2025/11/2 広上淳一×N響 魅惑の映画音楽2025年11月02日 21:56

 

N響 オーチャド定期 第134回

日時:2025年11月2日(日) 15:30 開演
会場:オーチャードホール
指揮:広上 淳一
共演:ピアノ/小林 海都
演目:伊福部 昭/SF交響ファンタジー 第1番
   モーツァルト/ピアノ協奏曲第21番 ハ長調K.467
   ラヴェル/ボレロ
   ファリャ/「三角帽子」第1番、第2番


 オーチャードホールは久方ぶり。バッティストーニ×東フィルの「トゥーランドット」以来。オーチャードホールでは東フィルとN響の定期演奏会を開催しているがあまり縁がない。今日はそのN響定期。映画で使われたクラシック音楽や映画音楽として作曲された「名画を彩るクラシック音楽」シリーズである。

 伊福部の「SF交響ファンタジー 第1番」からスタート。広上のテンポは遅く極めて重厚なつくり。途中のマーチなどはもう少し軽快なほうが好み。N響の弦は厚く、木管は透明感がある。金管の高音域は安定し、打楽器は鋭い。音圧が押し寄せ迫力満点、さすが第一級のオケである。
 伊福部の「SF交響ファンタジー」は「第3番」まである。ご存じ『ゴジラ』をはじめとする怪獣物や『宇宙大戦争』のテーマ等々を組曲にしたもの。実演では汐澤安彦や大植英次、山田和樹などを聴いて来たけど、汐澤が圧倒的で他を寄せ付けない。音盤では汐澤×東響のライブ録音や広上×日フィルのスタジオ録音などがあるものの、こればかりは生で比較しなければ公平ではない。
 で、今日ようやく広上を聴いた。結果は…N響という最高のオケを用いて完璧な演奏ではあったが、練達の広上でもやはり師匠には敵わない。「SF交響ファンタジー」は生も録音も汐澤の独壇場である。

 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」はスウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』で第2楽章が使われた。ソリストは先日のショパンコンクールに挑戦した小林海都、プログラムノートによるとピリスの弟子だという。小林のタッチはそれほど深くなく、軽やかで玉がコロコロと転がるように音が走っていく。と言って音量に不足はなく、明瞭できっちりとした音が届く。広上×N響は爽やかな伴奏をつけ、なかなかに素敵なモーツァルトだった。

 休憩後のラヴェル「ボレロ」とファリャ「三角帽子」は9月に大野×都響で聴いたばかり。もっとも演奏順序は逆なうえ、都響の「三角帽子」は「第2番」の組曲だけ。N響は「第1番」と「第2番」の両組曲を演奏してくれた。
 広上の管弦楽の制御は頭抜けている。ラヴェルにせよファリャにせよ各ソロに負担のかかる曲だが、決して無理強いをしない。奏者は知らぬ間に指揮者の思い通りにコントロールされ、気がつくと手のひらの上で踊らされている。広上の音楽は伸縮し飛び跳ねうねるけど則を超えることはない。だから、奏者も安心してその指揮に委ねることができるのだろう。大野×都響との対決は広上×N響の圧勝であった。

シティフィルの来期プログラム2025年11月03日 09:42

 

 先月末に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の来期(2026/4~2027/3)ラインナップが発表されていた。オペラシティ・コンサートホールにおける定期演奏会と、すみだトリフォニーホールの特別演奏会である。

https://www.cityphil.jp/news/detail.php?id=842

 オペラシティの定期演奏会はホール休館に伴い2026年7月に開幕する。また、ティアラこうとうの定期演奏会は会場の大規模改修が予定されているため休止となる。その代替がトリフォニーホールの特別演奏会ということだろう。

 指揮者は常任の高関健と首席客演の藤岡幸夫が軸となり、原田慶太楼や鈴木秀美、リオ・クオクマンが客演する。ソリストも邦人が中心である。プログラムはイギリス、イタリア、ロシア、アメリカ、日本の作品など多彩。マーラーの「交響曲第3番」、ブリテンの「戦争レクイエム」、冨田勲の「源氏物語幻想交響絵巻」といった大曲も用意されている。

 マーラー「交響曲第3番」と「戦争レクイエム」は高関健の指揮、来シーズンは神奈川フィル、新日本フィルもマーラーの「第3番」を予定しており競演となる。冨田勲の作品は藤岡が指揮をする。京言葉の語り手にオーケストラ、邦楽器、シンセサイザーを含む大規模な楽曲で、演奏されるのは珍しい。

読響の来期プログラム2025年11月06日 12:15



 読売日本交響楽団の2026/27シーズンプログラムが発表になった。サントリーホールの定期と名曲、東京芸術劇場とみなとみらいホールのマチネ―シリーズである。定期と名曲はサントリーホールが2027年3月から半年の間休館するため各9回の開催となる。

https://yomikyo.or.jp/2025/11/Yomiuri%20Nippon%20SO_2026-2027.pdf

 常任指揮者のヴァイグレはシーズン8年目を迎える。R.シュトラウスの「死と変容」や「アルプス交響曲」、マーラーの「巨人」や年末の「第九」を振る。首席客演指揮者のヴァルチュハはマーラーの「悲劇的」、ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」などを指揮する。
 他にはカンブルラン、尾高忠明、小林研一郎といった読響指揮者陣とともに、ツァグロゼク、ロト、上岡敏之、山田和樹などが登場する。なお、指揮者及びクリエイティヴ・パートナーの鈴木優人は2026年3月末、任期満了で退任するとのこと。

 今年は読響の演奏を聴いていない。定期会員になっていたこともあるが、中心となるサントリーホールが夜公演で毎度通うのが苦痛となり止めた。来シーズンも読響は遠くなりそうだ。

2025/11/9 デュトワ×N響 メシアンとホルスト「惑星」2025年11月09日 21:30



NHK交響楽団 第2048回 定期公演 Aプログラム

日時:2025年11月9日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:シャルル・デュトワ
共演:ピアノ/小菅 優
   オンド・マルトノ/大矢 素子
   女声合唱/東京オペラシンガーズ
演目:メシアン/神の現存の3つの小典礼
   ホルスト/組曲「惑星」作品32


 デュトワがN響定期に戻ってきた。昨年、NHK音楽祭へ出演したのは定期演奏会への地ならしだったようだ。N響の名誉音楽監督であり、20年ほど前に監督を退任したあとも毎年のようにN響を振っていた。が、セクハラ疑惑(告発記事があり本人は否定)によってN響との関係がおかしくなった。
 この騒動に対する日本のオケはどちらかというと鷹揚で、SKOや大阪フィル、新日フィル、九響などはデュトワを招いて彼の名誉回復に力添えしたようなところがあった。しかし、N響は役所体質が色濃いからひょっとしたらこのままか、と思ったけど、再び定期演奏会を任せることになった。デュトワはもう89歳、年齢から言っても嫌疑そのものが信じがたいが、真偽はさておき8年ぶりのN響定期復帰は目出度いかぎりである。

 前半はメシアンの「神の現存の3つの小典礼」。第二次世界大戦中に書かれ、戦後に初演された宗教曲。30人ほどの弦楽合奏とチェレスタやヴィブラフォン、タムタム、マラカスなどの鍵盤・打楽器、女声合唱にピアノとオンド・マルトノのソロが参加する。
 東京オペラシンガーズによる無調風の女声合唱と小菅優のピアノがとけあって美しい。大矢素子のオンド・マルトノも効果的でいかにもメシアンらしい。デュトワは多彩な響きと巧みなリズム処理で30分強の演奏時間を飽きさせない。息遣いは繊細で宗教音楽がむやみやたらに肥大することがない。それでいてスケール感に物足りなさはなく、各楽章の終盤での休止の間合いや緩急によって心憎いほどの頂点をつくり上げた。
 メシアンによれば全3楽章において神の存在の異なる側面を描いたのだというが、厳密な宗教曲として捉われる必要はないように思う。各楽章ごとに独特の旋律やリズム、色彩感があり、メシアンらしい響きのなか鳥の声が聴こえたり、ガムランが鳴ったり、「トゥランガリーラ交響曲」を連想させたりもした。

 後半は第一次世界大戦の最中に書かれたホルストの「惑星」。太陽系の地球を除く7つの惑星が扱われる。ホルストは惑星にかかわる占星術やローマ神話についても詳しく調べたうえで作曲したようだ。
 勇壮な第1曲「火星(戦争の神)」、緩徐楽章にあたる第2曲「金星(平和の神)」、スケルツォ風の第3曲「水星(翼を持った使いの神)」、組曲の中心ともいうべき第4曲「木星(快楽の神)」、壮大でゆったりとした第5曲「土星(老年の神)」、再度スケルツォ風の第6曲「天王星(魔術の神)」、女声合唱がヴォカリーズで加わる神秘的な第7曲「海王星(神秘の神)」からなる。曲順は必ずしも太陽からの遠近順ではない。
 ホルストのオケが持つ様々な楽器を活かした管弦楽法は、ワーグナーやR.シュトラウスに倣ったものだろう。感情を深く揺さぶる類の音楽ではないし、心の襞に分け入るような深刻な作品でもない。優れた音響、旋律、リズムなどによって興奮度を高めていく。昔はダイナミックレンジや音の分離、楽器音の再現性などオーディオチェック用の音源としても用いられたくらい。管弦楽技法の集大成といえる曲である。そして、ワーグナーやR.シュトラウスと同様、後年の映画音楽に大きな影響を与えた。実際、過去にはホルスト財団がハンス・ジマーを著作権侵害で訴えているし、ジョン・ウィリアムズの『Star Wars』だってホルストを抜きにしては考えられない。こうしてクラシック音楽は、第一大戦を境に映画音楽の中へと溶解していくことになる。
 デュトワはそのホルスト「惑星」を品格ある音楽として聴かせてくれた。変化に富んだ各曲を見事に描き分けた。雄弁で力強くキレがあり滑らかなクレッシェンドは迫力満点。各楽器の点描にも狂いがない。相手がN響のせいか重心は低く、強靭な低弦が刻まれるなかしっかりと旋律が歌われる。金管が伸びやかに吹奏し、木管が絶妙にコントロールされ、打楽器の打ち込みとともに音楽の規模が悠々と広がっていく。「惑星」がこんなに格調高く奏でられることは滅多にない。
 デュトワの身のこなしや歩く姿は軽快そのもの、指揮ぶりはしなやかで溌剌としている。とても90歳になろうとする人には見えない。数年前の新日フィルを振ったとき、いや、20年前のN響の監督のときと比べても歳を取ったとは思えないほどだ。恐るべき老人である。

2025/11/15 大植英次×神奈川フィル 「キャンディード」と「春の祭典」2025年11月15日 20:20



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第409回

日時:2025年11月15日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:大植 英次
演目:ラヴェル/道化師の朝の歌
   バーンスタイン/「キャンディード」組曲
   バーンスタイン/管弦楽のための
            ディヴェルティメント
   ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」


 「道化師の朝の歌」はピアノ組曲「鏡」の第4曲を管弦楽版に編曲したもの。「ボレロ」や「スペイン狂詩曲」と同じくスペイン風の楽曲。ラヴェルはスペインに近いバスク地方の生まれだし、母親がマドリード育ちのバスク人だからスペインには親近感があるのだろう。
 冒頭のピチカートで刻まれるリズムはギターをつま弾いているかのよう。そのリズムに乗って舞曲風の旋律が奏でられる。カスタネットが加わりスペイン色が濃厚に。中間部のファゴットによる幻想的な気怠いメロディからドラマティックに高揚した後、再び冒頭のリズムが現れ、旋律はしばらく自由気儘に動く。最後は熱狂的な盛り上がりを見せ華やかに終曲した。

 次いで、大植にとっては十八番ともいうべきバーンスタインの2曲。とくに「キャンディード」組曲は、バーンスタインのアシスタントであったチャーリー・ハーモンが大植×ミネソタ管のために全曲から9つの場面を抜粋して編曲したもの。大植が最も大切にしている楽曲のひとつに違いない。
 「キャンディード」はヴォルテールの同名小説が原作のミュージカル。楽天家キャンディードが世界各地を舞台に奇想天外なストーリーを繰り広げる。破天荒で荒唐無稽、波乱万丈の冒険劇。世界中転々と舞台が変わるから音楽もクラシカルなものからジャズやラテン、ポピュラーなどがごちゃまぜとなっている。筋書きは辛辣で仮借のないところがあるようだけど、音楽は人間賛歌にあふれ楽しい。
 大植にとっては自家薬籠中の曲、各楽器に的確な指示を出し、両手はもちろん全身を使って踊るように表情を付けていく。それぞれの場面の描き方は変化に富んでおり、リズミカルで踊り出したくなるような躍動感を伝えてくれる。同時に、次々と現れる旋律はよく歌い、ドラマティックかつエネルギッシュ。でも、勢いだけではなく、丁寧な表現で鮮やかな音色でもって描き分ける。こんなに律動的で楽しい作品なのに目頭が何度も熱くなって困った。

 「管弦楽のためのディヴェルティメント」は、ボストン交響楽団100周年の委嘱作として書かれ、バーンスタインの愛弟子、小澤征爾の指揮で初演されている。第1曲「セネットとタケット」、第2曲「ワルツ」、第3曲「マズルカ」、第4曲「サンバ」、第5曲「ターキー・トロット」、第6曲「スフィンクス」、第7曲「ブルース」、第8曲「追悼~マーチ(ボストン響、永遠なれ)」といったバラエティ豊かな組曲である。
 ドラム・セットを含む多彩なパーカッションを使ってワルツ、サンバ、ブルースなどのリズムが横溢し、生命力に溢れた音楽が展開する。「管弦楽のためのディヴェルティメント」の音楽的要素はごった煮だが、その多様さはアメリカそのものという感じがする。
 バーンスタインは本当にメロディメーカーだ。彼の音楽は「カディッシュ」のような深刻なものより、こういった旋律のはっきりした快活で解放感ある曲のほうが楽しめる。大植×神奈川フィルの演奏は、ウィット、ユーモア、ペーソスなどバーンスタインの最良の部分に光をあて、幸福な気分をもたらしてくれる演奏だった。

 「春の祭典」は先月、マルッキ×東響で聴いたばかり。聴き比べとなった。
 譜面台の上には赤い表紙のスコアが置いてあった。前半の3曲は暗譜だった。さすが「春の祭典」ともなると楽譜は必要だと納得をしたが、大植は最後までスコアを開くことはなかった。大植にとって「春の祭典」はバーンスタインの楽曲と同様、すべてが記憶されている重要なレパートリーのひとつなのだろう。
 大植の「春の祭典」は剛毅ではあっても野性的というよりは堅牢でゆるぎのない構築性を感じさせる。テンポも安定して正確に刻まれる。カオスのなか雪崩れ込むようなスリルは薄いから、普通とは違って第2部の「生贄」より第1部の「大地礼賛」のほうに魅かれた。しかし、音色はきっちり設計されており、ダイナミックレンジは大きく破壊力は十分だった。
 神奈川フィルのアンサンブルは見事で、各パートも美しい音を出していた。コンマスは石田泰尚、第2ヴァイオリンには直江智沙子と小宮直、ヴィオラトップは新日フィルの瀧本麻衣子が客演、チェロは上森祥平、バスは米長幸一という最強メンバーで、妖艶な旋律や強靭なリズムを刻んでいた。冒頭のファゴットは鈴木一成。鈴木は開始曲の「道化師の朝の歌」でも魅惑的な音を響かせていた。オーボエ、フルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ホルンなども質の高い音を鳴らしていたが、とりわけ留学から帰ってきた小クラリネットの亀井優斗とアルトフルートの下払桐子の音が際立っていた。
 先のマルッキ×東響と比べれば今日の大植×神奈川フィルのほうに軍配をあげたい。

 大植英次は小泉和裕や広上淳一、沼尻竜典のようにデビュー当時から知っているわけではない。聴き始めはコロナ禍のときだからわずか数年前、いや、その前に「伊福部昭 生誕100年記念コンサート」があったから10年くらい前のことだろう。20世紀音楽は重たく几帳面すぎるし、19世紀音楽はねちっこくもたれ気味という印象だった。チャイコフスキーなどはあまりの濃厚さにいささか辟易したものだ。ところがブラームスやベートーヴェンは過剰ではあっても妙に説得力がある。このあたりは苦手な小林研一郎や上岡敏之と違う。聴き手との相性かもしれないが、大仰な指揮姿は別として作品をこねくり回すふうな気配を感じさせない。大植はもう70歳、幸いにして神奈川フィルとは毎年のように公演を重ねている。この先、しっかり聴いて行きたいと思う。