東さんのホルンは出色の出来、来月の「ラインの黄金」が楽しみだ。
2025/5/10 フリッチュ×神奈川フィル ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第1番」 ― 2025年05月10日 19:47
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第405回
日時:2025年5月10日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:ゲオルク・フリッチュ
共演:ピアノ/ミッシェル・ダルベルト
演目:ブラームス/ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15
ブラームス/交響曲第1番ハ短調Op.68
フリッチュは前回2023年の神奈川フィルとの共演が初来日、好評に応えて再来日となった。旧東ドイツ出身の歌劇場指揮者である。
前回がブラームスの「交響曲第2番」で今回が「交響曲第1番」、併せて、ダルベルトのソロで「ピアノ協奏曲第1番」という魅力的なプログラム。
「ピアノ協奏曲第1番」はブラームスが20代半ばで書いた若き日の代表作。これを今年70歳のフランスの名匠が弾く。ダルベルトは明るめの音色ながら重量感があり切れ味も鋭い。何より歌心があって長大なこの曲を最後まで飽きさせない。
冒頭、篠崎史門のティンパニのトレモロと低音楽器による持続音を背景に、ヴァイオリンとチェロのテーマが力強く重なる。まるで交響曲の開始のよう。ダルベルトは腕を抱えたまま鍵盤の前で沈思黙考。しばらくしてオケの激情は弱まり、ピアノが悲哀に満ちた表情をもって語りかけて來る。上昇音階による憧れに満ちた主題が次々と姿を変え発展していく。途中、何度も繰り返されるホルンの優しい響きは「交響曲第1番」と同様、クララへの呼びかけのように聴こえる。今日のホルンのトップは豊田実加。
アダージョは穏やかで幻想的で慈愛に満ちている。鈴木、岡野のファゴットの音階が印象的。シューマンへの哀悼とクララへの憧憬が複雑に絡み合っているような気がする。ピアノ協奏曲というよりは交響曲のなかにピアノ・パートがあって、ダルベルトのピアノがオケをリードしているみたいだ。
終楽章は上昇音型の主題が活気あるピアノで独奏されたあとオーケストラに引き継がれる。主題は徐々に緊張感を高め、カノン風の勢いを維持しながら頂点に向かって行く。劇的なカデンツァを経て全合奏で終結した。
ソリストアンコールはブラームスの恩師シューマンの穏やかで繊細な曲。「子供の情景」より“眠っている子供”“詩人のお話”と掲示されていた。
「交響曲第1番」は「ピアノ協奏曲第1番」を完成したころに着想され、20年の労苦を経て交響曲として結実、ブラームスは43歳になっていた。
フリッチュはゆったりと構築して行く。大袈裟にアクセントをつけないし、派手な演出も施さない。総じて淡白でありながら何とも言えぬ滋味がある。
ただ、過去に絶対的で決定的ともいうべき演奏を聴いた幾つかの曲は、何十年経ってもその演奏が耳に残っている。結局はそのことで今を楽しめない、心の底から満足することができない。不幸といえば不幸だが、至高の演奏会体験の報いだから仕方ない。ブラームスのわずか4曲の交響曲のなかで、この「第1番」と「第4番」はそうした曲である。
前後半とも弦は14型、コンマスは元読響の小森谷巧がゲストだった。小森谷は現在も愛知室内オケや仙台フィルのコンマスでまだまだ元気。オーボエのトップには新日フィルで長く首席を務めた名手・古部賢一が座っていた。
2025/4/26 沼尻竜典×神奈川フィル ショスタコーヴィチ「交響曲第12番」 ― 2025年04月26日 22:04
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第404回
日時:2025年4月26日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:チェロ/上森 祥平
演目:グラジナ・バツェヴィチ/弦楽オーケストラ
のための協奏曲
ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲第1番変ホ長調
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番ニ短調
「1917年」
神奈川フィルのシーズン開幕、監督が登壇してショスタコーヴィチをメインとしたプログラムを組んだ。
最初はポーランドの女性作曲家・ヴァイオリニストのグラジナ・バツェヴィチによる「弦楽オーケストラのための協奏曲」。戦後すぐに書かれたバロック様式の急―緩―急の作品だが、旋律は大胆に動き回り、1・3楽章などリズムは激しい。途中、分奏や四重奏、ソロが挟み込まれ弦5部の響きは独特のものがある。攻撃的で野性的なところがあってちょっとバルトークを連想させる。
神奈川フィルは数年前にシーヨン・ソンの指揮で20世紀前半に活動した女性作曲家フローレンス・プライスの「アメリカにおけるエチオピアの影」を日本初演している。今、女性指揮者の台頭とともに、歴史のなかに埋もれがちな女性作曲家にもスポットが当たりつつあるのかも知れない。
コンマスは石田泰尚、アシストはゲストの佐久間聡一。もう一人のコンマスである大江馨が3月末で退団している。石田さんもソロ活動などで多忙だからコンマス1人体制は厳しい。佐久間さんは適任と思うが、鋭意選考中なのだろう。チェロの首席は上森祥平が次のショスタコーヴィチのソロを担当するので、代わって懐かしい顔の人が座っていた。以前神奈川フィルで、その前は都響で首席を務めていた山本裕康がゲストだった。
さて、ショスタコーヴィチの「チェロ協奏曲第1番」。名手ムスティスラフ・ロストロポーヴィチに捧げられた実に魅力的なコンチェルト。技術的には相当な困難が伴うようで頻繁に演奏される作品ではないけれど。オーケストラの編成は金管楽器がホルン1本のみと変わっている。そして、ホルンはチェロと同じように独奏楽器のごとく活躍する。坂東さんだろう、と思っていたら、読響の松坂さんが客演で登場した。
第1楽章「アレグレット」はショスタコーヴィチのイニシャル(DSCH)に基づくゴツゴツした主題が楽章を通じて自己主張していく。チェロとホルンとのやり取りが聴きどころ。木管楽器は力強いパッセージを吹き鳴らし、全体としては軽快ながらも緊張を孕む。コーダの手前、一瞬静寂に包まれたあと爆発的な勢いでもって終了した。第2楽章「モデラート」はエレジー。オケの序奏に続きホルンに導かれてチェロの嘆きが始まる。抒情的で祈りをこめた主題が印象的。終結部はチェロのフラジオレットにチェレスタが加わり夢幻の世界へいざなう。第3楽章「カデンツァ」ではオーケストラは沈黙、チェロはその表現力を縦横無尽に駆使する。「カデンツァ」はそのまま第4楽章「アレグロ」へと雪崩れ込む。「交響曲第10番」と同様、音名象徴がそこら中に出現し、途中でワルツが唐突に流れる。リズムはティンパニや木管楽器によって強調され、まるでショスタコーヴィチが嬉々として飛び跳ねている様を見るようだった。
上森祥平のチェロはことさら情熱をたぎらせるのではなく、どちらかというと冷静沈着、理知的で大人しい。ちょっと小ぶりと感じたのは致し方ない。相方のホルンが豪快な松坂さんだから余計そんな思いが増幅したのかも。沼尻監督の指揮はいつもながらの見事なサポート。それにしても、これだけ技術的に高度なソロをオケの首席が担い、管弦楽メンバーの独奏も頻出する。近年の日本のオケの実力をまたひとつ証明した演奏だった。
最後は「交響曲第12番」、世間ではショスタコーヴィチが書いた交響曲における最大の失敗作という、本当か?
この作品はショスタコーヴィチの共産党入党と少なからず関係しているらしい。共産党はイメージ向上策として知識人の抱え込みを画策し、ショスタコーヴィチもこれに巻き込まれ強制されて共産党へ入党した。そのときの忠誠の証として革命とレーニンに捧げるこの交響曲が作曲された。1960年ころの話である。前作「第11番」が「血の日曜日事件(1905年)」、本作はその続編で「十月革命(1917年)」を扱った標題音楽である。4楽章構成で第1楽章「革命のペトログラード」、第2楽章「ラズリーフ湖」、第3楽章「巡洋艦アヴローラ」、第4楽章「人類の夜明け」である。「第11番」と同じく切れ目なく演奏される。
「第12番」は前作とは使用楽器が大きく違う。「第11番」で活躍するシロフォンやチューブラーベル、チェレスタなどの特殊楽器が全く用いられてない。古典的で地味な楽器編成であり、前衛的な管弦楽法は目立つことなく、皮肉や諧謔、反骨や批判精神が後退しているように思える。西側諸国では時局に迎合し体制に擦り寄った作品だという批判が、そして、自国でも評判は芳しくない。標題付きでありながら描写的とはいえず、音楽から標題性を捉えることが難しい。革命とレーニンの記念碑的な感銘を響きからは受取ることができない。
終楽章など「人類の夜明け」という白々しくも仰々しいタイトルで、繰り返される3音音形や4音音形のしつこさは異常なほど。クライマックスも執拗に積み重ねられる。見かけは立派な皮を被っているけど中身は伽藍堂、まるで音でつくったパズルのようだ。これではロシア革命を称えレーニンを賞賛する交響曲とはとてもいえない。多分、ここでのショスタコーヴィチは、音自らが生成発展して行くことのみに関心があった。描写だ、標題だ、革命歌だ、などは言い訳に過ぎないのだと思う。それが独裁政権には気に入らない。共産党はこの曲の裏に隠された胡散臭さを嗅ぎ取り、一方、西側は表に現れた滑稽なほどの体制迎合ぶりを怪しからんと決めつけた。ショスタコーヴィチの韜晦、二枚舌はここでも健在なのだ。
沼尻×神奈川フィルを聴いていると、ショスタコ流アレグロの集大成というべき猛烈な疾走感があり、音名象徴らしい音形の連打に興奮が高まる。それらの音響のなかで外見と内面とがだんだんと乖離して行く。音楽自体の崩壊の過程を聴いているような不思議な感覚を味わったわけだ。聴き手を翻弄し続けるこの「第12番」もショスタコーヴィチの傑作ひとつであると確認できた演奏だった。
チケットの振替手続き ― 2025年04月04日 17:47
演奏会の中核は定期会員となっている東響と神奈川フィルだけど、どちらも開催日が土曜か日曜の14時からとなっていて、毎シーズン何度か両楽団の公演が重複する。
定期会員にはチケットの振替サービスがあるものの手続きが結構面倒である。東響は同一開催月の同一プログラムのみ振替可能で、基本、川崎定期と東京定期との交換となる。神奈川フィルは開催月や演目に関係なく振替可能だが、シ-ズン内3回までという制約がある。
昨シーズンの神奈川フィルについては、公演選択制のセレクト会員とし重複を回避したが、4月からの今シーズンはもとの定期会員に戻した。このため今年度は両楽団の3公演が重なり、振替手続きをしなければならない。
東響は川崎定期の演目が魅力的なため、振替はすべて神奈川フィルの公演にした。最初に電話で振替先を予約し、手持ちのチケットと書留用の切手を郵送すると、振替先のチケットを送付してくれる。もちろん座席指定はできず楽団任せである。しかし、希望通りの振替が可能となり、早速、1回目の5月公演の振替先チケットが送られて来た。座席もまずまず良好でほっとした。2回目は12月、3回目は1月の予定となっている。