2026/1/17 松本宗利音×神奈川フィル メンデルスゾーン「イタリア」2026年01月17日 19:15



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第410回

日時:2026年1月17日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:松本 宗利音
共演:ヴァイオリン/ジュゼッペ・ジッボーニ
演目:ビゼー/序曲「祖国」Op.19
   パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調Op.6
   メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調Op.90
          「イタリア」


 宗利音と書いて“しゅうりひと”と読む。割と知られている話だが、松本の父親が名指揮者のカール・シューリヒトの大ファンで、シューリヒトの奥様と親交があり、その奥様に名付け親をお願いして決まった名前だという。
 松本は30歳を超えたばかり。昨年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任し、首都圏のオケを振ることも増えてきている。初見参である。

 ビゼーの演奏会用序曲「祖国」からスタート。作曲家自身が語っていないのでタイトルの由来はよく分からないけど、普仏戦争の敗北やポーランドの分割占領の悲劇がきっかけになっている、と指摘する人もいるようだ。愛国的な雰囲気をまとった楽曲である。松本は低音域を偏愛するようなところがあり、金管などもバストロンボーンを含めたトロンボーンを強調し、序曲にしては存在感のある堂々とした曲となっていた。

 ジュゼッペ・ジッボーニはアッカルドの弟子でパガニーニ国際コンクールの覇者、イタリア人としての優勝は四半世紀ぶりだという。甘美な音色に安定した技巧、パガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」の弾き手としてこれほど相応しい人はいないだろう。ただ、松本×神奈川フィルの伴奏が重くどっしりした音楽で、飛び跳ねるような軽みや小洒落た空気感が不足している。ジッボーニの粋な節回しとはチグハグで、ソリストとオケとが最後まで嚙み合わなかった。
 ジッボーニのアンコールはギターの名曲「アルハンブラ宮殿の思い出」の編曲版、珍しいものを聴いた。

 後半は「イタリア」。松本は痩身で背が高く落ち着いた指揮ぶりだが、この曲では若者らしい溌剌とした推進力を期待した。しかし、重心が低いのは許せるとしても、どうにも音楽が単調でワクワク感に乏しい。颯爽とした「イタリア」を聴くことができなかったのは残念だった。

2026/1/12 下野竜也×東フィル 東京音コン優勝者コンサート2026年01月12日 22:11



第23回東京音楽コンクール 優勝者コンサート

日時:2026年1月12日(月) 15:00 開演
会場:上野文化会館 大ホール
指揮:下野 竜也
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
司会:朝岡 聡
出演:クラリネット/三界 達義
   テノール/チョン・ガンハン
   ピアノ/本堂 竣哉
演目:ニールセン/クラリネット協奏曲 Op.57
   ヴェルディ/「椿姫」より
        「燃える心を」
   ビゼー/「カルメン」より
        「おまえが投げたこの花は」
   レハール/「微笑みの国」より
        「君こそ我が心のすべて」
   ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調
        Op.73 「皇帝」


 新年、初っ端は東京音楽コンクール優勝者のお披露目コンサート。伴奏は下野竜也が指揮する東フィルで、司会進行は朝岡聡が務めた。

 最初はクラリネットの三界達義。三界さんはすでに広響の首席奏者。曲はニールセンの「クラリネット協奏曲」。編成が変わっていて、弦5部にホルンとファゴットが2本、打楽器は小太鼓のみ。曲自体はまさに20世紀音楽そのもので調性もリズムも不安定で辛辣、歪んだり軋んだりしながら進行し、すんなりとは耳に入ってこない。クラリネットにとっては難物だということが知れるばかり。三界さんはこの低音域から高音域までの大変な曲を巧みに吹きこなす。その技に感心しているうちに、単一楽章25分の楽曲が終わった。

 次のチョン・ガンハンは21歳、ソウル大学に在学中。声楽を志したのは16歳のときというから、まだ5,6年しか学んでいない。なのに質感のある密度の高い声、伸びのある超高音に聴き惚れる。3曲とも愛の歌、相手の女性のタイプは異なるものの、それぞれへの愛を歌いあげた。チョン・ガンハンは体格からして立派で音量豊富。歌の表情はまだまだこれからだとしても大成すること間違いない。今日、ワーグナーはなかったけどヘルデンテノールとしても有望ではないか。将来が非常に楽しみだ。韓国は近年声楽のみならず器楽においてもコンクールの優勝者を輩出している。往年の日本のようになってきた。

 最後はピアノの本堂竣哉。藝大の4年生だからチョン・ガンハンとほぼ同世代。だけど体型は大人と子供、華奢で小柄。ところが演奏となればベートーヴェンとがっぷり四つに組んで、それはそれは見事な「皇帝」を披露してくれた。音は煌めくように輝きに満ち、曖昧なところが一切なく美しく綺麗。その音でもって繊細な弱音から豪胆な強音まで滑らかに弾き分ける。下野×東フィルも勇壮なだけに終わらず切れ味のあるあたたかな伴奏で盛り上げる。下野は先だっての「幻想交響曲」でも感心したけど音楽の組み立てが堅牢で、構えも一回り大きくなっている。第1楽章の直後、会場からかなりの拍手が起こったのも無理はない。第2楽章の静謐な夢見るような情感、第3楽章の躍動感あふれるピアノさばきなど、どんどんその演奏に引き込まれてしまった。コンクールにおいて聴衆賞を獲得したというのも納得である。終演後のインタビューでは天真爛漫というか天衣無縫、グレン・グールドが好きで5歳で「ゴルトベルク」を弾いたと笑って言う。天才肌というべき逸材の誕生である、新年早々大いに悦びたい。

2025/11/30 音大オケ・フェス チャイコフスキー、マーラー、ベルリオーズ2025年12月01日 14:58



第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
    武蔵野音大・東京音大・洗足音大

日時:2025年11月30日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:武蔵野音楽大学(指揮/原田慶太楼)
   東京音楽大学(指揮/松井慶太)
   洗足学園音楽大学(指揮/下野竜也)
演目:チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(武蔵野)
   マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」(東京)
   ベルリオーズ/幻想交響曲(洗足)


 月が替わって12月になってしまったが、昨日、毎年恒例の音大オケ・フェスの2日目を聴いた。初日の東京芸術劇場はパスしたが、来週のミューザ川崎の最終日は聴く予定である。

 原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーでスタート。
 全楽章をアタッカでつなげ激烈で火が燃え上がるような演奏。最大限の緩急と強弱、スピードは違反レベル、音量は限度一杯、やりたい放題と形容していいほど。学生オケだからこそ可能となった演奏だろう。プロオケだったら楽団員から顰蹙を買いそう。もっともチャイコフスキーの交響曲だから許容範囲というべきか。とまれ原田の外連味たっぷりの曲芸的な解釈に武蔵野音大はよく食らいついて行った。
 原田慶太楼は現在東響の正指揮者だけどノットと同様今シーズン限りで退任する。コロナ禍のとき来日不能となった海外指揮者の代役として全国各地のオケを振って話題となった。当時はまさに八面六臂の活躍でオケの事務局からは頼りにされていたに違いない。東響を退任したあとは愛知室内オーケストラの首席客演指揮者やアメリカにおける音楽監督の活動が中心となりそうだが、引き続き各地のオケを指揮してくれるはず。来シーズンは神奈川フィルの定期にも登場する。 

 次いで、松井慶太が東京音大を振ったマーラー。
 松井はこの夏にアマオケのシベリウスとベートーヴェンを聴いていたく感心した。この音大オケ・フェスでの公演を楽しみにしていて、結果は期待を遥かに上回った。全体の雰囲気は穏やかで大声で叫ぶことはないものの。ひとつひとつの音に神経が行き届き、それぞれの音が各楽章の核心に向かって行く。そして、必然であるかのように曲全体の頂点へ収斂し解放される。マーラーの心の奥底、感情の揺らぎが聴き取れるようだった。第1楽章の副題でいう「春、終わりのない」の鳥のさえずり、第2楽章のロットからの引用、第3楽章の葬送行進曲と突然の民謡風の調べ、終楽章の騒擾と静寂、いずれもこれ以上ない理想的というべき演奏だった。
 編成は管楽器が4管、打楽器も多分最終稿通りなのに、第1ヴァイオリンは10人しかいなかった。チェロ、コントラバスは増強されているものの、ヴァイオリンはセカンドを含めても明らかに不足している。楽器のバランスが難しいのではと危惧したが無用な心配だった。最初から最後まで崩れることなく均衡を維持し全く気にならなかった。終演後、聴衆の何人かがスタンディングオベーションで称えていたがさもありなん、入魂のマーラーだった。
 松井の指揮姿は武骨で不器用といえるほどだが、つくりだす音楽は広上や川瀬より汐澤の衣鉢を継いでいるように思える。汐澤や飯守の亡きあとの指揮者を見つけ出したかも知れない。今のところ首都圏のプロオケを振ることが少ないが、とりあえずパーマネント・コンダクターを務めるOEKの東京公演のチケットを取りたい。

 最後は下野×洗足音大のベルリオーズ。
 休憩を挟んだものの松井慶太×東京音大の余波で第1楽章は呆然としたまま通り過ぎてしまった。ぼんやりしたまま全曲が終わるのかと懸念したがとんでもない。下野はもともと誠実な音楽家で、毎回大きく失望したことはないが、この「幻想交響曲」でも楽譜に隠れている思いがけない音を引き出して微笑させ、楽章を追うごとに熱量をあげ迫真の演奏を繰り広げた。
 とくに第3楽章の「野の風景」をきっかけにして、「断頭台への行進」「魔女の夜宴の夢」における狂乱ぶり、奇怪さは下野の別の一面をみたかのよう。それでいて細部まで統制は行き届き、圧倒的なクライマックスを築いた。洗足音大はずっと秋山さんの指導あってのオケであったが、よき後継者を得たようだ。

 演奏会は3時に開始された。普通ならメインプログラムとなる1時間近い作品を3曲並べ、それぞれの楽曲の前には共演校からエールをこめたファンファーレが演奏された。楽曲の間には20分間の休憩が置かれ、終了したのは大方7時だった。4時間もホールにいた勘定になる。
 3校の共演はさすがに辛い。毎年、年齢が加算され疲れも酷くなる。来年はプログラムノートの記載によると昔のように2校ずつ4日間の日程となっている。この改善は大歓迎である。

2025/11/15 大植英次×神奈川フィル 「キャンディード」と「春の祭典」2025年11月15日 20:20



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第409回

日時:2025年11月15日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:大植 英次
演目:ラヴェル/道化師の朝の歌
   バーンスタイン/「キャンディード」組曲
   バーンスタイン/管弦楽のための
            ディヴェルティメント
   ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」


 「道化師の朝の歌」はピアノ組曲「鏡」の第4曲を管弦楽版に編曲したもの。「ボレロ」や「スペイン狂詩曲」と同じくスペイン風の楽曲。ラヴェルはスペインに近いバスク地方の生まれだし、母親がマドリード育ちのバスク人だからスペインには親近感があるのだろう。
 冒頭のピチカートで刻まれるリズムはギターをつま弾いているかのよう。そのリズムに乗って舞曲風の旋律が奏でられる。カスタネットが加わりスペイン色が濃厚に。中間部のファゴットによる幻想的な気怠いメロディからドラマティックに高揚した後、再び冒頭のリズムが現れ、旋律はしばらく自由気儘に動く。最後は熱狂的な盛り上がりを見せ華やかに終曲した。

 次いで、大植にとっては十八番ともいうべきバーンスタインの2曲。とくに「キャンディード」組曲は、バーンスタインのアシスタントであったチャーリー・ハーモンが大植×ミネソタ管のために全曲から9つの場面を抜粋して編曲したもの。大植が最も大切にしている楽曲のひとつに違いない。
 「キャンディード」はヴォルテールの同名小説が原作のミュージカル。楽天家キャンディードが世界各地を舞台に奇想天外なストーリーを繰り広げる。破天荒で荒唐無稽、波乱万丈の冒険劇。世界中転々と舞台が変わるから音楽もクラシカルなものからジャズやラテン、ポピュラーなどがごちゃまぜとなっている。筋書きは辛辣で仮借のないところがあるようだけど、音楽は人間賛歌にあふれ楽しい。
 大植にとっては自家薬籠中の曲、各楽器に的確な指示を出し、両手はもちろん全身を使って踊るように表情を付けていく。それぞれの場面の描き方は変化に富んでおり、リズミカルで踊り出したくなるような躍動感を伝えてくれる。同時に、次々と現れる旋律はよく歌い、ドラマティックかつエネルギッシュ。でも、勢いだけではなく、丁寧な表現で鮮やかな音色でもって描き分ける。こんなに律動的で楽しい作品なのに目頭が何度も熱くなって困った。

 「管弦楽のためのディヴェルティメント」は、ボストン交響楽団100周年の委嘱作として書かれ、バーンスタインの愛弟子、小澤征爾の指揮で初演されている。第1曲「セネットとタケット」、第2曲「ワルツ」、第3曲「マズルカ」、第4曲「サンバ」、第5曲「ターキー・トロット」、第6曲「スフィンクス」、第7曲「ブルース」、第8曲「追悼~マーチ(ボストン響、永遠なれ)」といったバラエティ豊かな組曲である。
 ドラム・セットを含む多彩なパーカッションを使ってワルツ、サンバ、ブルースなどのリズムが横溢し、生命力に溢れた音楽が展開する。「管弦楽のためのディヴェルティメント」の音楽的要素はごった煮だが、その多様さはアメリカそのものという感じがする。
 バーンスタインは本当にメロディメーカーだ。彼の音楽は「カディッシュ」のような深刻なものより、こういった旋律のはっきりした快活で解放感ある曲のほうが楽しめる。大植×神奈川フィルの演奏は、ウィット、ユーモア、ペーソスなどバーンスタインの最良の部分に光をあて、幸福な気分をもたらしてくれる演奏だった。

 「春の祭典」は先月、マルッキ×東響で聴いたばかり。聴き比べとなった。
 譜面台の上には赤い表紙のスコアが置いてあった。前半の3曲は暗譜だった。さすが「春の祭典」ともなると楽譜は必要だと納得をしたが、大植は最後までスコアを開くことはなかった。大植にとって「春の祭典」はバーンスタインの楽曲と同様、すべてが記憶されている重要なレパートリーのひとつなのだろう。
 大植の「春の祭典」は剛毅ではあっても野性的というよりは堅牢でゆるぎのない構築性を感じさせる。テンポも安定して正確に刻まれる。カオスのなか雪崩れ込むようなスリルは薄いから、普通とは違って第2部の「生贄」より第1部の「大地礼賛」のほうに魅かれた。しかし、音色はきっちり設計されており、ダイナミックレンジは大きく破壊力は十分だった。
 神奈川フィルのアンサンブルは見事で、各パートも美しい音を出していた。コンマスは石田泰尚、第2ヴァイオリンには直江智沙子と小宮直、ヴィオラトップは新日フィルの瀧本麻衣子が客演、チェロは上森祥平、バスは米長幸一という最強メンバーで、妖艶な旋律や強靭なリズムを刻んでいた。冒頭のファゴットは鈴木一成。鈴木は開始曲の「道化師の朝の歌」でも魅惑的な音を響かせていた。オーボエ、フルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ホルンなども質の高い音を鳴らしていたが、とりわけ留学から帰ってきた小クラリネットの亀井優斗とアルトフルートの下払桐子の音が際立っていた。
 先のマルッキ×東響と比べれば今日の大植×神奈川フィルのほうに軍配をあげたい。

 大植英次は小泉和裕や広上淳一、沼尻竜典のようにデビュー当時から知っているわけではない。聴き始めはコロナ禍のときだからわずか数年前、いや、その前に「伊福部昭 生誕100年記念コンサート」があったから10年くらい前のことだろう。20世紀音楽は重たく几帳面すぎるし、19世紀音楽はねちっこくもたれ気味という印象だった。チャイコフスキーなどはあまりの濃厚さにいささか辟易したものだ。ところがブラームスやベートーヴェンは過剰ではあっても妙に説得力がある。このあたりは苦手な小林研一郎や上岡敏之と違う。聴き手との相性かもしれないが、大仰な指揮姿は別として作品をこねくり回すふうな気配を感じさせない。大植はもう70歳、幸いにして神奈川フィルとは毎年のように公演を重ねている。この先、しっかり聴いて行きたいと思う。

2025/11/9 デュトワ×N響 メシアンとホルスト「惑星」2025年11月09日 21:30



NHK交響楽団 第2048回 定期公演 Aプログラム

日時:2025年11月9日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:シャルル・デュトワ
共演:ピアノ/小菅 優
   オンド・マルトノ/大矢 素子
   女声合唱/東京オペラシンガーズ
演目:メシアン/神の現存の3つの小典礼
   ホルスト/組曲「惑星」作品32


 デュトワがN響定期に戻ってきた。昨年、NHK音楽祭へ出演したのは定期演奏会への地ならしだったようだ。N響の名誉音楽監督であり、20年ほど前に監督を退任したあとも毎年のようにN響を振っていた。が、セクハラ疑惑(告発記事があり本人は否定)によってN響との関係がおかしくなった。
 この騒動に対する日本のオケはどちらかというと鷹揚で、SKOや大阪フィル、新日フィル、九響などはデュトワを招いて彼の名誉回復に力添えしたようなところがあった。しかし、N響は役所体質が色濃いからひょっとしたらこのままか、と思ったけど、再び定期演奏会を任せることになった。デュトワはもう89歳、年齢から言っても嫌疑そのものが信じがたいが、真偽はさておき8年ぶりのN響定期復帰は目出度いかぎりである。

 前半はメシアンの「神の現存の3つの小典礼」。第二次世界大戦中に書かれ、戦後に初演された宗教曲。30人ほどの弦楽合奏とチェレスタやヴィブラフォン、タムタム、マラカスなどの鍵盤・打楽器、女声合唱にピアノとオンド・マルトノのソロが参加する。
 東京オペラシンガーズによる無調風の女声合唱と小菅優のピアノがとけあって美しい。大矢素子のオンド・マルトノも効果的でいかにもメシアンらしい。デュトワは多彩な響きと巧みなリズム処理で30分強の演奏時間を飽きさせない。息遣いは繊細で宗教音楽がむやみやたらに肥大することがない。それでいてスケール感に物足りなさはなく、各楽章の終盤での休止の間合いや緩急によって心憎いほどの頂点をつくり上げた。
 メシアンによれば全3楽章において神の存在の異なる側面を描いたのだというが、厳密な宗教曲として捉われる必要はないように思う。各楽章ごとに独特の旋律やリズム、色彩感があり、メシアンらしい響きのなか鳥の声が聴こえたり、ガムランが鳴ったり、「トゥランガリーラ交響曲」を連想させたりもした。

 後半は第一次世界大戦の最中に書かれたホルストの「惑星」。太陽系の地球を除く7つの惑星が扱われる。ホルストは惑星にかかわる占星術やローマ神話についても詳しく調べたうえで作曲したようだ。
 勇壮な第1曲「火星(戦争の神)」、緩徐楽章にあたる第2曲「金星(平和の神)」、スケルツォ風の第3曲「水星(翼を持った使いの神)」、組曲の中心ともいうべき第4曲「木星(快楽の神)」、壮大でゆったりとした第5曲「土星(老年の神)」、再度スケルツォ風の第6曲「天王星(魔術の神)」、女声合唱がヴォカリーズで加わる神秘的な第7曲「海王星(神秘の神)」からなる。曲順は必ずしも太陽からの遠近順ではない。
 ホルストのオケが持つ様々な楽器を活かした管弦楽法は、ワーグナーやR.シュトラウスに倣ったものだろう。感情を深く揺さぶる類の音楽ではないし、心の襞に分け入るような深刻な作品でもない。優れた音響、旋律、リズムなどによって興奮度を高めていく。昔はダイナミックレンジや音の分離、楽器音の再現性などオーディオチェック用の音源としても用いられたくらい。管弦楽技法の集大成といえる曲である。そして、ワーグナーやR.シュトラウスと同様、後年の映画音楽に大きな影響を与えた。実際、過去にはホルスト財団がハンス・ジマーを著作権侵害で訴えているし、ジョン・ウィリアムズの『Star Wars』だってホルストを抜きにしては考えられない。こうしてクラシック音楽は、第一大戦を境に映画音楽の中へと溶解していくことになる。
 デュトワはそのホルスト「惑星」を品格ある音楽として聴かせてくれた。変化に富んだ各曲を見事に描き分けた。雄弁で力強くキレがあり滑らかなクレッシェンドは迫力満点。各楽器の点描にも狂いがない。相手がN響のせいか重心は低く、強靭な低弦が刻まれるなかしっかりと旋律が歌われる。金管が伸びやかに吹奏し、木管が絶妙にコントロールされ、打楽器の打ち込みとともに音楽の規模が悠々と広がっていく。「惑星」がこんなに格調高く奏でられることは滅多にない。
 デュトワの身のこなしや歩く姿は軽快そのもの、指揮ぶりはしなやかで溌剌としている。とても90歳になろうとする人には見えない。数年前の新日フィルを振ったとき、いや、20年前のN響の監督のときと比べても歳を取ったとは思えないほどだ。恐るべき老人である。