2022/2/12 金山隆夫×みなとみらい21交響楽団 マーラー交響曲第7番2022年02月12日 20:57



みなとみらい21交響楽団 第22回定期演奏会

日時:2022年2月12日(土) 14:00 開演
会場:サントリーホール
指揮:金山 隆夫
共演:テナーホルン/外囿 祥一郎
演目:レスピーギ/交響詩「ローマの噴水」
   マーラー/交響曲第7番ホ短調「夜の歌」


 マーラーの交響曲のなかで一番演奏機会が少ないのは「7番」だろう。
 たしか、小澤征爾が村上春樹との対談で、マーラーの「7番」と「3番」はヘンテコな交響曲だと話していて、二人で盛り上がっていたはず(『小澤征爾さんと、音楽について話をする』新潮社、2011年)。
 むかしの楽曲解説やレコード評でも「7番」と「3番」は、ほとんど取り上げられることがなかった。だからというわけでもないが、マーラーの音盤を購入した順序も、最初が「1番」と「2番」で両方ともワルター。次いでバースタインの「4番」、クーベリックの「5番」と「8番」。そのあとワルターの「大地の歌」、バルビローリの「9番」、セルの「6番」。最後にホーレンシュタインの「3番」とクレンペラーの「7番」という具合だった。
 このクレンペラーの「7番」が全曲100分を要する極めて変態的な演奏で、度肝を抜かれ、よほど吃驚したのだろう、一度実演を聴きたいと心待ちにしていた。もっとも当時は、地方に居たこともあって、なかなか生演奏に接する機会はなかった。

 それから数十年、変わるわな、時代も。最近はときどきライブで聴くことができる。アマチュア・オーケストラでさえ演奏するようになった。今回はそのアマオケ。ユーフォニアムの名手、外囿祥一郎さんが客演するというので早々とチケットを取っておいた。
 みなとみらい21交響楽団の設立は、HPによれば10年ほど前。歴史は浅いが初回の演奏会からマーラーの「交響曲第9番」という超難曲に挑戦、その後も比較的マーラーの曲を多く取り上げているようだ。
 トラの応援はあるものの、ほぼ16型3管編成。木管も弦も男性が多い、むしろ金管の数人の女性が目立つくらい男性上位。働き盛りの年齢の人たちが主体だから、職をこなしながら精進しているわけだ。感心する。演奏水準も高い。もちろんパートによって優劣はあるが、ひと昔とは言えないまでも、ふた昔前の地方のプロオケくらいの力はある。

 前段にはレスピーギの「ローマの噴水」。
 交響詩「ローマ三部作」の第1作目。15分ほどの演奏時間のなかに、夜明け、朝、真昼、黄昏におけるジュリア谷、トリトン、トレヴィ、メディチ荘の4つの噴水が描かれた音楽。贅沢にもサントリーホールのオルガンも鳴らす。色彩感いっぱい。ほとんどフルメンバーが出場して、オケの暖機運転には丁度よかったかも。

 休憩後、マーラーの「交響曲第7番」。
 「7番」は、3楽章のスケルツォを挟んで前後に夜曲(2楽章と4楽章)をおき、それぞれの夜曲の外側に最初の楽章と最後の楽章を配置するというシンメトリーな構成となっている。
 1楽章はテノールホルンの指定があり、中音域の特色ある音が朗々と会場に響き渡る。外囿さんの見せ場である。もっともテノールホルンの出番は1楽章だけ、2楽章以降はお休みである。1楽章はいつものマーラーの葬送行進曲で、ちょっと暗く重い。様々に展開され、後半、トランペットによる弱音のファンファーレとハープのグリッサンドのあとに広がる世界は、神秘的で感動的だった。
 2楽章は夜曲とはいうものの、ホルンの掛け合いによる序奏からはじまる。ここでのホルンが立派。トップは若手、相手の3番は年配者だけど息は合っている。この先の4楽章もそうだが、ふたつの夜曲ではホルンの難しいソロが頻発する。トップはほんとに上手い。マーラーの音楽が崩れない。遠目から見ると、いや遠目だからか、吹く姿も待機している仕草も読響の日橋さんに似ている。序奏についで行進曲となる。序奏のテーマはこの後何度も現れる。チェロやオーボエの沈み込むような旋律も寂寥感を漂わせていた。
 3楽章は不気味なワルツ。シニカルでグロテスクで奇怪な音楽。各楽器とも特殊奏法が用いられ、打楽器が効果的に打ち込まれる。全曲の中心にあって、演奏時間は最も短い。
 4楽章がふたつめの夜曲、シンフォニーでは珍しいギターとマンドリンが参加する。まさにセレナーデ。ささやくように愛を歌う。この甘美で平和な世界は永遠なのか一時なのか、本物なのか偽物なのか、あまりにも平穏だから、疑いの気持ちが生じるのは当たり前だろう。
 最終の5楽章、ティンパニが主導する。そして問題はこのフィナーレ。突然のドンチャン騒ぎ、喧騒と狂乱。能天気な明るさに満ち、いっそ軽薄と言いたいほど。暗から明、闘争から勝利といった交響曲のドラマを完結させるフィナーレではない。1楽章の主題が回帰してくるけど、起承転結などは無視しても構わない、といった風。コーダなど御丁寧にもカウベル、鐘、銅鑼などの打楽器を総動員し、ハチャメチャのまま終わる。パロディというか、交響曲を書いていながら“交響曲とは何ぞや”と、交響曲そのものに言及しているよう。

 マーラーの「7番」は、ベートーヴェンやブルックナーのように一貫した世界観で捉えるものではないようだ。各楽章それぞれが独立したコラージュ的な作品といったらよいか。それでも全体は先に触れたように対称的な構成で、対位法も駆使してがっちりとつくられ、手が込んでいるけど。
 ショスタコーヴィチはマーラーから大きな影響を受けているが、多分、彼が最も好んだのは「7番」だろうと想像してみる。多義性、皮肉、暗喩、自己韜晦などの入れ物として、「7番」は如何様にも参考にできそうに思える。やはり、マーラーは“新しい交響曲の創始者”であり、“交響曲破壊の先達”であった。

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