2026/2/13 トッパン・ランチタイムコンサート シューマン「ピアノ四重奏曲」 ― 2026年02月13日 16:34
ランチタイムコンサート Vol.138 特別企画
1909年製ベーゼンドルファーの息吹 II
日時:2026年2月13日(金) 12:15 開演
会場:トッパンホール
出演:ピアノ/佐藤 麻理
ヴァイオリン/瀧村 依里
ヴィオラ/田原 綾子
チェロ/築地 杏里
演目:マーラー/ピアノ四重奏曲断章 イ短調
シューマン/ピアノ四重奏曲 変ホ長調Op.47
トッパンホール・ランチタイムコンサートの特別企画。副題にある“ベーゼンドルファー”とはフランツ・リストへの敬愛をこめて「リスト・フリューゲル」の愛称で親しまれていたモデル250のこと。通常のモダンピアノよりも4鍵盤拡張された92鍵で、ウィーン国立歌劇場内のリハーサル室で使用されていたという。日本へは2012年頃輸入されたものらしい。このピアノを用いてピアノ四重奏曲を2曲披露してくれた。
12時20分になって背丈がほぼ同じ4人の女神がにこやかに登場した。このなかで田原綾子は何度も聴いたことがある。田原は一番の笑顔で挨拶、演奏中も目立つほど身体を揺らし表情も豊かであった。
最初はマーラーの若書きの断章。ウィーン音楽院在籍中の16歳のときの習作で第1楽章のみが残され、マーラーの室内楽曲では現存する唯一の作品。この断章はディカプリオ主演の映画『シャッター・アイランド』のなかで使われ、「これはブラームスか」「いや、マーラーだ」という印象的な会話が交わされていた。
開始はピアノがテーマの断片を奏でる。ピアノは深く重い低音、柔らかな中音、キンキンしない上品な高音と、全体に重厚でしっとりとした響きを聴かせる。ピアノを弾いた佐藤麻理はウィーン国立音大の講師を務めているという。ピアノに次いで弦楽器が加わりながら全体を形成していく。弦楽器は圧倒的にヴァイオリンが優位で、とくにコーダのカデンツァでは暗く耽美的な楽想を歌い、悲劇を予感させるように終わる。ヴァイオリンの瀧村依里は読響の首席奏者。
なるほど、この曲は若さが溢れるというよりは内省的で、ピアノの伴奏の上を弦楽器が呟いているよう。たしかに、何も知らずに聴かされたら「マーラーだ」と答えることは難しく、やはり「ブラームスか?」と尋ねることになりそうだ。
2曲目はシューマン。シューマンの室内楽曲というと「ピアノ五重奏曲」しか知らない唐変木だが、この「ピアノ四重奏曲」は「弦楽四重奏曲」「ピアノ五重奏曲」に続いて「室内楽の年」の最後に書かれた。因みにプログラムノートによればシューマンの作品を辿ると1840年が「歌曲の年」、41年が「交響曲の年」、42年が「室内楽の年」だという。
第1楽章は序奏付きで、主題が提起されそのあとアレグロの快活な音楽が展開する。第2楽章は無窮動的なスタッカートで緊張感が漂う。とくにチェロのパッセージは見た目にも軽業のよう。チェロの築地杏里はクァルテット・インテグラにいてミュンヘンやバルトークなどのコンクールで名を馳せたあと、今はフリーランスの奏者として活躍している。第3楽章は感動的なアンダンテ・カンタービレ、幸せに満ちた過去や現在を各楽器が奏でていく。とりわけ田原のヴィオラの旋律に聴き惚れる。エンディングの手前ではチェロが弦を低く調弦し直すという見所があり、調弦後のチェロの持続音が耳に残る。第4楽章は明るいフガートから始まる活き活きとした音楽。4人の女神それぞれの創意工夫のフガートが興奮を高め華麗なコーダで幕が閉じられた。
ひょっとしたらシューマンは楽器が積み重なる交響曲より、楽器が制約された室内楽や歌曲のほうがより楽しめる作曲家なのかも知れない。
2025/9/20 河村尚子 ムソルグスキー「展覧会の絵」 ― 2025年09月20日 21:07
フィリアホール 土曜マチネシリーズ第19回
河村尚子 ピアノ・リサイタル “ある視点” Vol.2
日時:2025年9月20日(土) 14:00開演
会場:フィリアホール
出演:河村 尚子
演目:モーツァルト/ピアノ・ソナタ第8番イ短調
ラヴェル/組曲「クープランの墓」
ナディア・ブーランジェ/新たな人生に向かって
ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」
フェリアホールにおける河村尚子のリサイタル・シリーズの第2回。オケ好きとしてはピアノ・リサイタルなど普段は見向きもしないのだけど、河村尚子とプログラムに魅かれてチケットを取った。
河村尚子はデビュー当時、モーツァルトの協奏曲を聴いていたく感心した。その後、リサイタルを追いかけることはしなかったが、オケとの協奏曲には何度か遭遇している。今回はプログラムが魅力的で、ソロ・リサイタルに足を運ぶことにした。
チラシのプログラム欄には「In Memoriam...」と付されていた。「In Memoriam...」とは「…を記念して、追悼して」という意味で、墓碑銘にしばしば用いられる言葉らしい。今回の楽曲はいずれも亡き人に捧げられた曲である。モーツァルトは母親を、ラヴェルは第一次世界大戦で戦死した知人たちを、ナディア・ブーランジェは病弱だった妹リリー・ブーランジェを、そしてムソルグスキーは友人の画家ヴィクトル・ハルトマンの死を、それぞれ追悼し、「別れ」を音楽にして残した。
まずはモーツァルトのピアノソナタK.310、短調は2曲のみ。このイ短調とトラットナー夫人マリア・テレジアに献呈されたハ短調である。ハ短調はいろいろ秘密がありそうな曲だが、イ短調は深い悲しみに包まれた曲。
第1楽章、河村はプレストのような速さで開始して吃驚、緊張と不安が漂い長調への転調すら明るさがない。演奏時間の半分を占める緩徐楽章はゆったりとつぶやく。河村はこの楽章を最重要としスポットを当てた。穏やかな気分や慰めもあるが、不穏な不協和音や転調が連続する。プレストは素早く駆け抜け慰藉のないまま終わった。
「クープランの墓」は1.プレリュード、2.フーガ、3.フォルラーヌ、4.リゴドン、5.メヌエット、6.トッカータの6曲で構成される。4曲を抜粋した管弦楽曲版はときどき聴く。クープランはフランスのバロック時代の作曲家の名前。クープランの生きた時代様式を意識して書かれ、各曲ごとに戦死者に捧げられている。
「プレリュード」はイスラム風なパッセージが常動曲風に動き、装飾音が典雅な雰囲気を高める。「フーガ」は演奏が非常に難しそうだが、河村は穏やかな雰囲気のまま進める。「フォルラーヌ」はダンス音楽で、音が引っかかったり揺れ動くリズムが印象的。「リゴドン」も舞曲、河村は力強いリズムで弾き、明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部との対比を際立たせた。「メヌエット」は優雅で気品溢れる演奏、トリオは緊張感が高まる。「トッカータ」はせわしない同音連打が次第に高揚し、テンポアップしながら壮大で華やかなコーダに向かって行く。河村はピアニスティックな技巧を駆使し、あの「ボレロ」と同じような興奮を再現した。管弦楽曲版に「トッカータ」を含まないのは今更ながら残念だ、と思わせるほど。
ここで20分間の休憩。
ナディア・ブーランジェは19世紀末から20世紀の後半までを生きたフランスの作曲家兼教育者。「新たな人生に向かって」によって追悼された妹のリリー・ブーランジェも作曲をよくした。ナディア自身は妹リリーの才能に敵わないと感じていたという。かなり沈鬱で暗い曲。河村はこの曲を「展覧会の絵」の前奏曲のように扱い、アタッカで「プロムナード」につなげた。
「展覧会の絵」はもちろんピアノ組曲がオリジナルなのだけど、受容からいえば管弦楽編曲が先だから、ピアノを聴いても頭のなかではラヴェルの楽器たちが鳴る。「プロムナード」のトランペット、「古城」のアルト・サックス、「ビドロ」のテューバ、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」のピッコロ・トランペットなどである。そして、ピアノ組曲は録音ではホロヴィッツ、リヒテルなどの超絶というべき音盤があるから、どちらにせよピアニストが実演でこの曲を取りあげるには覚悟がいるだろう。
しかし、河村の演奏が始まってみると、そんなこんなは吹っ飛んでしまった。多彩な音色、幅広いダイナミックス、芯の強いタッチ、そして何より豊かな表現力でピアノの世界に引きずり込まれてしまった。
「プロムナード」のそれぞれが全く違う肌ざわりで弾かれ、「小人」の陰鬱でグロテスクな歩み、「古城」の哀愁を含む甘美な旋律、「テュイルリーの庭」の目まぐるしく騒然とした動機、「ビドロ」の暗く重々しい調べ、「卵の殻をつけた雛の踊り」の雛鳥の鳴き声やせわしない動き、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」の低音と高音の対決、「リモージュの市場」の喧騒、「カタコンベ」の不気味な重量をもった響き、「バーバ・ヤーガ」の叩きつける和音の連打から、ついに「キエフの大門」が姿を現す。「プロムナード」が変形しコラールが変奏され、巨大なエネルギーが解放されるように曲が閉じられた。
とことん圧倒された。何とまあムソルグスキーは恐ろしいピアノ組曲を作ったものだ。これから管弦楽版を聴くときには、今までとは逆に頭の中で河村尚子のピアノが鳴るような気がする。
2025/8/9 ミンツ&都響メンバー 2つの「四季」 ― 2025年08月09日 21:57
シュロモ・ミンツ&東京都交響楽団メンバー
ヴィヴァルディ&ピアソラ2つの四季
日時:2025年8月9日(土) 15:00開演
会場:東京文化会館 小ホール
出演:ヴァイオリン/シュロモ・ミンツ
チェンバロ/大井駿(ヴィヴァルディのみ)
都響メンバーによる弦楽アンサンブル
ヴァイオリン/及川博史、塩田脩、
三原久遠、山本翔平
ヴィオラ/萩谷金太郎、林康夫
チェロ/長谷部一郎、森山涼介
コントラバス/髙橋洋太
演目:ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」
ピアソラ/「ブエノスアイレスの四季」
(ファビアン・ベルテロ編曲)
シュロモ・ミンツはモスクワ生まれだが、物心がつく前にイスラエルに移住し、その後、アメリカでアイザック・スターンに師事したという。多くの弦楽奏者と同様ユダヤ系のヴァイオリニストであろう。都響の及川博史はミンツの愛弟子らしい。で、その及川をリーダーとする都響の弦楽アンサンブルと一緒にヴィヴァルディとピアソラの「四季」を演奏した。
ヴィヴァルディの「四季」といえば、われわれの世代はイ・ムジチのレコードによって入門するのがお決まりのコースだった。そうそうコンマスがアーヨかミケルッチかの違いに結構こだわっていたのを思い出す。その後、長く愛聴したのはジュリアーノ・カルミニョーラが古楽器グループであるソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカと組んだ装飾音まみれのエキセントリックな音盤だったけど。もちろん実演にも何度か出向いた。
ミンツと都響メンバーによるこの「四季」は何という静謐な! テンポも音量も音色も控え目で揺らぎも強弱も緩急も穏やか。緩徐楽章などは最弱音を駆使して緊張感を高め、一瞬、宗教音楽ではないかと錯覚するほどだった。これは異様な佇まいの「四季」といえるのではないか。後々まで記憶に残りそうな演奏である。ミンツのヴァイオリンはボウイングがコンパクトで無駄な動きが一切ない。美音に聴き惚れた。
「ブエノスアイレスの四季」の実演は初めて。ピアソラの原曲は五重奏曲、ソロヴァイオリンと弦楽オーケストラのために編曲されたものはロシアの作曲家デシャトニコフの版が有名で、YouTubeにアップされているのは大部分がこの版である。今回はアルゼンチンタンゴ界の才人といわれるファビアン・ベルテロによる編曲版という。
ライブで聴く「ブエノスアイレスの四季」は、けだるさと哀愁の漂う魅力的な作品。編曲の妙もあるのか、楽器の胴体を手で叩き打楽器のような音を出したり、グリッサンド、フラジオレット、ピチカートなどの奏法もめまぐるしく、自然に身体が揺れ動くようなリズムに魔力がある。ミンツと都響メンバーはことさら民俗性を強く押し出すことなく、力みのない愉悦に満ちた演奏で楽しませてくれた。
「ブエノスアイレスの四季」の演奏順はさまざまで、作曲順に夏秋冬春としたり、北半球の春夏秋冬や、南半球における四季、つまり秋冬春夏としたりする。ベルテロの編曲は南半球における秋冬春夏の四季だった。YouTubeで聴くと先鋭的な音楽である「春」と、終盤パッヘルベルの「カノン」のような旋律が出現する「冬」が印象的だが、ライブでは季節のそれぞれが面白く演奏順など気にならない。それより、原曲のキンテートはもちろんピアノトリオや同じ弦楽合奏でもデシャトニコフ版など、この曲のあらゆるバージョンの実演を聴きたくなる。
アンコールはピアソラの「オブリビオン」と、もう一度「春」を演奏してくれた。
2025/3/22 アンサンブル山手バロッコ 「ブランデンブルク協奏曲」 ― 2025年03月22日 18:15
かなっくde古楽アンサンブル
J.S.バッハ ~ 種々の楽器のための協奏曲
日時:2025年3月22日(土) 14:00 開演
会場:かなっくホール
出演:アンサンブル山手バロッコ
共演:ソプラノ/小林 恵
バロック・トランペット/池田 英三子
バロック・ヴァイオリン/小野 萬里
ヴィオラ・ダ・ガンバ/坪田 一子
演目:ブランデンブルク協奏曲第6番変口長調BWV1051
カンタータ第209番
「悲しみのいかなるかを知らず」より
ブランデンブルク協奏曲第5番二長調BWV1050
カンタータ第51番
「全地よ、神に向かいて歓呼せよ」
アンサンブル山手バロッコは、主に横浜山手の洋館で演奏活動を行っている古楽器団体。フリーキャスターでリコーダー愛好家の朝岡聡を中心に結成され、活動歴はすでに四半世紀になるという。今回、この楽団に4人のゲストを加え「J.S.バッハ 種々の楽器のための協奏曲」と銘打って、かなっくホールにて出張公演とあいなった。
J.S.バッハは生涯で1000曲以上の作品を残したといわれているが、受難曲と代表的なミサ曲、幾つかの管弦楽曲と協奏曲、無伴奏のチェロとヴァイオリン、鍵盤楽器では平均律と変奏曲、オルガン作品数点くらいしか知らない。音盤も十数曲しか持っていないだろう。実演の機会となるとさらに少なくなる。
有名な「ブランデンブルク協奏曲」も6曲をまとめて生で聴いたことはない。今日も「5番」と「6番」の2曲である。「ブランデンブルク協奏曲」はバッハが終焉の地ライプツィヒへ移る前のケーテン時代の作品で、「6番」が最初に「5番」が最後に書かれたという。
前半は「ブランデンブルク協奏曲第6番」と「カンタータ第209番」。
「第6番」はヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロの独奏。ヴァイオリンを含まず、チェロ、コントラバス、チェンバロが加わる。第1楽章はカノン風の音楽が絡み合って進む。躍動感がありつつ中低音楽器主体の重厚さもある。第2楽章はアダージョで、ヴィオラ・ダ・ガンバはお休み。歌謡性があって美しい。第3楽章はアレグロ、楽器同士の軽妙な掛け合いや可憐な問答のような部分がある。
「カンタータ第209番」からはシンフォニアと終曲アリア「不安や怖れを乗り切った舟人は」を抜粋して。小林恵のソプラノは表情も情感もゆたか。
後半が「ブランデンブルク協奏曲第5番」と「カンタータ第51番」。
「第5番」はチェンバロ、フルート、ヴァイオリンの独奏。第1楽章はチェンバロの長大なカデンツァが印象的。通奏低音という裏方から主役へ躍り出たごとく。後年のピアノ協奏曲の助走のようであるが、いかんせん音量がいかにもか細い。第2楽章は煌びやかな雰囲気は消え、独奏楽器のみによって少し影のある旋律が奏でられる。第3楽章はフルートから受け継がれていく楽想が飛び跳ね、最後は独奏楽器が絡み合いながら華やかなフィナーレとなる。
「カンタータ第51番」はバロック・トランペットが参加し、1曲目のアリアと終曲のコラールを華やかに彩る。小林恵のソプラノもまるで楽器のよう。2曲目のレチタティーヴォと3曲目のアリアは、ソプラノがヴィオラ・ダ・ガンバのくぐもったどこか悲しげな伴奏とともに神への思いを吐露する。
古楽器の演奏会なんてあまり経験がない。いつものコンサートホールにおける刺激的な時間というよりは、ちょっと異空間に紛れ込んで、親密かつ穏やかな2時間を過ごした、という感じであった。
2025/2/24 カシオペイアSQ 「MISHIMA」と「アメリカ」 ― 2025年02月24日 19:02
かなっくクラシック音楽部 フロイデコンサート
日時:2025年2月24日(月・祝) 14:00 開演
会場:かなっくホール
出演:カシオペイア・クァルテット
ヴァイオリン/渡辺 美穂
ヴァイオリン/ビルマン 聡平
ヴィオラ/村松 龍
チェロ/弘田 徹
演目:バーバー/弦楽四重奏曲第1番 Op.11
グラス/弦楽四重奏曲第3番 「MISHIMA」
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲 第12番
「アメリカ」
フィリップ・グラスの「MISHIMA」を聴きたくてチケットをとった。前後には「弦楽のためのアダージョ」と「アメリカ」という鉄壁のプログラム。
カシオペイアSQは、かなっくホールを拠点とする四重奏団、新日フィルの弘田とビルマン、N響の村松、そして、紅一点渡辺美穂で編成されている。以前、モーツァルトとシューベルトを聴いている。
最初がバーバーの「弦楽四重奏曲第1番」。この第2楽章を弦楽合奏に編曲したのが有名な「弦楽のためのアダージョ」。さらに、第2楽章は無伴奏混声合唱曲「アニュス・デイ」としても編曲されているらしい。
オリジナルの弦楽四重奏曲は、第1楽章と第3楽章が鋭く激しく切り裂くような曲調で、間に挟まれた第2楽章が別世界のような美しい音楽となっている。途中、三重奏となって第1Vn.と第2Vn.が交代で休止する。このため渡辺美穂のソリストらしい華やかな音と、ビルマン聡平の地味ではあっても奥行きのある音との対比が絶妙で、深い哀しみのなかに安らぎと癒しが浮かび上がってくる。それにしてもこの曲、バーバー26歳のときの作品というが信じられないほどの完成度である。
グラス「MISHIMA」のSQ版は、もちろん映画「MISHIMA」のための音楽を土台にしている。昨年聴いたピアノ協奏曲版はグラス本人ではなく、マイケル・リースマンが編曲したものだけど、SQ版はグラス自らが筆をとった。演奏するに15分から20分ほどの長さで、1.受賞のモンタージュ、2.市ヶ谷、3.祖母と公威、4.ボディビル、5.血の誓い、6.三島/エンディング、の6つの曲から成る。
音楽はひたすら内面に向かう。反復と断絶、漸増と漸減、高揚と抑制を繰返しながら進行する。鬱屈した精神に悲壮な決意が充填される。カシオペイアSQの寄せては返す波のような音のうねりに身を委ねていると、三島の生涯が重なり押しつぶされそうになる。今年は三島由紀夫の生誕100年である。
最後はドヴォルザークの「弦楽四重奏曲第12番」、“アメリカ”の愛称で親しまれ、「新世界より」「チェロ協奏曲」と並ぶ滞米中の代表作。異文化を背景に故郷への愛情や郷愁が色濃く反映している。
第1楽章はアレグロ、ゆったりとしたボヘミア民謡風の旋律で開始される。有名なこの主題はその後の楽章にも形を変えて出てくる。村松龍のヴィオラがしっとりとした旋律を奏でる。展開部ではフーガ的な音の動きが興奮をよぶ。第2楽章はレント、郷愁をさそう伸びやかな緩徐楽章。黒人霊歌に着想を得たといわれる歌謡的な部分が印象的。それぞれの楽器に短いソロが用意されていて、ここでも渡邊とビルマンの色合いの違いが活かされていた。弘田徹の深々としたチェロの響きで終わる。第3楽章はスケルツォ。ボヘミアの舞曲による主題が使われているようだが、軽快なリズムに彩られ、鳥のさえずりも引用されている。第4楽章フィナーレ、リズミカルな主題はネイティブアメリカンの影響だという。力強い副主題と讃美歌的な旋律との対比が鮮やか。最後は激しい気迫で4人揃ってコーダへ雪崩れ込んだ。
アンコールは松任谷由実の「春よ、来い」を披露してくれた。そう、あと数日すれば3月、春到来である。今年も時間は足早に過ぎて行く。