しもやけ2022年03月01日 07:05



 この冬の半ば以降、ずっと「しもやけ」に悩まされてきた。
 手? 足? いや、耳に、である。

 たしかに、耳は他人様より大きいかも知れない。外側にも張り出している。表面積が広く寒風に晒されやすいとはいえる。
 しかし、長いあいだ生きてきたが、耳に「しもやけ」なんてことは初めて。温暖化などと好い加減なことを言うものじゃない。この耳を見よ! むしろ寒冷化しているではないか。
 それとも、歳でよほど血行が悪くなっているのだろうか。手足じゃなくて耳の血行が。そういえば脳の働きもますます鈍い。身体の上部に血液が廻りづらくなっている。

 耳輪や耳朶など所々かさぶた状態である。耳が熱を持つせいで顔までポッポと火照る。
 先日、慢性疾患で通っている病院の先生に、「ひどいね、顔に塗るクリームでいいから耳につけてください」と言われた。
 床屋へ行ったら、「オートバイに乗っているの? 痛痒いですよね」と言う。まさか、オートバイに乗る年齢でもなかろうに。
 まぁ、同情されるのは悪い気持ちでない、ありがたく受け取っておいた。

 ここ数日はずいぶん気温が上がって暖かくなっている。風も穏やかで、心持ち痛痒さも薄れてきた。
 もう3月、春の入り口である。沈丁花も綻びだした。この調子であれば「しもやけ」の完全治癒まで、そんなに日数はかからないだろう。
 このあと、2カ月先のGW明けに向けて、こんどは花粉症の対策で忙しくなる。

ウエスト・サイド・ストーリー2022年03月02日 16:49



『ウエスト・サイド・ストーリー』
原題:West Side Story
製作:2021年 アメリカ
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー
音楽:レナード・バーンスタイン
出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、
   リタ・モレノ


 レニーの愛称で親しまれたレナード・バーンスタインが亡くなって、はや30年になる。享年72歳であった。戦時中にニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者となり、急病のブルーノ・ワルターの代役でニューヨーク・フィルを指揮、センセーショナルなデビューを飾る。その後、アメリカ生まれの指揮者としては史上初となるニューヨーク・フィルの首席指揮者(1958年)、次いで音楽監督に就任する。
 バーンスタインは日本とも縁が深い。小澤征爾はバースタインのもとでニューヨーク・フィルの副指揮者を務めた。北米における小澤のキャリアの数々はレニーの助力もあったはずである。大植英次、佐渡裕などもバーンスタインに師事した。調べてみると来日は7度に及ぶ。亡くなる年の1990年には札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)を立ち上げ、後進の育成に最後まで力を尽くした。

 レナード・バーンスタインの実演は、ついに聴くことがなかった。地方に住んでいたせいもあるが、それなら夜行列車を乗り継いで聴きに行ったベーム×ウィーンフィルは何だったのか。当時は生意気にもアメリカ人指揮者を疎んじる気持ちがあったのだろう。
 彼のレコードもマーラーの「交響曲4番」とショスタコーヴィチの「交響曲5番」の2枚しか持っていなかった。だけど、両方とも溝が擦り切れるほど聴いた。それなのにライブへ行こうとは思わなかった。愚かというほかない。

 そのバーンスタインがニューヨーク・フィルの首席指揮者になる前年、39歳で作曲したのがブロードウエイのミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」である。それがのちに映画となる。ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズの『ウエスト・サイド物語』(1961年)として。
 今回、スピルバーグが60年ぶりにリメイクしてくれた。旧作は映画館で観ていない。ようやくの大画面、念願がかなった。

 「ウエスト・サイド・ストーリー」から編曲した「シンフォニック・ダンス」は、20世紀の重要なオーケストラ作品。音楽のみで充分に説得力があるけど、画面の踊りとともに聴く「マンボ」「チャチャ」などの破壊力は強烈だ。指揮はグスターボ・ドゥダメルとクレジットされていた。激しい動きの絵は? スピルバーグだもの安心して観ていられる。
 それと映像と一緒に流れたときの「マリア」「トゥナイト」のメロディーラインの素晴らしいこと。ロミオとジュリエットであるアンセル・エルゴート(トニー)とレイチェル・ゼグラー(マリア)の若さがまぶしい。旧作に出演したリタ・モレノも、製作総指揮を兼ねつつドクの店の主人として「サムウエア」を歌う。とてもとても90歳には見えない。
 ミュージカルとしては珍しく移民や人種問題など、現在まで増幅され引き摺っているテーマを扱う。50年代や60年代であれば、それがアメリカの自由と寛容と活力の象徴でもありえたかも知れない。しかし、今日では分断や亀裂の深刻化と国家の衰退としてしか感じ取れない。街路に繰り出し大スケールのダンス・シーンで歌われた「アメリカ」を、もはやそのまま賛歌として信じることができなくなっている。

 相変わらず停滞の一方で、自国さえ自分で守ろうとしない東洋の片隅から偉そうには言えないが、リビア、シリア、香港、アフガニスタン、ウクライナなどに応対する欧米の体たらくぶりに、信頼の喪失をみるのは仕方あるまい。ロシア、チャイナの横暴は論外だが、欧米指導者層の利権にまみれた他国への干渉が、たびたびの不幸を生み出している。
 さらには民主主義下の国民だって、情報操作のもと恐怖を植え付ければ、思考停止のまま強制され誘導されることを厭わない、ということがここ2、3年ではっきりして来た。自由の看板を掲げつつ制御可能なのだ。このままでは専制を目指す者たちの高笑いと、民主主義信奉者たちの敗北だって予想できないわけではない。

 そういえば、レナード・バースタインは、ウクライナ系ユダヤ人の移民2世であった。ウクライナの困難は、世界の困難の序奏になるのだろうか。

2022/3/5 川瀬賢太郎×神奈川フィル 退任公演:マーラー交響曲1番2022年03月05日 22:33



神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会第375回
(神奈川フィル創立50周年記念公演)

日時:2022年3月5日(土)14:00
会場:神奈川県民ホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:ピアノ/小曽根 真
演目:ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18
   マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」


 残念ながら本公演をもって川瀬賢太郎が神奈川フィルの常任指揮者を退任する。在任8年、川瀬に注目したのはここ3、4年に過ぎないけど、毎回楽しませてもらった。
 今日の公演、マーラー「交響曲第8番 千人の交響曲」の予定が、舞台上の人と人との距離が確保できないということで曲目変更となった。もともと、この「千人の交響曲」は、2020年の11月に神奈川フィル創立50周年記念として企画されたもの。ウーハン・コロナのせいで延期され、川瀬の任期ぎりぎりの1年半先送りし、再挑戦を目指したがやはりダメだった。

 曲目変更で前半は、小曽根真のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」が演奏されることになった。
 小曽根さんとは2度目である。最初に聴いたのは数年前のこと。でも、ほとんど何も覚えていない。モーツァルトの協奏曲をノット×東響と共演したと思う。
 調べてみると2017年、モーツァルトの「ピアノ協奏曲 第6番」だった。ブルックナーの「交響曲 第5番」がメインプログラム。しかし、こうして公演の輪郭がはっきりしても記憶が戻ってこない。ブルックナーでさえ茫漠としている。ノットだから会場で興奮させてくれたことは間違いないだろうが、そのときの音楽が身体に刻み込まれていない。ブルックナーが覚束ないのだから前段のモーツァルトは尚更。ソロにも特段惹かれるところがなかったのだろう。
 そして、今回は苦手なラフマニノフ。「ピアノ協奏曲第2番」は彼の作品のなかでも演奏頻度は高いが、いつまでたっても馴染めない。ラフマニノフもチャイコフスキーも作品に含まれる湿気が多すぎる。
 それはともかく、小曽根さんの演奏。ラフマニノフのピアノとしては少々軽めだけど、ジャズ風というか即興風というか耳慣れないモチーフが散りばめられ、その意味ではライブ感満載で面白かった。しかし、やはりラフマニノフの苦手意識は払拭されない。
 アンコールは、小曽根さんの自作「My Tomorrow Your Tomorrow」、川瀬のリクエストだという。

 後半は、マーラーの「交響曲1番 巨人」。
 以前、この曲はマーラーが友人ロットの生涯を描いたもの、ロットへのオマージュではないかと書いた(http://ottotto.asablo.jp/blog/2021/05/28/9382163)。それを確認させてくれるような演奏だった。
 第1楽章と第2楽章はアタッカ。そのあと、かなり間をとり、第3楽章と最終楽章をまたアタッカで繋いだ。つまり「春、終わりのない」と「順風に帆をあげて」を一体とし、場面転換をしてから「座礁、カロ風の葬送行進曲」を経て「地獄から天国へ」という、生と死の物語として、である。
 テンポは全体に遅く、ゆっくりした語り口。せわしない伸び縮みもない。そのためもあってか音楽の彫は深く、各楽器から予期せぬ音が聴こえてくる。弦5部はそれぞれが自己主張し、管はそれぞれが意味を伝える。第1楽章は鳥の声が呼び鳴き、確かに春ではあるが、将来を予感するかのように、ただならぬ雰囲気が漂う。第2楽章はロットから引用したテーマが跳ね回り順風満帆だ。一転して、第3楽章は突然の葬送。いつもなら、ちょっと滑稽に感じることもあるけど、川瀬は最初から最後まで悲しみの音楽をつくった。コントラバスの米長さんの素晴らしいソロが、各楽器に引き継がれ盛り上がって来るところで涙腺が決壊した。中間部の鄙びた民謡風の節回しでさえ悲劇性をおびる。最終楽章の激しい音楽が不思議にも静寂を呼び込む。迫力に不足はないものの、絶叫することはなく、どこか優しさに包まれて終わる。

 マーラーの「交響曲1番 巨人」は、繰り返し聴いている曲だけど、納得できる演奏に出会うのはなかなか難しい。鮮明に覚えているのは、ウラディミール・ユロフスキ×ベルリン放送交響楽団とか、ヴァシリー・ペトレンコ×オスロ・フィルハーモニー管弦楽団とか。これらは公演前半の協奏曲も名演で、記憶が増幅されているせいもある。ユロフスキのときは、アンスネスが弾いたモーツアルトの「ピアノ協奏曲21番」、ペトレンコのときは、諏訪内晶子のメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」だった。
 そうそう、ペトレンコのちょっと前に、同じ「巨人」をバッティストーニ×東フィルで聴いた。このときのバッティストーニは、まだ東フィルの現ポジションに就く前だったと思う。指揮を予定していたアロンドラ・デ・ラ・パーラが妊娠して公演をキャンセル、バッティストーニが曲目を変更せず代役を務めた。しかもマーラーを初めて振ったといういわくつきのコンサート、これが凄い演奏だった。
 バッティストーニにとっては、初めてのマーラーなのだから、当然、マーラーの交響曲全体を見渡して、「大地の歌」とか「9番」「10番」とかを踏まえて解釈した「巨人」ではない。マーラーが新しい音を発見しつつ「交響曲1番」を作曲したときの、出来上がったばかりの作品に立ち会ったようなものだ。とてつもなく新鮮で強烈なマーラーを聴かせてもらった。これが今までのベストワンだ。

 川瀬は、バッティストーニ同じくらいの年齢だろうが、解釈は老獪といっていいほど。この優しさ、愛おしさはどこから来るのだろう。ロットの「交響曲」を研究し演奏したことで、マーラー音楽に対する解釈が変貌したと想像してみると楽しい。
 今日のこれは、バッティストーニの対極にありながら、バッティストーニ×東フィルを凌ぐ演奏ではあるまいか。演奏が終わって、熱狂的な拍手のなか、ふと、ワルター最晩年のレコードを聴いた時の感触がよみがえってきた。

 オケは14型、コンマスは石田泰尚。﨑谷直人も舞台に乗って、ツートップのはずであったが、﨑谷さんは体調不良で降板。﨑谷さんもこの3月で神奈川フィルを卒業である。出演できないのは慙愧に堪えない思いだろう。
 終演後、川瀬が何度か拍手で呼び戻される。3度目か4度目、川瀬は﨑谷さんの顔がプリントされたTシャツで登場した。着替えたわけではない、出演できなかった無念の﨑谷さんにかわって、このTシャツを正装の下に着こんで指揮をしたのだろう。
 この川瀬の友情、心づかい、優しさが、今日のマーラーのすべてを物語っている。

 3月下旬に、川瀬は常任客演指揮者を務めているオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)を率いて東京へ来る。今月もう一度、川瀬を聴く予定である。

ゴヤの名画と優しい泥棒2022年03月12日 15:06



『ゴヤの名画と優しい泥棒』
原題:THE DUKE
製作:2020年 イギリス
監督:ロジャー・ミッシェル
脚本:リチャード・ビーン、クライブ・コールマン
出演:ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、
   マシュー・グード


 もうすぐ春ですねえ……「春一番」を口ずさみたくなるような。いやいや、もう春ですねえ。ここ数日の暖かさで、耳の「しもやけ」は、あっという間に完治した。
 で、映画。ダ・ヴィンチ(http://ottotto.asablo.jp/blog/2022/02/25/9467306)に続いてゴヤを観てきた。
 『ゴヤの名画と優しい泥棒』という邦題は、ちょっと説明的で野暮ったいけど、原題の『THE DUKE』のままでは集客が難しかろう。

 またもや、ロンドンのナショナル・ギャラリーが舞台。1961年、実際に起きたフランシスコ・デ・ゴヤの「ウェリントン公爵」盗難事件が元ネタの、嘘のような本当の話。200年の歴史を誇るナショナル・ギャラリーで絵画が盗まれたのはこの一度だけだという。
 監督は『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッシェル。ミシェルは昨年惜しまれつつ逝去したから本作が遺作となった。

 あらすじは、妻と息子と小さなアパートで年金暮らしをするケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)が、テレビで孤独を紛らしている高齢者たちの生活を楽にしようと、盗んだ名画を身代金に公共放送(BBC)の受信料無料化を企てる。しかし、事件にはもうひとつの別の真相が隠されていたというもの。日本も英国と同じで、BBCをNHKに置き換えると身につまされる。

 最初は独りよがりの夢想家で偏屈な迷惑老人の話かとドン引き。ところが、最後、どんでん返しというほどではないものの、夫婦愛、親子愛がじわりと盛り上がってきて心温まる。長年連れ添った妻ドロシー(ヘレン・ミレン)とのやりとりなど会話劇としても楽しめる。オスカー俳優同士の丁々発止が爽快。
 後半の裁判シーンでは、ケンプトン・バントンの雄弁とユーモアに笑い、控え目な弁護士(マシュー・グード)の最終弁論に泣く。マシュー・グードは『ガーンジー島の読書会の秘密』(http://ottotto.asablo.jp/blog/2021/09/11/9422203)でもヒロインの担当編集者として好演していた。

 映画の背景で流れるジョージ・フェントンの音楽は、全体にジャズっぽく乗りがいい。と同時に、突然モーツァルトの「初心者のためのピアノ・ソナタ」を挿入したりして意表をつく。映画も音楽もなかなか味が深い。

ゲルギエフとマツーエフ、そしてネトレプコ2022年03月14日 17:14



 ウクライナ問題でロシアへの非難の声が大きくなっている。批判の矛先は政治と直接関係ない音楽の世界にも向けられ、欧米ではロシア人というだけで、明らかな差別が公然と横行しているようだ。

 ゲルギエフがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者の職を解かれ、スイスの音楽祭の音楽監督も解任された。ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団も関係を停止するという。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューヨーク公演は降板させられ、ソリストのマツーエフも交代した。ミラノ・スカラ座にも出演できなくなった。フィルハーモニー・ド・パリはマリインスキー劇場管弦楽団の公演中止を発表した。ゲルギエフはプーチン大統領と親しい関係にあるからだという。
 ソプラノのアンナ・ネトレプコも、メトロポリタン・オペラで今シーズン及び来シーズンの公演を拒否された。プーチン大統領と公に距離を置くのを拒んだ結果だという。

 敵対国の指導者の非道に腹を立てるのは当然としても、その国の人間というだけで政治的立場を無理やり表明させ、そうでなければ迫害して構わないと考えるなど異常というしかない。かの国は悪だと決めたら、その国の国民を不当に扱っていいという精神こそがおかしい。いかにも自分らは正義に満ちた国々であるという態度を誇示するために、ロシアの音楽家たちを虐待しているようなものだ。

 幸いわが国では、この10日~13日、ミハイル・プレトニョフが来日し、東フィルの定期公演を振ったという。予定通り無事開催されて良かった。