2026/6/20 沼尻竜典×神奈川フィル 歌劇「トスカ」 ― 2026年06月21日 15:33
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
Dramatic Series 歌劇「トスカ」
日時:2026年6月20日(土) 17:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:トスカ/佐藤 康子(ソプラノ)
カヴァラドッシ/シュテファン・ポップ
(テノール)
スカルピア/上江 隼人(バリトン)
アンジェロッティ/妻屋 秀和(バス)
スポレッタ/澤武 紀行(テノール)
シャルローネ/市川 敏雅(バリトン)
堂守/晴 雅彦(バリトン)
看守/宮下 嘉彦(バリトン)
羊飼い/芝野 遥香(ソプラノ)
児童合唱/横浜市立田奈中学校合唱部
合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:プッチーニ/歌劇「トスカ」全3幕
沼尻竜典が神奈川フィルの音楽監督に就任以来、毎年企画しているドラマティックシリーズ。昨年の「ラインの黄金」に続いて今年は「トスカ」である。なお、この「トスカ」は同一キャストによって名フィルと群響でも上演された。
名フィルでは創立60周年の記念公演として、22年ぶりの定期演奏会におけるオペラとなった。前回の定期演奏会でのオペラ上演は同じ沼尻による「蝶々夫人」だったという。この20数年前の「蝶々夫人」は運よく聴いており、いまだに鮮明に記憶に残っている。群響は高崎芸術劇場との共同主催で行われ、オペラ演出家の粟國淳が舞台構成に加わった。今回の「トスカ」はそれぞれ3つのオーケストラと1団体の協力公演で実施されたわけだ。
西暦1800年のローマ、王党派が共和派を苛烈に弾圧し、ローマは恐怖政治の渦中にあった。共和国の元領事アンジェロッティは脱獄して教会に逃げてくる。妻屋秀和は普段長髪を後ろで束ねることが多いけど、逃亡犯だから白髪混じりのザンバラ髪。あいかわらず声は柔らかで演技は達者。アンジェロッティの出番は少なく第1幕のみ、贅沢な配役であった。
教会で絵を描いている共和派の画家カヴァラドッシは、トスカを想い「妙なる調和」を歌う。そのあと同志アンジェロッティをみつけ自分の隠れ家に行くよう指示する。テノールのシュテファン・ポップは驚くべき声量、明るく輝かしい高音がホールを突き抜ける。世界中の歌劇場から引く手あまたらしい。なるほど、その歌声には度肝を抜かれるほど、演技も頗る上手い。会場は初っ端のアリアでやんやの歓声となった。
教会にカヴァラドッシを訪ねた歌姫トスカは絵のモデルに嫉妬しつつ、カヴァラドッシと長大な二重唱を歌う。佐藤康子は立ち居振る舞いが麗しい。「蝶々夫人」が当たり役というが然もありなん。強さと弱さが同居したヒロインの美しい歌唱を聴かせてくれた。シュテファン・ポップとのやりとりも滑らかでドラマの世界に引き込まれた。
アンジェロッティを追って王党派の警視総監スカルピアが現れる。スカルピアは画家が怪しいとにらみ、嫉妬深い歌姫トスカを利用して逃亡犯を逮捕しようとする。それはスカルピアのトスカへの破廉恥な欲望もあってのことだった。上江隼人は大声を出すことなく恐怖をにじみ出す。逞しさや凄みを感じさせる。日本の歌手のなかでは数少ない悪役のできるバリトンだろう。いずれにせよ、適役の4人が一堂に会したのは僥倖というほかない。
「テ・デウム」は圧巻のフィナーレである。聖堂における「御身を、神よ、我々は讃える、御身を賛美たてまつる」との神を讃える合唱を背景に、スカルピアが「トスカ、お前は私に神をも忘れさせる」と加虐的な欲望を吐露する。ホールのパイプオルガンが加わり、合唱はP席に位置する。いつもの神奈川ハーモニック・クワイアは神奈川フィル共演のプロ合唱団で、実質新国立の合唱団だから、その声量、実力はもちろんのことオペラの知見、技量も申し分ない。この「テ・デウム」には心底背筋が凍りついた。
児童合唱は中学生の女性合唱が30人ほど制服で参加していた。多感な年頃なのに脱獄、嫉妬、陰謀、拷問、情欲、強姦、殺人、処刑、自殺といった究極の血なまぐさいドラマのなかで歌った。教育上大丈夫かと一瞬疑念が沸いたけど、美しすぎる音楽に身を委ねているうちに、これは許されるべき時間と空間だと確信し納得した。
第2幕はファルネーゼ宮殿内のスカルピアの執務室。スカルピアはトスカをおとりに使って突き止めた隠れ家からカヴァラドッシを連行し、逃走したアンジェロッティの居場所を追及している。舞台裏のハープやフルート、打楽器などによってガヴォットが流れ、トスカが歌うカンタータが聴こえてくる。過酷な尋問と敬虔な歌声の対比が立体的に展開する。
トスカは恋人カヴァラドッシの助命を懇願する。スカルピアはトスカに恋人の処刑をちらつかせることで、アンジェロッティの隠れ場所を聞き出す。さらに、スカルピアはトスカを手に入れるために威し、トスカは身体と引き換えに安全の確保を求める。スカルピアはトスカを襲い、トスカはとっさに迫り來るスカルピアを刺し殺す。
舞台は第1幕と同様、大道具はなくテーブルや椅子さえ置いていないが、ペンとか紙などの小道具を使って普通のオペラのように演技をする。しかし、殺人の場面ではかなり抽象化され、両者は向き合うことなくナイフも用いず、舞台中央に少し離れて立ち、トスカは客席を向き凶器を振り上げる所作をし、スカルピアはその場で倒れる。同時に舞台は真赤な照明で覆われた。
遠くで不気味な小太鼓が鳴り、トスカは非道なスカルピアの圧力の極限でイタリアオペラ屈指のアリア「歌に生き、愛に生き」を歌う。「正しく生きているのにどうしてこんな目に会わなくてはいけないのか」と。追いつめられたトスカはこの悲歌によって暴力と対峙する。佐藤康子の嘆きの歌はその後のトスカの殺人、自殺という罪悪を正当化してしまうほどの真実性と迫力とがこめられていた。
第3幕ではカヴァラドッシの告別の歌「星は光りぬ」が最大の聴きものである。豊田実加をトップとした4本のホルンがユニゾンで夜明けを描く。P席上段のオルガンの左右に鐘が1台ずつ配置され、羊飼いの少年、ここではソプラノの芝野遥香の清楚な歌が聴こえてくる。
教会の鐘が一斉に鳴る。カヴァラドッシは夜が明ければ処刑される。カヴァラドッシは陰謀や拷問、処刑への恨みではなくトスカへの愛を歌う。この非情なドラマにあっても愛のみを歌う。プッチーニの真骨頂だろう。「星は光りぬ」の旋律にのってコンマス松浦奈々をはじめとするヴァイオリンの震え、上森祥平を首席とするチェロの分奏、クラリネット斎藤雄介の独奏が鮮やかな音画をつくり、シュテファン・ポップの声はクライマックスの最高音に向かって高まっていく。「誰も寝てはならぬ」と並ぶテノールの名アリアがみなとみらいホールを満たした。
カヴァラドッシのもとに駆けつけたトスカは銃殺刑はみせかけで、銃は空砲だから死んだふりをすれば自由だと告げる。しかし、それは死んだスカルピアが仕組んだ詐略で実弾がこめられていた。サンタンジェロ城の屋上、恋人の死を知ったトスカは警吏たちに追われ、城壁から身を投げる。
銃殺刑の場面でトスカはオーケストラ後部のひな壇の最上部にいた。カヴァラドッシは舞台前方、指揮者の横で銃殺され、トスカはカヴァラドッシに駆け寄り彼が亡くなったと知り泣き崩れる。そのあと上手から追手が現れるとトスカは再びひな壇まで走り、そのままP席に入って上段まで駆け上がり、オルガン横の下手から舞台裏へ身を投げた。良く考えられた手に汗握る演出だった。
陰惨な物語が「星は光りぬ」の旋律で幕を閉じると、会場の熱狂、大歓声は猛烈なものとなった。何度もカーテンコールが繰りかえされ公演の成功を祝福する。やはりシュテファン・ポップがカーテンコールの中心となり、皆をリードしてはしゃいでいた。彼はまだ40歳手前、微笑ましくも刮目すべきテノールである。
「トスカ」は流血のオペラ、わずか1日のあいだに主な登場人物であるアンジェロッティ、スカルピア、カヴァラドッシ、トスカの全員が亡くなってしまう。それをプッチーニは卓抜したオーケストレーションとともに甘美な音楽でもって描いた。残酷な物語と美しき絶唱とが見事なコントラストとなって名作オペラが誕生した。イタリアオペラの終焉「トゥーランドット」が未完に終わる25年前のことである。
沼尻竜典指揮のオペラ上演には期待を裏切られたことがない。オペラ指揮者として国内、海外を通じて豊富な経験をもち、自らもオペラを作曲する。だからオペラの楽しみを上手く伝えてくれる。
まず歌手の表現や声を活かすことを第一に絶妙なバランス感覚でもってオーケストラを調整することができる。響きは透明でアンサンブルは美しく、オーケストラの各パートは適切に浮きあがり、クライマックスへの仕掛けも抜かりがない。ドラマの構築力は卓越しており、感情の起伏や緊張感、不安感を処理する手腕にも長けている。長時間の作品でも全く飽きることがない。
国内ではびわ湖ホールでの実績もある。新国立における芸術監督の後任は決まったようなものだ。
2026/6/7 小泉和裕×神奈川フィル ベートーヴェンの交響曲「第2番」「第8番」 ― 2026年06月07日 21:58
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
ミューザ川崎シリーズ 第4回
日時:2026年6月7日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:小泉 和裕
演目:ベートーヴェン/「エグモント」序曲
ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93
ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調Op.36
2025年からはじまった神奈川フィルのミューザ川崎シリーズ。年度内3回開催で「ベートーヴェン・リンク」と銘打って2シーズン目を迎える。昨年は旗揚げ公演である「田園」とブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」(指揮:沼尻竜典、ソロ:清水和音)を聴いた。なかなか座り心地の良い演奏会だったので、今年度は連続券を購入した。
今年度の初っ端の指揮は80歳ちょっと手前の小泉和裕。高齢の邦人指揮者が次々と鬼籍に入り、第一線で活動している80歳以上となると小林研一郎あたりしかいない。小泉の世代でいえば井上道義が引退したから、ほかには尾高忠明くらいだ。そのあと70歳前後には高関健、大植英次、本名徹次、広上淳一、大友直人がいて、さらにもう少し年齢が下の60代には大野和士、佐渡裕、山下一史、飯森範親、藤岡幸夫、沼尻竜典といった音楽監督や常任指揮者で活躍している一群となる。
大御所の小林研一郎にはほとんど関心がないので別として、小泉和裕と尾高忠明はすでに邦人指揮者の最高齢域に近づきつつある。それにしては小泉は若い。細身ながら矍鑠としており、身体的に不安なところは見当たらない。元気な小泉による得意のベートーヴェンである。
ベートーヴェンの交響曲はどれも傑作揃いだけど、「第2番」「第8番」はやや地味で影が薄い。珍しい組み合わせである。演奏会の最初には「エグモント」序曲をおいた。
「エグモント」序曲は低音を十分に効かせ極端にテンポを落として開始された。響きは充実し巨大で劇的、アッチェレランドやリタルダンド、音量の増減に無理がなく納得の演奏だった。重心が低く重量の載った、今考えられる最高級の「エグモント」だった。
序曲終了後、小泉は会場から盛大な拍手を受けたものの、舞台袖に引っ込むことなく指揮台に留まり、そのまま「交響曲第8番」の指揮となった。
「第8番」の開始楽章は一転して快速、以前聴いたときには音色の変化が乏しく多少の不満があったが、今日はホールも味方したのか、弦5部のそれぞれが役割を果たし、管楽器の抜けはよく色彩も豊かで感心した。第2楽章は歌謡的な旋律が愛らしく、こんなチャーミングなスケルツァンドは滅多に聴けない。第3楽章は鄙びた田舎風の舞曲、トリオはホルンとクラリネットの掛け合いが上手に決まった。二つの中間楽章は開始楽章に対比させるようにぐっとテンポを落とし、ここに焦点をあてたかに思えたが、快速に戻した最終楽章にクライマックスが待っていた。楽章の半分を占めるコーダは意表をつく転調の嵐であり、楽器が次々と繰り出される。オケのそこらじゅうが沸騰し異常な興奮状態となって終わった。
休憩後に「交響曲第2番」。前半の「エグモント」序曲と「交響曲第8番」は、以前、同じ神奈川フィルの小泉を聴いているが、小泉の「第2番」は初めてだと思う。
転調が目立つ序奏部を経て力強い主題と穏やかな主題が交錯する第1楽章から、美しい緩徐楽章、小さなスケルツォ、楽器同士が問いかけ応えながら、やはり長大なコーダで締めくくる最終楽章まで間然するところのない見事な演奏だった。
低域弦楽器のコントラバス、チェロを最大限に働かせ、ヴィオラや第2ヴァイオリンが内声部をきっちり支え、第1ヴァイオリンによって思いっきり旋律を歌わせる。結果的に第1ヴァイオリンが鮮明に記憶に刻印される仕掛けである。それらの安定した弦楽器に木管が美しく絡み、金管が華やかに彩を加え、ティンパニが推進力を高めて行く。
コンマスは先月の音楽堂シリーズに引き続いて松浦奈々が担当した。その腕前はバッハでも証明済みだが、今日のべ―トーヴェンにおける集団を一歩先んじる表現とオケ全体を引率する能力は目を見張るほどで、神奈川フィルは良いコンマスを手に入れた。
小泉のべ―トーヴェンは新奇な嗜好で耳目を集めようという魂胆は全くなく、“古き良き時代”の重厚なベートヴェンを愚直に開陳した。我々の世代からすれば安心して身を任せられる。今どきこういったベートーヴェンは稀かもしれない。
もっとも昨今、小泉より若い広上や沼尻がアプローチはそれぞれとしても“古き良き時代”のベートーヴェンを再現したいと公言することもあり、頼もしくも嬉しい限りではあるけれど。
2026/5/30 濱田芳通×神奈川フィル ヘンデル「水上の音楽」 ― 2026年05月30日 22:08
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
音楽堂シリーズ 第36回
日時:2026年5月30日(土) 15:00開演
会場:神奈川県立音楽堂
指揮:濱田 芳通(リコーダー)
共演:リコーダー/織田 優子
チェンバロ/上羽 剛史
リュート/高本 一郎
ソプラノ/中山 美紀
ピアノ/居福 健太郎
演目:J.S.バッハ/管弦楽組曲第3番ニ長調
ヘンデル/歌劇「リナルド」より
「恐るべき鬼女たちよ」
ヘンデル/歌劇「ジュリオ・チェーザレ」より
「難破した船が嵐から」
野見祐二/くもりのちはれ
J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調
ヘンデル/組曲「水上の音楽」より8曲
+歌劇「リナルド」より
「さえずる小鳥たちよ」
濱田芳通は古楽アンサンブル「アントネッロ」を主宰し、指揮者兼リコーダー、コルネット奏者である。オペラ創成期からバロック期のオペラ、ルネッサンス音楽や南蛮音楽などの普及に務めている。バロック以前の音楽に関心が強いようだが、バッハ、ヘンデルには幼いころから親しんでいたという。
今日はそのバッハの2作品、ヘンデルの歌劇から3曲と「水上の音楽」組曲、そして、野見祐二による委嘱作品「くもりのちはれ」というプログラムだった。
最初のバッハ「管弦楽組曲第3番」は、そのなかのエアを編曲した「G線上のアリア」が有名で、バッハでは最も知られている作品のひとつだろう。第1曲はフランス風の序曲、トランペットとティンパニなどが大活躍し祝祭的で華やか、中間部は協奏曲風のフーガとなる。第2曲が件のエア(アリア)、管・打楽器はお休みで通奏低音と弦による息の長い美しいメロディが流れる。第3曲がガヴォット、宮廷舞踏会という雰囲気。分かりやすいリズムに乗ってトランペットが跳ね回る。第4曲はブレー、活気に満ちた舞曲。終曲の第5曲はジーク、速いテンポと複雑なリズム、軽やかなメロディーによって締めくくられる。打楽器はティンパニだけでなく太鼓やタンバリンなども加わっていつになく賑やか。濱田のつくりだす神奈川フィルの音色はモダン楽器とは思えないほど素朴なザラッとした色合いで独特の味わいがあった。
「管弦楽組曲第3番」が終わるとすぐにソプラノの中山美紀が登場し、そのままヘンデルの歌劇からアリアを2曲歌った。「恐るべき鬼女たちよ」は魔女アルミーダが地獄の鬼女たちを呼び出し、十字軍の騎士リナルドに復讐を果たそうとする強烈な歌。劇的で情熱的なコロラトゥーラが聴きものだった。「難破した船が嵐から」はクレオパトラが愛するジュリオ・チェーザレ(シーザー)生還の喜びと凱旋を歌う華麗で希望に満ちた曲。これもコロラトゥーラのきらびやかで力強い歌唱が耳に残った。
前半の最後は「くもりのちはれ」、リコーダー、ピアノと弦楽合奏のための新作でもちろん世界初演。管・打楽器奏者が退場し、弦楽器は6-4-3-2-1の編成。ピアノは中央に配置された。野見祐二は「耳をすませば」「風、薫る」などのアニメ音楽やTVドラマ音楽、映画音楽の作曲家。突然、現代音楽の響きに変わったが、旋律は馴染みやすくリズムも大人しい。何の抵抗もなく優しくさらさらと流れて行く。日本の典型的な劇伴音楽で、ついウトウトとなってしまった。
後半は「ブランデンブルク協奏曲第4番」から。「第4番」は昨年、竹山愛、濱崎麻里子のフルートと佐藤俊介のヴァイオリンで聴いた。今日は濱田芳通、織田優子のリコーダーとコンマス松浦奈々とが協演した。まず2本のリコーダーが鳥のように囀る。牧歌的な旋律のなかをヴァイオリンが彩を加えながら鮮やかに駆け巡る。独奏の松浦は日本センチュリー響のコンマスで、この4月から神奈川フィルの客演コンマスに就任した。中間楽章は憂いをおびたもの悲しい歌が繰り返される。独奏群と合奏群との対話がエコーのよう。最終楽章はフーガ。リコーダー、ヴァイオリン、そして合奏のそれぞれが圧倒的なエネルギーを発散させながら複雑かつ華麗に絡み合いクライマックスへと駆け上がった。佐藤俊介×東響の「第4番」はいかにも洗練された都会的な音楽だったけど、濱田芳通×神奈川フィルは野太く古風な趣、といって鈍いところは一切なく野趣あふれた勢いのある演奏だった。
最後はヘンデルの「水上の音楽」。ヘンデルはバッハと同い年。バッハとは対照的にドイツに留まることなく,イタリアヘ、イギりスへと旅をし,最終的にはイギリスの市民権を獲得した。オペラとオラトリオを書きまくり、作曲ばかりでなく劇場の経営や劇音楽の興行にも携わった。
管弦楽曲としては何といってもこの「水上の音楽」が代表作。王様の舟遊びのために作られた20曲前後の大組曲、今回はそのなかから8曲を選曲した。なお、途中で中山美紀が再登場し、歌劇「リナルド」より「さえずる小鳥たちよ」を「水上の音楽」のなかに挿み込んだ。中山はリナルドの恋人アルミレーナによる小鳥のさえずりを模したアリアを美しく爽やかに歌った。
「水上の音楽」ではホルンが加わり、トランペットと一緒にファンファーレなどで主役を務めた。リコーダーは鄙びた響きで旋律を歌い、オーボエは哀愁を漂わせながらも力強く吹奏された。ここでも打楽器はティンパニだけでなく数種類の太鼓やタンバリンなどが参加し、メリハリの効いた豊穣な音楽が鳴り響いた。濱田はアゴーギクを柔軟に施しつつ劇的で元気溌剌としたヘンデルの音楽をつくりあげた。
2026/4/18 沼尻竜典×神奈川フィル ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」 ― 2026年04月18日 21:21
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第413回
日時:2026年4月18日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:ヴァイオリン/石田 泰尚
演目:ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第2番
嬰ハ短調Op.129
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調Op.47
神奈川フィルの2026/27シーズンはショスタコーヴィチの2作品でスタート。監督が振りコンマスがソロを務める。早々に完売公演となった。
沼尻は監督に就任以来、各シーズンともブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチを積極的にプログラムしている。交響曲についてはそれぞれチクルスを完成させようとの計画があるのかも知れない。
コンマスの石田泰尚は荒井英治ほどではないけどショスタコーヴィチの室内楽をよく取り上げている。神奈川フィルのショスタコ・ヴァイオリン協奏曲となれば彼しかいない。荒井英治も今シーズンのシティフィル定期で一気に2曲演奏するが、これは別件があって聴くことができない。
ショスタコーヴィチは生涯に6曲の協奏曲を書いた。ピアノ、チェロ、ヴァイオリンが各2曲ある。「ヴァイオリン協奏曲第2番」は最後の協奏曲作品、内省的で陰鬱、難解だと思う。前年には「チェロ協奏曲第2番」を完成している。交響曲でいえば「第13番」と「第14番」の狭間、ショスタコーヴィチの晩年である。
「第1番」の20年後に作曲された「第2番」はダヴィット・オイストラフの誕生祝らしい。古典的な3楽章の形式だが調性は不安定で響きはしばしば無調的。激しさと緊張感、打楽器をからめた独特の響きは晩年作品の典型といってもいい。ソロは最初から最後まで休むことなく弾きっぱなし。カデンツァは長大かつ複雑で難易度がとんでもなく高い。
オケのコンマスはゲストの佐久間聡一。金管はホルンのみでトップは元PPTの吉田智就、このゲストの若手奏者がべらぼうに上手かった。打楽器はティンパニとトムトムだけを用いる。篠崎史門と金井麻理が大活躍した。ソロの石田泰尚は雑音の少ない弓使いと滑らかな音色。アレグロだって興奮に我を忘れることはない。尖った音楽ながら響きはまろやかで、難曲をいつものように柔らかな美音で軽々と弾いた。
第1楽章はコントラバスとチェロのピチカートで始まり、重厚な第1主題と軽妙な第2主題が対比される。全体的に薄暗く不穏な雰囲気が漂う。第2楽章は緩徐楽章、舞曲風の旋律で開始されるが、次第に重苦しい悲劇的な情感が満ちてくる。短いカデンツァを経て切れ目なく第3楽章へ。第3楽章は躍動感のある皮肉めいたフィナーレ。ヴァイオリンとホルンのふざけた掛け合いから変拍子となり打楽器が介入してエネルギッシュな展開となる。中盤には長大なカデンツァが置かれ最後は祝祭的な結末を迎える。ソロ・ヴァイオリンとティンパニ、トムトムとの掛け合いや、ホルンとのやりとりは鮮烈な印象を残した。
アンコールは沼尻のピアノのもと、石田と佐久間とでショスタコのポルカ、「2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品」からだという。「ジャズ組曲」もそうだけどショスタコーヴィチはこういったあっけらかんとした曲も書く。会場は大うけだった。
ショスタコーヴィッチは「交響曲第4番」で思う存分前衛的な作品を書いたが結局これを封印し、誰が聴いてもわかる「交響曲第5番」を世に出した。全4楽章で編成も普通、“苦悩から勝利”の筋書きを経て最後も決然と終わる。構造はシンプルでシンプルゆえに演奏はかえって難しい。
第1楽章は弦楽器による悲痛な響きからはじまり、やがて伸びやかな主題があらわれる。ピアノが入ってきて次第に緊張が増し、唐突にマーチとなり最高潮に達したあと、最後はチェレスタの上昇音型で冷たく終わる。第2楽章はスケルツォで低弦の厳格なリズムを基礎にした杓子定規な3拍子が続く。トリオの田舎風のレントラー舞曲はマーラーのよう。第3楽章は重苦しい緩徐楽章。金管楽器は休みとなり弦楽器が分奏する。木管ともども悲哀の音楽が連続する。第4楽章は不気味な木管のトリル、ティンパニの強打に次いで金管の荒々しい主題が現れ壮絶に展開される。嵐が静まると静寂の中で回想的な音楽となるが、再び盛り上がりティンパニとバスドラムの強打をともなった全合奏で終結する。
驚いたことに協奏曲で独奏した石田泰尚が後半はコンマスとして座り、ここでも流麗なソロを披露した。隣には佐久間聡一、弦は協奏曲のときの12型から16型に拡大。ホルンのトップは豊田実加に代わり、前半好演した吉田智就は3番を担当した。
「第5番」は作品成立の過程での国家との関係や、個人的な女性問題などがやたら取り沙汰されるが、沼尻はその諸々に惑わされず交響曲形式による起承転結が明快な古典的作品として真正面から向き合ったようだ。混じりっけのない交響曲と割り切り、各パートを丁寧に浮かび上がらせつつ階層的な程よい重量物として構築した。最終楽章だけはテンポアップしたものの他の楽章は揺るぎのない堂々とした歩みで、こねくり回した変化球ではなく気持ちのいい直球でもって真っ向勝負した。神奈川フィルも弦、木管、金管、打楽器それぞれが音量豊かに隙の無い演奏を繰り広げ、監督の要求に十全に応えていた。幸先のよい新シーズンの幕開けとなった。
今日の演奏会場には録音マイクが林立していた。CD化されるのかも知れない。
2026/2/21 沼尻竜典×神奈川フィル レスピーギ「ローマ3部作」 ― 2026年02月21日 22:01
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第411回
日時:2026年2月21日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
演目:ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
レスピーギ/交響詩「ローマの松」
レスピーギ/交響詩「ローマの噴水」
レスピーギ/交響詩「ローマの祭り」
今回の神奈川フィル定期は「ローマ4部作」公演だという。レスピーギの「ローマ3部作」をまとめて演奏することはよくあるが、はて、4部作とは?
ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲を加えると4作品になる。なるほど!
「ローマの謝肉祭」は演奏会用の序曲だけど、オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の素材を用いている。華やかな序奏からはじまり、前半はゆったりとロマンチック、オペラで歌われる愛の二重唱がモチーフだという。ここでの旋律はイングリッシュホルンが先導する。いつもながら鈴木純子の音色は魅力的で耳をそばだたせる。後半はお祭り気分で快速、メンデルスゾーンの「イタリア」第4楽章と同様、舞曲「サルタレッロ」をもとにしていてスリリング、目まぐるしく旋律が飛び跳ね、熱狂的にコーダへと雪崩れ込む。沼尻のメリハリの効いた手際のよいオケ捌きに感心しきり。
レスピーギの「ローマ3部作」は古きローマ帝国への郷愁を音楽で綴ったようなもの。
まずは「ローマの松」。圧倒的な人気を誇り、バンダの派手な「アッピア街道の松」で幕を下ろすから、大体は演奏会のトリを飾ることが多い。今回は前半の休憩前の演奏となった。過去にはデュトワ、バッティストーニ、藤岡幸夫など記憶に鮮明な演奏がたくさんある。
公園の松並木で遊ぶ子どもたちの情景を活き活きと描く「ボルゲーゼ荘の松」。ミュート付トランペットのタンギングと木管群の旋律ではじまる。高音部中心のオーケストレーションで低音楽器はほとんど使われない。ピアノの下降グリッサンドで「カタコンブ付近の松」へと切れ目なく続く。
カタコンブは古代ローマ時代の地下墓所のこと。ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも登場する。低弦が厳かに響きホルンがグレゴリオ聖歌を奏でる。コントラバスのトップには都響の池松宏が、ホルンの一番には東フィルの佐藤俊輝が入っていた。舞台裏からトランペット・ソロの賛美歌が聴こえてくる。ソロは首席の林辰則。ヴァイオリンの呟きがまるで天上の音楽のよう。
ピアノのアルペジオで始まる「ジャニコロの松」。齋藤雄介のクラリネットによる鳥の囀り、ハープ、チェレスタなどが絡み幻想的で美しい。チェロ・上森祥平のソロが官能的。曲の終わり近くにはナイチンゲールの鳴き声が聴こえる。ナイチンゲールは録音ではなく贅沢にも4人がかりの生音だったようだ。ハープの旋律によって「ジャニコロの松」が消え去るように終わる。
さて「アッピア街道の松」である。アッピア街道は古代ローマ軍によって建設された。ティンパニ、ピアノ、コントラバス、銅鑼などが行進曲のリズムを刻み、徐々にクレッシェンドしていく。ラヴェルの「ボレロ」の手法と同じである。軍の隊列が近づいてくるかのよう。コーダの全オーケストラの強奏にバンダとオルガンを加えたクライマックスは、オーケストラが発する最大級の音響といってよい。音の洪水に身をまかせる快感を存分に味わった。バンダはP席左右の上段にトランペット、オルガン席の隣にトロンボーンが各2、計6人だったが、その破裂音は強烈。沼尻は大編成のオケを一分の隙もなく制御して完璧な音の伽藍を築き上げた。直後、客席は大歓声、沼尻は4度、5度と舞台へ呼び戻され、前半の終わりながら一般参賀になりそうな雰囲気だった。
20分間の休憩後、後半は「ローマの噴水」でスタート。夜明けから夕暮れまでの時刻を切り取って4つの噴水を描いた。「夜明けのジュリア谷の噴水」「朝のトリトンの噴水」「昼のトレヴィの噴水」「黄昏のメディチ荘の噴水」である。光と影、噴水の迸りや水の流れを巧みに音で表現している。沼尻の各楽器の音色を活かした情景描写は繊細でカラフル、音楽を聴きながらモネの絵画が浮かぶようだった。3部作のなかでは編成が小さく地味だけど光きらめく佳品だと教えてくれた。
演目の最後は「ローマの祭り」。3管編成、打楽器奏者が10人、ピアノは連弾、ピアノを打楽器とみるなら計12人。それにオルガン、マンドリン、バンダのトランペットなどが加わる大編成。ローマ時代から近代までの祭りを年代順に配置している。
1曲目は「チルチェンセス」。古代ローマ時代の円形競技場での猛獣とキリスト教徒たちの死闘、祭りというより見世物。パンダのトランペットのファンファーレとオケの叫びから始まり、低弦による猛獣の足音と木管による教徒の歌が一体となり緊迫感を高めていく。群衆の熱狂や教徒の祈りが描写される。
2曲目の時代は中世、ローマに巡礼することで罪が赦される「五十年祭」。重い足取りをあらわしたようなゆっくりした木管の音形の上を静かな賛美歌が流れる。木管の動機は徐々に明るくなり、ローマを見渡す丘の上にたどり着いたのだろう、高らかに聖歌が歌われる。
3曲目はルネッサンス時代の「十月祭」。葡萄の収穫祭の様子だという。ミュートを付けたホルンは狩の角笛、ホルンのトップは休憩のあと豊田実加に代わっていた。トランペットのファンファーレ、クラリネットが伸びやかに歌い、木管による軽やかなメロディのなかマンドリンがセレナーデを奏でる。幾つもの楽器が絡み合ううちに静寂が訪れる。
4曲目はレスピーギが生きた20世紀の時代の「主顕祭」。まさにお祭り騒ぎ、喧騒の音楽が繰り広げられる。小クラリネットの勢いのあるモチーフから始まる。小クラを吹く亀居優斗は4曲中ここだけに登壇した。楽しげなメロディにトランペットやトロンボーンがざわめくように割って入る。酩酊したような府川雪野のトロンボーンが楽しい。曲調はさまざまに変化し、ここでも舞曲「サルタレッロ」が現れる。クライマックスでは多数の打楽器群が打ち鳴らされ、熱狂的な盛り上がりのなか大団円で曲が閉じられた。
沼尻の精密無比なコントロールの賜物ではあるものの神奈川フィルは抜群の安定度を示した。ゲッツェルが客演していたころの昔はドキッとするような場面もあったけど、最近は安心して聴くことができる。個々の技量も合奏能力も着実に向上している。神奈川フィルの音色はもともと明るいから、華やかな曲が似合っている。「ローマの祭り」でこんなに興奮させてもらえるとは思いもよらなかった。
「ローマの祭り」は3部作の中で最も演奏頻度が低い。多くの打楽器奏者を集めなければならないことや、音楽表現が皮相的で劇半音楽のようだといって貶められているのだろう。いや、劇半音楽だとは「ローマ3部作」そのものがそう思われているのかも知れない。
しかし、レスピーギの管弦楽法はマーラーやR.シュトラウスなどの独墺作家についてはひとまず置くとして、師匠のリムスキー・コルサコフはもちろん、ラヴェルやホルストに並ぶ腕前と言ってよい。大規模なオケを用いて色彩豊かに描くばかりでなく、教会旋法や近代和声を駆使して華麗で特異な音色を生み出す。その楽器法による情感への作用は、間違いなくオーケストラを聴く楽しみのひとつだ。
それに、今回はプログラムの配置のせいで――「ローマの松」を休憩前に置いたことで、2回分の演奏会を聴いたというお得な気分にもなった。