2025/6/8 フアンホ・メナ×N響 チャイコフスキー「悲愴」 ― 2025年06月08日 21:06
NHK交響楽団 第2039回 定期公演 Aプログラム
日時:2025年6月8日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:フアンホ・メナ
共演:ピアノ/ユリアンナ・アヴデーエワ
演目:リムスキー・コルサコフ/歌劇「5月の夜」序曲
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調 「悲愴」
予定していたウラディーミル・フェドセーエフは体調が思わしくなく降板、前回も来日できなかった。92歳では止むを得ないか。代役にBプロに出演するフアンホ・メナがAプロも振ることになった。曲目に変更はない。
ロシア・プログラムの最初はリムスキー・コルサコフの「5月の夜」序曲。10分足らずの小品、曲自体にそれほど魅かれるところはないが、メナが指揮するN響の音は、先日のルイージの時のように窮屈な感じがなく開放的に鳴っていたのが印象的だった。
ユリアンナ・アヴデーエワが登場して、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。序奏と24の変奏曲、途中から「怒りの日」の旋律が加わってくる。木管楽器を重用したオケの響きと複雑にして華々しいピアノの技巧が魅力。ラフマニノフは苦手な作家の一人だけど、この「パガ狂」と「交響的舞曲」だけはいつ聴いても楽しい。そして、ラフマニノフといえばやはり「怒りの日」を聴きたい。
アヴデーエワは2010年のショパン国際コンクールでの優勝者、ラフマニノフの機知にあふれた重厚な音楽をエネルギッシュにかつロマンチックに歌い上げる。ダイナミックで迷いのない打鍵に圧倒される。一方で、有名な第18変奏などでは儚い音色でたっぷりと歌う。打鍵が精密でダイナミックレンジが大きいこともあってNHKホールにおいてこれほど高解像のピアノに出会ったのは初めて。伴奏のメナ×N響はリズムを重視した躍動的なサポートだった。
後半はチャイコフスキーの「悲愴」。メナは金管を強奏させ全体に乾いた豪快な音づくり。第1楽章は劇的ながら外連味なくN響の奏者たちも気持ちよく吹奏しているかのようだった。第2楽章は濃厚というよりは優美なワルツ、第3楽章は快活で推進力のある行進曲、終楽章は余分な表情をつけることなく作品にそのまま語らせるような設計だった。
フアンホ・メナはスペイン出身、BBCフィルの首席指揮者を務めたこともある。チェリビダッケに師事し、Bプロでは恩師譲りのブルックナーを披露する。今回のAプロの代役はフェドセーエフの年齢を懸念し、事前に話があって準備していたのだろう。
それより、フアンホ・メナは今年の初め、自身のSNSで初期のアルツハイマーであると公表した。指揮者でアルツハイマーを患うというのは致命的だと思うが、指揮を続けて行くとのこと。今日の演奏でも病を感じさせるような兆候はみえなかった。
家族や医師の助けのもと出来ることは何でもする、音楽への情熱、家族という存在、それが進行を遅らせることを信じている、とメナは語っていた。年齢は60歳ほどだから今の時代まだ若い。音楽が支えになってアルツハイマーの悪化が少しでもくい止められるといいのだけれど。
2025/4/27 ルイージ×N響 マーラー「交響曲第3番」 ― 2025年04月27日 21:09
NHK交響楽団 第2036回 定期公演 Aプログラム
日時:2025年4月27日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:ファビオ・ルイージ
共演:メゾ・ソプラノ/オレシア・ペトロヴァ
女声合唱/東京オペラシンガーズ
児童合唱/NHK東京児童合唱団
演目:マーラー/交響曲第3番 ニ短調
ルイージとN響の組み合わせは初めて。ルイージについては過去2度、PMFとデンマーク国立響を指揮したとき聴いている。PMF東京公演の演目は全く思い出せない。デンマーク国立響とは美歩・シュタインバッハ―をソリストとしたブルッフとベートーヴェンの「第7番」だった。ブルッフには感心したけどベートーヴェンは勢いばかりが空回りしているようで散々だった。それ以来足が遠のいている。
今回はマーラー「第3番」に魅かれてチケットをとった。来月のN響ヨーロッパ公演、アムステルダムでの「マーラー・フェスティバル2025」における演目のひとつだという。マーラーの「第3番」といえば、随分むかし、N響ヨーロッパ公演でインバルが指揮したことがある。そのときの放送を思い出す。インバルのそれはマーラー演奏のひとつの到達点だと思わせるものだった。その後、都響との実演に接したときにも同じことを感じた。果たしてルイージはどうだろうか。
テンポよくホルン9本の斉奏のあと、速度を緩めパウゼをたっぷり取る。音楽が分断されうまく流れていかない。節回しには癖というか変な抑揚がある。楽想の終わりをテヌート気味に処理するのも止めてほしい。名手揃いのN響だから大きなミスはないものの、金管奏者などは吹き難そうに思えた。もどかしいまま開始楽章が終わる。その後も違和感は払拭されず、メヌエットもスケルツァンドも何となく通り過ぎていく。メゾのオレシア・ペトロヴァの声は魅力的だけど、合唱は人数が多いせいか透明感に欠けた。最終楽章は弱音を意識しすぎて美しさが損なわれた。巨大な交響曲なれど軽みと高貴な音色がほしい。全体に結構を大きくしたいとの意図があからさまで、もったいぶった演奏に感じられた。
ルイージは今もデンマーク国立響のシェフだと思うが、ドレスデン国立歌劇場の音楽監督やメトロポリタン・オペラの首席指揮者、ウィーン交響楽団やスイス・ロマンド管弦楽団などはすでに卒業している。赫々たる経歴の持ち主ながら相性があまりよろしくない。久しぶりの2日連続の演奏会、疲れが倍加したようだ。それはともかく、N響のヨーロッパ公演の成功を祈りたい。
2025/2/9 ポペルカ×N響 二つの「シンフォニエッタ」 ― 2025年02月09日 20:54
NHK交響楽団 第2031回 定期公演 Aプログラム
日時:2025年2月9日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:ペトル・ポペルカ
共演:ラデク・バボラーク
演目:ツェムリンスキー/シンフォニエッタ
R.シュトラウス/ホルン協奏曲第1番
ドヴォルザーク/交響詩「のばと」
ヤナーチェク/シンフォニエッタ
N響初登場のポペルカ、数年前マティアス・ピンチャーの代役で東響を振ったのが日本デビュー。この公演を聴き逃してしまった。昨年のプラハ放送響の来日公演も行くことができなかった。で、今回、N響との組み合わせで聴くことに。
プログラムはツェムリンスキーとヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を最初と最後に置き、間にR.シュトラウスの協奏曲とドヴォルザークの交響詩を挟むという凝ったもの。
「シンフォニエッタ」といえば、ヤナーチェクがあまりにも有名で、ツェムリンスキーは珍しい。ツェムリンスキーの作品は「抒情交響曲」しか聴いたことがない。ぼんやりとマーラーとシェーンベルクの間にあるようなイメージだけどよくは知らない。略歴をみると妹がシェーンベルクの妻であり、アルマ・シントラーとは一時恋愛関係にあったらしいから、当たらずといえども遠からずだろう。しかし、作品の印象はシェーンベルクにもマーラーにも似ていない。
「シンフォニエッタ」は3楽章形式。第1楽章は活気あるリズムで辛辣かつシニカル。第2楽章は神秘的なバラード、途中爆発的に高まり最後は静寂のなかへ消えて行く。第3楽章は舞踏的でエキゾシズムな雰囲気がある。ポペルカは活き活きと曲を運び、リズムのキレもいい。指揮姿もつくりだす音楽もしなやかだ。ただ、ツェムリンスキーの曲自体に手ごたえが乏しい。一度聴いただけでは正直作品の良さがよく分からない。
R.シュトラウスの「ホルン協奏曲第1番」は彼が18か19歳のときに書いたものだという。モーツァルトをお手本にしたような古典的な作風。冒頭のファンファーレからしてバボラークは超一級。中間のアンダンテを典雅にうたい、最終のロンドはホルンではとても難しい跳躍を連続してこなしていく。思わずトランペットではないのだから、と呟いてしまった。
R.シュトラウスは赤子のときから父親のホルンの響きのなかで育ってきた。管弦楽曲作品でもホルンが効果的に用いられている。そのR.シュトラウスの「ホルン協奏曲」をバボラークが吹いてワクワクしないわけがない。演奏後、バボラークに対してN響のホルン奏者が大きな拍手で称えていた。
「のばと」はアメリカから帰国したドヴォルザーク晩年の作品。チェコの詩人エルベンの詩集「花束」に基づく連作交響詩のうちのひとつ。「のばと」の物語は、夫を毒殺して若い男と再婚した女が、故人の墓の上の木にとまった野鳩の鳴き声を聴いて、良心の呵責に苛まれ自死する、というちょっとおぞましい内容。ドヴォルザークはこの話を1.夫の葬送、2.若者の出現、3.求婚、4.墓の野鳩、5.女の葬儀、という5つのセクションに分けて作曲した。
冒頭はフルートとヴァイオリンで奏でられる葬送行進曲、女に迫る若者の姿はトランペットで表わしているのだろう。第3のセクションに入ると若者と再婚した女が踊るダンスの場面、第4セクションは苛烈、野鳩の鳴き声が女の罪の意識を刺激し、悲劇的な最期に導く。落ち着かないオケの音響と低域のバスクラリネットが印象的。最後は再び葬送行進曲が流れ今度は女を弔う。コーダは長調に転じ浄化されるように終わる。
ポペルカはドラマの各場面を巧みに描き分け、終始見通しのよいドラマをつくった。ドヴォルザークの音楽は写実的で、小交響曲と交響詩の違いがあるにせよツェムリンスキーに比べると圧倒的に分かりやすい。
ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は最晩年の傑作。第一大戦後、祖国は独立しヤナーチェク自身は老いらくの恋の真っ最中。その高揚と情念が「シンフォニエッタ」を生み出したかも知れない。1.ファンファーレ、2.城、3.修道院、4.街路、5.市庁、の5楽章構成で、交響曲の型にはまらない自由さと奔放さがある。
第1楽章はバンダとティンパニだけのファンファーレ。バンダはトランペットを中心に13人が舞台最後列に並び、ステージ上のオケではティンパニ奏者のみが演奏する。リズムは複雑、メロディは幾つかの声部に分かれ掛け合う。13人のバンダが優秀で見事なファンファーレを吹奏した。
第2楽章は民俗舞曲調、ポペルカは速めのテンポで旋律の歌わせ方も上手い。第3楽章は優美な曲調と過激な曲調が同居し、ポペルカは才気あふれる指揮でもって捌いて行く。第4楽章のトランペットの執拗なオスティナートも颯爽とした演奏。
第5楽章は「タラス・ブーリバ」を思い起こさせる。楽章の後半において沈黙していたバンダが再び加わる。このファンファーレ以降のポペルカのテンポの伸び縮みは絶妙としかいいようがない。力任せのところが全くないのにどこまでも高みに昇って行く。
N響の適応力も素晴らしく鳥肌がたつほどだった。コンマスは長原幸太、この4月からN響の第1コンサートマスターに就任する。
長原幸太がN響のコンサートマスターに就任 ― 2025年01月28日 09:44
昨年9月に読売日本交響楽団のコンサートマスターを退任した長原幸太が、この4月からNHK交響楽団の第一コンサートマスターに就任する。
https://www.nhkso.or.jp/news/20250127.html
3月末で退団する特別コンサートマスターの篠崎史紀の後任ということになろうか。そういえば篠崎もN響へ來る前は読響のコンマスだった。
伊藤亮太郎のコンマスは10年ほど、大宮臨太郎はVn.2へ移り、白井圭は頻繁にゲストを務めていたけど、長原の就任で収まるべくして収まったということだろう。
これでN響のコンマスは郷古廉(第一コンマス)、川崎洋介(ゲストコンマス)とともに3人体制でオーケストラを牽引することになる。
2025/1/19 ソヒエフ×N響 ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」 ― 2025年01月19日 19:01
NHK交響楽団 第2028回 定期公演 Aプログラム
日時:2025年1月19日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:トゥガン・ソヒエフ
演目:ショスタコーヴィチ/交響曲第7番 ハ長調
作品60「レニングラード」
毎年のようにN響に客演しているソヒエフだけど聴くのは二度目。前回の演奏はまぁまぁ覚えている。5,6年前にサントリーホールで「シェヘラザード」と「シンプル・シンフォニー」、それともう1曲、これは思い出せない。
当日は優秀なN響が快適なホールで華麗な音楽を披露してくれた。演奏会後の評判も概ね良かったと思う。ただ事前の期待が大きすぎたせいか決定打というには物足りなくて、結局その後は聴かずじまいになっていた。
今回はショスタコーヴィチの一本勝負ということだから、久しぶりにソヒエフ×N響を聴いてみることにした。
ソヒエフの「レニングラード」は灰色に塗りこめられ狂気を孕んだ音楽ではない。様々な色彩を放ちながら正気を見失わない音楽のように思えた。重戦車が轟音をたてて進軍するとか砲弾や銃弾が飛び交う景色よりは、むしろ、悲しみを抱きつつ祈りを捧げる巡礼の歩みを想起させた。とりわけアダージョの風景はまさに祈りの行列そのものだった。
ソヒエフは全体に金管を抑え気味にし弦の美しさを際立たせていた。最終楽章の結びだけは勝利を確信させるような高揚をみせたけど、あえて戦争に絡めたメッセージ性を廃し、純粋に音楽に徹する潔さがあった。ソヒエフは自らの主義主張をことさら押し付けるのではなく、オケの美点を見い出し最良のものを引き出そうとする指揮者なのだろう。
N響はその機能性を十二分に発揮し、ソヒエフとの相性もあって見事な演奏を繰り広げた。ソリストではないコンマスの郷古廉は初めてみたが、弦16型の巨大なオーケストラのリーダーとしても絵になっていた。