2023/10/7 沖澤のどか×東響 ストラヴィンスキー・プログラム2023年10月07日 20:54



東京交響楽団 名曲全集 第192回

日時:2023年10月7日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:沖澤 のどか
共演:ピアノ/長尾 洋史
   合唱/NHK東京児童合唱団、二期会合唱団
演目:ストラヴィンスキー/「プルチネッラ」組曲
   ストラヴィンスキー/詩篇交響曲
   ストラヴィンスキー/「ペトルーシュカ」
             (1947年版)


 沖澤のどかを聴くのは2度目。前回はほぼ1年前の新日フィルとの演奏会。モーツァルトの「フリーメイソンのための葬送音楽」、マーラーの「亡き子をしのぶ歌」(バリトン:大西宇宙)、ブラームスの「交響曲第4番」という3曲。とくに大きな感銘を受けたわけではないけど、演奏会の模様はよく覚えている。
 沖澤は今年の4月から京都市響の常任指揮者となり、首都圏の各オケにも頻繁に客演している。いま最も華々しく活躍している指揮者の一人だろう。選曲にこだわりがあるのも注目される所以となっている。
 今日の演目もストラヴィンスキーの特集ながら珍しい曲を組み合わせた。「詩篇交響曲」はストラヴィンスキーの傑作と思うが、実演ではなかなか聴く機会がない。三大バレエ曲のひとつ「ペトルーシュカ」も刺激的な曲なのに、「春の祭典」や「火の鳥」に比べればずっと演奏頻度は低い。一捻りしたプログラムの魅力も与って、沖澤のどかと再会である。

 まずは「プルチネッラ」組曲、夏に神奈川フィルの演奏で聴いたばかり。このときは指揮者なしでコンマスの石田泰尚がリードしていた。
 原曲のバレエ「プルチネッラ」は、ペルゴレージなど18世紀の楽曲を編曲したもので、リズムや音色、楽器の扱い方などがストラヴィンスキーによって創意工夫されている。初演は1920年、ディアギレフ率いるバレエ・リュスの公演、のちの組曲は8曲で構成された。
 沖澤は穏やかなテンポ、端正な音づくり。宮廷音楽のような出だしで、聴き手をねじ伏せるような強引さはみられない。しかし、後半、7曲目「ヴィーヴォ」のトロンボーンから、終曲の「フィナーレ」まではかなり弾けてストラヴィンスキーらしい響き。2曲目「セレナータ」と6曲目「ガボット」は、オーボエの長大なソロがあり、デビューしたばかりの首席の荒木良太が美しく吹いた。しばらくは研究員ながら才能ある若者が入団した。

 「詩篇交響曲」は交響曲というより宗教曲。管弦楽からヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネットを省き、オーボエとフルートを増強、合唱を伴った非常に変則的な編成。3つの楽章からなり、歌詞は旧約聖書の中の詩篇からとられている。第1楽章は、神に救いを求める祈り、短い序奏的な楽章。第2楽章は、神による救いがもたらされたことを歌う、ニ重フーガ。第3楽章はアレグロ、神への全面的な讃歌である。
 沖澤はオケと合唱をむやみに煽ることなく丁寧にコントロールし、内側から燃焼させていくような演奏。ヴァイオリンとヴィオラの代わりを合唱が担っている、と錯覚するほど管弦楽と合唱が混然一体となって進んで行く。第1楽章の木管によるオスティナート、第2楽章の5本のフルートと5本のオーボエによるフーガ、第3楽章の聖歌と信仰の喜び、そして安らぎ。ときとしてバッハを想起させる真摯な演奏だった。

 ストラヴィンスキーは、音楽を構成するありとあらゆる材料を使って、様々なスタイルの作品で世間をあっと言わせてきた。が、もともと音楽の未来に過分な希望など抱いていなかった人である。自らの精神世界を音にしようとは多分思わなかった。例外は、この「詩篇交響曲」である。
 「詩篇交響曲」が作曲されたのは1930年、恩人(もう少し複雑な関係かも知れない)ディアギレフが亡くなった翌年である。ボストン響のクーセヴィツキーから「管弦楽のための大衆に馴染みやすい曲」との依頼だった。にもかかわらず、応えたのがこの宗教曲。追悼と信仰という個人的な感情を聴きとってみたくなる曲である。事実、第3楽章などは、即物的で徹頭徹尾ドライなストラヴィンスキーにしては、人間味あふれる哀悼と鎮魂を感じさせる。受け取ったクーセヴィツキーもストラヴィンスキーの気持ちを分かっていたのだと思う。
 アメリカに住んでいたストラヴィンスキーは、晩年、「死んだらヴェニスのディアギレフの墓の隣りに埋葬してほしい」と遺言を残し、そのように葬られた。ストラヴィンスキーのディアギレフに対する特別な感情を、「詩篇交響曲」のなかに指摘しても大きな間違いではないだろう。

 「ペトルーシュカ」は、「謝肉祭の市」「ペトルーシュカの部屋」「ムーア人の部屋」「謝肉祭とペトルーシュカの死」の4部構成、魂を持ってしまった人形の物語。カーニバルの喧騒と突然の静寂、長閑な雰囲気、嬉しい気分や悲しい気分が次から次へと湧き出てくる。即興のように新しいテーマが飛び出し、様々なイメージが噴出する。変拍子、解放されたリズム、音響の快感、ストラヴィンスキーの白日夢である。
 「ペトルーシュカ」は、おもちゃ箱をひっくり返したような曲だが、沖澤の手にかかると雑然としたところがない。各楽器の音が整理され、多くの色彩があふれ、終盤に向かって熱量を高めて行く、その手腕は見事というしかない。しかし、優等生すぎるような気もする。もう少し騒々しいところ、けばけばしいところ、荒々しいところがあってもいいのではないか。
 今日のストラヴィンスキーの3曲、沖澤の資質からいえば「詩篇交響曲」が一番合っていたように思う。

 東響のコンマスは小林壱成。心配をしていた管楽器の首席奏者たちの退団は、フルートに竹山愛、オーボエに荒木良太が入団して一安心。あとはホルンとトランペット。今日も上間さんと澤田さんには感嘆するばかりであったが、1人の首席では厳しい。さらに補強し万全の体制になることを望みたい。