2025/5/17 ウルバンスキ×都響 ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」 ― 2025年05月17日 19:57
東京都交響楽団 都響スペシャル
日時:2025年5月17日(土) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
共演:ピアノ/アンナ・ツィブレヴァ
演目:ペンデレツキ/広島の犠牲者に捧げる哀歌
ショスタコーヴィチ/ピアノ協奏曲第2番ヘ長調
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調
東響の首席客演指揮者だったウルバンスキが都響を振る。東響とは首席客演指揮者を退任したあとも毎年のように共演しているウルバンスキだが今シーズンはパスをした。シェフを務めるワルシャワフィルと来日するためかと思ったら、都響を指揮するという驚きのニュース、そのサプライズに抗しがたく早々にチケットを手配した。
プログラムは“ショスタコーヴィチ没後50年記念”と銘打って、ピアノ協奏曲と交響曲、それにお国のペンデレツキを組み合わせた。
「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は10年ほどまえ東響定期で聴いた。たしか首席客演指揮者の就任披露公演だった。ウルバンスキにとっては名刺代わりの作品なのだろう。微分音が密集するトーン・クラスター技法を用いた弦楽合奏曲で、原題は「8分37秒」と味気ない。標題は後付けながらこの標題によって有名になったともいえる。
旋律らしきものはなく悲劇的な音響が最初から最後まで続くが、ウルバンスキのそれは威圧的ではなく、どこか穏やかで優しい、これは意外。もっとも前回どうであったか思い出せないから比較できないのが残念だけど。
そうそう作者のペンデレツキのこと。都響定期に登場したことがある。庄司紗矢香をソリストとした自作のヴァイオリン・コンチェルトとベートーヴェンの交響曲を振った。自作品は剣呑ながら姿形は好々爺としか見えなかった。
ショスタコーヴィチはヴァイオリン、チェロ、ピアノの協奏曲を各2曲ずつ書いている。ヴァイオリンとチェロ協奏曲はいずれも重く気難しい作品だけど、ピアノ協奏曲は2曲とも軽快で楽しい。「第1番」はトランペットとの二重協奏曲のようだし、「第2番」はトランペットを欠いた小編成のオケと協演する。
ツィブレヴァは色彩感で聴かせるタイプではないが、音は硬質かつ明瞭で濁りかなく良く鳴る。軽やかなこの協奏曲には似合っている。緩-急-緩の古典的な3楽章形式、第1楽章は若々しく快活。のんびりした主題が登場するが、すぐ駆け足となり、いかにもショスタコらしく忙しくなって行く。展開部以降は音楽が華やかさを増す。次の緩徐楽章はメロディーも響きもしゃれた夜想曲風。素直な叙情性に溢れ感動的。こんなに素のままなショスタコは珍しい。続けて演奏される第3楽章は快活な民族舞曲のよう。ハノンのピアノ練習曲も引用されているという。目まぐるしく同じ音型が転げ回る様子はユーモラスでスリリングだ。フィナーレに向けて興奮は頂点に達した。
演奏が終わって、P席からブラヴォーがかかったのだろう、ツィブレヴァは後ろを振り返って丁寧に頭を下げていた。好感度満点である。
後半の「交響曲第5番」は最弱音で開始されたラルゴに尽きる。ウルバンスキの設計した音量、音価、内声部のバランスなどが独特で、しばらくのあいだ弦5部それぞれの行方を見通すことができず不安になったほど。全く覚えのない曲に対面しているようだった。中間部のオーボエの寒々としたソロ、続くクラリネット、フルート、ファゴットの冷たい音色、シロフォンの強打とハープの爪弾きにも震撼する。悲しみと怒りの極地が現出した。そのあとのフィナーレの無機質な高揚こそが白々しく思える。「第5番」は体制に迎合し屈服したようにみせながら、自らの生命を救った交響曲である。彼の生死を分けた作品であることを変態ウルバンスキ×都響の演奏によって改めて知ることができた。
都響の来期プログラム ― 2024年10月09日 17:11
東京都交響楽団の来期ラインナップ(2025年4月~2026年3月)が発表された。定期演奏会は文化会館とサントリーホール、芸術劇場の各シリーズである。ほかにプロムナードコンサート、特別演奏会なども紹介されている。
https://www.tmso.or.jp/j/news/32426/
びっくりしたのは指揮者。もちろん中心は就任11年目となる音楽監督の大野和士、首席客演指揮者のアラン・ギルバート、終身名誉指揮者の小泉和裕、桂冠指揮者のエリアフ・インバルだけど、東響と日フィルでお馴染みのウルバンスキとインキネンが客演する。
ほかに指揮者ではカリーナ・カネラキス、ヨーン・ストルゴーズ、オスモ・ヴァンスカなどが登場する。ソリストのアリーナ・イブラギモヴァ、庄司紗矢香、キリル・ゲルシュタイン、アリス=紗良・オットなども含めて贅沢な布陣である。
演目は没後50年ということでショスタコーヴィチの交響曲や協奏曲が目立つ。インバルはマーラーの「交響曲第8番(千人の交響曲)」を振る。幾つか選択して聴くことになりそう。
2024/7/5 フルシャ×都響 ブルックナー「交響曲第4番」 ― 2024年07月05日 20:58
東京都交響楽団 都響スペシャル
日時:2024年7月5日(金) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:ヤクブ・フルシャ
共演:ヴァイオリン/五明 佳廉
演目:ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
ブルックナー/交響曲第4番 変ホ長調 WAB104
「ロマンティック」
フルシャは此度の来日で2つのプログラムを2日間ずつ振った。ひとつは先日のチェコ音楽、もうひとつが昨日・今日の独墺音楽である。2つのプログラムを聴けば朧気ながらフルシャの現在地が分かろうというもの。
前半はブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」、独奏の五明佳廉は日本生まれのモントリオール育ち。スズキ・メソッドで学び、ドロシー・ディレイに師事した。北米でキャリアを積み、今では舞台を世界に広げている。何十年も前から活躍しているヴァイオリニストなのに初めて聴く。
歯切れのいい音ながらここぞという場面ではヴィブラートを強めて情緒纏綿と歌う。ことに第2楽章がよかった。フルシャのバックも丁寧かつ強力で、やはりブルッフのこの楽曲は心に響く。
後半はブルックナーの「交響曲第4番」。ブルックナーの演奏は、いつも版の問題がついて回るが、正直、聴いているだけでは部分的に違和感が生じる程度でよく分からない。今回は「第4番」の3つの稿のうち最も一般的な2稿(1878/80年)をコーストヴェットが2018年に校訂した最新の版だという。
コーストヴェット版はハース版とノヴァーク版の中間的な選択といわれる。もともと2稿についてはハース版もノヴァーク版も大差ないようだから、このコーストヴェット版は聴きなれた「ロマンティック」となっていた。
フルシャのブルックナーは巨きくて立派。ダイナミックレンジが広く緩急は自然、パウゼも納得の呼吸だった。下手な小細工をせず音楽の流れに忠実な演奏。しかし、微笑がこぼれたり涙に濡れたりするほどではなく、感情が強く揺さぶられることはなかった。どこといって不満があるわけではないが、強固な設計に感心したものの、わずかに即興性の乏しさを感じたせいなのかもしれない。
都響の大野監督のあとはフルシャが適任ではないかと夢想してみた。今はアラン・ギルバートのほうが有力なのだろうけど、こと、ブルックナーの「第4番」に関して言えば、数年前に聴いたタケシより今日のフルシャのほうに軍配をあげたい。
コンマスは矢部達哉、トップサイドは水谷晃。先週同様のツートップで万全の体制。同一プログラムの昨夜の定期は完売公演だったらしい。今日も平日の昼公演としては良く入っていた。
2024/6/29 フルシャ×都響 スメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザーク「交響曲第3番」 ― 2024年06月29日 20:51
東京都交響楽団 都響スペシャル
日時:2024年6月29日(土) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:ヤクブ・フルシャ
演目:スメタナ/歌劇「リブシェ」序曲
ヤナーチェク/歌劇「利口な女狐の物語」大組曲
(フルシャ編曲)
ドヴォルザーク/交響曲第3番 変ホ長調op.10
久しぶりにフルシャが都響に帰ってきた。7年ぶりだという。都響の首席客演指揮者のときには、それほど熱心な聴き手ではなかったが、プラハフィルとの来日公演は印象に残っている。今はバンベルク響の首席指揮者として活躍中、次期ロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督にも決まった。今日は彼の出身地チェコの作家を集めたプログラム。
スメタナの歌劇といえば「売られた花嫁」が飛びぬけて有名で、序曲もこれ以外は知らない。ヤナーチェクの歌劇は全く不案内、「タラスブーリバ」「シンフォニエッタ」「グラゴルミサ」のほかは馴染みがない。ドヴォルザークの初期交響曲はCD全曲集の記憶のみ。だから、実演となると3曲とも初聴き。
「リブシェ」は祝典オペラらしい。野外劇を想定して書かれているのかも知れない。はじまりは金管のファンファーレ、木管が引き継ぎ、スメタナらしい弦の親しみやすいメロディが続く。演奏会のオープニングとしては華やかで気に入った。もっと演奏機会があっても良さそうに思う。
「利口な女狐の物語」大組曲はフルシャ自身が編曲したもの。ほかに指揮者のターリヒやマッケラスなども組曲を編んでいる。ヤナーチェクの音楽は蔦が絡みながら生長して行くように、独特の展開と動きをみせる。ミニマル・ミュージックの原型かとも感じるが、劇的でクライマックスの盛り上がりも相当なものだから、クールなミニマル音楽を連想するのは間違っているのかもしれない。
オペラの進行順に編んだフルシャの大組曲は40分くらい。半分は第1幕から、残りの半分が2幕と3幕から採られた音楽だった。フルシャ×都響は劇を目の前にするかのごとくエネルギーにあふれ、目の詰まった充実した音楽を繰り出し楽しませてくれた。
「交響曲第3番」は、ドヴォルザークがヨゼファ・チェルマークとの初恋に破れ、ヨゼファの妹であったアンナを妻として迎え入れた頃の作品。音楽全体にその喜びが満ちている。ドヴォルザークという人は、その時々の個人的な感情がどの作品にも素直に映し出されているように思う。
「交響曲第3番」はドヴォルザーク唯一の3楽章形式。オケの規模も感情の振幅も大きい。第1楽章は、ティンパニのソロから始まり、スケール感のある第1主題のあと、下行音型の第2主題が続く。曲はほの暗さを挟みながら段々と高揚し、最後はティンパニが連打するなか畳みかけるように終わる。
第2楽章は、弦楽器がもの悲しい旋律を奏で、木管楽器の合いの手、ホルンの哀切に満ちた節回しが胸を締めつける。中間部はハープの調べを合図に行進曲風に変転し、心躍る音楽となる。巧妙な転調に背筋がぞくっとする。ドヴォルザークはワーグナーに心酔し、ブラームスに才能を見出され、シューベルトと並ぶ歌謡性が魅力とされているが、ここはむしろブルックナーとの類似を考えたくなる。
第3楽章は、ティンパニの強打ではじまり、踊りのときの躍動感にあふれた音楽が疾走する。終楽章であってもスケルツォ的な要素がある。ピッコロが印象的なアクセントを打ち、終結はファンファーレが鳴り響き晴れやかに閉じる。ここでも音楽はブルックナーに近似してくる。
ドヴォルザークの後期交響曲を聴いてブルックナーを思い浮かべることなどまずないが、30歳そこそこで書いたこの交響曲のなかでは同時代の作家の影がチラチラと見え隠れする。
フルシャの音楽は、はったりがなく誠実で気持ちがよい。と言って、決して平板でも演奏効果が薄いわけでもない。鳴らすところは鳴らし、抑えるところは抑え、起伏も十分にありながら、音楽全体は大河のように悠然と流れていく。せせこましさを感じさせず、真摯で風格のある音楽をつくりあげる。
都響はコンマスが矢部達哉、隣には山本友重が座りツートップ。指揮者との相性は申し分なく、タクトへの俊敏な反応も素晴らしかった。緻密かつ伸びやかな演奏で感心した。今年の忘れられないコンサートになりそうだ。
これほどの演奏にもかかわらず、見慣れないプログラムのせいか都響にしては空席が目立っていたけど、終演後のお客さんは熱狂的で、フルシャのソロ・カーテンコールとなった。
都響は10年以上も前にフルシャを客演指揮者として招聘し、その後、フルシャはキャリアを着実に積み上げている。事務局の慧眼を称えるべきだろう。
来週、フルシャはサントリーホールでブルックナーを振る。楽しみになってきた。
水谷晃が都響のコンマスに就任 ― 2024年04月01日 09:14
昨年3月に東京交響楽を辞めた水谷晃が、本4月1日付けで東京都交響楽団のコンサートマスターに就任する。1年前に退団した四方恭子の後任ということになろうか。都響のコンマスは、これで矢部達哉、山本友重との3名体制となる。
https://www.tmso.or.jp/j/news/28298/
水谷晃はまだ30歳後半だから、このままOEKの客員コンマスや、奥様のヴァイオリン教室のお手伝いだけで終わるはずはないわけで、順当なポストに就くことになった。
東響時代は刮目すべき10年だった。獅子奮迅の働きでもって都響に新風を吹き込んでくれるに違いない。4月はトップサイドに座り、コンマスのお披露目は5月30日だという。