2025/3/20 R.アバド×東響 「幻想交響曲」とシューマン「交響曲第4番」 ― 2025年03月20日 22:14
東京交響楽団 名曲全集 第205回
日時:2025年3月20日(木・祝) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ロベルト・アバド
演目:シューマン/交響曲第4番ニ短調 op.120
ベルリオーズ/幻想交響曲 op.14
東響と初共演というロベルト・アバド。ご存じクラウディオ・アバドの甥にあたる。ボローニャ歌劇場の首席指揮者。甥っ子といってもすでに70歳、身体はそんなに大柄ではなく細身、腹も目立って出ていない。金髪に白いものが混じり、歳相応の皺が顔には刻まれていたけど、動作はしっかりしていて老人の雰囲気は全くない。2曲とも指揮棒は用いなかった。オペラを振るときも持たないのかしら?
シューマンの「交響曲第4番」は、出版年次でいうと最後の交響曲となっているが、実際に書かれたのは「第1番」に続く2番目の交響曲、クララへの誕生祝として贈られたものらしい。誕生プレゼントとして交響曲とは、なんて素敵な。初稿から10年後に改訂され、シューマンは「交響的幻想曲」と呼んだというから、今日のプログラムは「幻想」繋がり、ということだろう。
全楽章がアタッカで演奏され、曲全体に一体感とある種の緊張感をもたらしている。アバドのシューマンは流麗ながらドラマチックな演奏。第1楽章は重々しい響きに包まれた序奏から次第に活力に満ちた主部へ。アバドは暗い情熱に満ちたこの楽章において、オケの各パートを次々と絡み合わせながらその旋律を浮き彫りにしていく。第2楽章は心の底に響くような物憂げな主題が登場する。荒絵理子のオーボエと笹沼樹のチェロのユニゾンが美しい。コンマスの小林壱成のヴァイオリンも寂しげな感情を奏でる。第3楽章はスケルツォだけど軽やかな楽しい気分はなく、アバドの作りだすスピード感とリズミカルな動きが熱い。温かみのあるトリオからそのまま、第4楽章の序奏へ、ここは神秘的で高揚感があり「第4番」の聴きどころかも知れない。明るさを取り戻したテーマが現れ、そうこうするうちに活気あるリズムのなかで壮大なフィナーレを迎えた。
ベルリオーズの「ある芸術家の人生におけるエピソード」を読むと“幻想の物語”というよりは阿片による“幻覚の物語”と言えそうな「幻想交響曲」。
固定楽想が全曲を貫き、ハープやイングリッシュホルン、鐘など今までの交響曲では使用されなかった楽器を取り入れ、弓の棹で弦を叩いたり、舞台裏に楽器を配置して舞台上と呼び交わしたり、4人の奏者で2組のティンパニを打つといった奏法を駆使し、オケの音色が大きく拡張された斬新な交響曲。この作品がベートーヴェン没後から3年しか経っていない、というのだから驚き。後世の交響曲に及ぼした影響は計り知れない。シューマンと並べると、時代としてどちらが先か後か分からなくなる。
で、アバドの演奏、オペラ指揮者だけあってとにかく物語の設計に隙が無い。奇をてらったところはないけど極めて劇的に表現する。オケは煌びやかによく鳴らし、ここぞというときには強烈な一撃も加える。しかし、筋書きがはっきりしていて秩序があり聴き手が身構えるから耳にうるさく感じない。テンポを細かく揺らしアッチェレランドも頻出するけど納得してしまう。感服、畏れ入りました。最上級の「幻想交響曲」だったといってよい。
オーケストラは全曲を通し弦5部のいずれかがきっちり主張し、何種類ものピッチカートの音に身震いした。そのうえを木管が美しく点描し、金管が輝かしく重なっていく。14型のオケのなかから小林だけでなくチェロの笹沼、ヴィオラの青木の個別の音が聴きとれたと錯覚したほど。荒、最上、相澤、濱崎、ヌヴー、近藤、福井など木管は鉄壁の布陣、それに加えて精度の高い金管とキレキレの打楽器、ともかく音が活き活きとして弾け散る。まさに最強の東響がここにあった。
アバドは初共演といいながらホールの音響を味方にして東響の美点をすべて引き出したような指揮ぶりだった。東響もミケーレ・マリオッティやロレンツォ・ヴィオッティなどイタリア系指揮者とは妙に相性がいい。アバドはまだまだ元気、再び三度、東響を振ってほしい。