2024/12/8 ノット×東響 シェーンベルクとベートーヴェン2024年12月08日 20:59



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第98回

日時:2024年12月8日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ヴァイオリン/アヴァ・バハリ
演目:シェーンベルク/ヴァイオリン協奏曲 op.36
   ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 op.67
          「運命」


 シェーンベルクの「ヴァイオリン協奏曲」は、実演はもちろん音盤や放送でも聴いたことがない。で、予習のためYouTubeを検索するとヒラリー・ハーンの音源があったので再生してみた。しかし、5分と聴いていられない。
 楽曲の構成は急・緩・急という古典的な3楽章らしいが、十二音技法を駆使して書かれている。メロディーのない協奏曲なんてどうやって聴けばいいのか。早々に予習することを諦め、実演はひたすら我慢するより仕方ないと覚悟してミューザに向かった。

 その実演である。ソロはスウェーデンのアヴァ・バハリ。
 ハイフェッツが「指が6本必要だ」と宣った難曲中の難曲だが、彼女はさりげなく平然と弾いて行く。不快な音を一切出さない。奥行きのある美音が響き渡る。この音とノットのオケを効率よく捌く指揮の面白さに引き込まれ、最後まで聴き通すことができた。
 シェーンベルクの協奏曲はテンポの変化と音量の大小、音色の移り変わりだけで出来ていて、和声も旋律も感じられないので掴みどころがない。リズムにさえ定型がない。曲がどのように進行をしているのか分からないし、フレーズとフレーズとの関係も感得できないから屡々迷子になる。
 それでも第1楽章と第3楽章のバハリの目の覚めるようなカデンツァや、オケのパートの中でさらにパートを分けるといった書法、ソロと打楽器との協奏など面白い部分がなかったわけではない。
 としても楽曲全体から受ける印象といえば、連続性とか統一性とか関係性とかが極めて薄く、分断、分裂、孤立を妙に意識させる音響ではあった。今年2024年はシェーンベルクの生誕150年という。音楽に限らず人の精神活動の成果というものは、その時々の社会を反映し、さらには予見するものなのだろう。
 聴き手にとってのヴァイオリン協奏曲としては、ほぼ同時代に書かれたベルクの「ある天使の思いで」までが、ぎりぎり許容範囲のようである。
 ソリストアンコールはクライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」、柔らかく情感に溢れた美しい音楽だった。アヴァ・バハリはもう一度ベートーヴェンかブラームスで聴いてみたい。

 ノット×東響によるベートーヴェンの「交響曲第5番」は再演である。
 前回は聴き逃している。ノットのベートーヴェンにあまり興味を持てないせいでパスしたのかも知れない。もちろん幾つかベートーヴェンの交響曲を聴いているはずだけど、思い出せるのは「第2番」と「第3番」くらい。その両曲も前後に聴いた広上や小泉、シュテンツやヴィオッティのほうが鮮明な記憶として残っているほどだ。
 でも、シェーンベルクと対比した「第5番」である。強烈な印象であったことは間違いない。陰影がとてつもなく濃い。硬軟取り混ぜた緩急と強弱、各楽器の縁取りを際立たせ、些かどっしり感は欠けるとしても、自在さと奔放さがまさに紙一重、アグレッシブで入魂の演奏だった。
 指揮者とオケの一体感ここに極まれり、といった趣。週末の「ばらの騎士」が楽しみである。