2025/9/13 シュルト×神奈川フィル リスト「ファウスト交響曲」2025年09月13日 20:57



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第407回

日時:2025年9月13日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:クレメンス・シュルト
共演:トランペット/エステバン・バタラン
   テノール/村上 公太
   男声合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:アルチュニアン/トランペット協奏曲変イ長調
   リスト/ファウスト交響曲 S.108


 この夏は毎週のようにアマオケ通いだった。久しぶりに神奈川フィルの定期演奏会を聴く。指揮のクレメンス・シュルトはドイツ生まれの俊英、現在、カナダのケベック交響楽団の音楽監督。日本でもすでに読響、新日フィル、名フィル、京響、広響などを振っている。神奈川フィルへはリストの「ファウスト交響曲」をひっさげての登場となった。

 最初はアルチュニアンの「トランペット協奏曲」。ソリストのエステバン・バタランはスペイン出身のシカゴ響の首席、一時フィラデルフィア管の首席も務めた。もともとアメリカのオケは金管が強力、なかでもシカゴ響は最強といわれる。その首席奏者であるからには期待が高まる。
 アルチュニアンの協奏曲はハイドンやフンメルと並んで有名だけど、戦後に作曲された比較的新しい楽曲。もっともゲンダイ音楽の語法ではなくて、出身地アルメニアの民謡を取り入れた親しみやすい旋律とリズムにあふれている。
 とはいえソロパートは高速タンギングや旋律の大きな跳躍があり、リズムの表現力、緩徐部分の音色、終結部のカデンツァなど難関がいくつもある。バタランは抜群の安定度で、いとも容易く軽々と吹奏する。輝かしくも多彩な音色、滑らかな音量変化、鋭い音から典雅な音まで、びっくりするほどの手練れで、曲が終わると同時に会場は大騒ぎとなった。

 リストの「ファウスト交響曲」は演奏するに1時間をゆうに越え、声楽も必要だから実演の機会が少ない。過去に一度だけ生演奏に出会っている。ただこの時、前半のアッカルドが弾いたパガニーニの協奏曲が驚異的な演奏だったので、大曲「ファウスト交響曲」の記憶が霞んでしまっている。指揮は井上道義、オケは名フィル、もう何十年も前の出来事である。
 で、ちょっと予習をした。普通は「ファウスト交響曲」と呼ばれるが、正式には「3人の人物描写によるファウスト交響曲」と名づけられている。3人とは戯曲『ファウスト』の主要人物である「ファウスト」と、恋人である「グレートヒェン」、そして悪魔の「メフィストフェレス」である。『ファウスト』の物語を忠実に追うわけではなく、それぞれの人物を音で描写する。
 ファウストを描いた第1楽章は真理を探求するファウストの多面的な性格を複数の主題で表現する。第2楽章はかつての恋人だったグレートヒェンの清純な美しさを抒情的に描いている。第3楽章の悪魔メフィストフェレスは、ファウストの主題をパロディ化し、人間性を嘲笑い、卑しめ、破壊するグロテスクな音楽となる。ただし、グレートヒェンの主題だけは変形されず悪魔も手を出せない。このグレートヒェンの主題が終盤の「神秘の合唱」となる。
 シュルトは大きな身振りで情熱的な指揮ぶりだが、真面目に拍子をとってわかりやすい。地味な音づくりでスタートしながら徐々に温度を高め、メフィストフェレスでの音楽は燃えさかるよう。そして、「神秘の合唱」ではオルガンが鳴り、テノール独唱と男性合唱が高らかに歌い上げ、グレートヒェンの主題が全てを救済して感動的な幕切れとなった。
 「ファウスト交響曲」とは、この最後10分の「神秘の合唱」ために、その前の1時間が必要であったということをシュルトは教えてくれた。シュルトは口髭、顎鬚を蓄え、40歳ではあるけれど身体は引き締まり好青年と呼びたいほど。神奈川フィル(コンマスは読響の戸原直)も柔軟な演奏で応えて初顔合わせとは思えない。このコンビでの再共演を望みたい。

 なお『ファウスト』の結尾「神秘の合唱」は森鷗外の翻訳が「青空文庫」にある。
    一切の無常なるものは
    ただ影像たるに過ぎず。
    かつて及ばざりし所のもの、
    こゝには既に行はれたり。
    名状すべからざる所のもの、
    こゝには既に遂げられたり。
    永遠に女性なるもの、
    我等を引きて往かしむ。

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『マイ・ボディガード』 2004年
 監督は『トップガン』のトニー・スコット。原作はイギリスのA・J・クィネルが発表したバイオレンス小説「燃える男」。心に傷をもつ元CIAエージェントのクリーシー(デンゼル・ワシントン)が、誘拐された少女ピタ(ダコタ・ファニング)を命懸けて守る。物語はメキシコの治安問題や人身売買といった社会的テーマを潜在させながら、単なるアクション映画に留まらない。ありきたりの復讐とは違って贖罪と救済の展開に震えるような感情を掻き立てられる。デンゼル・ワシントンが圧倒的な存在感をみせる。ダコタ・ファニングはこのとき10歳、たんに可愛いばかりでなくその成熟した演技は驚嘆にあたいする。映像面でも動き回るカメラやジャンプカット、クイックズームの多用など、主人公の感情に合わせた大胆な視覚化に挑戦しており、時代を先取りしたような画面効果が新鮮だ。トニー・スコットにはもっと生きてほしかった。

『グレイテスト・ショーマン』 2017年
 「地上でもっとも偉大なショーマン」と呼ばれた19世紀実在の興行師バーナムの人生を描いたミュージカル。主演はヒュー・ジャックマン。共演するゼンデイヤやミシェル・ウィリアムズ、レベッカ・ファーガソンなどの女優陣も魅力的。貧しい仕立て屋の息子であるバーナムは家族を養うために様々な挑戦を経て「バーナム博物館」を開く。しかし博物館の客足はのびず失敗。日陰者たちを集めた「見世物小屋」を思いつき、特異な人たちのサーカスが成功を収める。ここから彼の人生は大きく変転する。道徳性や倫理性などという野暮なことは棚上げして、そのまま音楽、踊り、演技、映像が融合したエンターテインメントを楽しめばいいと思う。音楽は『ラ・ラ・ランド』の製作チームが手がけ、楽曲はいずれも親しみやすく、主人公たちの内面的な葛藤や成長に寄り添い強い共感を呼ぶ。監督は本作が実質映画デビューのマイケル・グレイシー。

『イコライザー THE FINAL』 2023年
 70歳のデンゼル・ワシントン、30歳を目の前にしたダコタ・ファニングが19年ぶりに共演。イコライザー・シリーズの最終章。舞台はイタリア、アマルフィ海岸やナポリ、ローマなどの風景が美しく物語に華を添える。シチリア島の事件で負傷した元国防情報局のマッコール(デンゼル・ワシントン)は、アマルフィ海岸沿いの田舎町にたどり着く。温かい町の人々に救われた彼はここを安住の地にしたいと願う。しかしその町にもマフィアが迫りマッコールは大切な人々を守るため再び立ち上がる。ダコタ・ファニングはCIAエージェントを演じるが、どうしても彼女でなければ、という役柄とはいえず居心地が悪い。『マイ・ボディガード』の少女はダコタ・ファニング以外は考えられないほどの凄みだったけど。エリザベス・テイラーやジョディ・フォスター、ナタリー・ポートマンなどの例はあっても名子役が大成するのは難しい。

『レコード芸術』が復刊――Web版2024年07月25日 14:06



 昨年7月に休刊した『レコード芸術』(音楽之友社)が、今年4月にクラウドファンディングを実施し、目標額の1,500万円を達成したことで、この9月からオンライン版で復刊するという。
 クラシック音楽の録音・録画メディアのポータルサイト『レコード芸術ONLINE』として生まれ変わるわけだ。新譜月評、新譜一覧、執筆陣による講座、アーカイヴ連載などを月1,100円(予定価格)で提供、一部無料記事も掲載する。もちろんレコードアカデミー賞も装いを新たにして継続する。

 ただ、『レコード芸術』休刊時には3,000人ほどの復活嘆願書が集まって話題になったけど、今のところオンライン版の購読予定者は800人程度らしい。これでWeb版の継続が可能かどうかについてはよくわからない。 
 しかも、この先どれほどの有料購読者の増加が見込めるのか。音楽の聴き方が音盤からストリーミングやインターネット経由のダウンロード再生などに変化しており、CDやDVDの売上げも随分減っているはずだ。
 専門家による音盤評価や連載記事がクラシック音楽の普及に役立っているとは言っても、時代の趨勢とはズレがあるような気がしないでもない。

 一方、演奏会情報としては、同じ音楽之友社の『音楽の友』がある。紙媒体で発刊し、音楽ニュースや演奏家インタビュー、演奏会日程、演奏会時評などを提供しているが、これも将来にわたって安泰かどうかは難しいところである。
 正直、公演情報だけであれば『ぶらあぼ』で十分である。Netと紙媒体とを連携させ、最新の業界ニュースから注目公演の紹介、コンサート検索など知りたい情報が網羅されている。
 『音楽の友』は戦前の創刊で80年以上の歴史があり、発行部数10万部、『ぶらあぼ』は創刊して30年、発行部数3万5000部である。『音楽の友』のほうが断然優勢のようだけど、『レコード芸術』だって公称10万部であったのにこの有様である。実売部数は公称する発行部数の何分の1かに過ぎない。それに『ぶらあぼ』は広告収入による運営だから無料コンテンツであることが何よりの強味だ。

 出版業界の販売不振は深刻で、とりわけ雑誌の売上は1997年を頂点に四半世紀のあいだ連続してマイナスを記録し、販売額はピーク時の3分の1以下に落ち込んでいる(出版科学研究所)。
 とうぜん音楽之友社についても雑誌衰退の影響をモロにかぶっている。老舗、音楽之友社といえども生き残るためにはデジタル化の充実を含め一層の工夫が必要だろう。

6月の旧作映画ベスト32024年06月28日 08:48



『誰よりも狙われた男』 2013年
 ジョン・ル・カレの小説は何作か読んだ。ラドラムやクランシーのような派手さはなく、ひたすら地味。その分、いかにも本物の諜報活動はこうだろうな、と思わせる。映画になっても『ナイロビの蜂』や『裏切りのサーカス』『われらが背きし者』などエンターテインメントというよりはドキュメンタリーのように真に迫って来る。この作品もまさにそう。ハンブルクでテロ対策チームを率いるバッハマンは、密入国したイスラム過激派のイッサに狙いをつけ、泳がせることで密かにテロ資金を援助する大物と背後の組織を一網打尽にしようとする。が、ドイツの諜報界やアメリカのCIAは闇雲にイッサ逮捕に向けて動きだしていた。バッハマンを演じるのはこの映画が最後の主演作となってしまったフィリップ・シーモア・ホフマン、名優である。共演はレイチェル・マクアダムス、ウィレム・デフォーなど芸達者が顔を揃える。チームの労苦が報われない結末の余韻が長く尾を引く。

『フォードVsフェラーリ』 2019年
 1960年代、ル・マン24時間耐久レースにおけるフォードとフェラーリの闘いを描いた実話もの。ル・マンでの勝利を目指すフォード社は、元レーサーでカー・デザイナーのシェルビー(マット・デイモン)にマシンの開発を依頼する。絶対の王者フェラーリ社に勝つためには、マシンとともに優秀なドライバーの獲得が必要だ。シェルビーは若くはないが才能あるレーサーのケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)に目をつけチームに引き入れる。シェルビーとマイルズは力を合わせて幾多の困難を乗り越えル・マンに挑戦する。カー・レースという一種の闘争劇の面白さはもちろん、組織と個人という永遠のテーマこそが更に興味深い。マット・デイモンは『ボーン』シリーズでは筋肉隆々のマッチョな諜報員、『AIR/エア』では腹の出た中年のナイキ社員、ここでは元レーサーらしくその中間の体型をつくりあげた。そして、ラスト数分の彼の万感交到る演技を観てほしい。

『野性の呼び声』 2020年
 昔も昔、大昔、小学生のころ、ジャック・ロンドンの原作を「少年少女世界名作全集」?の一冊として『ロビンソン・クルーソー』や『十五少年漂流記』などと一緒に読んだ覚えがある。過去に何度も映画化されているが、主人公であるべき犬をどう演技させるかに大きな制約があった。本作では『アバター』と同様、モーションキャプチャーで造形したらしい。犬の仕草の隅々に至るまで見事に感情がこもっている。逆に表情があまりに過剰なため、ちょっと不自然さを感じるかも知れないが、そんなことは些細なこと。CGの進化によって小説の真の実写化が可能になったことは確かだ。ゴールドラッシュの時代、アラスカの大自然をバックに、ハリソン・フォードが演じる愛する人を失った孤独な老人と、飼い主を次々と代わりながら野性を取り戻して行く名犬バックとの絆に涙し、壮大な冒険に胸躍る。監督は『ヒックとドラゴン』で人とドラゴンとの友情を描いたクリス・サンダース、これ以上ない人選だろう。

5月の旧作映画ベスト32024年05月31日 09:37



『野のユリ』 1963年
 シドニー・ポアチエの代表作のひとつ。黒人俳優として初のアカデミー主演男優賞を受賞した。アリゾナの砂漠地帯をステーション・ワゴンで旅するホーマー(ポワチエ)が、東ドイツからの亡命者である修道女のマザー・マリア(リリア・スカラ)らと出会う。修道女たちとはまともに言葉が通じない。ホーマーは英語を教えながら修道女たちの願いである教会建設の手伝いをする。図々しくも身勝手なマザー・マリアとは行き違いばかり。何やかやとすったもんだの末、荒地に無事教会が完成するが…モノクロ・スタンダードによるコメディータッチの人間ドラマ。ポアチエの歌うゴスペルの名曲「エーメン」が耳に残る。標題の『野のユリ』はマタイ福音書6章「なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。然れど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及かざりき」に由来しているという。

『華麗なるギャツビー』 2013年
 F・スコット・フィッツジェラルドの原作、何度も映画になっている。謎の富豪ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)の一生を、隣人で友人となったニック(トビー・マグワイア)が語っていく。監督は『ムーランルージュ』のバズ・ラーマン。相変わらずのド派手で過剰な舞台設定に圧倒される。繰り返されるパーティーシーンの狂騒は酒、紙吹雪、花火などが画面一杯に飛び散り滑稽なくらい。時代は第一次大戦後のアメリカ、後年のわれわれは史実としてその後の大恐慌を知っているから、ギャツビーの運命が時代の前兆と思えてしまう。夢見るギャツビーはいつまでも過去に執着し、初恋の相手デイジー(キャリー・マリガン)はあまりにも我儘すぎる。デイジーの夫トム(ジョエル・エドガートン)はどこまでもいかがわしい。でも、トムのヴィランぶりが何故か一番真っ当に感じるのもこの時代のせいか。年代ものの名車が走り回る。クラシックカー好きにもお勧め。

『ボーイズ・イン・ザ・ボート~若者たちが託した夢』 2023年
 監督はあのジョージ・クルーニー。大恐慌の真っただ中、1936年ベルリン・オリンピックのボート競技でヨーロッパの強豪たちと戦い、金メダルを獲得したアメリカチームの活躍を描いた実話もの。ワシントン大学のエイト二軍チームは衣食住目当ての学生たちで結成された。屈強な労働者階級の若者たちは厳しい練習を重ね全米優勝、オリンピックへの出場権を獲得する。1936年の大会はヒトラーが仕切った祭典、観戦するヒトラーの目の前でアメリカチームはドイツチームを破る。スポコン映画だから誇張すればもっと重々しくドラマチックに仕上げることができたはずだけど、練習風景もアクシデントも恋愛、友情、親子関係もまるでドキュメンタリーのようにさらっと軽やかに描く。ボート部のコーチは『華麗なるギャツビー』でも出色の憎まれ役を演じたジョエル・エドガートン、抑えた演技でもって見せ場をつくる。なんとこの佳作、日本では劇場未公開。