2026/2/21 沼尻竜典×神奈川フィル レスピーギ「ローマ3部作」 ― 2026年02月21日 22:01
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第411回
日時:2026年2月21日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
演目:ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
レスピーギ/交響詩「ローマの松」
レスピーギ/交響詩「ローマの噴水」
レスピーギ/交響詩「ローマの祭り」
今回の神奈川フィル定期は「ローマ4部作」公演だという。レスピーギの「ローマ3部作」をまとめて演奏することはよくあるが、はて、4部作とは?
ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲を加えると4作品になる。なるほど!
「ローマの謝肉祭」は演奏会用の序曲だけど、オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の素材を用いている。華やかな序奏からはじまり、前半はゆったりとロマンチック、オペラで歌われる愛の二重唱がモチーフだという。ここでの旋律はイングリッシュホルンが先導する。いつもながら鈴木純子の音色は魅力的で耳をそばだたせる。後半はお祭り気分で快速、メンデルスゾーンの「イタリア」第4楽章と同様、舞曲「サルタレッロ」をもとにしていてスリリング、目まぐるしく旋律が飛び跳ね、熱狂的にコーダへと雪崩れ込む。沼尻のメリハリの効いた手際のよいオケ捌きに感心しきり。
レスピーギの「ローマ3部作」は古きローマ帝国への郷愁を音楽で綴ったようなもの。
まずは「ローマの松」。圧倒的な人気を誇り、バンダの派手な「アッピア街道の松」で幕を下ろすから、大体は演奏会のトリを飾ることが多い。今回は前半の休憩前の演奏となった。過去にはデュトワ、バッティストーニ、藤岡幸夫など記憶に鮮明な演奏がたくさんある。
公園の松並木で遊ぶ子どもたちの情景を活き活きと描く「ボルゲーゼ荘の松」。ミュート付トランペットのタンギングと木管群の旋律ではじまる。高音部中心のオーケストレーションで低音楽器はほとんど使われない。ピアノの下降グリッサンドで「カタコンブ付近の松」へと切れ目なく続く。
カタコンブは古代ローマ時代の地下墓所のこと。ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも登場する。低弦が厳かに響きホルンがグレゴリオ聖歌を奏でる。コントラバスのトップには都響の池松宏が、ホルンの一番には東フィルの佐藤俊輝が入っていた。舞台裏からトランペット・ソロの賛美歌が聴こえてくる。ソロは首席の林辰則。ヴァイオリンの呟きがまるで天上の音楽のよう。
ピアノのアルペジオで始まる「ジャニコロの松」。齋藤雄介のクラリネットによる鳥の囀り、ハープ、チェレスタなどが絡み幻想的で美しい。チェロ・上森祥平のソロが官能的。曲の終わり近くにはナイチンゲールの鳴き声が聴こえる。ナイチンゲールは録音ではなく贅沢にも4人がかりの生音だったようだ。ハープの旋律によって「ジャニコロの松」が消え去るように終わる。
さて「アッピア街道の松」である。アッピア街道は古代ローマ軍によって建設された。ティンパニ、ピアノ、コントラバス、銅鑼などが行進曲のリズムを刻み、徐々にクレッシェンドしていく。ラヴェルの「ボレロ」の手法と同じである。軍の隊列が近づいてくるかのよう。コーダの全オーケストラの強奏にバンダとオルガンを加えたクライマックスは、オーケストラが発する最大級の音響といってよい。音の洪水に身をまかせる快感を存分に味わった。バンダはP席左右の上段にトランペット、オルガン席の隣にトロンボーンが各2、計6人だったが、その破裂音は強烈。沼尻は大編成のオケを一分の隙もなく制御して完璧な音の伽藍を築き上げた。直後、客席は大歓声、沼尻は4度、5度と舞台へ呼び戻され、前半の終わりながら一般参賀になりそうな雰囲気だった。
20分間の休憩後、後半は「ローマの噴水」でスタート。夜明けから夕暮れまでの時刻を切り取って4つの噴水を描いた。「夜明けのジュリア谷の噴水」「朝のトリトンの噴水」「昼のトレヴィの噴水」「黄昏のメディチ荘の噴水」である。光と影、噴水の迸りや水の流れを巧みに音で表現している。沼尻の各楽器の音色を活かした情景描写は繊細でカラフル、音楽を聴きながらモネの絵画が浮かぶようだった。3部作のなかでは編成が小さく地味だけど光きらめく佳品だと教えてくれた。
演目の最後は「ローマの祭り」。3管編成、打楽器奏者が10人、ピアノは連弾、ピアノを打楽器とみるなら計12人。それにオルガン、マンドリン、バンダのトランペットなどが加わる大編成。ローマ時代から近代までの祭りを年代順に配置している。
1曲目は「チルチェンセス」。古代ローマ時代の円形競技場での猛獣とキリスト教徒たちの死闘、祭りというより見世物。パンダのトランペットのファンファーレとオケの叫びから始まり、低弦による猛獣の足音と木管による教徒の歌が一体となり緊迫感を高めていく。群衆の熱狂や教徒の祈りが描写される。
2曲目の時代は中世、ローマに巡礼することで罪が赦される「五十年祭」。重い足取りをあらわしたようなゆっくりした木管の音形の上を静かな賛美歌が流れる。木管の動機は徐々に明るくなり、ローマを見渡す丘の上にたどり着いたのだろう、高らかに聖歌が歌われる。
3曲目はルネッサンス時代の「十月祭」。葡萄の収穫祭の様子だという。ミュートを付けたホルンは狩の角笛、ホルンのトップは休憩のあと豊田実加に代わっていた。トランペットのファンファーレ、クラリネットが伸びやかに歌い、木管による軽やかなメロディのなかマンドリンがセレナーデを奏でる。幾つもの楽器が絡み合ううちに静寂が訪れる。
4曲目はレスピーギが生きた20世紀の時代の「主顕祭」。まさにお祭り騒ぎ、喧騒の音楽が繰り広げられる。小クラリネットの勢いのあるモチーフから始まる。小クラを吹く亀居優斗は4曲中ここだけに登壇した。楽しげなメロディにトランペットやトロンボーンがざわめくように割って入る。酩酊したような府川雪野のトロンボーンが楽しい。曲調はさまざまに変化し、ここでも舞曲「サルタレッロ」が現れる。クライマックスでは多数の打楽器群が打ち鳴らされ、熱狂的な盛り上がりのなか大団円で曲が閉じられた。
沼尻の精密無比なコントロールの賜物ではあるものの神奈川フィルは抜群の安定度を示した。ゲッツェルが客演していたころの昔はドキッとするような場面もあったけど、最近は安心して聴くことができる。個々の技量も合奏能力も着実に向上している。神奈川フィルの音色はもともと明るいから、華やかな曲が似合っている。「ローマの祭り」でこんなに興奮させてもらえるとは思いもよらなかった。
「ローマの祭り」は3部作の中で最も演奏頻度が低い。多くの打楽器奏者を集めなければならないことや、音楽表現が皮相的で劇半音楽のようだといって貶められているのだろう。いや、劇半音楽だとは「ローマ3部作」そのものがそう思われているのかも知れない。
しかし、レスピーギの管弦楽法はマーラーやR.シュトラウスなどの独墺作家についてはひとまず置くとして、師匠のリムスキー・コルサコフはもちろん、ラヴェルやホルストに並ぶ腕前と言ってよい。大規模なオケを用いて色彩豊かに描くばかりでなく、教会旋法や近代和声を駆使して華麗で特異な音色を生み出す。その楽器法による情感への作用は、間違いなくオーケストラを聴く楽しみのひとつだ。
それに、今回はプログラムの配置のせいで――「ローマの松」を休憩前に置いたことで、2回分の演奏会を聴いたというお得な気分にもなった。
2026/1/31 ルラン×神奈川フィル ビゼー「交響曲ハ長調」 ― 2026年01月31日 21:00
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
音楽堂シリーズ 第34回
日時:2026年1月31日(土) 15:00開演
会場:神奈川県立音楽堂
指揮:セバスチャン・ルラン
共演:クラリネット/亀居 優斗
演目:フォーレ/パヴァーヌ Op.50
フランセ/クラリネット協奏曲
ビゼー/交響曲ハ長調
フォーレの「パヴァーヌ」は清楚で優雅な佳品。オケのアンコールピースとしても時々演奏されるが、今日は演奏会の幕開けとして選曲された。
弦のピチカートのうえをフルートが鳴る。劇的な中間部が鮮やかに浮かび上がり、その後、冒頭の主題を再現しつつ再びピチカートによって幕が降ろされる。中間部の下降音型は「レクイエム」のアニュス・デイを連想させる。そういえば「パヴァーヌ」は合唱曲にも編曲されている。
セバスチャン・ルランはフランス出身、現在はドイツのザールラント州立劇場の音楽総監督である。もともとはチェロ奏者で指揮はミンコフスキなどに師事したという。フランス人とは思えないほど舞台への出入りや仕草がぎこちなく洗練されていないけど、はったりのない実直な指揮ぶり。
続いてフランセの「クラリネット協奏曲」。ソロは2年間のパリ留学から帰国した神奈川フィル首席の亀居優斗である。つい先日も広響首席の三界達義による超絶技巧のニールセン「クラリネット協奏曲」を聴いたばかり。どうして若手のクラリネット奏者は難曲ばかり選ぶのだろう。
フランセの協奏曲は軽妙で洒落た現代音楽。素早いパッセージは曲芸的でメロディは壊れ物のように繊細、テンポの揺らぎは大胆で強弱も大きい。全体としてお道化たところがあってユーモアやデリケートな色合いを感じさせる。
亀居は機知に富み率直で明快な表現力を持っている。甲高い声から深々とした声、色気のある声からしゃがれた声まで、何通りもの声色を使ってずっとお喋りをしているよう。といって決して耳障りではない。あっけにとられるほど語り口が上手。ニールセン同様、とんでもなく技巧的な楽曲だが、好みとしては断然フランセのほう。
ソロアンコールはがらっと雰囲気を変えしっとりと。劇半音楽を得意とする葛西竜之介の「滲む藍」を伴奏付きで演奏してくれた。
若書きの作曲家といえばモーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーンなどが思い浮かぶが、ビゼーも唯一の「交響曲」を17歳のときに――日本でいえば高校2年生――書いた。そして、やはりビゼーは37歳の短い生命しかなかった。青春の歌である。
第1楽章はオーボエの哀愁やホルンの奥行きのある響きが点描されるが、総じて楽天的で勢いのある楽章。第2楽章はヴィオラをはじめとする弦楽器の優美な旋律を背景に、愁いをふくんだオーボエがオペラのアリアのように歌う。中間部ではフーガが出現し一筋縄ではいかない。第3楽章は小気味よい舞曲。明朗快活ながら途中繊細な美しい歌が聴こえてくる。第4楽章は無窮動的に走り回り、リズムは躍動し、弦楽器の優雅なメロディが絶妙に絡まる。明るくカラフルで心地よい。これは紛れもない天才の作品だ。
ルラン×神奈川フィルはこの若書きの曲をゆっくりと丁寧に、それでいて切れ味鋭く描いた。弦5部はそれぞれが推進力を保ち、木管は歌い続ける。金管はホルンのエコー効果やトランペットのファンファーレ効果をきちっと決める。これはモーツァルトではないかと所々錯覚したほど。ルランは楽章のバランスに狂いなく、簡明な構造と魅惑的な旋律を浮かび上がらせ、色彩感にあふれた演奏を展開した。
オケアンコールもあった。シベリウスの「悲しきワルツ」。ルランのレパートリーはバロックから現代音楽まで幅広いというが、なるほど、どれもこれも手堅い。
今日のコンマスはこの4月より神奈川フィルの客演コンサートマスターに就任する松浦奈々。松浦は日本センチュリー響との兼務となる。
2026/1/17 松本宗利音×神奈川フィル メンデルスゾーン「イタリア」 ― 2026年01月17日 19:15
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第410回
日時:2026年1月17日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:松本 宗利音
共演:ヴァイオリン/ジュゼッペ・ジッボーニ
演目:ビゼー/序曲「祖国」Op.19
パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調Op.6
メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調Op.90
「イタリア」
宗利音と書いて“しゅうりひと”と読む。割と知られている話だが、松本の父親が名指揮者のカール・シューリヒトの大ファンで、シューリヒトの奥様と親交があり、その奥様に名付け親をお願いして決まった名前だという。
松本は30歳を超えたばかり。昨年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任し、首都圏のオケを振ることも増えてきている。初見参である。
ビゼーの演奏会用序曲「祖国」からスタート。作曲家自身が語っていないのでタイトルの由来はよく分からないけど、普仏戦争の敗北やポーランドの分割占領の悲劇がきっかけになっている、と指摘する人もいるようだ。愛国的な雰囲気をまとった楽曲である。松本は低音域を偏愛するようなところがあり、金管などもバストロンボーンを含めたトロンボーンを強調し、序曲にしては存在感のある堂々とした曲となっていた。
ジュゼッペ・ジッボーニはアッカルドの弟子でパガニーニ国際コンクールの覇者、イタリア人としての優勝は四半世紀ぶりだという。甘美な音色に安定した技巧、パガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」の弾き手としてこれほど相応しい人はいないだろう。ただ、松本×神奈川フィルの伴奏が重くどっしりした音楽で、飛び跳ねるような軽みや小洒落た空気感が不足している。ジッボーニの粋な節回しとはチグハグで、ソリストとオケとが最後まで嚙み合わなかった。
ジッボーニのアンコールはギターの名曲「アルハンブラ宮殿の思い出」の編曲版、珍しいものを聴いた。
後半は「イタリア」。松本は痩身で背が高く落ち着いた指揮ぶりだが、この曲では若者らしい溌剌とした推進力を期待した。しかし、重心が低いのは許せるとしても、どうにも音楽が単調でワクワク感に乏しい。颯爽とした「イタリア」を聴くことができなかったのは残念だった。
2026/1/12 下野竜也×東フィル 東京音コン優勝者コンサート ― 2026年01月12日 22:11
第23回東京音楽コンクール 優勝者コンサート
日時:2026年1月12日(月) 15:00 開演
会場:上野文化会館 大ホール
指揮:下野 竜也
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
司会:朝岡 聡
出演:クラリネット/三界 達義
テノール/チョン・ガンハン
ピアノ/本堂 竣哉
演目:ニールセン/クラリネット協奏曲 Op.57
ヴェルディ/「椿姫」より
「燃える心を」
ビゼー/「カルメン」より
「おまえが投げたこの花は」
レハール/「微笑みの国」より
「君こそ我が心のすべて」
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調
Op.73 「皇帝」
新年、初っ端は東京音楽コンクール優勝者のお披露目コンサート。伴奏は下野竜也が指揮する東フィルで、司会進行は朝岡聡が務めた。
最初はクラリネットの三界達義。三界さんはすでに広響の首席奏者。曲はニールセンの「クラリネット協奏曲」。編成が変わっていて、弦5部にホルンとファゴットが2本、打楽器は小太鼓のみ。曲自体はまさに20世紀音楽そのもので調性もリズムも不安定で辛辣、歪んだり軋んだりしながら進行し、すんなりとは耳に入ってこない。クラリネットにとっては難物だということが知れるばかり。三界さんはこの低音域から高音域までの大変な曲を巧みに吹きこなす。その技に感心しているうちに、単一楽章25分の楽曲が終わった。
次のチョン・ガンハンは21歳、ソウル大学に在学中。声楽を志したのは16歳のときというから、まだ5,6年しか学んでいない。なのに質感のある密度の高い声、伸びのある超高音に聴き惚れる。3曲とも愛の歌、相手の女性のタイプは異なるものの、それぞれへの愛を歌いあげた。チョン・ガンハンは体格からして立派で音量豊富。歌の表情はまだまだこれからだとしても大成すること間違いない。今日、ワーグナーはなかったけどヘルデンテノールとしても有望ではないか。将来が非常に楽しみだ。韓国は近年声楽のみならず器楽においてもコンクールの優勝者を輩出している。往年の日本のようになってきた。
最後はピアノの本堂竣哉。藝大の4年生だからチョン・ガンハンとほぼ同世代。だけど体型は大人と子供、華奢で小柄。ところが演奏となればベートーヴェンとがっぷり四つに組んで、それはそれは見事な「皇帝」を披露してくれた。音は煌めくように輝きに満ち、曖昧なところが一切なく美しく綺麗。その音でもって繊細な弱音から豪胆な強音まで滑らかに弾き分ける。下野×東フィルも勇壮なだけに終わらず切れ味のあるあたたかな伴奏で盛り上げる。下野は先だっての「幻想交響曲」でも感心したけど音楽の組み立てが堅牢で、構えも一回り大きくなっている。第1楽章の直後、会場からかなりの拍手が起こったのも無理はない。第2楽章の静謐な夢見るような情感、第3楽章の躍動感あふれるピアノさばきなど、どんどんその演奏に引き込まれてしまった。コンクールにおいて聴衆賞を獲得したというのも納得である。終演後のインタビューでは天真爛漫というか天衣無縫、グレン・グールドが好きで5歳で「ゴルトベルク」を弾いたと笑って言う。天才肌というべき逸材の誕生である、新年早々大いに悦びたい。
2025/11/30 音大オケ・フェス チャイコフスキー、マーラー、ベルリオーズ ― 2025年12月01日 14:58
第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
武蔵野音大・東京音大・洗足音大
日時:2025年11月30日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:武蔵野音楽大学(指揮/原田慶太楼)
東京音楽大学(指揮/松井慶太)
洗足学園音楽大学(指揮/下野竜也)
演目:チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(武蔵野)
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」(東京)
ベルリオーズ/幻想交響曲(洗足)
月が替わって12月になってしまったが、昨日、毎年恒例の音大オケ・フェスの2日目を聴いた。初日の東京芸術劇場はパスしたが、来週のミューザ川崎の最終日は聴く予定である。
原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーでスタート。
全楽章をアタッカでつなげ激烈で火が燃え上がるような演奏。最大限の緩急と強弱、スピードは違反レベル、音量は限度一杯、やりたい放題と形容していいほど。学生オケだからこそ可能となった演奏だろう。プロオケだったら楽団員から顰蹙を買いそう。もっともチャイコフスキーの交響曲だから許容範囲というべきか。とまれ原田の外連味たっぷりの曲芸的な解釈に武蔵野音大はよく食らいついて行った。
原田慶太楼は現在東響の正指揮者だけどノットと同様今シーズン限りで退任する。コロナ禍のとき来日不能となった海外指揮者の代役として全国各地のオケを振って話題となった。当時はまさに八面六臂の活躍でオケの事務局からは頼りにされていたに違いない。東響を退任したあとは愛知室内オーケストラの首席客演指揮者やアメリカにおける音楽監督の活動が中心となりそうだが、引き続き各地のオケを指揮してくれるはず。来シーズンは神奈川フィルの定期にも登場する。
次いで、松井慶太が東京音大を振ったマーラー。
松井はこの夏にアマオケのシベリウスとベートーヴェンを聴いていたく感心した。この音大オケ・フェスでの公演を楽しみにしていて、結果は期待を遥かに上回った。全体の雰囲気は穏やかで大声で叫ぶことはないものの。ひとつひとつの音に神経が行き届き、それぞれの音が各楽章の核心に向かって行く。そして、必然であるかのように曲全体の頂点へ収斂し解放される。マーラーの心の奥底、感情の揺らぎが聴き取れるようだった。第1楽章の副題でいう「春、終わりのない」の鳥のさえずり、第2楽章のロットからの引用、第3楽章の葬送行進曲と突然の民謡風の調べ、終楽章の騒擾と静寂、いずれもこれ以上ない理想的というべき演奏だった。
編成は管楽器が4管、打楽器も多分最終稿通りなのに、第1ヴァイオリンは10人しかいなかった。チェロ、コントラバスは増強されているものの、ヴァイオリンはセカンドを含めても明らかに不足している。楽器のバランスが難しいのではと危惧したが無用な心配だった。最初から最後まで崩れることなく均衡を維持し全く気にならなかった。終演後、聴衆の何人かがスタンディングオベーションで称えていたがさもありなん、入魂のマーラーだった。
松井の指揮姿は武骨で不器用といえるほどだが、つくりだす音楽は広上や川瀬より汐澤の衣鉢を継いでいるように思える。汐澤や飯守の亡きあとの指揮者を見つけ出したかも知れない。今のところ首都圏のプロオケを振ることが少ないが、とりあえずパーマネント・コンダクターを務めるOEKの東京公演のチケットを取りたい。
最後は下野×洗足音大のベルリオーズ。
休憩を挟んだものの松井慶太×東京音大の余波で第1楽章は呆然としたまま通り過ぎてしまった。ぼんやりしたまま全曲が終わるのかと懸念したがとんでもない。下野はもともと誠実な音楽家で、毎回大きく失望したことはないが、この「幻想交響曲」でも楽譜に隠れている思いがけない音を引き出して微笑させ、楽章を追うごとに熱量をあげ迫真の演奏を繰り広げた。
とくに第3楽章の「野の風景」をきっかけにして、「断頭台への行進」「魔女の夜宴の夢」における狂乱ぶり、奇怪さは下野の別の一面をみたかのよう。それでいて細部まで統制は行き届き、圧倒的なクライマックスを築いた。洗足音大はずっと秋山さんの指導あってのオケであったが、よき後継者を得たようだ。
演奏会は3時に開始された。普通ならメインプログラムとなる1時間近い作品を3曲並べ、それぞれの楽曲の前には共演校からエールをこめたファンファーレが演奏された。楽曲の間には20分間の休憩が置かれ、終了したのは大方7時だった。4時間もホールにいた勘定になる。
3校の共演はさすがに辛い。毎年、年齢が加算され疲れも酷くなる。来年はプログラムノートの記載によると昔のように2校ずつ4日間の日程となっている。この改善は大歓迎である。