2025/10/5 ストルゴーズ×都響 シベリウス「交響曲第3番」 ― 2025年10月05日 19:21
東京都交響楽団 第1028回定期演奏会Cシリーズ
日時:2025年10月5日(日) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:ヨーン・ストルゴーズ
共演:ヴェロニカ・エーベルレ
演目:ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調op.61
シベリウス/交響曲第3番 ハ長調op.52
ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」から。
ソリストのヴェロニカ・エーベルレは5,6年前にモーツァルトとベルクを続けて聴いたことがあり良く覚えている。彼女のヴァイオリンは美音だけどちょっと線が細くて大いに感心したというわけではない。ただ、両方の演奏会のメイン楽曲がともに印象的で、そのせいで記憶に残っている。
ひとつはウルバンスキ×東響のショスタコーヴィチ「交響曲第4番」、もうひとつは大野和士×都響のブルックナー「交響曲第9番」であった。ウルバンスキには期待外れのショスタコーヴィチにがっかりし、大野和士には思いがけないブルックナーの名演にとても興奮した、という違いがあったけど。
で、それら大曲の前段で、エーベルレは東響と「トルコ風」を、都響と「ある天使の思い出に」を弾いたのだった。そういえば都響のときエーベルレは出産間近で、“贅沢な胎教だな”などと馬鹿なことを考えていたのを思い出す。
今日のコンサートのお目当ては、もちろんシベリウスの「交響曲第3番」だが、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」についても、カデンツァに関して“作曲家ヴィトマンが、エーベルレとラトル×ロンドン響による録音のために書き下ろしたもので、ソロヴァイオリンにコントラバスソロとティンパニソロが加わり、さらにコンサートマスターのソロも絡むというスペクタクル”を期待してほしい、と都響からアナウンスされていたので、その興味もある。
ヴィトマンのカデンツァは、各楽章の終盤にそれぞれ置かれていて、第1楽章では安藤芳広のティンパニと池松宏のコントラバスが加わり、第2楽章ではコンマスの水谷晃とエーベルレとの掛け合いとなった。第3楽章では再びティンパニとコントラバスが参加してエーベルレとの三重奏となった。
ヴィトマンのカデンツァは、素材は確かにベートーヴェンから採られているもののコテコテの現代音楽で、ベートーヴェンのなかに異質なものが侵入したように音楽が分断され流れが滞って、いささか居心地の悪いものだった。演奏時間も各楽章に結構長いカデンツァが挿入されたことから1時間近くにもなってしまった。珍しいものを聴いたわけだがひどく疲れた。
エーベルレのヴァイオリンは高音域の弱音は繊細で美しいけど、やはり音量が不足気味。ストルゴーズはソロと協奏するとき相当オケの音量を絞っていたが、オケだけのときは豪快に鳴らして、そのギクシャクした音楽の運びかたも違和感として残った。
休憩後、シベリウスの「交響曲第3番」。
「第3番」は、先月も阿部未来×都民響で聴いたが、演奏会で取りあげられるのは稀だから、アマオケでもプロオケでも聴けるときに聴いておきたい。
第1楽章はチェロとコントラバスの印象的な出だしから弦楽器が細かく動き回り、金管が朗々と歌い、木管楽器が飛び跳ねる。鳥たちの鳴き声や川のせせらぎなど森の中のざわめきが聴こえてくるよう。管弦楽は絶え間なく声を交わして前進を続け、最後は祈りを捧げるような響で閉じられる。第2楽章は弦のピチカートのうえをフルートが歌う。中間部の木管楽器の不規則な音型は妖精のいたずらのようにも思えるが、すぐに冒頭の旋律が戻ってきて、懐かしさと哀愁が高まり夢から醒めたようにして終わる。第3楽章の前半はスケルツォ的な性格で、テンポはめまぐるしく変わり、拍子もずれたように不安定で猛々しい。やがて、コラールが聴こえてくる。ここからが通常の交響曲のフィナーレ。コラールの主題は徐々に力強さを増しながら高揚し、弦楽器群の三連音符が鳴り響くなか、荘厳なクライマックスが築かれる。
ヨーン・ストルゴーズはフィンランド出身、ヘルシンキ・フィルで首席指揮者を務めていた。もとはヴァイオリン奏者で、のちに、やはりヨルマ・パヌラに指揮を学んだ。シベリウスは“お国もの”である。聴き手としてはひんやりとした北国の空気感を味わいたかったわけだけど、ストルゴーズは激しく熱い音楽をつくった。事前の思い込みと落差が生じ、ちょっと期待外れに終わった演奏会だった。
都響の来年度以降の指揮者体制 ― 2025年09月26日 16:19
東京都交響楽団の2026年以降の指揮者体制について発表があった。
https://www.tmso.or.jp/j/news/35144/
音楽監督の大野和士は2026年3月の任期満了をもって音楽監督を退任し、その後2年間は芸術顧問に就任、2028年度からは桂冠指揮者を務める。
2026年度からはペッカ・クーシストがアーティスト・イン・レジデンスを務め、2028年4月に首席指揮者に就任する。つまり、次期の都響指揮者陣を代表するのはペッカ・クーシストということになる。
首席客演指揮者アラン・ギルバートは2026年度から特別客演指揮者/ミュージック・パートナーとして都響との関係を維持する。2026年度からの首席客演指揮者には新たにダニエーレ・ルスティオーニが就任する。
小泉和裕は引き続き終身名誉指揮者を、エリアフ・インバルは引き続き桂冠指揮者を務める。
ペッカ・クーシストはフィンランド出身のヴァイオリニスト・指揮者・作曲家で48歳。ノルウェー室内管弦楽団の芸術監督、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を務めている。
アラン・ギルバートとダニエーレ・ルスティオーニはいずれもヨーロッパで複数の主要ポストに就いており、都響における監督兼務は難しかったようだ。
2025/9/15 大野和士×都響 モーツァルト「戴冠式ミサ」 ― 2025年09月15日 21:57
東京都交響楽団
サラダ音楽祭メインコンサート
日時:2025年9月15日(月・祝) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:大野 和士
共演:ダンス/Noism Company Niigata
演出振付/金森 穣
ソプラノ/砂田 愛梨
メゾソプラノ/松浦 麗
テノール/寺田 宗永
バス/狩野 賢一
合唱/新国立劇場合唱団
合唱指揮/冨平 恭平
演目:モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲 KV620
モーツァルト/ミサ曲ハ長調 「戴冠式ミサ」
ペルト/フラトレス~弦楽と打楽器のための
ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」第2組曲
ラヴェル/ボレロ
「サラダ音楽祭」とは身体に良さそうな名称だけど、食べる「サラダ」ではなく、“Sing and Listen and Dance〜歌う!聴く!踊る!”をコンセプトにした音楽祭とのこと。器楽だけでなく声楽、舞踏を統合した祭りで2018年に始まったという。盛沢山なプログラムのなか、モーツァルトの「戴冠式ミサ」K.317が目当て。
モーツァルトの宗教曲といえば「レクイエム」や「ハ短調ミサ」が高名だが、いずれもウィーン時代に書かれた未完の作品。完成された教会音楽としてはザルツブルグ時代の「戴冠式ミサ」が最高傑作だろう。
青年モーツァルトの最も辛い時期である。彼は21歳のとき母とともにマンハイム・パリへ就職活動の旅に出た。世間は冷たく何処も雇ってくれない。異国の地パリでは母を亡くし、マンハイムやミュンヘンでのアロイジアとの恋は実らない。仕方なしに従妹ベーズレに慰めてもらいながら負け犬となって帰郷する。このときモーツァルトは23歳になっていた。
ザルツブルクに逼塞したモーツァルトの心情は、その時書かれた作品が手がかりになるはずだけど、悲壮感や大きな叫びは一つとしてない。ただ、この年「ポストホルン・セレナーデ」「ディヴェルティメント第17番」「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」、そしてこの「戴冠式ミサ」という後のウィーン時代に匹敵する陰影の濃い楽曲が残された。いずれも明るさや希望を失うことなく、深い哀しみと憂いをたたえた、信じられないほど美しい音楽たちである。
「戴冠式ミサ」は通常文のキリエ(憐れみに讃歌)によってスタートする。合唱が「キ」と強く発声し、「リエ」と声を潜めて歌い始める。新国の合唱団はたっぷりとした余裕のある歌声。その極めて印象的な出だしからソリストたちの「キリスト、憐れみたまえ」が続く。ソプラノの砂田愛梨は芯のある伸びやかな声で客席までよく届く。グローリア(栄光の讃歌)はエネルギッシュで華やか。クレド(信仰宣言)は輝かしく限りない高揚感に満ちている。
涙に濡れた音楽じゃない。失意の帰郷から2か月、モーツァルトに何が起こっているのか。1月の末、モーツァルトは嫌々ながら馬車に乗り、従妹ベーズレの膝枕で帰郷した。「戴冠式ミサ」が完成したのは3月下旬である。ベーズレは数カ月の間モーツァルト家に留まった。二人はじゃれ合っていたに違いない。ベーズレは音楽や心根を語る相手ではなかったかも知れないが、モーツァルトが言う“天使”の役割を務めてくれた。モーツァルトの青春時代の最大の危機を救ったのは彼女だった。
サンクトゥス(聖なるかな)は天空から神が舞い降りたかのよう。ここでの合唱団の歌唱も堂々たる音楽というだけでなく親しみやすさを兼ね備えていた。ベネディクトゥス(ほむべきかな)は穏やかな前奏のあとソリストたちが落ち着いた四重唱を聴かせる。アニュス・デイ(神の子羊)はソプラノ・砂田の見事な独唱。この旋律がオペラ「フィガロの結婚」の第3幕、伯爵夫人のアリア「美しい時はどこへ」によく似ている。それゆえ「戴冠式ミサ」は聖俗混同と問題にされ、否定論の根拠とされたこともあった。
でも、これはおかしい。「戴冠式ミサ」が先に書かれ「フィガロ」は後にできた。順序が逆である。伯爵夫人の祈りの気持ちをミサの旋律からから引用したのであれば、論説自体が牽強付会、笑止千万である。
最後にむかってアニュス・デイのテンポは少し速くなり,冒頭の「キリエ」の旋律が再現し、曲は次第に盛り上がり、決然とした合唱で全曲が結ばれた。
大野和士と都響とは親密さを増し、大野は一段と総卒力を高めているようだ。新国立の合唱団も大野のいわば手兵であり、統制のとれた管弦楽と声楽が感動的な「戴冠式ミサ」を披露してくれた。
「戴冠式ミサ」の前には「魔笛」序曲が演奏された。オペラ指揮者でもある大野の手にかかると、舞台への期待感が嵩じてくる。このところ「魔笛」はご無沙汰である。
前半はモーツアルトの2曲を終えて休憩となった。
後半の最初はペルトの「弦楽と打楽器のためのフラトレス」。弦5部と打楽器の演奏にNoism Company Niigataの舞踏を加えて上演された。Noism Company Niigataは、東響の新潟定期演奏会の会場でもある「りゅーとぴあ」(新潟市民芸術会館)専属の舞踊団、新たな舞踏芸術を創造することを目的としているという。
前方の客席を5列ほど潰し舞台を拡張し、そこで舞踏が演じられた。8名の男女が黒っぽい衣装に同色の頭巾を被り、はじめはさり気ない小さな動きからはじまり、音楽に合わせて段々と動きは大きく激しくなっていった。音楽は一種の変奏曲でほの暗く神秘的で静謐な音型が繰り返され、ときどき発せられる打楽器が印象的な作品。ベルトはエストニア生まれ、中世音楽やミニマル・ミュージックにも通じるシンプルな和声やリズムに特徴がある。ヒーリング音楽としても愛聴されている。
続いて、管弦楽だけでファリャの「三角帽子」。ディアギレフが手がけたバレエ作品のための音楽。2つの組曲があり、第2組曲は「隣人たちの踊り」「粉屋の踊り」「終幕の踊り」の3曲からなる。
いずれもホルンが大活躍する。ホルンのトップは客演の大野雄太だった。東響の首席を辞めたあと大学の教師に転職したと思っていたが、いつのまにか新日フィルの首席に復職していた。古巣に戻ったわけだ。久方ぶりに思い切った気持ちのいい吹奏を聴かせてもらった。
最後は再度Noism Company Niigataとの共演で「ボレロ」。昨年大好評だったことから今年もプログラムに入った。
舞台では紅い衣裳の井関佐和子を中心に、黒い衣装の8人が円形に囲んで待機している。スネアドラムが3拍子のリズムを刻み始めフルートが重なり、次々と楽器が加わる。音楽のリズムに紅い衣装が反応し、その動きが周囲に伝播する。やがて大きな輪は3人ずつに分割され、さらに横方向に伸びていく。音楽は最大のクライマックスを迎え、舞踏は圧倒的な熱量をもって解放された。
大野和士は2015年から都響の音楽監督を務め、2026年3月まで任期を延長している。都響は来年以降の指揮者体制についてこの秋頃に発表するとしているが、果たして誰になるのだろう。
大野のさらなる延長は有り得ないことではないが、普通に考えれば首席客演指揮者であるアラン・ギルバートが後任としては順当といえるだろう。ギルバートは現在エルプフィルハーモニーの首席指揮者とデンマーク王立歌劇場の音楽監督を務めている。都響人事に注目である。
2025/8/9 ミンツ&都響メンバー 2つの「四季」 ― 2025年08月09日 21:57
シュロモ・ミンツ&東京都交響楽団メンバー
ヴィヴァルディ&ピアソラ2つの四季
日時:2025年8月9日(土) 15:00開演
会場:東京文化会館 小ホール
出演:ヴァイオリン/シュロモ・ミンツ
チェンバロ/大井駿(ヴィヴァルディのみ)
都響メンバーによる弦楽アンサンブル
ヴァイオリン/及川博史、塩田脩、
三原久遠、山本翔平
ヴィオラ/萩谷金太郎、林康夫
チェロ/長谷部一郎、森山涼介
コントラバス/髙橋洋太
演目:ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」
ピアソラ/「ブエノスアイレスの四季」
(ファビアン・ベルテロ編曲)
シュロモ・ミンツはモスクワ生まれだが、物心がつく前にイスラエルに移住し、その後、アメリカでアイザック・スターンに師事したという。多くの弦楽奏者と同様ユダヤ系のヴァイオリニストであろう。都響の及川博史はミンツの愛弟子らしい。で、その及川をリーダーとする都響の弦楽アンサンブルと一緒にヴィヴァルディとピアソラの「四季」を演奏した。
ヴィヴァルディの「四季」といえば、われわれの世代はイ・ムジチのレコードによって入門するのがお決まりのコースだった。そうそうコンマスがアーヨかミケルッチかの違いに結構こだわっていたのを思い出す。その後、長く愛聴したのはジュリアーノ・カルミニョーラが古楽器グループであるソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカと組んだ装飾音まみれのエキセントリックな音盤だったけど。もちろん実演にも何度か出向いた。
ミンツと都響メンバーによるこの「四季」は何という静謐な! テンポも音量も音色も控え目で揺らぎも強弱も緩急も穏やか。緩徐楽章などは最弱音を駆使して緊張感を高め、一瞬、宗教音楽ではないかと錯覚するほどだった。これは異様な佇まいの「四季」といえるのではないか。後々まで記憶に残りそうな演奏である。ミンツのヴァイオリンはボウイングがコンパクトで無駄な動きが一切ない。美音に聴き惚れた。
「ブエノスアイレスの四季」の実演は初めて。ピアソラの原曲は五重奏曲、ソロヴァイオリンと弦楽オーケストラのために編曲されたものはロシアの作曲家デシャトニコフの版が有名で、YouTubeにアップされているのは大部分がこの版である。今回はアルゼンチンタンゴ界の才人といわれるファビアン・ベルテロによる編曲版という。
ライブで聴く「ブエノスアイレスの四季」は、けだるさと哀愁の漂う魅力的な作品。編曲の妙もあるのか、楽器の胴体を手で叩き打楽器のような音を出したり、グリッサンド、フラジオレット、ピチカートなどの奏法もめまぐるしく、自然に身体が揺れ動くようなリズムに魔力がある。ミンツと都響メンバーはことさら民俗性を強く押し出すことなく、力みのない愉悦に満ちた演奏で楽しませてくれた。
「ブエノスアイレスの四季」の演奏順はさまざまで、作曲順に夏秋冬春としたり、北半球の春夏秋冬や、南半球における四季、つまり秋冬春夏としたりする。ベルテロの編曲は南半球における秋冬春夏の四季だった。YouTubeで聴くと先鋭的な音楽である「春」と、終盤パッヘルベルの「カノン」のような旋律が出現する「冬」が印象的だが、ライブでは季節のそれぞれが面白く演奏順など気にならない。それより、原曲のキンテートはもちろんピアノトリオや同じ弦楽合奏でもデシャトニコフ版など、この曲のあらゆるバージョンの実演を聴きたくなる。
アンコールはピアソラの「オブリビオン」と、もう一度「春」を演奏してくれた。
2025/5/17 ウルバンスキ×都響 ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」 ― 2025年05月17日 19:57
東京都交響楽団 都響スペシャル
日時:2025年5月17日(土) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
共演:ピアノ/アンナ・ツィブレヴァ
演目:ペンデレツキ/広島の犠牲者に捧げる哀歌
ショスタコーヴィチ/ピアノ協奏曲第2番ヘ長調
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調
東響の首席客演指揮者だったウルバンスキが都響を振る。東響とは首席客演指揮者を退任したあとも毎年のように共演しているウルバンスキだが今シーズンはパスをした。シェフを務めるワルシャワフィルと来日するためかと思ったら、都響を指揮するという驚きのニュース、そのサプライズに抗しがたく早々にチケットを手配した。
プログラムは“ショスタコーヴィチ没後50年記念”と銘打って、ピアノ協奏曲と交響曲、それにお国のペンデレツキを組み合わせた。
「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は10年ほどまえ東響定期で聴いた。たしか首席客演指揮者の就任披露公演だった。ウルバンスキにとっては名刺代わりの作品なのだろう。微分音が密集するトーン・クラスター技法を用いた弦楽合奏曲で、原題は「8分37秒」と味気ない。標題は後付けながらこの標題によって有名になったともいえる。
旋律らしきものはなく悲劇的な音響が最初から最後まで続くが、ウルバンスキのそれは威圧的ではなく、どこか穏やかで優しい、これは意外。もっとも前回どうであったか思い出せないから比較できないのが残念だけど。
そうそう作者のペンデレツキのこと。都響定期に登場したことがある。庄司紗矢香をソリストとした自作のヴァイオリン・コンチェルトとベートーヴェンの交響曲を振った。自作品は剣呑ながら姿形は好々爺としか見えなかった。
ショスタコーヴィチはヴァイオリン、チェロ、ピアノの協奏曲を各2曲ずつ書いている。ヴァイオリンとチェロ協奏曲はいずれも重く気難しい作品だけど、ピアノ協奏曲は2曲とも軽快で楽しい。「第1番」はトランペットとの二重協奏曲のようだし、「第2番」はトランペットを欠いた小編成のオケと協演する。
ツィブレヴァは色彩感で聴かせるタイプではないが、音は硬質かつ明瞭で濁りかなく良く鳴る。軽やかなこの協奏曲には似合っている。緩-急-緩の古典的な3楽章形式、第1楽章は若々しく快活。のんびりした主題が登場するが、すぐ駆け足となり、いかにもショスタコらしく忙しくなって行く。展開部以降は音楽が華やかさを増す。次の緩徐楽章はメロディーも響きもしゃれた夜想曲風。素直な叙情性に溢れ感動的。こんなに素のままなショスタコは珍しい。続けて演奏される第3楽章は快活な民族舞曲のよう。ハノンのピアノ練習曲も引用されているという。目まぐるしく同じ音型が転げ回る様子はユーモラスでスリリングだ。フィナーレに向けて興奮は頂点に達した。
演奏が終わって、P席からブラヴォーがかかったのだろう、ツィブレヴァは後ろを振り返って丁寧に頭を下げていた。好感度満点である。
後半の「交響曲第5番」は最弱音で開始されたラルゴに尽きる。ウルバンスキの設計した音量、音価、内声部のバランスなどが独特で、しばらくのあいだ弦5部それぞれの行方を見通すことができず不安になったほど。全く覚えのない曲に対面しているようだった。中間部のオーボエの寒々としたソロ、続くクラリネット、フルート、ファゴットの冷たい音色、シロフォンの強打とハープの爪弾きにも震撼する。悲しみと怒りの極地が現出した。そのあとのフィナーレの無機質な高揚こそが白々しく思える。「第5番」は体制に迎合し屈服したようにみせながら、自らの生命を救った交響曲である。彼の生死を分けた作品であることを変態ウルバンスキ×都響の演奏によって改めて知ることができた。