2025/3/30 ヴァンスカ×東響 ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」とプロコフィエフ「交響曲第5番」2025年03月30日 21:57



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第99回

日時:2025年3月30日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:オスモ・ヴァンスカ
共演:ピアノ/イノン・バルナタン
演目:ニールセン/序曲「ヘリオス」
   ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番ハ短調
   プロコフィエフ/交響曲第5番変ロ長調

 
 今年度最終の東響川崎定期公演。
 指揮のヴァンスカは一昨年都響とのシベリウス後期交響曲集(5~7番)を聴いている。あのときは聴き手の体調が最悪で、残念ながら集中力を欠いたまま、ぼんやりと過ごしてしまった。今日は再挑戦である。

 デンマークの作曲家ニールセンの演奏会用序曲「ヘリオス」からスタート。日の出の静かでゆったりした序奏部分、真昼の明るく輝かしい中間部分、日没の穏やかな結尾部分、の3部構成で、日が昇り沈むまでを描写する。
 ヴァンスカは落ち着いた足取り。最弱音の低弦のうえを4本のホルンが順番にファンファーレを奏でる。上間さんをトップにしたホルンの柔らかな響きがホールを満たす。太陽が昇るにつれ弦楽器のうねりが盛り上がる。ヴァンスカは音が欲しいパートには身体ごと向き合い、手を掬うようにして音を要求する。トランペットの吹奏をきっかけにテンポを早め真昼へ。最強奏のクライマックスから、曲は時間をかけ徐々に穏やかになる。木管楽器の朴訥なメロディーを経て、ホルンとヴィオラが日が沈む様子を描き、最後は低弦が消え入るように曲を締めくくる。親しみやすい作品で演奏会の幕開けにもふさわしい。

 イノン・バルナタンが登場し、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」。ベートーヴェンのピアノ協奏曲は「第4番」と「第5番」の機会が多く、「第3番」は久しぶり。バルナタンはニューヨークを拠点にし、朋友であるアラン・ギルバートとのレコーディングや共演が目立つようだ。
 今日一番の収穫はこのバルナタン。ひとつひとつの音に質量がぎっしり詰まっている。極めて表情が豊かで表現の幅が広い。弱音も強音も音が崩れない。低音から高音までの音域が広く感じる。アメリカにこんな素晴らしいピアニストがいるとは不覚だった。ベートーヴェンが重すぎることなく薄っぺらにもならず、程よい具合にしっかりと鳴った。
 第1楽章はドラマティックで男っぽい。単純な動機が反復する。オケとピアノがときに対話を交わし、ときに対立をみせる。協奏曲でのヴァンスカは百戦錬磨だろう。ソリストに寄り添い音を引き出し、オケを煽り抑える絶妙のコントロール。カデンツァは、バルナタンが思う存分の技巧を繰り広げた。第2楽章は深い祈りに包まれた美しいラルゴ。オケとピアノが和解し優しく歌い涙を誘う。第3楽章は、軽快で華やかだけどどこか悲壮感がただよう。ピアノとオケの音が一体となって力強い。
 久しぶりの「第3番」とはいえ、これだけの有名曲、過去それなりに聴いてきた。そのなかでも今日のバルナタン+ヴァンスカ×東響はベストワンというべき演奏だった。

 独ソ不可侵条約を破棄し第三帝国軍がソ連に侵攻する。祖国愛に目覚めたプロコフィエフは交響曲を書く。その「第5番」交響曲。
 ヴァンスカは重厚な音づくり、テンポもかなり遅い。低音楽器が強調される、というかほの暗い音色でもって雄大にじっくりと描いていく。
 第1楽章はファゴットとフルートの長閑な主題で開始されるが、主題は次々と転調を重ね、拍子を変えていく。ヴァンスカは各パートに細かく指示を与えつつゆっくりと進む。展開部を経て再現部となってもあまり物語を意識させない。変奏曲のようだと勘違いする。第2楽章は奇怪なスケルツォ、ここでもヴァンスカは急がない。いつもなら機械的な音楽に聴こえることが多いけど、なぜか自然の風景が目に浮かんだ。第3楽章の無機的で冷たいアダージョも、ヴァンスカの手にかかると人肌のぬくもり。終楽章は冒頭牧歌的な主題が登場するが、チューバが縁取る主題は第1楽章の第1主題、ここで全曲が同じ物語であったと思い起こす。楽器が原色で彩られると、打楽器がけたたましく打ち鳴らされ音の洪水となる。圧倒的な興奮が押し寄せて来た。
 「第5番」は聴くたびに様々な相貌をみせる。オケの性能に依存する部分も大きいが、ヴァンスカは不思議な魅力を持ったこの作品で真価を発揮した。またヴァンスカを聴いてみたい。再挑戦の甲斐があった。

 演奏が終わり、指揮者が拍手に迎えられ何度か舞台に出入りし、舞台から去ったあと、コンマスの田尻順(ニキティンが急病で代役を務めた)が客席に一礼し、オケが解散というとき、フルートの相澤さんに花束が贈られた。
 数々の名演を披露した相澤さんはこの演奏会をもって退団する。在学中に入団し在籍35年というから定年ということだろう。客席には多くの人が残り、あたたかい拍手がいつまでも続いていた。
 フルートはオケ全体の性格を規定し主導するというが、そのノーブルで気品ある音色は間違いなく東響の象徴であった。この先は母校での後進の指導が中心となるのであろうか。寂しいかぎりであるが、この先の活躍を切に祈りたい。