『インディ・ジョーンズ』最新作 ― 2023年08月21日 16:50
『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』
原題:Indiana Jones and the Dial of Destiny
製作:2023年 アメリカ
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド、
ジェズ・バターワース他
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ハリソン・フォード、マッツ・ミケルセン、
フィービー・ウォーラー=ブリッジ
『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』のファーストランは、そろそろ終了かも知れない。たまたま手頃な午後からの上映をみつけたので、遅まきながら観てきた。
シリーズ5作目、前作から15年ぶり、多分これがシリーズ最後となる作品。第1作目の『失われたアーク<聖櫃>』の公開は1981年だから40年以上も昔のことだ。
出だしは第二次大戦のさなか、インディは若い。ハリソン・フォードの顔はAI技術を使ったCGマスクである。この若返り技術を批判的にとらえる向きもあるけど、もともと映画は仮想を現実のように見せかける術。時間を行き来し、空間を飛び越える。過去を描き、未来を創る。宇宙の果てから地の底まで映し出す。人物の容姿を若返らせることなどは必然、不可能を可能たらしめるのが映画そのものだと言っていい。
列車の屋上におけるナチとの闘いもスピーディーで激しい。先の『M:I』もそう、爆走する列車上での闘争はアクッション映画の定番メニューのようだ。
一転して現代、25年後の月面着陸した年に移る。インディは引退が目の前の大学教授、白髪、くたびれた肉体を晒す。ヨボヨボで無残なほど。観ているほうはとても男盛りのアクションを期待できない、と思う。
ところが、そこへ親友の娘ヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)があらわれ、否応なしに冒険に巻き込まれて行く。あれよあれよという間に観客の“期待できない”を裏切っていく。
ニューヨークにおけるアポロ宇宙船の帰還祝賀パレード。花吹雪のなか群衆を蹴散らせ老人が馬で駆け抜ける。何を血迷ったか乗馬のまま地下鉄と競争する。それから先は、元ナチスの科学者フォラー(マッツ・ミケルセン)を相手に、歴史的遺物「運命のダイヤル」を巡る争奪戦を繰り広げる。
モロッコ、ギリシャ、イタリアなどへ舞台を移し、おんぼろのトゥクトゥク(三輪自動車)で逃走、海中での探索(これにはスペインの名優アントニオ・バンデラスが同行)、お決まりの洞窟での墓探しなどを経て、旅の最後は飛行機からのダイビング。時空を超えとんでもない出会いを果たす。
インディの古い友人であるサラー(ジョン・リス=デイヴィス)が登場し、ヘレナの相棒でモロッコの少年テディ(イーサン・イシドール)も大活躍する。この少年、姿形は全く違うが、どうしたって2作目『魔宮の伝説』のキー・ホイ・クアンを思い出させる。
映画の大詰めは、懐かしい人が戻って来てホロリとさせる。シリーズを終えるにあたっての美しい幕引きが用意されている。
製作総指揮はスティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカス。
監督はスピルバークに代わって『3時10分、決断のときの』ジェームズ・マンゴールドが務めた。シリーズ全体をリスペクトし、過去作を丁寧に模倣する。これは批判するのではない、大いに賞賛すべきことだ。このシリーズをずっと観てきた者からすると、この最新作のすべてが過去作の一場面一場面を追憶しているようで懐かしい。
脚本はジェームズ・マンゴールドのほかジェズ・バターワースなど。荒唐無稽なストーリーはいつものことだけど、物語はよく練られている。とくに終盤、これまでと同様、超常現象が生じたあと、考古学者インディのアイデンティティが浮かび上がるところや、社会と家庭から疎外されていた老人インディが迎える結末は、これ以上なく素敵な映像だ。
音楽は御年90歳のジョン・ウィリアムズ、「レイダース・マーチ」が響きわたり、悪の時代である「Germany,1944」、「ヘレナのテーマ」「モロッコへ」などが奏でられ、終幕では、あの「マリオンのテーマ」が感動を誘う。映像と一緒に聴く彼の音楽は格別である。
ハリソン・フォード80歳、『スター・ウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』で半世紀近く主役を演じてきた。もはや伝説的存在というべきだろう。
この映画は製作・脚本・監督・音楽が、<レジェンド>ハリソン・フォードの花道を飾っているように思える。幸せな俳優である。そして、彼を見守る観客もその幸せをお裾分けしてもらえることになる。