北鎌倉2022年02月04日 19:46



 食事を目的に、北鎌倉を再訪した。先月の昼食が大満足で、同じ食事処へ。
 前回はほぼ満席だったが、今日はわれわれ一組だけ。コロナ対策のせいでキャンセルが相次いでいるとのこと、客が全く取れない日は休みにしているという。ここは電話予約が必要で、予め客の状況が把握できるからだ。そういえば事前に電話をかけたとき、2,3日繋がらなかった。店自体を閉めていたわけだ。
 しかし、「蔓延防止措置」が実施されているからといって、キャンセルをするほどのことだろうか。飲んで騒ぐような場所ではない。家族あるいは友人同士で静かに語らい、食事をするだけだ。もともとはこういった防止措置を講ずる行政の判断に疑問があるが、国民の側もあまりに過剰反応ではないかという気がする。
 数日前にはイギリスに続いてデンマークがコロナ規制を撤廃したという。規制の効果が期待できないからだ。歴史を繙けば感染症のパンデミックは人の手で解決されたことはない。自然終息を待つしかない。今回は過大に人為的な介入をしている。将来へ禍根を残さなければいいと、むしろそちらのほうを心配する。

 昼食はゆっくりと2時間くらいかけて提供してくれた。やはり美味しい。
 食べ終わったあと東慶寺と円覚寺を参拝した。
 今の時期、花の寺である東慶寺の庭は寂しい、水仙の花と梅が数輪咲いている程度で、蝋梅はもう終わっていた。本堂は解放されていてご本尊をお参りすることができた。
 梅の花は、円覚寺のほうが良く咲いていた。円覚寺は、北条時宗が元寇での戦没者追悼のために創建し、自ら招いた無学祖元を開山とした。今日4日はその開基北条時宗の月命日だという。佛日庵の門柱にひっそりと案内がしてあった。
 時宗は10代で執権となり、2度の蒙古襲来を撃退し、30歳そこそこで亡くなる。無学祖元は元寇を予知し、時宗に「莫煩悩」と諭した。円覚寺はその子弟所縁の寺である。

川崎大師2022年01月23日 16:47



 道の両側の、咳止め飴、久寿餅、おかき、煎餅などを売っている店を眺めつつ、駅から10分ほど歩き、川崎大師に参詣した。
 正式には金剛山金乗院平間寺という。本尊が厄除弘法大師さまで、もろもろの災厄をことごとく消除する、霊験あらたかな仏さまとして篤い信仰を集めている。
 以前、正月のとき人人人で大変な目にあった。で、その後は横着して少し遅らせてお参りすることにしている。
 それでも、この時期1月はたいそうな人出で、昨年もそうであったが、護摩祈祷の本堂のなかは人でびっしり、足の踏み場さえない。「密を避けてください」という綺麗ごとのアナウンスもない。悪鬼など加持祈祷によって逃散するのだろう。
 おみくじを引く男女や、献香所の人だかり、屋台で焼きそばやベビーカステラを買い求める家族連れなど、平間寺では、たしかに全員マスク着用ではあるけれど、数年前とほとんど変わらない日常が広がっていた。

長谷寺の蝋梅(ロウバイ)2022年01月14日 16:36



 江ノ電が4両編成で走っているので、ちょっとビックリした。それとも2両編成だと思っていたのが記憶違いなのだろうか。
 鎌倉駅から、それこそ4、5分乗り、長谷寺に行ってみた。蝋梅が季節だという。
 まさしく蝋のような艶の黄色い花が見頃。梅は紅も白も一輪か二輪ほどで、ほとんどが蕾だったが、たしかに蝋梅は季節だった。

 長谷寺は、池と花木の按配が見事で、高台まで足を運べば鎌倉の海も一望にできる。境内には堂が五つ六つあり、経蔵、書院、鐘楼も配置されている、長谷寺の観音様は、「かきがら」の導きによって鎌倉に流れ着いたという伝承があり、「かきがら稲荷神社」があわせて祀られている。

 再び江ノ電で鎌倉駅に戻り、鶴岡八幡宮の参道を経由して北鎌倉駅まで歩いた。北鎌倉ではゆっくり昼食をとり、夕方にならないうちに帰ってきた。
 真冬にしては幸いにも暖かい日差しで、散歩日和でした。

稲荷神社の柴犬2022年01月02日 14:11



 稲荷神社がある。線路沿いの細い道から十数段ほど石段を登ると、もう鳥居である。普段、鳥居のふもとには柴犬が繋がれている。今日は社務所の前に移されていた。
 境内は初詣の人で賑わっていて、社殿は開け放たれ灯がともされ、神主が正装で御幣を手にしていた。社殿の手前には一対の小ぶりの石のお狐様が鎮座している。今まで、ちゃんと境内を見渡すことがなかったせいか、柴犬に気をとられていたせいか、目に入らなかった。稲荷神社だからお狐様が居て当たり前だ。

 社務所前の柴犬はというと、参拝客の子供やご婦人方から頭や首を撫でられ目を細め愛嬌を振りまいている。
 いつもは柴犬に手を出しても寄って来ない。一瞥され尻を向けられるのがオチだ。だいたいが石段の天辺か中途で、寝てるか座り込んで起き上がりもしない。このあたりの犬や猫は、なんて愛想なしが多いのか、と思っていた。
 ところが今日である。神社としては書き入れ時だろう。ふつうは閑散としている境内にも初詣のお客さんが溢れている。神社の柴犬は、うんともすんとも言わないものの、ちゃんと自分の役割をわきまえ奉仕している。

 鳥居の下が定位置であるはずの柴犬が、朝夕いないときがある。
 ある日の夕方、神社のそばで宮司の奥さんらしき女性に連れられて歩いているのを見たから、朝夕は散歩に出ている。また小雨が降っているときにも姿が見えなかった。きっと社務所のなかで雨宿りしているのだろう。
 けっして放置されているのではない。それどころか大事に育てられている。だからといって、今日のような振る舞いをしてみせる、というわけではもちろんないだろうけど。頭のいい犬だ。

公孫樹(イチョウ)2021年12月20日 10:26



 片道一車線の、狭いながら車の往来の激しい道に、石畳の参道が直接つながっている。
 その石畳を三、四十メートルも歩かないうちに山門があって、山門をくぐると、もう車の音は気にならなくなる。

 境内はこじんまりとしているが、手入れの行き届いた木々や草花が景色よく植えてある。そのなかにひときわ目立って公孫樹の古木があった。幹回りはおおかた二抱えもある。横には「名木・古木指定」という名札がたっていた。
 裏門から出てみる。墓地が隣接しており、墓地の前の空地には、やはり公孫樹の高木が対で聳えている。境内の公孫樹ほどではなくとも大きく立派である。空地の真ん中の日当たりの良いほうはすでに完全に葉が落ちていて、寺の塀際のもう片方は黄葉が終わり、半分くらい葉が残っていた。

 境内に戻ると、「名木・古木」の公孫樹は、上のほうにまだ緑が見え、完全に黄変しているわけではない。根元にもほとんど黄葉がない。この古木が落葉すれば境内は一面公孫樹の葉で覆いつくされそうである。見上げると、葉と葉の合間に真っ青な寒空がのぞき、どこからか「怠惰な一年だったね」という声が聞こえてきた。

 たしかに、そうではあろうが…
 帰り際、公孫樹の古木に願をかけておいた。来年またここに来たとき、その声が消えているように。