2026/2/8 ジョルダン×N響 ワーグナー「神々のたそがれ」抜粋2026年02月08日 22:12



NHK交響楽団 第2057回 定期公演 Aプログラム

日時:2026年2月8日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:フィリップ・ジョルダン
共演:ソプラノ/タマラ・ウィルソン
演目:シューマン/交響曲第3番 変ホ長調「ライン」
   ワーグナー/楽劇「神々のたそがれ」
        ジークフリートのラインの旅
        ジークフリートの葬送行進曲
        ブリュンヒルデの自己犠牲


 土日は雪との予報があったため、期日前投票をしようと区役所へ出向いたところ、週半ばの平日昼だというに長蛇の列、どう見ても小一時間は並ばなければならない。次の予定もあり期日前投票を断念した。
 だから、投票日の今日、雪のちらつくなか午前中に一票を投じ、そのままNHKホールに向かった。プログラムはライン川つながりでシューマンの「交響曲第3番」とワーグナーの「神々のたそがれ」抜粋という魅力的なプログラム。

 指揮のフィリップ・ジョルダンはスイス出身。スイスというと古くはアンセルメやコルボ、現役ではデュトワやバーメルト、若手ではヴィオッティなど優れた指揮者を輩出している。ジョルダンはどちらかというと歌劇場畑でウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、昨年のウィーン国立の来日公演でも指揮している。しかし、ウィーンは伏魔殿だからお決まりの意見対立で退任し、来年からはフランス国立管弦楽団の音楽監督に就任する。これからはコンサート指揮者へと軸足を移すのかも知れない。N響とは初共演である。
 
 「ライン」は「第3番」となっているが、シューマンの4曲の交響曲のうち最後に書かれた作品。変ホ長調はベートーヴェン「エロイカ」の調性、開始楽章の雄大な冒頭部やホルンの活躍も「エロイカ」を彷彿とさせる。全体の5楽章構成は「田園」と同じ。ベートーヴェンの正当な後継者はブラームスで、シューマンはベートーヴェンが確立した交響曲の約束事を逸脱しているといわれるけど、いやいやベートーヴェンの影響は大きい。第2楽章は田舎風の素朴な舞曲、同一メロディの繰り返しが船で揺られているように、あるいは川のうねりのように聴こえないこともない。第3楽章は牧歌的な旋律をクラリネットがリードする。第4楽章は短いが宗教的な雰囲気の厳かな音楽、最終楽章は晴れやかな気分のなか喜びに満ち最後には堂々たるフーガも登場する。
 ジョルダンは悠然とした歩みで各楽章とも同じようなテンポ感。楽章内も速度をあまり動かさない。一貫した空気感を生み出し単一楽章の交響曲のように描いた。シューマンの管弦楽法は複数の楽器が同じフレーズを重複するから、ちょうど絵具を塗り重ねるように濁りが増し重く分厚い響きとなりやすいが、ジョルダンの音楽はまろやかで滑らか。バランス感覚が鋭くオケの鳴らし方をよく知っているのだろう。

 後半は「神々のたそがれ」から3曲、4時間有余のドラマを40分に凝縮してつないだ。そして「リング」15時間・4部作の終曲はブリュンヒルデの声楽付きである。
 「ジークフリートのラインの旅」は、ブリュンヒルデとの愛に目覚めたジークフリートが、ブリュンヒルデの愛馬グラーネにまたがってライン川へと旅立つ勇壮な曲。N響の弦や管は逞しく強靭。コンマスは長原幸太、今井仁志のホルンや長谷川智之のトランペットが壮麗に鳴る。ジョルダンの丁寧で急がない悠々たる音楽はワーグナーでますます生きて來る。
 「ジークフリートの葬送行進曲」は、ハーゲンによってジークフリートが殺害された直後の音楽、「剣の動機」「ジークフリートの動機」「英雄の動機」などジークフリートに関わるライトモチーフが連続し、悲壮で壮大に盛り上がりクライマックスを築く。ジョルダンはワーグナーの毒素をあからさまにぶちまけるより、抑制を保ちつつドラマの悲劇性を追及するようで思わず涙する。
 終曲の「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、ハーゲンを殺害し指輪を奪い返したブリュンヒルデが指輪をラインの乙女たちに返し、ジークフリートの亡骸が横たわる薪に火をかけ炎の中へ身を投げる。その炎は神々の城ヴァルハラまで燃え上がり神々の世界は滅び去る。指輪は浄化され欲にまみれた神々の支配は終焉し、愛と自己犠牲による世界の救済というワーグナーの思想が巨大な管弦楽の圧倒的な迫力でもって描写される。ブリュンヒルデを歌ったタマラ・ウィルソンは米国出身でトゥーランドットやイゾルデなどもレパートリーとし、メトロポリタンだけでなく欧州でも活躍している。ウィルソンの声はしなやかで力強いが可憐な表情もあって好感度大。ジョルダンは歌劇場指揮者らしくオケの音量調節が完璧で、歌手の声を際立たせ品格の高いワーグナーを聴かせてくれた。

再び寒川神社へ2026年01月21日 15:26



 昨年、正月2日に寒川神社へ初詣に出かけた。今年は同じ2日にボケ封じとポックリ祈願を兼ねて長津田の福泉寺と王子神社に参拝した。

 しかし、この一年の八方塞も除いておいたほうが安心できるのではないかということで、再度、寒川神社にお参りすることにした。寒川神社は相模国の一之宮、八方除の守護神である。
 昨年は三が日ということもあり、鉄道は満員、参道は立ち入り規制という混雑ぶりだったが、今年は松の内をとうに過ぎ平日の寒空もあって余裕綽々、円滑に参拝を終えた。

 年明けから世界は米国のベネズエラへの襲撃、グリーンランドの領有問題、米欧摩擦、イランの騒乱激化など、日本では解散総選挙、長期金利の高騰、財政懸念など波乱含みの様相である。
 この世代としては現役の邪魔をせず、世界が八方塞にならないように、ただただ神仏に祈るのみである。

消防出初式2024年01月06日 13:26



 穏やかな天気のもと、散歩の途中の公園において消防出初式に出くわした。観客席が設置されていたので見学することに。ウーハン・コロナのせいで4年ぶりの本格的な出初式だという。広場を数百人がぐるっと囲んで見守る。

 優良消防団員や一般消防功労者の表彰のあと、防火防災協会長や県市会議員など来賓の挨拶があり第一部が終了。第二部は中学・高校のバトン部演技、消防総合演技、一斉放水と進み閉会した。消防総合演技は、車の正面衝突事故を想定し、救助活動と消火の模擬を披露。大勢の子供たちは、みな興味津々で通路の前に移動したり、パイプ椅子から身を乗り出して見ていた。十数本のホースを使った一斉放水はなかなかの迫力だ。

 出初式が終わり、明日は松の内もあける。今年は新年早々から大きな地震や事故が重なり、不穏な年明けとなってしまった。このさき災いが収束し平安な日々が続くことを祈るばかりである。

チャイコフスキー国際コンクール2023年07月01日 17:56



 ジュネーヴに本部のある「国際音楽コンクール世界連盟」は、「チャイコフスキー国際コンクール」を除名したけど、ロシアでは今年6月、軍事作戦中にありながら1958年の第1回から数えて第17回目(原則4年に1度)となるコンクールを開催し、今日その最終結果が発表された。

 政治と文化を完全に切り離すことなど出来るはずもなく、東西・南北とも音楽をプロパガンダとして利用する。戦時の「チャイコフスキー国際コンクール」である。
 当初は親ロシア国の出場者ばかりと思っていたが、参加は23か国に及んだ。もちろん、応募は地元ロシアからが圧倒的で、チャイナも目立ってはいた。しかし、西側からもアメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、イギリス、日本、韓国などの出身者がいた。
 そして、勝者はヴァイオリン部門、チェロ部門、男性声楽が韓国人。それ以外のピアノ、木管、金管、女性声楽はロシア人となった。

 西欧では参加の是非さえ議論されていたコンクールだが、価値観はさまざま。欧米のいうことが絶対というわけでもなかろう。同じ事象が全く正反対に解釈されるのは珍しいことではない。正邪は歴史が判断するのだから、その時々の多様性は維持されるほうが真っ当に違いない。

 「チャイコフスキー国際コンクール」は、若手演奏家の登竜門で「ショパン国際」「エリザベート王妃国際」とともに世界三大音楽コンクールのひとつといわれる。
 日本人では過去、ピアノの上原彩子、ヴァイオリンの諏訪内晶子と神尾真由子、声楽の佐藤美枝子が優勝している。前回(2019年)はピアノの藤田真央が第2位、ヴァイオリンの金川真弓が第4位に入っていた。

2023/4/15 沼尻竜典×神奈川フィル 「レニングラード」2023年04月15日 19:47



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第385回

日時:2023年4月15日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
演目:ショスタコーヴィチ/交響曲第7番ハ長調 Op.60
           「レニングラード」


 今シーズンの神奈川フィルが始動。初っ端の沼尻監督の選曲は「レニングラード」、昨年もショスタコーヴィチの「交響曲8番」を取り上げている。何年かかるか分からないがチクルスとなるのだろう。
 いまロシアは戦いのさなか、西欧諸国からは非難囂囂で、演奏家の一部も活動が制限されている。しかし、幸いなことにロシアの音楽は大きく後退していない。文学、美術も同様だろう。文化の厚みが政治の態様に拮抗しているかのようだ。

 16型の編成、16-14-12-10-8の弦5部だけで60人。舞台の上手と下手奥にトロンボーン、トランペット、ホルンのバンダ。100人以上が舞台上に並び、80分にわたる熱演を繰り広げた。コンマスは石田泰尚。
 沼尻のテンポ設定、アーティキュレーション、楽器のバランスには無理がなく、神奈川フィルもほぼ完璧。理想的な演奏のひとつだったと思う。しかし、昨年のマケラ×都響のときのように、強烈さと静謐さの両極を前にして我を忘れる、ということはなかった。そのせいか、それぞれのソロの細部を味わったり、楽器と楽器の重なり具合を確かめたり、ときどきの響の由来を探ってみたり…そんな聴き方をしていたようだ。

 交響曲「レニングラード」作曲のきっかけは、ドイツ軍のレニングラード包囲である。反専制主義者であり愛国者!ショスタコーヴィチが砲撃のさなかに書き始め、生まれ故郷のレニングラードに捧げた。資料を読むと、レニングラードにおける初演までの道のりは壮絶極まりない。指揮者カール・エリアスベルクをはじめ戦場からかき集められた奏者たちは、みな地獄の渦中にあった人々だった。
 演奏会はラジオで中継され、ソ連軍陣地はもちろんのことドイツ軍陣地にもスピーカーが向けられた。兵糧攻めにされたレニングラードには、戦争や飢餓、恐怖や死に対抗する人間の証としての音楽があった。交響曲「レニングラード」を演奏することは、その象徴であり希望だった。この曲には音楽が暴力と対峙した瞬間が刻まれている。
 「第7番」は「第5番」と並んでソビエト連邦のプロパガンダだ、という人もいる。たしかにショスタコーヴィチの交響曲のなかでは、最も素直に同胞にむけて書かれた作品だろう。諧謔や韜晦の度合からいえば、後年の詮索好きの聴衆には物足りない。しかし、それが何? たかだか音楽が、ひょっとしたら、暴力に蹂躙されていた歴史の流れを、わずかであっても変えたかも知れないのだ。
 たとえば、第3楽章の管楽器で奏でられるコラール主題とそれに続く、息の長い弦の旋律が、ソ連軍、ドイツ軍、そしてレニングラード市民に届けられたとき、彼らにはどう聴こえたのだろう。それを知りたいと思う。