2022/1/22 スダーン×東響 サン=サーンスの協奏曲と交響曲2022年01月22日 20:03



東京交響楽団 名曲全集第173回

日時:2022年1月22日(土) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ユベール・スダーン
共演:チェロ/上村 文乃
   オルガン/大木 麻理
演目:サン=サーンス/チェロ協奏曲 第1番
           イ短調 op.33
   サン=サーンス/交響曲 第3番 ハ短調 op.78
            「オルガン付き」


 11月下旬に政府が発表した「オミクロン株に対する水際措置の強化」による外国人の新規入国停止措置以降、海外勢指揮者のほとんどが来日不能となった。その代役はもちろん日本人指揮者が中心となっている。なかにはデスピノーサやアクセルロッドのように入国停止措置以前に来日し、滞在を延長してまで代役を引き受けてくれている指揮者もいる。スダーンも東響をはじめとして、2月上旬には札響のマティアス・バーメルトの代役を3公演ほど務める。
 この名曲公演は、指揮者がピエール・ブリューズからユベール・スダーンに変更となった故にチケットを取った。
 まぁ、そういう客が中にはいるとしても、各楽団においては煩雑な交代折衝や事務量の増大、営業面での打撃など大変な事態が続いている。やはりというか、楽団とマネジメント事務所や指揮者とのトラブルも発生しているようで、関係者は、もういいかげん勘弁してほしい、と嘆きたいところだろう。

 だいたいウーハンコロナへの対応が世界中で失敗している。ロックダウンによって感染は収束しなかった、ワクチン接種率が高い国ほど感染割合が高い。ロックダウンにしてもワクチンにしても何かおかしい。
 いまヨーロッパの国々をはじめ多くで感染者数が増加している。なかでもワクチン接種率の高い国、ブースター接種が進んでいる国こそ感染者数が急上昇している。薬品によって人の自然免疫が破壊されたり、変異株の出現が早まる恐れはないのだろうか。ワクチンが重症化を防ぐといって、昨年はコロナ以外の突然死、過剰死が異常なほど増えている。この一部には副作用の可能性もないとはいえない。
 フランス大統領は「ワクチン未接種者の生活を困難なものにしたい」と発言し、過半の国民から賛同を得ているようだが、イスラエル、ポルトガル、デンマーク、アイスランド、フランスなどはワクチン接種率が70%を越えている。さらに3回目の接種を大規模に進めている国もある。しかし、これらの国々は人口100万人あたり1日の新規感染者がいずれも上位にある(Our World in Data)。普通に考えれば、ワクチン未接種者がウイルス拡散の原因だ、という口実など通用しないはず。
 米国の最高裁が政権の「企業のワクチン義務化措置」を阻止する判断を下したのは、まだわずかながらも良識が残っている。反ワクチンを標榜するわけではない。このワクチンは長期的にみて安全とも危険ともわかっていない。正確な情報の提供と選択の自由が確保されることを望んでいるだけだ。選択肢のひとつとしてのワクチン提供であれば結構なこと、接種義務化とは狂気の沙汰としか思えない。
 昨日から適用された「蔓延防止措置」や、今までの「水際対策」の有効性にも疑問がある。オミクロン株の脅威はインフルエンザ以下だという専門医もいる。正しく恐れるに尽きる。感染者数が日本の比でない英国では、首相が「水際対策」の緩和を発表した。経済や文化活動を止めてまで移動制限をする必要と価値があるのかどうか、再検討すべきではないか。
 ウーハンコロナに対し懸命に努力していることは認めるにしても、人が過剰に介在することで却って事態が悪化する、という疑いを捨てきれない。自然免疫を含め本来生物が持っている生命力をもっと信頼したらどうだろう。いま求められているのは自然の摂理を畏怖したうえで考え行動することだと思う。 
 このままだと人々が集団催眠にかけられているようで空恐ろしい。映画『マトリックス』の世界でもあるまいに。ウイルス騒動が『V フォー・ヴェンデッタ』で描かれた、さらなる分断と強制、そして専制を招くのではないかと、半分冗談ながら心配している。


 話が大きく脱線した。
 今日のコンサート、サン=サーンス特集の話だった。

 昨年が没後100年にあたっていたサン=サーンスは、3歳で作曲をし、10歳で演奏会を開き、13歳でパリ音楽院に入学、16歳で最初の交響曲を書いた。神童であった。もっとも音楽家は総じて早熟、モーツァルトはもちろん、ベートーヴェン、シューベルト、ロッシーニ、メンデルスゾーン、ブラームス、ビゼー、ショスタコーヴィチなど数限りない。サン=サーンスは、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍する一方で、文筆家、批評家でもあり、詩や戯曲も書いた。自作詩による声楽作品も存在する。

 サン=サーンスの「チェロ協奏曲第1番」は、急、緩、急の3楽章が続けて演奏される。単一楽章のようなこじんまりした作品。演奏時間は全体で20分ほど。チェロの名曲「白鳥」の作者だから当たり前、「チェロ協奏曲」も手慣れた佳品である。
 ソリストはユリア・ハーゲンに代わって上村文乃になった。上村さんは大柄で、音量も豊富。力強い音で良く歌うが、中間部の子供が踊っているようなオケの伴奏のうえを、チェロが優しくわたっていく場面など、しみじみと情感溢れた演奏で感心した。アンコールは藤倉大「sweet suites」、これも目の覚めるような快演。

 「交響曲第3番 オルガン付き」は、サン=サーンスの最後の交響曲。全盛期に作曲され、友人であったリストに献呈されている。プログラムノートによると、彼は「すべきことはすべてやった。このようにはもう二度と作曲できないだろう」と述べていたらしい。形式は2楽章構成だが、各楽章がはっきりと2部に分かれ、1楽章の後半が緩徐楽章に、2楽章の前半はスケルツォになっている。
 まずは、聴こえるか聴こえないかの穏やかな弦の導入部と、オーボエの音で一気に引き込まれた。その後のフルート、バスーンの音も美しい。やはりスダーンと東響は特別な間柄だ。続くザワザワとした弦のきざみ、ちょっと「未完成」の出だしに似ている。これが全曲の循環主題のテーマにもなっている。このテーマはベルリオーズも用いたグレゴリオ聖歌の「怒りの日」から採られた。第1楽章の後半、オルガンが静かに入って来る。今日の大木さんは、パイプ前の定位置にいない。鍵盤をステージに置き舞台上で演奏。弦がコラール風の旋律を奏でる。このあたりが涙曲線の頂点。
 第2楽章の前半は、緊迫した弦楽器の激しい音楽。トリオでピアノが軽やかな動きで参加してくる。スダーンは牧歌的な風景に目もくれず駆け抜ける。オルガンの強烈な響きで後半になだれ込む。短調で始まったザワザワが長調で出現する。全体の構成は「運命」の苦悩から歓喜の再現、あるいは「復活」の宗教的な鎮魂と救済の先取りである。個人的な好みとしては、第2楽章の後半はもっと速度を落として歌い上げてほしかったが、熱量まさるスダーンの推進力は尋常じゃない、一気呵成。これで75歳の爺さま。ずっと高椅子に座りながら指揮していたが、さすが最後は立ち上がった。終演後、拍手のなか椅子に座り直してしばし瞑目、その姿が感慨に耽っているようで印象的だった。

 いやいや、とても代演というレベルではない、演奏会を何十回と聴いたうち一度あるかどうかの仕上がり。これがあるから「辛い」とか「シンドイ」とかいいながらも、演奏会通いが止められない。
 スダーンは拍手で3,4度舞台に呼び戻されたあと、珍しくオーケストラ・アンコールとなった。曲はオッフェンバック「ホフマンの舟歌」。拍手のさなか席を立つお客さんがほとんどいなかったから、アンコールがあると予め知っていた? そんなはずはない、それほど演奏が素晴らしかったということだろう。
 アンコールが終わってスダーンは、各弦のトップたちと穏やかに丁寧に手を取り合っていた。自ら10年と決めた音楽監督であった。その座を降りたいまも、お互いの信頼関係が現前しているようで、また目頭が熱くなった。


 今日の演奏会もニコニコ動画で配信された。いつものように暫くはタイムシフト視聴ができると思う。

https://live.nicovideo.jp/watch/lv335284747