2025/2/24 カシオペイアSQ 「MISHIMA」と「アメリカ」2025年02月24日 19:02



かなっくクラシック音楽部 フロイデコンサート
 
日時:2025年2月24日(月・祝) 14:00 開演
会場:かなっくホール
出演:カシオペイア・クァルテット
     ヴァイオリン/渡辺 美穂
     ヴァイオリン/ビルマン 聡平
     ヴィオラ/村松 龍
     チェロ/弘田 徹
演目:バーバー/弦楽四重奏曲第1番 Op.11
   グラス/弦楽四重奏曲第3番 「MISHIMA」
   ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲 第12番
          「アメリカ」


 フィリップ・グラスの「MISHIMA」を聴きたくてチケットをとった。前後には「弦楽のためのアダージョ」と「アメリカ」という鉄壁のプログラム。
 カシオペイアSQは、かなっくホールを拠点とする四重奏団、新日フィルの弘田とビルマン、N響の村松、そして、紅一点渡辺美穂で編成されている。以前、モーツァルトとシューベルトを聴いている。

 最初がバーバーの「弦楽四重奏曲第1番」。この第2楽章を弦楽合奏に編曲したのが有名な「弦楽のためのアダージョ」。さらに、第2楽章は無伴奏混声合唱曲「アニュス・デイ」としても編曲されているらしい。
 オリジナルの弦楽四重奏曲は、第1楽章と第3楽章が鋭く激しく切り裂くような曲調で、間に挟まれた第2楽章が別世界のような美しい音楽となっている。途中、三重奏となって第1Vn.と第2Vn.が交代で休止する。このため渡辺美穂のソリストらしい華やかな音と、ビルマン聡平の地味ではあっても奥行きのある音との対比が絶妙で、深い哀しみのなかに安らぎと癒しが浮かび上がってくる。それにしてもこの曲、バーバー26歳のときの作品というが信じられないほどの完成度である。

 グラス「MISHIMA」のSQ版は、もちろん映画「MISHIMA」のための音楽を土台にしている。昨年聴いたピアノ協奏曲版はグラス本人ではなく、マイケル・リースマンが編曲したものだけど、SQ版はグラス自らが筆をとった。演奏するに15分から20分ほどの長さで、1.受賞のモンタージュ、2.市ヶ谷、3.祖母と公威、4.ボディビル、5.血の誓い、6.三島/エンディング、の6つの曲から成る。
 音楽はひたすら内面に向かう。反復と断絶、漸増と漸減、高揚と抑制を繰返しながら進行する。鬱屈した精神に悲壮な決意が充填される。カシオペイアSQの寄せては返す波のような音のうねりに身を委ねていると、三島の生涯が重なり押しつぶされそうになる。今年は三島由紀夫の生誕100年である。

 最後はドヴォルザークの「弦楽四重奏曲第12番」、“アメリカ”の愛称で親しまれ、「新世界より」「チェロ協奏曲」と並ぶ滞米中の代表作。異文化を背景に故郷への愛情や郷愁が色濃く反映している。
 第1楽章はアレグロ、ゆったりとしたボヘミア民謡風の旋律で開始される。有名なこの主題はその後の楽章にも形を変えて出てくる。村松龍のヴィオラがしっとりとした旋律を奏でる。展開部ではフーガ的な音の動きが興奮をよぶ。第2楽章はレント、郷愁をさそう伸びやかな緩徐楽章。黒人霊歌に着想を得たといわれる歌謡的な部分が印象的。それぞれの楽器に短いソロが用意されていて、ここでも渡邊とビルマンの色合いの違いが活かされていた。弘田徹の深々としたチェロの響きで終わる。第3楽章はスケルツォ。ボヘミアの舞曲による主題が使われているようだが、軽快なリズムに彩られ、鳥のさえずりも引用されている。第4楽章フィナーレ、リズミカルな主題はネイティブアメリカンの影響だという。力強い副主題と讃美歌的な旋律との対比が鮮やか。最後は激しい気迫で4人揃ってコーダへ雪崩れ込んだ。

 アンコールは松任谷由実の「春よ、来い」を披露してくれた。そう、あと数日すれば3月、春到来である。今年も時間は足早に過ぎて行く。

2025/2/9 ポペルカ×N響 二つの「シンフォニエッタ」2025年02月09日 20:54



NHK交響楽団 第2031回 定期公演 Aプログラム

日時:2025年2月9日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:ペトル・ポペルカ
共演:ラデク・バボラーク
演目:ツェムリンスキー/シンフォニエッタ
   R.シュトラウス/ホルン協奏曲第1番
   ドヴォルザーク/交響詩「のばと」
   ヤナーチェク/シンフォニエッタ


 N響初登場のポペルカ、数年前マティアス・ピンチャーの代役で東響を振ったのが日本デビュー。この公演を聴き逃してしまった。昨年のプラハ放送響の来日公演も行くことができなかった。で、今回、N響との組み合わせで聴くことに。
 プログラムはツェムリンスキーとヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を最初と最後に置き、間にR.シュトラウスの協奏曲とドヴォルザークの交響詩を挟むという凝ったもの。

 「シンフォニエッタ」といえば、ヤナーチェクがあまりにも有名で、ツェムリンスキーは珍しい。ツェムリンスキーの作品は「抒情交響曲」しか聴いたことがない。ぼんやりとマーラーとシェーンベルクの間にあるようなイメージだけどよくは知らない。略歴をみると妹がシェーンベルクの妻であり、アルマ・シントラーとは一時恋愛関係にあったらしいから、当たらずといえども遠からずだろう。しかし、作品の印象はシェーンベルクにもマーラーにも似ていない。
 「シンフォニエッタ」は3楽章形式。第1楽章は活気あるリズムで辛辣かつシニカル。第2楽章は神秘的なバラード、途中爆発的に高まり最後は静寂のなかへ消えて行く。第3楽章は舞踏的でエキゾシズムな雰囲気がある。ポペルカは活き活きと曲を運び、リズムのキレもいい。指揮姿もつくりだす音楽もしなやかだ。ただ、ツェムリンスキーの曲自体に手ごたえが乏しい。一度聴いただけでは正直作品の良さがよく分からない。

 R.シュトラウスの「ホルン協奏曲第1番」は彼が18か19歳のときに書いたものだという。モーツァルトをお手本にしたような古典的な作風。冒頭のファンファーレからしてバボラークは超一級。中間のアンダンテを典雅にうたい、最終のロンドはホルンではとても難しい跳躍を連続してこなしていく。思わずトランペットではないのだから、と呟いてしまった。
 R.シュトラウスは赤子のときから父親のホルンの響きのなかで育ってきた。管弦楽曲作品でもホルンが効果的に用いられている。そのR.シュトラウスの「ホルン協奏曲」をバボラークが吹いてワクワクしないわけがない。演奏後、バボラークに対してN響のホルン奏者が大きな拍手で称えていた。

 「のばと」はアメリカから帰国したドヴォルザーク晩年の作品。チェコの詩人エルベンの詩集「花束」に基づく連作交響詩のうちのひとつ。「のばと」の物語は、夫を毒殺して若い男と再婚した女が、故人の墓の上の木にとまった野鳩の鳴き声を聴いて、良心の呵責に苛まれ自死する、というちょっとおぞましい内容。ドヴォルザークはこの話を1.夫の葬送、2.若者の出現、3.求婚、4.墓の野鳩、5.女の葬儀、という5つのセクションに分けて作曲した。
 冒頭はフルートとヴァイオリンで奏でられる葬送行進曲、女に迫る若者の姿はトランペットで表わしているのだろう。第3のセクションに入ると若者と再婚した女が踊るダンスの場面、第4セクションは苛烈、野鳩の鳴き声が女の罪の意識を刺激し、悲劇的な最期に導く。落ち着かないオケの音響と低域のバスクラリネットが印象的。最後は再び葬送行進曲が流れ今度は女を弔う。コーダは長調に転じ浄化されるように終わる。
 ポペルカはドラマの各場面を巧みに描き分け、終始見通しのよいドラマをつくった。ドヴォルザークの音楽は写実的で、小交響曲と交響詩の違いがあるにせよツェムリンスキーに比べると圧倒的に分かりやすい。

 ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は最晩年の傑作。第一大戦後、祖国は独立しヤナーチェク自身は老いらくの恋の真っ最中。その高揚と情念が「シンフォニエッタ」を生み出したかも知れない。1.ファンファーレ、2.城、3.修道院、4.街路、5.市庁、の5楽章構成で、交響曲の型にはまらない自由さと奔放さがある。
 第1楽章はバンダとティンパニだけのファンファーレ。バンダはトランペットを中心に13人が舞台最後列に並び、ステージ上のオケではティンパニ奏者のみが演奏する。リズムは複雑、メロディは幾つかの声部に分かれ掛け合う。13人のバンダが優秀で見事なファンファーレを吹奏した。
 第2楽章は民俗舞曲調、ポペルカは速めのテンポで旋律の歌わせ方も上手い。第3楽章は優美な曲調と過激な曲調が同居し、ポペルカは才気あふれる指揮でもって捌いて行く。第4楽章のトランペットの執拗なオスティナートも颯爽とした演奏。
 第5楽章は「タラス・ブーリバ」を思い起こさせる。楽章の後半において沈黙していたバンダが再び加わる。このファンファーレ以降のポペルカのテンポの伸び縮みは絶妙としかいいようがない。力任せのところが全くないのにどこまでも高みに昇って行く。
 N響の適応力も素晴らしく鳥肌がたつほどだった。コンマスは長原幸太、この4月からN響の第1コンサートマスターに就任する。

2024/9/28 D・R・デイヴィス×神奈川フィル P・グラス「Mishima」2024年09月28日 19:40



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第398回

日時:2024年9月28日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:デニス・ラッセル・デイヴィス
共演:ピアノ/滑川真希
演目:ドヴォルジャーク/交響曲第7番ニ短調Op.70
   黛敏郎/饗宴
   フィリップ・グラス/ピアノとオーケストラ
             のための協奏曲「Mishima」


 デニス・ラッセル・デイヴィスは随分前に聴いたことがある。演目も演奏内容も全く思い出せなくて、期待外れで落胆したことだけをぼんやりと覚えている。リンツ・ブルックナー管のときの録音が話題になっていた頃だから、多分プログラムにはブルックナーの交響曲が入っていたと思う。アメリカ出身の指揮者ながら長くヨーロッパのオケのシェフを歴任し、今でもチェコ・ブルノ国立フィルとライプツィヒMDR響の首席指揮者を兼務している。この秋、ブルノ国立フィルは韓国ツアーの予定で、デイヴィスは韓国遠征に合わせて神奈川フィルを振るのだろう。もう80歳である。
 今シーズンの神奈川フィルについてはセレクト会員に変更した。デイヴィスの演奏会を選択するかどうか迷ったけど、フィリップ・グラスの「Mishima」に、三島由紀夫の朋友である黛敏郎の「饗宴」を組み合わせて演奏するといった尖ったプログラムに魅かれてチケットを取った。

 前半はドヴォルジャークの「交響曲第7番」。この曲の背景にはヤン・フスの悲劇と民俗の悲願があるとされるが、実生活においても長女、次女、長男を失い、母を亡くすという不幸な時期に書かれている。「第8番」「第9番」に比べると演奏機会が少ないが、ドヴォルジャークの重要な作品のひとつ。重く痛切な嘆きがこめられ、調性の二短調はモーツァルトの「レクイエム」と同じである。
 デイヴィスはゆったりとしたテンポで重心の低い骨太な音をつくりだすが、各楽章ともそのテンポ感がほぼ同じだから平板でのっぺりした感じがする。楽章内においても緩急がはらむ緊張感がうすく、どこか弛緩したままで推進力に乏しい。凡庸なドボルジャークだった。神奈川フィルのコンマスは藝大フィルの植村太郎がゲスト、クラリネットには都響首席のサトーミチヨが参加していた。

 後半は演奏時間10分ほどの「饗宴」から。若き黛敏郎の作品でオケのなかにサックス5本が並び、打楽器奏者を10人ほど揃えた。ラテンのリズム、ジャズの即興性、アジアの響き、日本的な音階などが混在した熱く激しい曲。響きとリズムの、まさにその饗宴を楽しんだ。聴き方によっては「シンフォニック・ダンス」に通じるところがある。バーンスタインの弟子の佐渡裕や大植英次が振ると面白いかも知れない。

 最後がグラスの「Mishima」、ピアノとオーケストラのための協奏曲。三島由紀夫の半生を描いた日本未公開映画『Mishima:A Life In Four Chapters』(1985年)の音楽を素材にしてキーボード奏者のマイケル・リースマンが編曲した。ソロの滑川真希はグラス作品の世界初演を幾つか手がけているし、このピアノ協奏曲もデイヴィスの指揮のもと海外では音盤になっている。日本初演である。
 滑川は小柄、白装束をまとい裸足で登場、まるで神事に携わるような雰囲気が漂う。ピアノは休むことなくほぼ弾きっぱなし、シンプルなメロディーとリズムの反復がオケと一体となって波のように寄せては引いていく。指揮のデイヴィスは大半を滑川に任せていたようだが、ぴったりと息が合っている。実際にも夫婦というから当たり前か。
 グラスはミニマル・ミュージックの先駆者、自身の音楽を「劇場音楽」と称しているが、その劇的でありながら抒情的な音楽に陶酔し興奮した。
 盛大な拍手に応えて、滑川のアンコールは当然グラスのピアノ曲。「エチュード11番」だと案内されていた。

 文学界、音楽界、映画界などは左巻きばかりだから、文学の三島も音楽の黛も映画の『Mishima』も疎んじられがちだけど、すべては歴史に委ねればいいことだ。
 映画『Mishima』は遺族の反対や街宣右翼の脅迫(しょせん左翼を利するための活動だろう)といったこともあって日本では未公開、DVDの販売や配信もない。製作総指揮はフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、監督・脚本はポール・シュレイダーという信じがたいメンバーで、主演は緒形拳。
 来年は三島由紀夫の生誕100周年だが、いつかこの映画を観ることができる日が来るのだろうか。

2024/8/24 鈴木秀美×セレスチャル響 ベートーヴェンとドヴォルザーク2024年08月24日 17:20



セレスチャル交響楽団 第5回演奏会

日時:2024年8月24日(土) 13:30開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:鈴木 秀美
共演:ヴァイオリン/荒木優子(コンマス)
   チェロ/島根朋史(首席チェロ)
演目:ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調 作品92
   ドヴォルザーク/交響曲第8番 ト長調 作品88


 セレスチャル響は設立してまだ間もないアマオケ。メンバーは80人ほどで、神奈川県を中心に活動しているようだが、プログラムノートにも詳細な紹介がない。ざっと見渡すと男女比率半々、40代50代が中心のようだ。60歳以上らしきメンバーも結構いる。学生オケを母体とするアマオケでよくみられる20代はほとんどいない。熟年集団である。

 過去の演奏会記録を見ると、飯森範親や下野竜也、坂入健司郎など、主にプロオケで活動する指揮者を積極的に招聘している。鈴木秀美とは二度目の顔合わせらしい。
 今回はバッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、レ・ボレアードなど日本における代表的な古楽団体のメンバーである荒木優子と島根朋史がコンマス及び首席チェロとして参加しており、バロック奏法でのアプローチとなるのだろう。鈴木秀美のベートーヴェンやドヴォルザークも興味深い。
 
 最初がベートーヴェンの「交響曲第7番」。首都圏のアマオケはアマチュアらしからぬ演奏水準に感心することが多いが、セレスチャル響はそれほどでもない。アンサンブルが粗く音が濁りがち。各パートとも技術的にちょっと物足らない。ヴィブラートが少な目の弦もアマチュアとっては厳しいハードルだったかも知れない。ベートーヴェンはオケの弱点がかなり目立つことになってしまった。
 しかし、後半、メンバーが増強されトロンボーンやチューバなども加わったドヴォルザークの演奏は、第2楽章における客演の荒木優子のソロや、最終楽章ではチェロの首席を務めた島根朋史のリードもあって見違えるよう。全体的にはテンポを適度に揺らせながら気持ちを込めた鈴木秀美の音楽つくりが鮮やか。何の衒いもなく素直に感情をのせたドヴォルザークの旋律が心地よく、最初から最後まで楽しませてくれた。

2024/6/29 フルシャ×都響 スメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザーク「交響曲第3番」2024年06月29日 20:51



東京都交響楽団 都響スペシャル

日時:2024年6月29日(土) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:ヤクブ・フルシャ
演目:スメタナ/歌劇「リブシェ」序曲
   ヤナーチェク/歌劇「利口な女狐の物語」大組曲
        (フルシャ編曲)
   ドヴォルザーク/交響曲第3番 変ホ長調op.10


 久しぶりにフルシャが都響に帰ってきた。7年ぶりだという。都響の首席客演指揮者のときには、それほど熱心な聴き手ではなかったが、プラハフィルとの来日公演は印象に残っている。今はバンベルク響の首席指揮者として活躍中、次期ロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督にも決まった。今日は彼の出身地チェコの作家を集めたプログラム。
 スメタナの歌劇といえば「売られた花嫁」が飛びぬけて有名で、序曲もこれ以外は知らない。ヤナーチェクの歌劇は全く不案内、「タラスブーリバ」「シンフォニエッタ」「グラゴルミサ」のほかは馴染みがない。ドヴォルザークの初期交響曲はCD全曲集の記憶のみ。だから、実演となると3曲とも初聴き。

 「リブシェ」は祝典オペラらしい。野外劇を想定して書かれているのかも知れない。はじまりは金管のファンファーレ、木管が引き継ぎ、スメタナらしい弦の親しみやすいメロディが続く。演奏会のオープニングとしては華やかで気に入った。もっと演奏機会があっても良さそうに思う。

 「利口な女狐の物語」大組曲はフルシャ自身が編曲したもの。ほかに指揮者のターリヒやマッケラスなども組曲を編んでいる。ヤナーチェクの音楽は蔦が絡みながら生長して行くように、独特の展開と動きをみせる。ミニマル・ミュージックの原型かとも感じるが、劇的でクライマックスの盛り上がりも相当なものだから、クールなミニマル音楽を連想するのは間違っているのかもしれない。
 オペラの進行順に編んだフルシャの大組曲は40分くらい。半分は第1幕から、残りの半分が2幕と3幕から採られた音楽だった。フルシャ×都響は劇を目の前にするかのごとくエネルギーにあふれ、目の詰まった充実した音楽を繰り出し楽しませてくれた。

 「交響曲第3番」は、ドヴォルザークがヨゼファ・チェルマークとの初恋に破れ、ヨゼファの妹であったアンナを妻として迎え入れた頃の作品。音楽全体にその喜びが満ちている。ドヴォルザークという人は、その時々の個人的な感情がどの作品にも素直に映し出されているように思う。
 「交響曲第3番」はドヴォルザーク唯一の3楽章形式。オケの規模も感情の振幅も大きい。第1楽章は、ティンパニのソロから始まり、スケール感のある第1主題のあと、下行音型の第2主題が続く。曲はほの暗さを挟みながら段々と高揚し、最後はティンパニが連打するなか畳みかけるように終わる。
 第2楽章は、弦楽器がもの悲しい旋律を奏で、木管楽器の合いの手、ホルンの哀切に満ちた節回しが胸を締めつける。中間部はハープの調べを合図に行進曲風に変転し、心躍る音楽となる。巧妙な転調に背筋がぞくっとする。ドヴォルザークはワーグナーに心酔し、ブラームスに才能を見出され、シューベルトと並ぶ歌謡性が魅力とされているが、ここはむしろブルックナーとの類似を考えたくなる。
 第3楽章は、ティンパニの強打ではじまり、踊りのときの躍動感にあふれた音楽が疾走する。終楽章であってもスケルツォ的な要素がある。ピッコロが印象的なアクセントを打ち、終結はファンファーレが鳴り響き晴れやかに閉じる。ここでも音楽はブルックナーに近似してくる。
 ドヴォルザークの後期交響曲を聴いてブルックナーを思い浮かべることなどまずないが、30歳そこそこで書いたこの交響曲のなかでは同時代の作家の影がチラチラと見え隠れする。
 
 フルシャの音楽は、はったりがなく誠実で気持ちがよい。と言って、決して平板でも演奏効果が薄いわけでもない。鳴らすところは鳴らし、抑えるところは抑え、起伏も十分にありながら、音楽全体は大河のように悠然と流れていく。せせこましさを感じさせず、真摯で風格のある音楽をつくりあげる。
 都響はコンマスが矢部達哉、隣には山本友重が座りツートップ。指揮者との相性は申し分なく、タクトへの俊敏な反応も素晴らしかった。緻密かつ伸びやかな演奏で感心した。今年の忘れられないコンサートになりそうだ。
 これほどの演奏にもかかわらず、見慣れないプログラムのせいか都響にしては空席が目立っていたけど、終演後のお客さんは熱狂的で、フルシャのソロ・カーテンコールとなった。

 都響は10年以上も前にフルシャを客演指揮者として招聘し、その後、フルシャはキャリアを着実に積み上げている。事務局の慧眼を称えるべきだろう。
 来週、フルシャはサントリーホールでブルックナーを振る。楽しみになってきた。